麦畑での出会い
「トト! そろそろお腹も空いたし、休憩にしようか?」
マンチキンの屋敷から出発して数時間歩いたところで、詩衣がそうトトに提案した。
「わん!」
トトもうれしそうに尻尾を振りながら、その案に同意したので一人と一匹は道の脇にある青い柵に寄っかかりながら、屋敷の主人に貰ったお弁当を食べることに決めた。
お弁当の中身のこれまた青いサンドイッチを頬張りながら詩衣が言う。
「しかし、泊まらせてもらった上に朝食にお弁当、それに替えの洋服までくれるなんて本当に至れり尽くせりよね。いくら私が東の魔女を倒したからってさ」
そこで詩衣は貰った衣服等がぱんぱんに詰まった青い肩かけかばんを見つめて一度言葉を切った。
「……いくら私が東の魔女を倒したからって……倒したのは本当に偶然……。……私には感謝してもらう価値なんてないのに……」
「きゅ~ん……」
うつむいた詩衣を見て、トトが心配そうに鳴く。
「ごめんね。トト。へこたれたこと言っちゃって」
詩衣がトトの頭を優しくなでながら続ける。
「でも、歩きながらずっと考えてたんだ。……私、人から感謝されるのとかって苦手で。っていうか、感謝されるのに慣れてなくて……。私、昔から地味で何やっても目立たなかったから、人に感謝されたりすることがほとんどなかったんだ。だから、あんな風に感謝されると、どうしていいかわからなくなるの。私なんかただのちっぽけで役に立たない存在なはずなのに……。自分に生きている意味がないと思ってあの時、ビルから飛び降りたのに……。ねぇ? トト。私、どうしたら……ってトトいないし!」
側で神妙に詩衣の話を聞いていたはずのトトは、彼女の話に飽きたのか、いつの間にかいなくなっていた。
「もう! どこに行ったのよ! これじゃあ完全に私、一人でぶつくさ話しをしている危ない人じゃない! ……まぁ、犬に話しかけてるのもあんまり変わらないけど……。でも、寂しいじゃない! トト! どこに行ったの?」
詩衣がそう言いながら辺りを見渡すと、さほど遠くない麦畑に「わん! わん!」と何かに向かって一生懸命に吠えているトトを見つけた。
「もぉ~! 勝手にそんな所まで行ってるんだから! 一体何に向かって吠えているの?」
詩衣が呆れて近づいてみるとそこには一体の『かかし』が立っていた。
「うわぁ~。変な顔」
詩衣は思わずそんな失礼な感想をもらした。
確かに、お世辞にもハンサムと言える顔の作りはしていない。
藁が詰められた麻袋に、左右の目の大きさが随分違う、どこかまぬけな笑顔を浮かべた男の顔が、絵の具で描かれている。
その頭の上にはどこかのマンチキンが被っていたと思われる、古びた青いとんがり帽子がちょこんと乗っかっていて、それが更にその男(?)の滑稽度を増す。
体はこれまたどこかのマンチキンが着ていたと思われる、着古して色あせた青い上下の服一揃えに藁を積めた物で、靴もちゃんと青いブーツを履いている。
「へぇ~。意外に凝ってるんだぁ~」
詩衣はそう呟きながら、更にそのかかしへと近づいていった。
「うぅ~! わんわん!」
一方、トトはかかしが縛りつけられている棒の周りをぐるぐると駆け巡って、さかんに吠えたてている。
「大丈夫よ。トト。ただのかかしだから。怖くなんかないわよ」
詩衣はそう言って、かかしの目の前まで歩み寄った。すると……
パチリ!
かかしが瞬きをしたのだ。
「えっ! えぇ~!? 今、かかしが瞬きした!」
詩衣はびっくりして後ずさる。
「目の錯覚よね? てか、目の錯覚であって!」
そう祈りながら必死に目をこする詩衣。
――しかし、そんな詩衣の願いは虚しく消え失せた。
「こんにちは」
かかしが詩衣に話しかけてきたのだ。
「幻聴よね!? 幻聴!」
詩衣は必死にそう思い込もうとしたがしかし、かかしはまだ話しかけてくる。
「大丈夫ですか? お嬢さん? お~~~い」
そう言ってひらひらと手まで振るサービスっぷりだ。
「いやぁ~~! そんなに動かないで!」
詩衣が悲痛な声で叫ぶ。
「もう夢だと思えないじゃない! 何!? この世界では動物だけじゃなく、かかしまでしゃべるわけ! そんなの聞いてないわよ! 話す動物よりハードルが高いじゃない!」
そんな錯乱している詩衣にかかしは無邪気に声をかける。
「ははは。お嬢さん、面白い人ですね。驚かしてしまいましたか?」
「…………」
「あらら。怒らせてしまいましたか? 私はしゃべらない方が良かった? なら、黙ってます……」
詩衣が答えないと、かかしは一人でにそう言いつつそのまま本当に話さなくなってしまった。
「……いや、そんな……話しちゃだめってわけでは……。ただ驚いただけで……」
気まずさに耐えかねて詩衣が言うと、「本当ですか! 良かった! 黙っているのってつまらないんです。本当、良かった! 良かった!」とあっさりまた話し始めた。
――何かよく掴めない性格をしている。
「私はかかしです。朝から晩までず~っとここで麦の番をしています。もう毎日、退屈で。退屈で。ふぁ~あ。失礼」
かかしはそんな詩衣が見ただけでわかるような自己紹介をしながら、口を大きく開け、あくびをした。
涙は流れない。
「……そ、そりゃ。そうでしょうね。私でもそんな生活たまらないと思うわ」
やっとかかしの言動に少し慣れた詩衣が――でも、かかしと一定の距離をとりながら――その様なありきたりな答えを返した。
そんな心のこもっていない同情にも、かかしは身を乗り出して(縛りつけられている体が許す限りだが)言う。
「そうなんです! もう退屈で退屈でしょうがないんです! 毎日、毎日、麦ばかり! もう飽きてしまいました! あなたみたいに自由に歩ければいいんですけれど、どうにも体が動いてくれなくて……」
かかしが悲しそうに視線を下げる。
「まぁ、そんな風に棒にしばりつけられているものね……」
「……そうだ!」
急にかかしが大きな声を出した。
「この縄をあなたがほどいてくれればいいですよ! そうすれば私は自由になれる!」
「えっ! えぇ~!?」
それは詩衣にとって予想外な提案だった。
「そ、そんなことしたらお百姓さんに怒られない? 私いやよ! 怒られるの!」
詩衣が当然の如く拒否をする。
「大丈夫です。……正直なところ私はあんまり役に立てていないんです。昔はカラス達、私を見ただけで逃げだしていたのですが、今は全然。馴れてしまって私の目の前で普通に麦を食べていきますよ。私はこのように動くわけにはいかないから、ただ麦が食べられていくのを見ていることしかできなくて……」
「それは切ないわよね……」
そんなかかしの悲しい告白を聞いて、さすがの詩衣も同情した。
「もう! この結び目固いわね!」
そうぶつぶつと文句を言いながらも、一生懸命、かかしが縛りけられていた縄をほどいてやったのだ。
「やったぁ~! 自由だ! 自由ですよ!」
棒から解放された途端かかしは、心底うれしそうにそこら辺を跳ね回る。
「ふぅ~。大変だった!」
そう言いつつも詩衣もそこまで喜んでもらうと悪い気はしない。
詩衣はそんな心の機微を見せないように気をつけながら、かかしに訊ねた。
「……まぁ、自由になれて良かったわね。ねぇ? あなたはこれからどうするの?」
すると、かかしはピョンピョンと跳ねるのを突然止めて立ち止まり、その場で頭を抱えて悩み始めた。
「う~ん。気づいたらここにいましたからねぇ。やりたいことと言っても特になくて……。あなたはどこへ行くところだったのですか?」
「エメラルドの都って所へ行くつもりだったの。私も何もやりたいことがなかったから……。そこへ行けばなんでも手に入れられるって、そこへ行けば私もやりたいことが見つかるって言われて……」
「へぇ~。……エメラルドの都……」
かかしの表情――と言えるのかどうかわからないが、とにかくそう思える物が急に曇った。
「ど、どうしたの? 何か気になることでも?」
詩衣が慌てて訊ねる。
「いやぁ、その地名をどこかで聞いたことがあるような気がして……」
「そりゃそうでしょ! かかしだからと言っても、あなたも一応この国の住人なんだもの」
「そうなのですが……。でも、そういうのとは何か違う感じで……」
かかしはそう曖昧に言うと、そのまままた頭を抱えて考え込んでしまった。
「……よくわからないけど……大丈夫? あんまり考えすぎない方がいいわよ……?」
「…………」
しかし、かかしは答えない。
詩衣もかける言葉がなくなり黙る。
「……あのぉ~」
しばらくお互い沈黙してから、かかしが口を開いた。
「私もそのエメラルドの都についていってはいけないでしょうか?」
「えっ……!?」
「私もやりたいことがない身ですし、この奇妙な感じの正体を知りたいのです。お嬢さん! お願いします!」
詩衣は戸惑った。
かかしを旅のつれにするとは詩衣の短い生涯において、今まで一度も考えてもみなかったことだ。
――しかし、かかしは詩衣が簡単には断れない程まじめに同行を願い出てきたのだ。
その真剣な思いを無下にすることは詩衣にはできない。
しばらく迷ったが、詩衣は三つ編みを弄りながらも、かかしに向かってはっきりとこう答えた。
「……しょうがないわね。いいわよ! ちょうどトト以外の話し相手がほしいって思っていたところだから。……それが、かかしっていうのは予想外だったけど……。まぁ、いいわ! 一緒にエメラルドの都まで行きましょう!」
「ありがとう! お嬢さん!」
「きゃあ!」
詩衣が悲鳴をあげる。
かかしが喜びのあまり、両手を上げて、詩衣に抱きついてきたのだ。
「痛い! 痛い! 藁がチクチクするの! 藁が!」
何はともあれこうして一人と一匹の旅に新しい奇妙すぎる仲間が加わった。