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ローズ  作者: 紫藤なごみ
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1.少年王と一人の少女

王がこの場所を訪れたのは戯れだった。

自分よりも体格のよい男たちに囲まれて、ゆっくりと細い廊下を歩く。

ひどく大きな建物の中にはたくさんの部屋があり、

廊下と部屋を仕切っている壁の向こうにいるのはたくさんの男女。

すべてが皆、ぼろぼろの布で身体を隠し、髪も何もかも乱れたまま、命じられるままに目の前の仕事をこなす。

王はその様子を、明らかに蔑視していた。


王、といっても、彼はまだ17の少年だった。


奴らはいつまで働かされるのだ?

王は答えのはっきりしている問いを敢えて側にいた者に尋ねた。

その者はためらいなく言う。死ぬまで、と。

それが、奴隷の役目だと。


この少年王が治める国は、あちこちの国に戦争をしかけることにより力を得た国だ。

若干13で王位を父より継いだ彼がまず最初にやったことは大国への宣戦布告。

それから4年、一度も負けを知らずにきた結果が、このおびただしい奴隷の数というわけだ。

彼は、そうか、と一言だけ口にして笑った。



男も女も老人も子どもも差別ない。

たとえそれが血を分けた家族であっても。

少年王の笑いに、彼の側に侍る側近たちは震え上がる。

自分たちより10も20も下の少年ではあるが、彼は誰よりも何よりも残酷だ。

知っている限り、彼に1年以上仕えたという者の名を知らない。

彼の生母を始め、父王の妃たち、彼の異母兄弟姉妹たちに会ったことがない。


攻め滅ぼした国の民をすべて奴隷にし、収容所に閉じ込めて一生仕事をさせる。

王族は例外なく皆殺し。見せしめにし、民たちに絶望感を与えるために彼らの首をさらす。

これが17歳の少年王のやり方だった。




彼は今日はとても気分が良いらしい。

いつもならこうして仕えている間にも1人や2人、王に気に入らないと言われて一刀両断されている者が出ているものなのだが、今日は全員無事でそこにいる。

だが気が抜けないと緊張感漂う中、ふと、彼が足を止めた。

むやみに彼に声をかけられないため側近たちはどうしたものかとその場にいたのだが。


「あれは…?」


彼には珍しい、少し、だけれども穏やかな声。

声の向いた方を側近たちが見ると、そこにはたくさんの奴隷たちに混じって縫い物をしている一人の少女。

年の頃は王と同じぐらいだろうか。

疑問形の後に視線を向けられた側近の一人は冷汗をかきながら神妙にかしこまって答えた。


「あの者はつい先日王が征服なさった国より連れて参った奴隷の一人でございます」

「民草か?」

「は。王族はすべて処刑されておりますので…」


王はそのまま足を止めた。

そして別の側近に向かって手を伸ばす。

その者はすべての『奴隷部屋』の鍵を持っている者。

驚いていては首と胴が離れてしまうことを知っているその者は、迷うことなく鍵を王に手渡した。

王は、その鍵で部屋の鍵を開けた。



瞬間、この世のすべてが動きを止めたかのように思われた。



奴隷たちは王の姿に恐怖し、震え上がった。

彼らは目の前で統治者を処刑され、同胞を数え切れないほど殺されている。

今度は自分の番かと思わずにはいられないほど、王は容赦なく冷酷なのだ。

だが、顔は青ざめていても手の動きは止めない。

止めた途端やってくる未来は容易に想像できる。


王はゆっくりと歩き出す。

すべてが自分にひれ伏す様を当たり前のものと特に意に介さないまま向かったのは、

先ほど壁越しに見かけた少女のところ―。


少女は王が自分の側にいることに気付いているのかどうなのか、

何ら反応せずただひたすらに縫い物をしている。

王はしばし、何をするでもなく、ただそこにいたのだけど。

「お前の仕事は何か?」

ふと、思い出したように視線を落として声を発した。

少女は顔を上げることなく、ただ一言、

「皆が使う雑巾を縫っているのです」

とだけ答えた。


しばし沈黙が落ちた。

王の側近たち、そして部屋にいるたくさんの奴隷たちはおかしな汗が背中を伝っているのを確かに感じていたけれど、

意外にも王は少女の態度に怒りを見せなかった。

細やかに動く少女の指先に王の視線は向けられる。

ほっそりとした白い指のあちこちに傷跡がある。

そして再び少女全体を見渡すように顔を上げた王は目つきを鋭くさせた。


「名は?」

「…奴隷に名などありませぬ」


部屋にいる誰もが同じことを思った。

少女はすぐさま王に首を斬られると。

この王は、どんな些細なことでも自分の意に反することを許さない。


だが、いつまでたってもその時はやってこなかった。

王は、俯いたままの少女をどこか遠目で眺めながら何かを思案しているようだった。

やはりうかつに声を掛けられない側近たちは緊張しながらも様子を見守っていたのだが―。


突如、王は少女の針を持つ手を引いた。

力強く引かれたその手は針をその場に落とし、少女自身も立ち上がらざるを得なくなった。

しかし少女が己の意思で自分をどうにかする前に、王は少女のその手を引いたまま部屋を出ようと歩き出す。

側近たちは慌てて王の後を追った。

引きずられたまま部屋を出て行った少女の後ろ姿を、他の奴隷たちは呆然と見送ることしかできなかった。

今さっきまで少女がいた場所に残されたのは糸が通ったままの針のみ。

部屋は、再び入り口が閉ざされ、堅く鍵がかけられた。


しばらく少女はされるがまま王に引きずられていたが、

一度もこちらを振り返ることなく歩き続ける王についに声を上げる。

「私をどこへ連れて行くのですか。処刑なさるのならここでなさればよい」

「貴様、王に向かって生意気なことを…」

側近たちが少女の口を押さえ込もうとした時、王はようやく足を止めた。

「よい。この者の申すことは当然のことだ」

振り返った王の視界に映った少女は、やはり俯いたままだったのだが、

王は無理やりに少女の顔を自分に向けさせた。

睨みつけるような視線を向けられることには嫌というほどに慣れている。

王はこらえるように笑った。

「新たな仕事を与えてやろうというのだ。雑巾縫いよりはよほど退屈ではないだろうよ」

少女が左手に握りしめていた縫いかけの雑巾を奪い取り、その場にうち捨てた。

そして側近たちに大声で命じた。


「城の地下に使っていない牢があったな。そこにこの者を閉じ込めておけ」


王の意図するところは全く分からなかったけれども、側近たちは考えることなく応答し、素早く少女を連れてその場を去った。

もう一度王は少女の表情を伺おうとしたのだが、やはり俯いていた少女の顔を見ることは叶わなかった。

少女と側近たちの姿が見えなくなった時、ふと、王は視線を落とした。

そこにあったのは少女が縫っていた雑巾一枚。

己が捨てたそれを再び拾い上げた王は、そのまま踵を返して歩き出した。






少女が次に王と面と向かったのは翌日だった。

城の地下牢に閉じ込められているため、今が朝なのか夜なのか全く分からない。

そんな中、見張りも何もないところにいる少女は本当に一人であった。

王は、共も何も連れずに少女の所にやってきた。

そして牢の鍵を開け、自身の身体を滑り込ませて再び鍵をかけた。


牢の中に、王と少女が二人きりになった。


「なぜ自分がここにいるのかという顔だな」

俯いたままの少女を見ながら、王は少し笑う。

「私でなくても、同じことを思うでしょう」

小さい声ではあったが、しかし少女の声ははっきりと牢の中に響いた。

王はそんな少女の顔を昨日やったように自分に向けさせ、顔を近づけた。


「お前、奴隷だから名はないと昨日申したな」

「…それが?」

「俺が名を与えてやろうと言うのだ」

王は、ふと少女の身体を突き飛ばし、仰向けになったその上に覆いかぶさって呟くように囁いた。


「ローズ」


王の手がそのまま少女の服を剥ぎ取ろうとした。

さすがの少女も狼狽して身体を起こそうとしたけれど、男の力で押さえつけられているためかなわない。

「何をなさるのです」

「お前、男を知っているのか?」

「私は奴隷です。王、お止め下さい」

「そうか、知らないのか」

かみ合わない言葉を投げあいながら、少女は全身に走る震えに意識を持っていかれそうになりながらも懸命に抵抗した。

だが、それも無駄なことであった。

少女はあえなく王に征服された。


服も髪も何もかもを乱したまま動かなくなった少女を見下ろして、王は少女からようやく離れた。

幾程の時間がたったのか分からない。

少女にとっては長い長い時であった。

己の身体は己のものであってすでの己のものではないような気がした。

全身に残る気だるさと痛みは、他の誰でもない、今目の前にいる男が与えたもの。

鉛のような身体を引きずることはできなかったが、口だけはまだ自分のものであった。

「これが、昨日王がおっしゃった新しい私の仕事ですか」

「雑巾を縫うよりよほど有意義だと思わないか」

「私など相手にしなくともあなたには数多の妃がいらっしゃるでしょう。

 お戯れに奴隷に手をつけたとあっては笑い者になるのはあなたでしょうに」

「…名を、与えたではないか。そして牢に閉じ込めている」

「意図が分かりませぬ」

気付いた時にはすでに、少女の声は震えていた。

気丈に王に反論する少女。

自分で自分を奴隷だと言っておきながら、しかし態度はそれにそぐわない。

王はさらされたままの少女の身体に自分の上着をかけ、牢の鍵を開けた。


「ローズ。お前は今日より俺の室だ。ただし、身分が卑しいため、牢がお前の居室、

 そこより一歩も外へ出ることは許さん」


牢から出て鍵をかける際、王は再び少女の顔を見た。

視線はこちらを向いていなかった。

怒っているのか悲しんでいるのか判別しがたい表情であったけれども、

真っ直ぐにどこかを見ているらしい少女の視線に何かゾクゾクするものを感じた。

先ほど抱いた少女の体温を思い出すように己の手を軽く握りしめて、

王は少女に背中を向けた。

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