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ありがとう

作者: わんこ


 冬の名に恥じず、今日も一際寒い。


 灰色の空が似合う公園のベンチにて、悠花は弟の目の前で高校の制服のブレザーを太ももに重ね、カーディガンを脱ぎ、ブラウスの衿元のボタンを外すと、湯上がりの気分ではぁと一つ白い息を吐いた。

 コンビニに出かける途中に呼び止められた弟の稔里はその横で二つ後悔していた。

 一つはこんなに寒くなると予想もしていなかったから、手袋を忘れたて外出したこと。

 そして、もう一つ。無邪気に頬を赤らめる悠花を姉とはいえ、そして未成年とはいえ、一人の女として意識せずにいられないことを酷く後悔していた。脱いだカーディガンを弟に投げ渡した悠花に恥じらいはなかった。 ダウンジャケットで襟首を埋めた稔里が悠花の目には真面目に見えて、ちょっかいを出そうと脇腹を人差し指で突く姿は子供の様。


 「せいぜい、わたしのカーディガンで悴んだ手を暖めるんだね。弟くん。手袋、忘れてありがとう」

 「どういうことだよ」

 「寒がりな稔里には姉の温もりが必要です。まったく、稔里には世話が焼きます」


 半袖のブラウスに制服のスカート姿の姉が弟のどうでもよい失態をからかった。高校からの帰りの姉と出会ったことが、稔里にとっては運の尽きとでも言えようか。

 いくら姉の有り難さを語っても、見ているだけでもこちらが震えそうなぐらいの薄着なので、稔里は舌打ちをして自分の断ち切れない呆れた感情を打ち消した。押しかけの愛情など思春期の男子には不要だ。


 「ブレザーぐらいは羽織ったら?」

 「この方が調子がいいって知ってるでしょ」

 「世間様がおかしな目で見てるって」


 弾けそうな素肌を見せた姉。

 凍てつきそうな唇をした弟。

 相対する二人のように、会話も噛み合わずにちぐはぐだ。


 「きょうさ、学校でね、宿題のノートを褒められたんだよね。弟くん、羨ましいでしょ」

 「別に」

 「現代文の酒井なんて『コンピュータで計算したような理路整然とした文章』だなんて言うんだよ」

 「だろうね。いいのか悪いのか知らないけど、パジャマ姿の言葉遣いはさておき文章はスーツ着てるよね」

 「それに『悠花のノート、マジで助かる!』って、みんな喜んでわたしの宿題写してくれるんだ」

 「問題ありだよ、姉ちゃんのクラス!」

 「わたしが徹夜してやり遂げた宿題がみんなの為になって良くない?みんな『ありがとう』って言ってくれるし」


 そういえば、昨晩は遅くまで悠花が自分の部屋に閉じこもっていたことを稔里は思い出した。

 気を利かせて稔里はアイスコーヒーを差し入れすると、頬を赤らめて破顔したことを思い出した。

 そして、暖房を拒んだ姉の部屋はひんやりとしていたことを思い出した。


 姉のことばかり思い出している場合じゃない、コンビニ行かなきゃと稔里はぷいと顔を背け、ベンチから立ち上がりGパンの上から冷たくなった自分の太ももを摩る。ほら、見てみろ。すぐに背後からあの声が聞こえてくるぞ。甘やかしを母性と言い訳して擦り寄ってくる、かけがえの無い身内が。


 三歩歩いて振り切って、四歩歩いて踵を返す。

 「稔里くん。わたしを差し置いてどこへ行く?」って言うんだろう。聞きなれた声で甦る。

 次の一歩を出す前に稔里は声を失った。


 ベンチにもたれて姉が倒れていたのだ。稔里は慣れた手つきで姉を介抱した。


 「……ったく。しょうがないな」

 姉の瞼を優しく開けて覗き込んだ稔里は白い息と共に溜息ついた。

 高校帰りに稔里と出会ったことは運が良かった。冷たくなった素肌の腕を掴むと、姉のぬくもりを感じた。


      #


 悠花が目を覚ましたのは自宅のソファーの上だった。弱い日差しがまだ部屋を包む中、悠花は昼寝からの帰還よろしく欠伸を大きくした。

 自分の臍から伸びるコードを目で辿るとコンセントに繋がっていた。それがいかに悠花にとって安らぎを与えることか。万能なはずの機械の体を持つ悠花は自分が生身の人間に助けられたことを恥じた。


 「起きた?ったく、夜のほうが電気代安いんだから、充電するなら夜にって言ってるだろ?」

 「そうね。ごめん……。突然来るんだよねー、アレ」

 「徹夜して宿題するからだよ。まったく、姉ちゃんには世話が焼くよ」


 姉の目の前に手鏡を差し出した弟が母親のように叱る。

 悠花が鏡に映る瞳を覗き込むと充電が順調に進んでいることを確認できた。EからFへ目盛りが点滅するバッテリー残量が自分が持つはずのない生身の心臓が打つ鼓動のようだった。


 「わたしが命を削ってやった宿題をみんなが喜んで写す。削った命で誰かが救われる」

 「やってること、インチキだってば」

 「人間は命削ればそれまでだけど、わたしはロボット。幾ら削ったって充電すれば平気だし」


 ロボットの誇りを胸に悠花は美味しそうに電気を自分の体に蓄えた。誰かがいないと生きてゆけない体故、一度は恥じたもの、悲観する気配さえなく悠花は精気を取り戻しつつ頬を赤らめた。


 「わたしって、誰かいないとダメね。もしかしてこれって……誰かに『ありがとう』って言う為なのかなぁ」

 「……」

 「初めて人に本当のありがとうを言って気付いた。クラスのみんなの『ありがとう』なんかはウソっぱちだった。うん……反省します」


 充電完了のサインを手鏡で確認した悠花はソファーから立ち上がり、コンセントを弟に抜いてもらった。

 

 「姉ちゃん、背負って帰ったんだからね。恥ずかしかったよ」

 「赤くなって、熱暴走しちゃうぐらい?ウブだなあ」

 「熱暴走するのは姉ちゃんの中身だけだよ」


 行きそびれたコンビニに再び出かけた弟に姉は「飲み物買ってきて」と、ついでのお願いをした。

 もちろん、ひんやりとしたコーヒーを。

 そして、弟に『ありがとう』を言う為に。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 色々とそつなくこなす実はロボの姉と弟のやり取り、お互いを理解しながら、かつ思いあっている感じが出ていていいな、と思いした。特にセリフからそういう想像が広げられるような言葉が選ばれているなと…
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