月影の森の猫館
【第32作目】今回のお話は、「猫又屋敷」と「かまくら(身代わり)地蔵」の昔話を脳内リミックスしてみました。
-----------------
薬師がひとり、月影の森で行方不明になった。
冒険者シグルドが依頼を受けたのは、それだけの理由だった。
討伐依頼でもなければ秘宝探しでもない。
単なる捜索依頼。
危険な魔物の目撃情報もなく、報酬もそれなり。
簡単な仕事のはずだった。
月影の森は深かった。
昼だというのに木々が空を覆い隠し、薄暗い。
薬師の足跡らしきものを追いながら、シグルドは森の奥へと進んでいった。
しかし日が傾き始めても薬師は見つからない。
さすがに焦り始めた頃だった。
木々の隙間から、小さな建物が見えた。
石造りの古い洋館。
森の中にあるには不自然すぎる建物だった。
「こんな場所に屋敷?」
シグルドは思わず呟く。
だが都合は良かった。
日没が近い。
野宿よりは遥かにましだ。
ひと晩泊めてもらい、明日改めて捜索を続ければいい。
そう考えたシグルドは門をくぐった。
館の玄関扉を叩く。
しばらくして扉が音もなく開いた。
現れたのは若い女性だった。
黒髪。
整った顔立ち。
そして頭の上には猫の耳。
腰の後ろにはしなやかな尻尾。
猫の獣人だった。
「どちらさまでしょう?」
穏やかに微笑む。
足元では数匹の猫がシグルドの周囲を歩き回っていた。
一匹の白猫が座り込み、じっとシグルドを見上げる。
まるで品定めをするような視線だった。
「突然ですまない。森で道に迷ってしまってな。一晩だけ屋根の下を貸してもらえないだろうか」
侍女は少し考えるような表情を見せた。
「申し訳ありません。私だけでは判断できませんので、主人に確認して参ります」
そう言うと館の奥へ消えていった。
シグルドは玄関で待つことになった。
猫たちだけが静かに周囲を歩き回っている。
近くの柱では黒猫が黙々と爪を研いでいた。
ガリ。
ガリ、ガリ。
乾いた音だけが広い館に響く。
人の気配はほとんどない。
不思議と静かだった。
静かすぎるくらいに。
やがて侍女が戻ってきた。
「主人から許可をいただきました。どうぞお入りください」
シグルドは礼を言い、館の中へ案内された。
客間は驚くほど綺麗だった。
暖炉には火が灯り、冷えた身体を温めてくれる。
しばらくすると食事も運ばれてきた。
肉料理。
温かいスープ。
森の中の屋敷とは思えないほど豪華だった。
「ありがたいな」
シグルドはスープを口に運びながら息をつく。
窓辺で丸くなっていた黒猫がゆっくりと目を開いた。
金色の瞳が真っ直ぐシグルドを見つめている。
その視線に妙な居心地の悪さを感じた。
「ぜひ主人にも礼を言いたい」
シグルドが言うと侍女は少し目を伏せた。
「主人は病で伏せております」
「そうなのか」
「ですのでお会いになることは難しいかと」
どこか寂しげな声だった。
シグルドは頷き、それ以上は聞かなかった。
だが別のことを思い出す。
「そういえば、人を探しているんだ」
その瞬間。
侍女の耳がぴくりと動いた。
「そうですか」
「薬師なんだ。この森で行方不明になったらしい」
侍女はすぐには答えなかった。
暖炉の火がぱちりと弾ける。
沈黙がやけに長く感じられた。
「この館には来なかったか?」
シグルドが尋ねた。
その瞬間だった。
部屋にいた猫たちが一斉に顔を上げた。
十数個の瞳がシグルドへ向く。
まるで会話の内容を理解しているかのように。
侍女は猫たちを見回し、ゆっくりと首を傾げた。
「来たのかもしれません」
「何?かも?」
シグルドは眉をひそめる。
意味が分からない。
「どっちなんだ?」
侍女は困ったように微笑んだ。
「私にはお答えできません」
「答えられない?」
「はい、最近侍女になりましたので」
彼女は静かに紅茶を注ぐ。
「ですが」
穏やかな声が続いた。
「探しておられる方は、きっと帰りたいと思っているでしょうね」
「会ったことがあるのか?」
「どうでしょう」
悲しげな笑みだった。
「この森には、迷われる方が時々いらっしゃいますから」
ぞくり、と背筋に寒気が走る。
だが理由は分からない。
その時。
足元へ茶色い猫が近づいてきた。
シグルドの靴に頬を擦り付ける。
甘えるような仕草だった。
しかし見上げてきた瞳には妙な知性が宿っていた。
その夜。
与えられた客室で眠りについた。
だが夢を見た。
奇妙な夢だった。
身体が重い。
手を見る。
指先が毛に覆われている。
爪が伸びる。
耳が変形する。
口元が尖る。
鏡に映る顔は人間ではなかった。
猫だった。
自分が少しずつ猫になっていく。
何も抵抗できないまま。
何かに侵食されるように。
変わっていく。
夢の中でシグルドは叫んだ。
だが声は鳴き声にしかならなかった。
遠くの闇の中から無数の瞳がこちらを見ている。
黄色い瞳。
青い瞳。
緑の瞳。
すべて猫の目だった。
その視線だけが妙に鮮明だった。
目を覚ました時には朝だった。
嫌な汗をかいている。
だが所詮は夢だ。
疲れているのだろう。
そう自分に言い聞かせ、出発の準備を整える。
玄関には侍女が立っていた。
足元には数匹の猫が並んでいる。
まるで主人を見送る従者のように。
「世話になった。助かったよ」
シグルドが言う。
侍女は微笑んだ。
しかしその笑みはどこか悲しげだった。
「どうか、お気をつけて」
そう言った後。
少しだけ間を置いて続ける。
「……町へ戻れるといいですね」
シグルドは眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
侍女は首を横に振る。
「いいえ」
それだけだった。
森へ戻り薬師を探す。
一日中歩いた。
だが見つからない。
手掛かりひとつない。
そして再び夕方が訪れる。
今日はもう引き返そう。
そう考えたシグルドは町の方向へ歩き始めた。
しかし。
いつまで歩いても森から出られない。
陽は沈み。
辺りは暗くなり。
それでも出口へ辿り着けない。
おかしい。
方向は間違えていない。
何度も確認している。
なのに。
やがて木々が途切れた。
開けた場所へ出る。
そしてシグルドは言葉を失った。
目の前に館があった。
昨夜泊まったあの館だった。
「……嘘だろ」
理解できない。
森から出ようとしていたはずだ。
館へ向かった覚えなどない。
だが館はそこにある。
まるで待っていたかのように。
不気味なものを感じながら門をくぐる。
その瞬間だった。
扉の前に人影が立っていることに気付いた。
若い女性だった。
旅装束を身に着けている。
やつれた顔。
だが見覚えがあった。
依頼書に描かれていた似顔絵。
失踪した薬師だった。
「あなたが薬師か!」
シグルドが駆け寄る。
薬師は涙を浮かべながら笑った。
「すみません。そしてありがとう」
「助けに来たんだ。無事だったんだな」
薬師は静かに首を振った。
「いいえ」
そして言った。
「これで、ようやく帰れます」
シグルドは息を呑む。
「何を言っている?」
薬師は悲しそうに微笑んだ。
「次はあなたの番」
背筋が凍った。
「昨日、あなたを迎えた侍女を覚えてる?」
もちろん覚えている。
「あれは私よ」
思考が止まった。
薬師は館の呪いについて語った。
この館は人を捕らえる。
逃がさない。
そして少しずつ猫へ変えていく。
夢は呪いの始まり。
森から出られなくなった時点で終わりだ。
やがて耳が生え。
尻尾が生え。
獣人となる。
最後には完全な猫になる。
そして館の住人になる。
永遠に。
「助かる方法はひとつだけ」
薬師は言った。
「次の満月までに森へ迷い込んだ人間をこの館へ泊まらせること」
シグルドは顔をしかめる。
薬師は苦しそうに笑った。
「身代わりを作るの」
「そんな……」
「そうしなければ解放されない」
残酷だった。
あまりにも。
「館の執事室に日記がある」
薬師は最後に言った。
「全部書いてあるわ」
それから彼女は門へ向かった。
そして柵の外へ一歩踏み出す。
何事もなく。
自由に。
シグルドは慌てて追いかけた。
だが。
見えない壁に弾き返された。
まるで透明な檻があるかのように。
何度試しても出られない。
薬師は振り返った。
その顔には申し訳なさが浮かんでいた。
「ごめんなさい」
そう言って森の闇へ消えていく。
シグルドは取り残された。
呆然と立ち尽くす。
ふと足元に視線を落とす。
月明かりに伸びる自分の影。
その影に。
二本の長い尻尾が揺れていた。
ゆらり。
ゆらりと。
まるで生きているかのように。
シグルドの喉が鳴る。
館を見上げた。
二階の窓。
そこには無数の猫が並んでいた。
あの白猫も。
黒猫も。
茶色い猫も。
皆、こちらを見つめている。
そしてその奥。
暗闇の中で。
猫のような耳を持つ巨大な人影が微かに笑った気がした。
満月まで、あと十日。
シグルドは選ばなければならない。
自分が猫になるか。
誰かを身代わりにするか。
あるいは。
呪いそのものを破る方法を見つけ出すか。
月影の森は静かだった。
まるで、その答えを待つように。
---------------
最近お得意の投げっぱなし展開です。 ジャンルは、弱いホラーな昔話?…中途半端…
昔話って、バッドエンドの物も多いのに最近見かけない…
5分程度で読める短編ばかり書いています。 もしよければ以前の作品も読んでみてみてくださいませませ。(ギャグ系多め)




