泣き虫な百獣の王
「うぅ~。こんな森の奥まで来ちゃった。しかも、暗くなってきたし。こんな所で今夜は野宿!? 絶対にやだなぁ~」
詩衣が周囲をおどおどと見渡しながら嘆く。
詩衣が言うように森を進むこと数時間、森は終わるどころか更に深まり、空もすっかり薄暗くなっていたのだ。
「なら寝なきゃいいだろう。簡単なことだ」
そんな詩衣にブリキはあいかわらず淡々と子憎たらしいことを言う。
「私はあんたやかかしとは違うの! あんた達は生身じゃないから、休憩も食事も必要ないけど、人間の私には必要なの! あんたには本当に思いやりってものがないわね!」
「そんなものなくても別に死にはしない」
「でも! そんなんじゃみんなに嫌われちゃうわよ!」
「別にかまわん」
「もうっ! あんたって本当に最低!」
――とさっきから詩衣とブリキの言い争いが絶えない。
「うぅ~~! わん! わん!」
そんな争いを遮るようにトトが吠え始めた。
何かに怯えるような、はたまた怒っているような声で鳴く。
「どうしたの? トト? あなたもブリキの冷血感ヤローに何かされたの? 本当にあいつ感じ悪いわよね! 大丈夫?」
「違う」
そう言ってトトに歩み寄ろうとした詩衣を引き止めたのはブリキだった。
「何よ!」
わけが分からず聞き返す詩衣には答えず、ブリキは静かに続ける。
「動物はにおいでわかるのだろう。ウサギか? キツネか? いや……。もっと大きいな」
「だから何なのよ! さっぱり意味がわかんない!」
「ちっ! 察しが悪い。やっぱりバカ女だな。この茂みの中に何かがいるんだ。出てこい!」
ブリキはそう言って、茂みへと斧を勢い良く降り下ろした。
「ガウッ!」
その斧をかわすようにひらりと茂みの中から現れたのは、夕闇の中でもきらきらと光る金色のたてがみが目立つ、大きなライオンだった。
「きゃあ!」
詩衣は思わず悲鳴をあげる。
当然だろう。
今までもちろんライオンは見たことがあるが、柵越しではない対面は今回が初めてである。
「バカ女! お前は犬と一緒に後ろに下がっていろ! かかしはバカ女を押さえておけ!」
「ガルルルゥ~!」
最初、ライオンはその声に反応してブリキに襲いかかろうとしたが、ブリキが刃物を持っているのを見るとまたひらりとブリキをかわし、詩衣へと襲いかかった。
「きゃあ!」
「ドロシーさん! ああっ!」
「かかしっ!」
かかしが詩衣を守ろうと彼女の前へ出たが、一撃で遠くまで吹っ飛ばされてしまった。
ライオンは詩衣のすぐ目の前である。
「バカ女! 逃げろ!」
ブリキが珍しく必死な声をあげて叫ぶがしかし、詩衣の体はすくんでしまって動けない。
「い、いや……」
か細い悲鳴だけが口から漏れる。
「ガウッ!」
ライオンが飛びかかり、詩衣が食べられる……! と諦めたその瞬間、勝手に動き出したのは――詩衣の『足』だった。
向かってきたライオンの鼻の頭へとズドン! と一発、目一杯のかかと落としをくらわす。
「はぁ!?」
詩衣も驚いたが、一番驚いたのは予期せぬ反撃を受けたライオンだ。
「ギャウ!? ギャウゥ~!」
驚きと痛みで混乱しながら、詩衣に蹴られた鼻を押さえてゴロゴロとそこら辺を転がり回る。
「死ねっ!」
そんなライオンに今がチャンスとブリキが斧を振り上げ、とどめを刺そうとした。しかし……
「ま、待って下さいぃ~!」
そう哀れっぽく頼み込んだのは当のライオンだった。
詩衣に蹴られた鼻を片手で押さえながら、涙ながらに頼み込む。
「ご、ごめんなさい! ほ、本当にごめんなさい! わ、悪気はなかったんです! キ、キツネにあなた達を襲うように言われて、し、しょうがなく……。ほ、本当に殺す気とかはなかったんです! た、ただ少し驚かそうと思っただけで! ほ、本当にごめんなさい! ゆ、ゆ、許して下さい!」
ゴツい見た目のわりには若い、声変わりしているかしていないかの、詩衣と同い年くらいの男の子の声をしている。
「ライオンがしゃべった!? やっぱりこの世界ではライオンとかも普通にしゃべっちゃうんだ! ……まぁ、もう初っぱなから、かかしやら、ブリキやらがしゃべってるのを見ちゃってるから、今更あんまり驚かないけどね……」
詩衣はそう言いながら自分の順応能力のレベルアップぐあいに少し遠い目をした。
「……てか、あんたキツネに命令されてって一応百獣の王のライオンでしょ? どんな動物よりも強いんじゃないの? キツネなんかに負けるなんて全然想像つかないんだけど」
そう詩衣が言うと、ライオンは傷ついたような顔をした。
「そ、それは……。……ぼ、僕、弱虫なんです。ウ、ウサギどころかそこら辺にいる小さなリスさえも怖くって。お、お肉は食べられなくてベジタリアンだし。……だ、だからみんなにバカにされていじめられるんです。き、今日だってあなた達を驚かしてこいって。い、行かなきゃお前のたてがみを全部抜いてやるぞって、も、森のいじわるなキツネに言われて……」
「…………」
今までに聞いたことのない程大変悲しい告白である。
あまりに哀れな彼の実状にかける言葉もない。
「け、決してケガをさせる気はなかったんです! ご、ご、ごめんなさい!」
詩衣達が合いの手をいれなくてもライオンは気にせず謝罪を続けた。
もう何かかわいそうになるくらい必死である。
あまりの哀れな彼の様子に「もういいよ」と声をかけてあげようと思い、詩衣は口を開いた。
しかし、そこにブリキが余計な一言をいれる。
「じゃあ、かかしを吹っ飛ばしたのはどうなんだ? あいつだからいいものを、普通の人間だったら確実に死んでたぞ。それもわざとじゃないと言えるのか?」
ブリキのあまりの冷血漢さに詩衣は絶句した。
「あ、あんた! そこは許してあげるって言うところでしょ! 更に追いつめなくてもいいじゃない! 本当にあんたには優しさって物がないわね! ねぇ? 大丈夫?」
詩衣がフォローをいれる前にライオンは泣き出していた。
「ご、ごめんなさい~! ぼ、僕、そこのブリキさんの持っている斧にビックリしちゃって、お、思わずジャンプして避けてしまったんです。そ、そうしたら、そ、そこのかかしさんに当たってしまって……。い、今の今まで忘れててごめんなさい! ほ、本当にすみませんでした! ゆ、ゆ、許して下さい!」
ライオンは地に頭をこすりつけて、泣きながら謝る。
そんなライオンに彼に吹っ飛ばされた場所から、やっと詩衣達のもとへと戻ってきたかかしが、少しおどけてこう言った。
「私は大丈夫ですよ。なんたって全身藁でできていますからね! ちょっとやそっと吹っ飛ばされたくらいではほら! このように! ケガ一つしません! だから、気になさらないで下さい」
「あ、ありがとうございますぅ~!」
「けっ!」
簡単に許したかかしを見て、ブリキは不服そうだった。
そんなブリキを気にせず、詩衣もライオンを慰めにかかる。
「ほぉら! いい加減泣きやんで! せっかくきれいなたてがみがぐちゃぐちゃになっちゃうわよ? こんな風に三つ編みで誤魔化さなきゃ収拾がつかなくなるくらい、剛毛で天パの私が羨む程ふわふわなのにもったいないわ」
自分の左右の三つ編みを指さしながら詩衣にそう言われてライオンはやっと少しだけ顔を上げた。
そして、まだ目から涙を流しながら言う。
「ひ、ひぐっ。あ、あの、あ、あなた達はこれからどこへい、行くのですか?」
「私達は何もしたいことがないから、したいことを見つけにエメラルドの都へ行くの。そこにはどうやらこの国のほとんどのものが揃っているらしくて、行けばきっと私にも何かやりたいことが見つかるはずだって言われたの。まぁ、本当に何もしたいことがないから暇つぶしみたいな感じね」
三度目ともなれば答えるのも慣れたものである。
詩衣はすらすらと淀みなく、旅の目的をライオンに説明した。すると……
「……エメラルドの都……?」
ライオンもかかしとブリキ同様に、同じフレーズにひっかかったようだ。
首をかしげ、考えるような仕草をする。
「何よ! あなたまでエメラルドの都が気になるって言うの!」
「す、す、すみません! な、何か聞いたことがあるような気がして……。で、でも、思い出せなくて。あ、あの! ど、どうか僕も仲間にしてくれませんか? ぼ、僕もうこの森にいられないんです。さ、さっき命令に背いたから……。か、帰ったらまたキツネ達にいじめられる。も、もしいじめられなくてもきっとまた無理難題を押しつけられるんだ。そ、そんな毎日もういやなんです! ど、ど、どうかお願いします!」
きっと自分で弱虫と言う程意気地のないライオンにとってはかなりの勇気を必要とする行為だったのだろう。
ライオンは目に涙をいっぱいに溜め、体を震えさせながらもそう必死に詩衣達に頼み込んできた。
――しばらく間をおいてから詩衣は言った。
「……いいわよ。あんた本当に臆病者みたいだけど、この俺様ブリキ野郎よりは全然ましみたいだし。弱虫でも一応見た目はライオンだから、獣避けぐらいにはなるだろうしね。エメラルドの都まででいいなら一緒に行きましょう」
「え、え~ん! あ、あり、ありがとうございます!」
ライオンの目からはまた大粒の涙が流れ始めた。
「また! すぐ泣く!」
「だ、だ、だって断られたらどうしようと思っていたから。よ、よかったぁ~!」
こうして、詩衣達の旅に、泣き虫で弱虫な、へたれライオンが新しくお供へと加わった。