目の前の患者を見捨てられない
入間 壮一郎 27歳~
中堅イケメン。 茶髪 こげ茶色の瞳 180cm 中肉中背
俺がいつものように朝7時に起き、公園1周ランニングし、汗を掻きながら自宅の玄関を開けると
1週間振りの爺さんが食卓で茶を飲んでいた。
「おう、久しぶりだな」
「珍しいな、爺ちゃんがこっちへ来るのは」
父は居酒屋が深夜1時に閉店しているので、いつも9時までは寝ている。
爺さん1人がここにいるのを不思議に思いながら、汗を流すために風呂場へ向かう。
丁度俺が扉を開けると、脱衣場で洗濯物を籠に入れて廊下へ出ようとしていた母とすれ違う。
「あら、壮一郎お帰り。お義父さん、そういえば家にいていい時間じゃないと
思いましたけど、仕事は大丈夫なんですか?」
「はは、まあちょっと休憩ですよ」
「体調悪いようでしたら、病院へ行ってくださいよ」
返事を待たず、母親は南側の洗濯干し場へ向かっていく。それほど重要な事じゃないようだ。
俺は一風呂浴び作務衣を着て再度キッチンへ戻ると、爺さんはまだそのまま座っていた。
俺を見ると手招きしてくる。こういう時は素直に応じるべきだな。
「話がある」
随分と真剣な物言いに、俺は冷蔵庫からお茶のボトルを取り出すとコップを取り
爺さんの前の席に着いた。
「改まって、何?」
「アレの手伝いで過去へ行っているそうだな」
「父さんの?一昨日の事。ああ、あれは俺自身の実験も兼ねてね。どこまで過去へ飛べるか試してる。
前までは、昭和時代までかと思っていたけど。明治時代にも飛べた。
昨日は、思い切って平安時代へ行ってみたんだ」
そう、平安時代とか戦国時代とかは男なら興味がある時代だ。
「ほお」
「ああ、もちろん飛べた。海岸綺麗だったよ。大あさりが数採れた。昔は貝を食べる人いたはずだけど。
あの海岸では、少なかったのかな」
「まあ、そうだな。ところで現地人に会ったと聞く」
父から聞いているのか、心配そうに聞いてくる。
「大丈夫だと思う」
「そうか。商人と言えよ。あまり深入りしたり、現代の物を見せたり渡してはならんぞ。
歴史がどう変わるか分からんからな。ただ、関わるならわしや一族の誰でもいいから相談だけはして欲しい。いろいろ経験者もいるからな」
「ああ、そうだね。分かった」
「分かっているなら、それでいい」
爺さんは席から立ち上がると、心配だったからお前の心得の確認をしたかっただけだ。
と、俺に告げると仕事があるからと帰って行った。
洗濯を終えてキッチンへ戻ってきた母親は、俺が黙っていつまでもテーブル前に座り
考え込んでいるので、余計なお節介なことに俺の背をバンバンと叩いた。
「やだやだ。暗いわよ。あら?そのスケジュールは今日の?」
俺から書き留めているノートを掻っ攫うと、ページを捲り始める。
「へえ、いろいろ考えているのね。お義父さんと同じような事を始めるの?
あ、平安時代も飛べるの?いいわねえ」
興味津々の母親が、楽しそうに息子のノートを見ている。
「平安時代で何か欲しい物でもある?女性は歴史の中では平安時代好きだよね?」
「そうね。あの煌びやかな世界に憧れるものねえ。でも、扇子貰ってもねえ。鞠は要らないし。
着物は現代の物の方が豪華だわ。書物は、古語辞典がないと読めないわよね、きっと。
あ、そうだ。過去の日本は、松茸を重要視してなかったはずだから、たくさんありそうじゃない?
松茸よ。今日行くのなら、お土産は松茸がいいわ」
自己完結した母親は、きゃぴきゃぴと1人で騒いでいる。
「松茸・・ね」
「昔は重宝されていなかった茸が、現代では高額商品なのよ。中国産は千円代からだけど、
国産は何万円よ。1人2個は食べたいわ」
「はいはい」
俺は、母親がまだ何かあるはずよと考え出したところで退散。
2,3日滞在しようと考え、旅行用の鞄に着替えや食べ物を異空間へ放り投げた。
「母さん、俺数日過去に滞在してるから」
「はいはい、気を付けて」
それから1時間後に出発した。
明治時代の方が珍しい物を買い込むには良い時代だとは思うが、食材が新鮮、豊富とくれば
まだそれらが食べ物と知らない時代の方がたくさん収穫出来そうな気がした。
でも、なんだか平安時代の魅力に取りつかれて、俺は再びその時代へ飛んだ。
先日の海岸よりは村とか町がある方向に飛んだつもりなのだが、
様子を見つつ、地に降り立った。
周囲を見渡すと、村ではある。畑は荒れ放題、わずかに実っている野菜は、やせ細っていて
何の野菜なのか判断がつかないものだ。
「この村へ何か用があるかね?」
訛りのある言葉が背後から掛けられた。俺は、すぐに振り返ってその姿を見て愕然とした。
骨と皮?よく立っていられるなというぐらい栄養失調具合。着物をかろうじて着ているが
ただ切れ端を体に巻きつけているだけ、痩せているのにお腹が出ているが、
それは痩せているからこその体型だ。
「あの、私は旅の商人です。数日宿泊したいと思ってきたのですが、泊まれそうにないですか?」
控えめに尋ねると、老人なのか若いのか分からないその人物は、へらっと笑いながら
「旅のお方かね。ですが、この村は戦で若い者は連れていかれ、老人か母子くらいしかおらん。
食べる物すら奪われての。何も出せるものはない。ただ泊まるだけなら、納屋くらいかの」
家の中も汚く、納屋の方がましだと言っているのだ。
「納屋で」
医師である俺は、納屋を貸してくれた老人を見送りつつ
栄養失調の患者が目の前にいるのに助けないのかと葛藤している。
しかし、歴史に歪みが生じないのか迷うのだ。
俺は医師だ。名を名乗らず、希望を与えるだけで消えることは出来ないのか?
いろいろ悩んで、俺は目の前の人物に数日納屋を借りることを告げた。
この村を救っても、次に行く村も同じだろう。
でも、なんとか少しでも役に立てないのだろうか?
俺は、村人を始め、村の実情を数時間聞くことから始めた。
俺に声を掛けてくれた人は、男だと思っていたら婆さんだった。
村には男はいない。老人だろうが男というだけで連れて行かれたそうだ。
老女4人、年配の女性5人、若いかもしれない女性4人に
子供が2歳から10歳まで5人と赤子が2人。村なのに、20人しかいない。
皆、やつれていて病人のようだ。子供達も覇気がなくぼんやりしている。
赤子は、視力の心配もしてしまう。
全く働き手を失い、辺りに生えている草を食べて凌いでいることには驚かされた。
芋は、サトイモのようなのがあるが、土が肥えていないのであまり収穫出来ないようだ。
食べる為の椀とか箸は、貴族や町の者は木で作られた物を使用しているらしいが
この辺りでは買うことが出来ず、竹の太い部分で作って使用していた。
この時代の農村は、戦後よりも酷い生活なのだろうか?
田には、稲が植えられていない。植える時期に男手がなくなり、水が浸されているままの状態
だった。その稲は、食糧難で食べてしまって植えるものがないのだ。
悲惨過ぎる。これじゃあ、この村は・・・。
俺は村周辺を見渡し、食べる物になるものはないかを探し始めた。
村の裏手には見事な竹林がある。筍は、まだあるだろうか?季節的にどうだ?
散歩すると行って竹林まで来て、筍を探す。少しだけ先が見えているものがないか。
孟宗竹かな?こんなに見事な竹は。
細長い折れた竹でつんつん突きながら進むと何か引っかかりを感じ、急いで掘ると
見事な筍が出てきた。
異空間から籠を取り出し、筍を5本入れる。自分の分の竹製の椀と箸、スプーンは
子供の人数分を作った。
他にはないかと探せば、川を見つけた。
水があまりにも綺麗で澄んでいる。これならイワナとかニジマスが釣れるかもしれない。
俺は、異空間から釣竿を取り出し、現代の餌(魚の卵)を用意し、どんどん釣っていく。
歩いて帰る途中に野生のサトイモを発見し、掘り出すと、微妙な形の芋がいくつか採れた。
喜んで村へ戻ると、最初に話しかけてきた老女が俺の荷物を不思議そうに見た。
納屋の少し離れた場所にかまどを作っていいかを尋ねると、
「かまど?まあ、いいですよ」
俺のすることを見ながら、了承してくれた。
サッカーボールサイズの石をコの字型に作り、太い棒を支えに鍋の取っ手部分を引っかけて
薪に火を点けた。鍋には水を半分入れ、その中に芋を小さくして入れていく。
野生の菜をどんどんと入れ、こっそり米を混ぜ込んだ。
栄養失調のお腹に急に通常の食材は無理なので、芋粥メインにするつもりなのだ。
魚は腸を取り、開きにして藁の縄に取り付けて洗濯物を干すような感じで吊り下げていく。
筍も何か料理にしようか迷ったが、灰汁が強いので胃に負担をかけるかもしれないので
現代のお土産にした。
鍋が煮え、塩で味の調整をして一息つくと、俺とかまどの周囲には村の全員が集まっていた。
「いい匂い」
「何何?」
子供達が涎を垂らしている。
「旅のお方、何を作っておいでで」
皆興味深々で、物欲しげに見ている。
「俺はせっかくこの村に宿泊させて頂けるので、皆さんと食事をと思いまして
山で芋と川で魚を釣ってきたわけです。それぞれお椀と箸持ってきてください。
たくさんありますから、皆で食べましょう」
わああと歓声があがり、掘立小屋のような家へクモの子が散るように戻り
それぞれがお椀と箸を持って走ってくる。
俺は、子供達に作った竹製スプーンを手渡すと、不思議そうに見つめる。
「使い方は、分かるか?」
「これ何?」
「スプーンと言って、汁を飲むのに適した道具」
「へえ」
「これから渡す芋粥を食べるのに、子供には便利だから」
「出来立てで熱いですから、気を付けてください。舌が火傷しますから」
子供達から装ってやると、直ぐに食べようとするので「待て」と念押しして
少し冷めたところで「良し」と許可を出す。まるで犬の躾のようだ。
器用にスプーンを使い急いで口の中へかきこむので、
絶対に吐くから少しづつ口にするよう注意すると
うんうん頷きながら、嬉しそうに食べてくれる。
「この道具、使いやすいよ」
スプーンの使い勝手が気に入ったのか、子供達はこれから使うよと言ってくれて嬉しい。
全員が満足のいく食事が出来たことで俺は、村の全員に語りだした。
「俺は、日本のあちこちを旅している商人で、イルマと言います」
俺は、村の人達が生き残れる術を教えることにしたのだ。俺がいなくとも生きる希望が
持てるように。
食べ終わってから、興味のある者と子供達には食べられる菜を並べて見せた。
絶対に間違わないように、簡単な青菜しか見せなかった。
特に毒を持つ種類と似通っているものは、判断しにくい。だからこそ、直ぐに見分けがつくものが
良いと思ったのだ。
「いいか。この青菜は食べられる。鍋に水を入れて湯にして。菜を入れると美味しい」
「美味しいのか」
「食べられるんだ」
茸は、栽培出来るよう、木を切って、村の裏手の日陰に組み立ててやる。
もちろんこっそりと菌を入れた。
「これって、何?」
「ここで椎茸という茸を作るんだよ」
「え、作る?」
「そう。作るんだよ」
老女には、椎茸を作って俺が買えば、お金を稼ぐことが出来ると説明すると
周囲の女性達が嬉しそうに燥いだ。
そう、女性でも作業が簡単な物。
畑には、野生のサトイモを植え、豆を植え、菜を植え。
菜の花畑の菜の花も食べられる。クリの木やミカンの木もこの村へ移植してしまうのもいい。
1か月も経つと、村の女性達も肉がつき、体調も良いという。
数日の滞在があっという間に日が経ってしまい、これ以上は辞めた方がいいと考え
俺はそろそろ現代に戻ることを考えた。
老女達が、俺が釣ってきたイワナに竹串を指しているところにしゃがみ、俺はそろそろ旅に出る話を
告げた。
「もう、行ってしまうのか?」
「誰ぞ村で好いた女子はおらんのか?」
村に留まって欲しいと言われる。
「俺にも俺の家族がある。婆さん達の夫や息子も生きているなら、もしかしたら
戻ってくるかもしれない。俺はただの旅人だから、また収穫時期に買い付けに来るよ」
陶器で作った蓋付き壺を目の前に置く。
「この中身は、塩だ。収穫時期にまた持ってくる。」
「それは、有難い」
村人20人と握手や抱擁し、俺は村を出たのだった。
俺が教えたことが出来ているか、上手く栽培が出来ているか気になって、
俺は収穫時期どころか、1か月に1度は訪ねていた。
その度に、物々交換ということで、サツマイモの苗を渡したり、
稲米の種もみを分けてもらったという話にして、老女に渡すと、女性たちは泣き出す者もいた。
米が作れない村だったので、これからは作れるという喜びが強いようだ。
1月後は、流石に変わりはなかったが、半年もすると女性たちの体型も普通の血色の良い者が
多くなった。顔色も良い。胃も通常の食べ物も受け付けられる。
もう栄養失調の者はいなくなった。
俺が毎月2泊しては旅に戻るので、名前はしっかり憶えられてしまっていた。
「イルマ様、また来てくださいまし」
1年は毎月通っていたが、それ以降は1年に1、2度と回数は減っている。
理由は1年過ぎた頃、戦の為連れ去られた男達で生き残った者達が戻ってきたからだ。
村を立て直した功績のある旅人という話で、男達も歓迎してくれていたが
村に住むよう説得しようと企むので、回避する為に距離を置いたというのが本音。
現代に戻った時は、筍と茸ばかりで松茸がなく、母親には残念がられたのは言うまでもない。
あれこれ関わったことも内緒だ。俺はあの時代の人間ではないし、現代の物も置いていない。
とりあえず、自分では大丈夫だと勝手に判断し、ノートPCに記録した。