怪しい噂
「本当にお世話になりました。ありがとうございました」
詩衣がマンチキンの夫婦に丁寧に頭を下げる。
「いえいえ。こちらこそ子ども逹と遊んでもらってしまって。とても助かりました」
詩衣のその言葉をうけてマンチキンの夫婦は自分の子供逹の肩を抱きながら、ほがらかに笑った。
そう。翌日の朝にあの町を出発し、丸一日歩いた詩衣逹は、昨夜、この気の良さそうなマンチキンの家族の家に一晩の宿を借りたのだ。
泊めてもらったお礼に、遊んであげた三人の子ども逹はすっかり詩衣逹、特に白銀になつき、一番小さい女の子なんかは「もう行くの!? もう一晩ぐらい泊まっていってよ!」とさっきから半べそをかきながら彼の固いブリキの体に必死にしがみついている。
「こら! そんなまぬけな泣き面でくっつくな! 涙で錆びてしまうだろう! ……まぁ、泣いていないなら俺の痛覚を感じない体には、しがみつかれるくらいどうってことないんだがな」
「あはは。白銀。人気者は大変ね。そんなかわいくないこと言ってないで、こんな時ぐらい素直に自分も別れるのが寂しいっての言ってあげなさいよ」
その最早ツンデレとしか言い様のない白銀の様子に詩衣は目を細めて笑った。
「こら。無茶を言っちゃいけないぞ。勇者様達には行かなきゃならないところがあるんだ。……勇者様達はエメラルドの都に行くんですよね?」
マンチキンの旦那さんが子ども達をおだやかに叱りながら、しかし、急に声を険しい様子で潜めて詩衣に訊ねる。
「……? はい。自分達のやりたいことを見つけに……」
そのマンチキンの旦那さんの様子に首をかしげながらも、詩衣は前日もしたはずの旅の目的の説明をもう一度した。
「……エメラルドの都をすぐ目の前にして言うのもなんですが……気をつけた方がいいですよ」
マンチキンの旦那さんが言いづらそうに話し出す。
「あそこは最近すっかり様子を変えてしまった。昔はそれこそ誰もが認める豊かで美しい、この国の中心としてふさわしい場所だったのに、十数年前に西の魔女が反乱を起こし、その謀反を収めるために西の国と戦争を始めてからはすっかりだ。この国で一番豊かな場所には変わりがないが、一番大切な――『人の笑顔』がなくなってしまったのですから。確かにあの都に行けば手に入らないものはないかもしれないが、私は遠慮こうむりたいですね。もう西の国とは争ってはいないが、あの都に住む人々はまるで人の形はしているが人ではない……何か得体の知れないものへとすっかり成り果ててしまっていますよ。戦の最中に王様が亡くなり、王子が『若き王』となってからは……」
「若き王……?」
詩衣は初めて耳にした人物に首をかしげる。
「はい。西の魔女が反乱を起こしてしばらくして生まれた年若い王です。母上が体の弱い方で王を生んですぐに亡くなってしまったため父上――先王は彼を城から出さず、文字通り箱に入れたように大事に大事に育てました。だから、側近の者以外誰も彼の姿を見たことのある者がいないのですよ。新王即位の儀式の時でさえ姿を現すことがなかったのです。きっと今まで外の世界に触れずに育ってきたため今さら外に出ることが恐ろしいのでしょう。王になってからも変わらず政治も戦も放棄して城に引きこもってしまっているのです。そんな風に新しい王は頼りにならず、エメラルドの都はここ数年大混乱です。先王以外にも西の魔女との戦で大臣や元帥など多くの重鎮達が命を落としているみたいですしね。したがって、エメラルドの都を中心にまとまっていたオズの国はばらばらに。今や東西の国だけでなく、南北の国も王を見限り、独自に自分の国を治めているそうです。もともと別の国ですからね。離れてしまってもそれはそれで。東西は違いますが、南北は魔女達を中心になかなか上手くやっているみたいですよ。もうオズの国とは名ばかりです」
「そんな頼りない王様じゃ、不安になって自分達でどうにかしてやろうと考える南北の人達の気持ちもわかるわ。でも、残念ね。だって、きっとすごく努力してやっとまとまった一つの国になったのでしょ? それが離ればなれになるなんて何だか寂しいわ」
ガラスの村で披露してもらった伝統舞踊でオズの国の成り立ちを学んだ詩衣はそう残念そうに言った。
そんな愚かな王のせいで昔の人々が大変な労力を捧げて築き上げたものが崩れるなんてもったいない気がする。
「でも、エメラルドの都も一方的に西の魔女にやられてばかりいたわけではないのですよ。先王がいた時は十年以上に渡り、西の魔女の侵攻を押さえていましたし、先王が亡くなってからも、新王と同じく務める者がいなくなり、突如抜擢されたこれまた年若い大臣と元帥は有能で、なかなかいい仕事をしていたらしいのですよ。大臣の方は切れ者でまるで悪魔のような狡猾な作戦で西の魔女の軍勢を追い詰め、元帥の方はまるで鬼神のような強さで西の魔女の軍勢を殺していったとか」
「悪魔に鬼神とか……すごい呼ばれようね。でも、そんなに強そうな人達がいるのに何でエメラルドの都は西の魔女を倒すことが未だにできていないの? そんな有能な人達がいるならいくら王様が頼りなくとも、今のような西の魔女が好き勝手にしている状況にはならなそうだけど……」
マンチキンの旦那さんが悪魔や鬼神などと言うから詩衣の頭の中では、あのカリダのような恐ろしい怪獣みたいな人々が頭を占拠していた。
そんな人物が二人もいるならたとえ西の魔女が相手でも勝てそうな気がしてくる。
「それが……なぜか二人は突如姿を消してしまったのです。噂では西の魔女の策略にはまり、絶体絶命のピンチに陥っているところを目撃されたのが最後とか。きっと西の魔女の手にかかってしまい、今はもう……」
「そんな……!」
マンチキンの旦那さんが言葉を濁した先に続く言葉を察し、詩衣は両手で口を押さえた。
「……でも、不思議なんですよね。西の魔女にとって邪魔者はもう若き王しか残されていない現状は絶好のチャンスのはずなのに、なぜか攻めいってこないのですよ。むしろエメラルドの都との争いを休止し、冷戦状態ですよ。今は東の国攻略の方が忙しいみたいですし。もうエメラルドの都に興味を失ったのですかね。だからって、東の国に来なくていいのに、迷惑な話です。でも、そういえばエメラルドの都が今のようにおかしくなったのは、西の国との戦を辞めた頃のよ……」
「わん! わん!」
そこでまるで詩衣達の会話を遮るようにトトが吠えた。
「トト……?」
しかし、トトは詩衣の呼びかけには反応せず、そのまま詩衣逹を置いて勝手に走りだしてしまう。
「トト! 一人で行かないの!」
マンチキンの旦那さんとの会話を中断し、詩衣はそのトトの後を慌てて追いかけた。
「ありがとうございました!」
詩衣は一度振り返ると大きな声で感謝の言葉を叫ぶ。
「どうか気をつけて!」
「絶対、また来てねーー!」
マンチキンの夫婦とかわいらしい子供達の声を背にして詩衣逹はエメラルドの都への残りわずかな道のりを進み始めた。




