毒殺されるはずの公爵令嬢ですが薬師なので全部おいしくいただきました
「クラリスお姉さま、お紅茶をお持ちしましたわ」
義妹のミレーヌが、にっこりと微笑みながらティーカップを差し出した。
その笑顔は完璧だった。誰が見ても健気な妹そのもの。だが、クラリス・フォン・ヴァルトシュタインの鼻は、紅茶に混ぜられた「余計なもの」をしっかり捉えていた。
――ベラドンナ。しかも南部産の上物。
クラリスは公爵家の長女にして、この国随一の変わり者令嬢である。社交界では「毒草狂い」の異名で知られていた。
趣味は薬草研究。
屋敷の裏庭には二百種を超える薬草園があり、その半分以上が猛毒植物だ。当然、あらゆる毒に対する知識と耐性を持っている。
幼い頃から少量ずつ毒を摂取し続けた結果、並の毒ではびくともしない体になっていた。
「あら、ミレーヌ。わざわざありがとう」
クラリスはカップを受け取り、まず香りを楽しんだ。
ダージリンのセカンドフラッシュ。茶葉の選択は悪くない。そこにベラドンナのアルカロイドがほのかに混ざっている。
一口、含む。
舌の上で転がす。
「…………」
ミレーヌが固唾を呑んで見守っている。
クラリスはカップを置き、目を閉じた。そして――
「あら、おいしい」
「えっ」
「隠し味にベラドンナ? いい趣味ですわ」
ミレーヌの顔が引きつった。
「な、何をおっしゃって……」
「ただ、少し配合が甘いわね」
クラリスはもう一口飲み、真剣な顔で分析を始めた。
「ベラドンナの根を乾燥させてから煮出したのでしょう? それだと苦味が立ちすぎるの。生の葉を使って低温で抽出した方が、紅茶の風味を殺さないわ」
「お、お姉さま……?」
「あと、ダージリンとの相性を考えるなら、ベラドンナよりもトリカブトの方が合うわね。苦味の方向性が似ているから、ブレンドとして成立するの」
クラリスは満足げにカップを空にした。
「ごちそうさま。次はもう少し工夫してちょうだいね」
ミレーヌは青ざめた顔で、ふらふらと部屋を出て行った。
◇
ミレーヌ・フォン・ヴァルトシュタインには野望があった。
義姉クラリスの婚約者――王太子ジークフリートを奪うこと。
ミレーヌは公爵の後妻の連れ子だ。血の繋がらない姉は、社交界で「変わり者」と噂される令嬢。毒草にばかり夢中で、王太子妃にふさわしくない。
(わたくしの方がずっとふさわしいのに)
ジークフリート殿下は、この国で最も美しく、最も強く、最も聡明な男だ。剣術大会では歴代最年少で優勝し、学術院の論文審査では満場一致の最高評価を得た。おまけに身長は百九十を超え、彫刻のような顔立ちをしている。
そんな完璧な殿下が、あの変わり者の婚約者だなんて。
「……殺すしかないわ」
ミレーヌは闇ルートで入手した毒を紅茶に仕込んだ。
なのに。
クラリスは死ぬどころか「おいしい」と言った。配合のダメ出しまでされた。
「あんな馬鹿な話があるものですか……!」
ミレーヌは歯ぎしりした。
「次はもっと強い毒を使う。今度こそ必ず……!」
◇
二度目の毒殺計画は、夕食の場で実行された。
公爵家の食卓に並ぶ本日のメニューは、きのこのポタージュスープ。ミレーヌは厨房に手を回し、クラリスの分だけに特別な「調味料」を加えさせた。
ヒ素。
それも、かなりの量を。
「いただきます」
クラリスが銀のスプーンでスープをすくい、口に運ぶ。
ミレーヌは祈るような目で姉を見つめた。
一口。
二口。
三口。
クラリスの目が見開かれた。
(効いた……!)
ミレーヌの心臓が跳ねた。
だが、クラリスの口から出た言葉は、予想と全く違うものだった。
「……素晴らしいですわ」
「はい?」
「このスープ、ヒ素の配合が絶妙。三ツ星レストラン級ですわ」
クラリスは恍惚とした表情でスプーンを動かし続けた。
「きのこのうまみとヒ素の金属的な風味が見事に調和している……。これは意図的な配合ね? まるでソムリエの仕事だわ」
「あ、あの……」
「ただ、惜しいのは温度ね」
クラリスはスプーンを置き、人差し指を立てた。
「ヒ素は六十度前後で最も風味が立つの。このスープは少し熱すぎるわ。せっかくの繊細な味わいが飛んでしまっている」
ミレーヌの手が震え始めた。
「お、お姉さま、何をおっしゃって……」
「あら、ミレーヌ。あなたのスープには入っていないの? 残念ね。とてもおいしいのに」
クラリスはスープを完食し、満足げにナプキンで口元を拭いた。
「シェフに伝えてちょうだい。『ヒ素のポタージュ、星三つ』と」
隣で食事をしていた父――公爵は、娘たちの会話を全く聞いていなかった。書類に夢中だったのだ。
◇
ミレーヌは自室に戻り、壁に拳を叩きつけた。
「なぜ死なないのよ……! ベラドンナもヒ素も効かないなんて……!」
あの女は人間じゃない。化け物だ。
だが、諦めるわけにはいかない。ジークフリート殿下を手に入れるためには、クラリスを排除しなければならない。
「……次は直接体に作用させる方法にするわ」
ミレーヌは新たな計画を練った。
経口摂取がダメなら、経皮吸収だ。
入浴剤に猛毒を仕込む。湯に溶けた毒が全身の皮膚から浸透し、じわじわと体を蝕む。いくら胃腸に耐性があっても、皮膚からの吸収には対応できないはず。
ミレーヌは闇ルートから「月下蛇草」という希少な毒草を取り寄せた。触れるだけで皮膚が壊死するという恐ろしい代物だ。
これを粉末にして入浴剤に混ぜる。
完璧な計画だった。
◇
その夜。
クラリスは湯殿で湯船に浸かっていた。
ミレーヌが「特別な入浴剤」を用意してくれたらしい。メイドがそう伝えてきた時、クラリスの鼻は即座に反応した。
(月下蛇草……! これは珍しい)
月下蛇草は、北方のエルドラ山脈にしか自生しない幻の毒草だ。クラリスですら実物を手にしたことは数えるほどしかない。
「まあ……ミレーヌったら、こんな貴重なものを入浴剤に使うなんて」
普通の人間なら、この湯に浸かった瞬間に全身の皮膚がただれ、三十分以内に死に至る。
だが、クラリスは普通の人間ではなかった。
湯に足を入れる。
ぴりぴりとした刺激が肌を走った。
「んっ……」
肩まで浸かる。
「…………あら」
クラリスは自分の腕を見た。
肌が、すべすべになっている。
「えっ」
思わず素の声が出た。
両腕を湯から出して、じっくり観察する。きめ細かく、しっとりとした肌。まるで赤子のようだ。
「お肌がすべすべになる毒草……これは新発見ですわ!」
クラリスは湯船から身を乗り出し、脱衣所に置いてあった手帳を濡れた手で引き寄せた。
「月下蛇草の経皮吸収における美容効果……。毒性成分のアルカロイドが適度な濃度で皮膚の角質層を除去し、新陳代謝を促進……メモしなきゃ」
湯船に浸かりながら、夢中で書き始める。
「温度は四十度前後が最適。毒性は体内の抗体で中和されるから、美容成分だけが残る。これは商品化できるかもしれないわ。『猛毒美肌湯』……いえ、もう少しいい名前を考えましょう」
クラリスはたっぷり一時間、毒の湯を堪能した。
風呂上がりの肌はつやつやで、鏡に映る自分に見惚れるほどだった。
「ミレーヌに感謝しなくちゃ。明日お礼を言いましょう」
◇
翌日。
「お姉さま、昨夜のお風呂はいかがでしたか?」
ミレーヌが探るような目でクラリスを見た。
「ええ、最高でしたわ」
クラリスは満面の笑みで答えた。
「お肌がすべすべになったの。見て」
すっと腕を差し出す。陶器のような白い肌。
ミレーヌの目が点になった。
「な……」
「あの入浴剤、どこで手に入れたの? わたくしも買いたいのだけれど」
「……っ」
ミレーヌは奥歯を噛みしめた。
(この女……本当に人間なの……?)
三度の毒殺、すべて失敗。
それどころか、毒を盛るたびに姉は上機嫌になっていく。紅茶の味をレビューし、スープに星をつけ、入浴剤で美肌を手に入れた。
毒殺が、姉のQOLを向上させている。
本末転倒だった。
◇
追い詰められたミレーヌは、最後の手段に出た。
王太子ジークフリートに直訴する。
「殿下、わたくし、どうしてもお伝えしなければならないことが……」
社交パーティーの最中、ミレーヌはジークフリートの前に跪いた。
ドレスの裾を掴み、涙を浮かべる。完璧な演技だった。
「クラリスお姉さまは……毒物を日常的に摂取しているのです。正気の沙汰ではありません。このような方が王太子妃になれば、王家の名に傷がつきますわ」
パーティー会場がざわめいた。
貴族たちがひそひそと囁き合う。
ミレーヌは内心でほくそ笑んだ。毒で殺せないなら、社会的に殺せばいい。変わり者の烙印を押し、婚約を破棄させる。
そうすれば、殿下はわたくしのものになる。
「殿下、どうかご英断を――」
「知っている」
ジークフリートの低い声が、会場の喧騒を一瞬で黙らせた。
「えっ……」
「クラリスが毒に耐性を持っていることは、とうに知っている」
ジークフリートが一歩、前に出た。
この男は、とにかく存在感が桁違いだった。身長百九十三センチの長身から放たれる威圧感は、軍の精鋭騎士すら後ずさりさせる。蒼い瞳は氷のように冷たく、美しい。
「それだけではない」
ジークフリートは懐から一枚の書類を取り出した。
「ミレーヌ・フォン・ヴァルトシュタイン。お前がクラリスに三度にわたり毒を盛ったことも、すべて把握している」
会場が凍りついた。
「そ、そんな……証拠でもあるとおっしゃるの……!?」
「ある」
ジークフリートが指を鳴らすと、会場の扉が開いた。
入ってきたのは、王宮近衛騎士団の副団長と、数名の証人たち。ミレーヌが毒を購入した闇商人。厨房で毒を混入させた買収済みの料理人。入浴剤をすり替えたメイド。
全員が王宮に確保されていた。
「わ、わたくしは……」
「お前が最初にベラドンナを仕入れた時点で、俺の諜報網が動いた」
ジークフリートは淡々と語った。
「だが、すぐには捕らえなかった。泳がせた。なぜだかわかるか?」
ミレーヌは声も出なかった。
「クラリスを信じていたからだ」
ジークフリートの氷のような瞳が、一瞬だけ温かみを帯びた。
「あいつに効く毒など、この世に存在しない。俺は最初から知っていた」
ミレーヌの膝が崩れた。
「う、嘘よ……そんな……最初から全部……」
「全部だ」
ジークフリートが見下ろす。その目に慈悲はなかった。
「ミレーヌ・フォン・ヴァルトシュタイン。王族暗殺未遂の共犯――王太子妃候補への毒殺未遂により、ヴァルトシュタイン公爵家からの追放、および国外退去を命じる」
ミレーヌは床に突っ伏し、声にならない叫びを上げた。
だが、誰も同情しなかった。
◇
パーティー会場の騒ぎが収まった後。
バルコニーで夜風に当たっていたクラリスの隣に、ジークフリートが並んだ。
「……大変な夜でしたわね」
「お前は全然大変そうじゃなかっただろう」
「あら、心外ですわ。わたくし、とても心を痛めておりましたのよ」
「嘘をつけ。二回目の毒を盛られた時、お前はメイドに『次はいつかしら、楽しみですわ』と言っていたそうだな」
クラリスは視線をそらした。
「……聞いていらしたの」
「俺の耳に入らない情報はない」
ジークフリートは手すりに寄りかかり、夜空を見上げた。
月明かりが彼の横顔を照らしている。完璧な造形の顔。クラリスですら、時々見惚れてしまう。
「殿下」
「なんだ」
「なぜ、わたくしを信じてくださったの?」
ジークフリートは少し間を置いて、答えた。
「お前が五歳の時、屋敷の庭でトリカブトを食べて平然としていたのを見た」
「……そんな昔のことを覚えていらっしゃるの」
「忘れるわけがない。あの時、俺は確信した。こいつは絶対に死なない、と」
「それは信頼というより、生物学的な確信では……」
「同じことだ」
ジークフリートはクラリスの方を向いた。
「お前は強い。俺が守るまでもなく強い。だから信じられる」
不器用な言葉だった。だが、クラリスの胸には十分すぎるほど響いた。
「……ありがとうございます、殿下」
「ジークでいい」
「では、ジーク様」
「『様』はいらん」
「ジーク」
小さく呼ぶと、ジークの耳がわずかに赤くなった。
この国最強の王太子にも、弱点はあるらしい。
クラリスはくすりと笑った。
「ところで」
ジークが咳払いをして、話題を変えた。
「一つ聞きたいことがある」
「なんですの?」
「お前、普通の紅茶と毒入り紅茶の区別はつくのか?」
クラリスは小首を傾げた。当然の質問だった。
「もちろん」
「なら、なぜ毎回飲む」
「毒入りの方がおいしいですわ」
「…………」
ジークは長い沈黙の後、深いため息をついた。
「……そうか」
「ジーク、呆れました?」
「いや」
ジークは小さく笑った。本当に小さく、ほとんど誰にも気づかれないような笑みだった。
「お前らしいと思っただけだ」
バルコニーに夜風が吹き抜ける。
二人の間に、穏やかな沈黙が流れた。
「ねえ、ジーク」
「なんだ」
「今度、わたくし特製の薬草茶を淹れて差し上げますわ。とびきり特別なブレンドよ」
「……毒は入っていないだろうな」
「さあ、どうかしら。飲んでみてのお楽しみですわ」
クラリスは悪戯っぽく微笑んだ。
ジークはもう一度、深いため息をついた。
だが、その口元は確かに笑っていた。
こうして、毒殺されるはずだった悪役令嬢は、毒を全部おいしくいただき、義妹の陰謀を食い潰し、王太子の心まで射止めたのだった。
めでたし、めでたし。
――ただし、クラリスの「薬草茶」を飲まされた王太子が翌日腹を壊したのは、また別のお話。
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