出来損ないの少女
空高く雲一つ無い、良い天気。
洗濯するにも、掃除するにも、お客さんが押しかけてくるにもちょうど良い天気。
朝の仕事をさっさと片付け、刃を潰した剣を片手にいつもの場所に向かった。
街の中心にある小高い丘、古代樹の根本。街を守る結界の要として存在する大事な存在の側。
本来なら近寄ることを許されない場所で、私は日課の剣の素振りをしながら迎えを待つ。
数日前に届いたフウからの手紙には、従兄弟のガリアを連れて帰る、と書いてあった。
内容通りなら、昨日か今日が到着日だ。
昨日もここにいたけれど、結局期待していた人物の迎えは来なかった。
なら、今日だろうと、私は少々浮かれながら素振りを続ける。
この場所に私を迎えに来られるのは、結界の術者であるディアナ婆の許しがある身内だけ。
ディアナ婆の弟子のコウアンと養い子の自分以外に、身内とされるのはガリアたちだけだ。
早く逢いたい。
家で待っていてもいいのだが、あそこはディアナ婆の客人が多く、昼間はとてもじゃないが落ち着かない。
工房は、ディアナ婆が居ない時は扉を閉ざされていて、私は勝手に中には入れない。
古代樹の子供たちたる若木の向こう。工房の赤い屋根が、わずかに見える。煙突からは煙が上り、青い空へと消えて行く。
だが、それを辿る私の視界には、まだ待ち人どころかコウアンの姿も入ってはこない。
昼餉にするにはまだ早い時間。まだ客が居るであろう家に、自分から戻る気も起きない。
「やーめたっ、と」
剣を地面に突き刺し、樹の根元に座り込む。
しゃらしゃらと、身につけさせられた装身具が音を立てる。
剣の修練のための簡素な服に似合わない金色のそれらは、すべて養親であるディアナ婆の手によるものだ。そのどれも呪いが施され、私の守りとなっている。
心配性なディアナ婆の手前、家をでる時は最低でも三個は身につけないといけない。服と釣り合いが取れない豪華なそれは、待ちぼうけな私の心を暗く照らす。
これを必要としなくなる日がいつか来るのだろうか。
「本当に……いい天気だなぁ…」
つい地面へと俯けかけた顔を、無理やり上へと向け直す。
古代樹の葉越しに降り注ぐ光は柔らかく、私へと降り注ぐ。最後にガリアとあったのが、この樹に乳白色の花の蕾が付き始めた頃だったから、もう三ヶ月も会っていない。
大事な大事な、私の従兄弟。
私のただ一人の血縁。背中の黒い翼が愛らしい幼子。
「会いたいなぁ……」
私のつぶやきは木々に消え、あたりに静寂が戻る。
街の中心にありながら、木々に阻まれ、ここまでは街の喧騒は届かない。
さわさわと、心地よい風が肌を撫で去る。
慰撫するかのようなそれに誘われるように、眠気が私の瞼を重くする。
軽い疲労がそれを一層大きな誘惑へと変える。
眠気に逆らおうと、頭に触れる樹の表面の凹凸で刺激をするも量ばかり多い私の髪が邪魔をして思ったよりも痛くない。
もしここで寝てしまったのをコウアンに見られたら、いつものきつい口調で叱られる。それは嫌だ。
でも眠いからといって、家に戻るのも嫌だ。
コウアンが迎えにこないのは、まだ家に客人がいるからだ。居なければ、私程度の腕でも工房の仕事を手伝わえと呼びに来るのに。
本当はガリアが迎えに来てくれるのが一番いい。幼いあの子はこんな私でも無条件に慕ってくれる。二番目はディアナ婆だ。婆はいつだって私を大事に思ってくれる。
でも、いつだってこの場所にいる私を迎えに来るのはコウアンだ。嫌味のおまけ付きで。“純なる者”特有の綺麗な顔で、色違いの瞳で私を見下し、叱ってくる。嫌われているわけではないらしいが、彼はいつだって婆以外には毒舌だ。
それでも、だんだんと嫌な方向に逸れる思考を抱えるくらいなら、迎えにきてほしい。
ああ、瞼が重い。
ふわふわとした眠気に負けそうだ。
「アレイ。」
名を呼ばれた。
コウアンの声ではない。大人の男の低い声。
「おい、アレイ。寝てんのか?」
この声は知っている。フウだ。
目を開けなければ。
いつの間にか閉じていた視界を無理やり開き、眠気で鈍麻した四肢を声の方へと動かす。
思うよりも上手く動かない四肢にじれったくなる。
右手の平に触れるのは、大きな手。太く長い指にがさがさなその手は、私の手をぐっと握ると、起き上がらせようと引っ張った。
その力に促されるまま、私は立ち上がる。その頃にはゆっくりと目の焦点が定まり、目の前のフウの顔もはっきりと見えた。
ディアナ婆とは左右逆の色違いの目が、楽しげにこちらを見ている。
「久しぶり、元気だったか?」
握られていた手は離され、私の頭を軽く叩く。
何度やられても慣れない感触。むずむずする。
その手を払い、無駄に背の高いフウを改めて見る。なんでこうもこの男は背が高いのか。私の背が低いことを意識せざるをえなくなる。
そういえば、前あった時よりも、髪が伸びている。私よりも色味の薄い金髪が、風に揺れている。
「元気。ガリアは?」
この胡散臭い笑みがよく似合う男を養父と慕う、まだ幼い従兄弟の姿がない。家へと続く方向へと視線をやってもそこにガリアの姿は欠片もなかった。
ガリアは、この男の側を離れることを大変厭うていたはずなのに。
「いや、そこはまず俺から聞くべきだろ。」
「見ればわかるから。だから、それよりあの子は?」
髪が伸びている事以外、以前にあった時となんらかわりのない姿。怪我をしたようにも見えない。
相変わらず無駄に布の多い服だが、獣人以外の種族は布の多い服を好むから、これは怪我を隠すためにわざとという事でもないのだろう。
これで何を心配するべきなのか。
「可愛くねぇな、相変わらず。坊主は眠気に負けかけてたから、家に寝かせてきた。」
わざとらしくため息をついて、肩をすくめてみせてくる。
可愛くないのは仕方ない。だって、元々可愛くないのだから。
獣相のない獣人、しかも魔法も使えない。そんな出来損ないが可愛いわけがない。
ディアナ婆は親の欲目で可愛いといってくれるが、他の人に可愛いなどと言われた記憶はない。だから、今更そんな言葉じゃ傷つかない。
「べっつにぃ、フウに可愛いと思われたいわけじゃないし。」
それでも、やっぱりムカツク自分がいて、つい脛へと蹴りを入れる。
その動きは読まれていたのか、ひょいっと軽く足を引くことで躱された。
「の、割には口尖らせて。わかりやすい奴だな。」
大きな手のひらで口元を抑えられ、唇をグニグニと左右に動かされる。
いつもこうだ。
避けてやろうと思っていたのに、いつだってフウの動きは早くて上手く防げない。毎日の鍛錬が足らないせいか。明日からは基礎練を倍にしよう。
フウの手を引き剥がす。再び伸びてくる手に捕まらないように、地面に突き刺していた剣を手にし、とっと家への道へと足を進めることにした。
でこぼこと地表にでている木の根に気をつけながら歩き始めれば、フウのゆっくりとした足音が後方から追いかけてくる。
「それにしてもその服、ディアナの趣味じゃねぇだろ?もっとあいつ好みの服着てやればいいのに。」
からかいなのか、忠告なのか。軽い口調の言葉が後ろから届く。
「私はこういうのがいいの!それに剣の練習に、婆の趣味の服なんて着たら直に駄目になる。もったいない。」
何の染も刺繍もないノースリーブの生成りのシャツと半ズボン。
寒くもないのに、身体を必要以上に覆う意味がわからない。私には獣相がないけど、獣人は普通自分の身体を誇るものだ。隠すものではない。
おまけに、婆が私に着せたがるのは、ふわふわと柔らかい生地で出来た染も刺繍も凝った値の張るものばかり。この身につけた守りには釣り合いが取れるかもしれないけれど、私には似合っていない。それに、よくコウアンに叱られるが、動きが大雑把だから、絶対に直にどこかに引っ掛けて割いてしまいそうだ。
ああいうのは婆とかコウアンとかガリアが着ればいい。似合うのは絶対に婆たちの方だ。
「でも、あいつのことだから勝手に仕立てただろ?せっかくなんだし、着ればいいのに。」
「あるけどいいの!」
似合わない服なんて。




