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追放されたおっさん陰陽師、人間社会では無能、妖怪社会では“本物”として無双する  作者: 遠野ゲン


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第五話 契約ではなく、貸し

 夜が更けると、町は静まり返った。


 昼間の安堵が嘘のように、人々は早々に戸を閉め、灯りを落とす。

 妖怪被害が収まったとはいえ、信用が戻るには時間がかかる。


 玄十郎は宿の裏手、人気のない土蔵の前に立っていた。

 百目の居場所として整えた場所だ。


「……落ち着いたか」


 鏡の奥で、気配がわずかに揺れる。


『ああ。人の声が、まだ残っている』

「なら上出来だ」


 玄十郎はそれ以上踏み込まない。

 距離は必要だ。近すぎれば、また歪む。


 その背後で、乾いた音がした。


「相変わらずじゃな。距離の取り方が」


 振り返らずとも分かる。

 葛葉だ。


「見張りか?」

「違う。確認じゃ」


 葛葉は月明かりの下に姿を現した。

 今日は人の姿だが、尻尾の気配を隠す気はない。


「百目を壊さなかったと聞いた」

「壊す理由がなかった」

「普通の陰陽師は、まず封じる」


「普通じゃないからな」


 葛葉は、ふっと笑った。


「……昔からそうじゃった」


 その声色に、懐かしさが混じる。

 玄十郎は、わずかに眉をひそめた。


「昔話をするつもりはない」

「そう言うと思ったわい」


 葛葉は、蔵の壁にもたれかかる。


「だが、貸しの話はしておかねばならん」

「……あれは終わった話だ」


 葛葉は首を振った。


「終わってなどおらん。儂にとってはな」


 月明かりが、彼女の瞳を黄金に染める。


「覚えておるか。五年前、山奥の祠でのことを」

「忘れる方が難しい」


 あの時。

 玄十郎は、依頼で山に入った。

 封じられていた妖狐が、暴走寸前だった。


「若い陰陽師どもは、儂を“災厄指定”しおった」

 葛葉は苦笑する。

「話を聞く前に、滅するつもりじゃった」


「……あの時の結界は、酷かった」

「そうじゃな。少し触れれば、魂ごと削られる代物じゃ」


 玄十郎は、思い出す。

 封印の要が壊れ、力が歪んでいた。

 放っておけば、葛葉は消えるか、化け物になるか、そのどちらかだった。


「だから、俺は封印を解いた」

「常識外れにも程がある」


 葛葉は、だが怒ってはいなかった。


「儂を逃がした上で、結界を張り直した」

「歪みは、直さなきゃならん」


 結果、玄十郎は陰陽寮から大目玉を食らった。

 妖怪を逃がした、と。


「……あの時、儂は問うたな」

 葛葉は静かに言う。

「なぜ、そこまでするのか、と」


 玄十郎は、視線を逸らす。


「仕事だ」

「違う」


 葛葉は、きっぱりと言った。


「お前は、“壊さずに済むなら壊さない”男じゃ」


 しばし、沈黙が落ちる。


「だからな」

 葛葉は、玄十郎を見据えた。

「契約は結ばん」


「……なぜだ」

「契約は縛りじゃ。力と力の取引」


 葛葉は、指を一本立てる。


「儂が欲しいのは、それではない」

「なら何だ」

「貸しじゃ」


 にやり、と笑う。


「借りを返す義務も、返させる権利もない」

「随分と不公平だな」

「だからこそ、信用できる」


 玄十郎は、小さく息を吐いた。


「……面倒な狐だ」

「今さら気づいたか」


 葛葉は背を向ける。


「玄十郎。儂はお前に貸しを返す」

「強制はするな」

「分かっておる」


 歩き出し、振り返らずに言った。


「だが覚えておけ。妖怪の貸しは重い」

「知っている」


 葛葉の気配が、夜に溶けて消える。


 玄十郎は一人、月を見上げた。


 契約ではない。

 だが、縛りよりも強いものが、そこにはある。


「……やれやれ」


 人の世から追い出された陰陽師は、

 妖怪との“貸し”を背負い、

 静かに、次の仕事へ向かう準備を始めていた。


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