汝は精神寄生体なりや?
中国の伝統的な医療の考え方に気というものがある。体内には気の流れがあり、それが滞ると体の調子が悪くなるというものだ。日本にも「気持ちがいい」「気が違ったよう」というような言葉に残っているように気の考え方が中国から入ってきた。しかし今度ばかりは「気が確かでない」なんて規模の問題ではない。「気を失って」、全く別の気が入り込んでいるとでも言おうか。実を言うと、妻に別の人が乗り移ったかのようになってしまったのだ。僕はまさに「気が滅入って」いた。
「だから、君が僕の妻でないとすれば一体何者なんだい?」
「なんでそんなこと知りたがるの?言ったところで信じないのに。」
「それがありえないことを論証する。そうすれば君が僕の妻っていうことだろ?」
「それなら私が身分を明かすメリットがないよね。私はこの時代を観察するために来た。だから私はこの時代になるべく干渉したくない。それくらいわかるでしょ?」
「それならせめて病院で診断を受けてくれ。何かしらの精神病と診断されれば君はこの時代の人から見て不自然な行動をとっても言い訳ができるだろ?」
「だめだよ、今の時代は神経工学が進歩し始めてるからね。万が一外部からこの体を操ってるってバレたら観察を続けられない。」
ずっとこの調子だ。もともと読んでいる本やドラマに影響されやすいタイプではあったが、ここまで入り込むのははっきりいって異常だ。ましてここまで悪質ないたずらをするような人でもない。だから何かしら僕が妻にストレスをかけていて、それが原因で精神病になってしまったのではないかということが一番の心配だったのだ。
「じゃあ、交換条件っていうのはどう?私が自分のことを教える代わりに、あなたはあなたのことを教える。それならお互い幸せでしょ?」
「…ああ、じゃあそれで構わない。ただし君から話すことが条件だ。」
「契約成立ね。…私は今からずっと昔、6億年前の地球に生まれて、24歳の時にこの時代に飛ばされたの。名前は、あえて日本の言葉に直すなら''優''かな。それまではいろんな時代のいろんな生物の言葉を学んで、調査員として他の生物に溶け込んで生活できるように準備してた。食料の管理とか生活に必要なことは全部機械が自動でやってたから、職業なんて調査員くらいしかないんだよね。だから仲間もみんな調査員を目指してたんだけど、私は仲間の中でも成績が良かった方だから人間の観察っていう難しいところをやらされてるっていうわけ。」
妻は、いや、妻の体を操っていると自称するその人は、口から出任せにしてはやけに凝った身分を明かした。しかしそれはどこかで聞いたことのある「設定」だった。だからその設定が妻が最近見た小説かドラマの設定であることは焦り気味になっていた僕にも想像がついた。しかしそういった自分の心への言い訳を思いついた次の瞬間、妻は再び口を開くのだった。
「そしてあなたは、調査員にはなれなかった。」
やめてくれ。なんで僕が普通の人間として幸せな生活を送りたいと思ってると思っているんだ。なんで君は僕から安堵を奪おうとするんだ。なんで…!
「あなたは30年間この生活に浸っているから知らないかも知れませんが、あなたと同じように人間の生活に浸って帰ってこない人が多すぎて社会問題になっています。ついにうちの会社にもサービスを終了させるよう令状が届いたので、何年もこの世界に浸っている人にこうやってNPCを送っているんです。サービス終了まで残り30分です。それまで人間として付き合ってきた他のプレイヤーにお別れを告げるなり、していなくて後悔することをするなりしてくださいね。」
そう、僕は科学が発展し終えた種族に生まれた。種族全体の課題は他の時代の生物のデータを集めるだけ。それは環境が変化して今の体が耐えられなくなったとき、どの生物に乗り移るべきか予め考えておくためだ。だから調査員以外の職業なんてものはなく、調査員になることのできない僕のような落ちこぼれは機械が自動で作ったゲームに浸っている。ゲームの世界に入るという技術は落ちこぼれという意識を拭い去ってくれる。そんなゲームで一番人気があったのが人間社会をロールプレイするゲーム。僕もこうやって30年間もゲームの世界に浸っていたのだ。
「あと、3つ忠告しておくことがあります。1つ目はこの30分の間に他プレイヤーに迷惑をかけようとしないこと。2つ目は他プレイヤーの個人情報を聞き出そうとしないこと。3つ目は実社会に帰ってきたとき気を強く持つこと。以上でNPCとしての私の役割を終了します。」
そう言うと妻はその場に倒れ込んだ。深い絶望の中で僕は妻にすがろうとは思わなかった。今まで妻だと思って接してきたこのプレイヤーは、赤の他人なのだ。今までこの人間社会で知り合った全ての人は赤の他人。そんなことよりもこの慣れ親しんだ世界で一人の時間が1秒でも多く欲しかった。
イースの大いなる種族が好きなのですがなかなか話が思い浮かばなかったので、イースの大いなる種族の1個体に絶望してもらいました。