1話 これが日常
「働け」
「やだ」
とあるマンションの一室。
その中からとある男女の声が響いていた。
「いつまでヒモになってるつもりなの?せっかくいい大学卒業したんだから働けよ···」
はぁ、と肩を落とし目の前にいるフリーターという名のニートを見るのは笹野原柚葉。女の子らしい名前にコンプレックスを抱く男の子。···いや男の子って年じゃないな。
「それよりもさ、私眠いから寝ていい?」
そして、この部屋の問題児、笹野原心和、心和やかと書くはずなのに心が和やかになるどころか殺意を覚えるレベル。
「ダメに決まってんだろ」
「は?何で?」
「まだ話してんだから」
「いやいやいや、なら退屈じゃない話してよ、ほらわたしが寝ないような話をさ!」
「お、お前なぁ···」
つくづくムカつく妹である。こんな奴でも昔は四六時中俺の後ろを着いてきて何かある事に「おにーたん」と言っていた時期があるんだな、と思うがそれがどうしてこうなった。
育て方間違えたのかな、いや俺が育てたわけじゃねえわ、親が育てたんだ。俺が大学のため県外にいた間どんだけ甘やかしたんだか···。
「そんなことだから、私は部屋に戻るね。じゃあ」
心和はそれだけ言うと、ガタッと席を立ちそのままリビングを出る。
心和の後ろ姿を見ながら俺はどうしたものかと考えながら、コップに入っていたお茶をぐっと一気に呷る。
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自室に戻ってきた心和こと私は扉を背にし、ふぅとだけ息を吐く。
「······私だってこんなことしてちゃいけないと思ってるよ」
どうしても過去のトラウマが忘れれない。普段はそんな事ないのに。
いざ、面接!となるとどうしても嫌な思い出が脳裏に浮かぶ。思い出したくもないものを思い出した後は毎度の事ながら私は情緒不安定となる。それが原因で毎回面接で辞退している。
学歴だけ見れば私は相当なエリートと言えるだろうが、働いていない、たったこれだけで世間の私に対する評価は地の底に落ちる。
兄は当然ながらこのことは知らない。兄が大学一年目の時に起きたからだ。
その後、とりあえず大学に行ったが正直行きたくなかった。またあんなことが起きるかも、と考えるだけで憂鬱になった。もちろんそんな事がポンポンと起きないのは分かってる。
だけど、どうしても忘れることが出来ない。あんなことが起きるのは二度とゴメンだ。
わたしはもう一度だけ、ふぅと息を吐きいつもの仮面を被る。
いつも兄に見せている『生意気な妹』の仮面である。
私はベットの付近まで歩き、ベットの上にとうっ!と言いながらダイブする。
程よい柔らかさのマットは私を上に乗せたらぐにゅっと私を沈めた。
そのまま毛布を被りふたたび眠ろうとすると、思いのほか早く睡魔が来たため、無駄な抵抗はせずにそのまま意識を手放した。
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ジメジメと湿気でウザイ雨。外に出掛けるとなるとウザイが家でゴロゴロするというなら別に降っててもいい、むしろ雨の音が心地にいいので降っててくれという微妙な天気である。
その日は珍しく、心和がいなかった。何でいないのかはさておき、いなかった。
「心和ー、心和ー?」
俺は当然ながらその事は知らない。ていうよりもあいつは四六時中家にいると思っているからそもそも家にいないという選択肢がない。
「また寝てるのか?」
全く···と呆れながら心和の部屋の前に行く。
扉の前に立ち三回目ノックしてから心和に一応呼びかける。
「心和?入るぞー」
ガチャっとドアノブを捻り、心和の部屋へ入る。
入った瞬間、女子特有の匂いと甘い香りが鼻を刺激する。
心和の部屋に入るのは何気に初めてだな···と考えつつ、さっさと用件を伝えようと、あたりを見回すが心和の姿がなく、焦る。
「あ、あれ?心和?どこだ?隠れてるのか?」
本格的に心配してきた、そう思った矢先に玄関からガチャっとっとドアを開ける音がした。
急いで向かうとそこには心和がいた。
「おかえり、なんでスーツなの?」
俺の言葉にピクリと心和が反応するがすぐに取り繕う。
「何でもない、それよりもなんか言いたいことあったんじゃないの?」
「ん?ああ今日は久しぶりに外食しようかなっと思ってさ、準備しろ」
「!···分かった。すぐに着替えてくる」
ほんと、こういう時は素直なんだな。現金な奴め。別にいいんだけどな。
俺は心和の準備が終わるのを今か今かと待ちつつ、携帯をいじる。
やっているのはソシャゲだ。G〇(仮)だ。現実に彼女いないしな。もっというなら彼女いない=年齢だからな。
······自分で言ってて悲しくなってきた。いい出会いないですかね···。
なんか虚しくなってきたからスッとソシャゲを閉じ、大人しく心和を待つことにする。
準備長いな。いや、女性だから仕方ないとは思うが、まぁうん。今回は我慢しよう。元を辿れば原因俺だし、俺がどうこう言える義理はねぇな。
「お待たせ、スーツ慣れてないから着替えるの遅れた」
「ん、大丈夫だ」
心和がようやく来た、実に十五分ぐらい。あれ?意外と短いのかな?
心和が珍しく、謝ってきたので若干どころか、相当驚きつつも、それを外には出さず、内だけで抑えた。
「な、なに···?そんなこっち見て?」
「いや、お前、あれだな。うん」
「あれって何よ···」
呆れ顔でこちらを見る心和の目は哀れな者を見るような目で少しお兄ちゃん、悲しいです···。
そんなことを考えつつも玄関から出て、外を見る。
相変わらず空は雲で覆われていて、雨はさらに酷くなっているが、俺の心は少しだけ明るくなっていた。
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働きたくねぇな。妹に働けって言ってるわりけど俺は働きたくない。上の命令に絶対とかなに?ここ。軍隊?···いや軍隊の方がまだ楽かな、ほら会社って言われたことの倍のことを仕上げなきゃ怒られるしな、その点軍隊は、言われたことやればいいだけだから楽だね!(白目)
「笹野原先生いますー」
「ここだぁ、どうした?」
「ここ分からないんですけど···」
「あー、ここね。ここはな···」
目の前の女の子が俺のことを『先生』と呼ぶ。
『先生』この名がこの日本で呼ばれるには一般的には二通りがある。
一つは、本を書いていること。
でもこれは、女の子に勉強を教えるという部分を説明出来ない。はい、ボツ。
二つ目は俺が学校の教師だということ。
まぁ二択しかないのでこれが正解なんだが、本当に教師の世界の年功序列が酷い。若い教師の仕事量が給料が見合ってない。普通に潰れるレベル。
顧問は断固拒否させて頂きました。周りの先生があまりいい顔しなかったのは覚えてる。
お陰様で、私の仕事量多すぎ、ざけんな。なんでノルマの倍をしなきゃならんのですか!特にこの紙!体育館の備品チェックとか俺の仕事じゃねえだろ、おい体育担当誰だ。
まぁいい、これは後回しだ。てかやらないで放置だな。
「笹野原先生、社会の方人が足りてないらしくて···入ってもらっていいですか?」
机の上の資料を片付けていたらなんかおっさんが話しかけてきた。
お前が行けばいいのにな。どう見ても俺、今手空いてないでしょ。
「ん?あ、はい。何組に行けばいいんですか?」
それでも了承する俺は立派な社畜。
「二年五組に行ってもらえると···」
「了解です」
それだけ言うと、ハゲはスタスタと自分の席に戻りやがった。机の上がとても綺麗なことですね。
さーて、仕事も増えましたし、サッサと片付けますか。