第三話 妖怪は嘘をつかない
闇が、町に満ちていた。
月明かりはある。だが、それは形を照らすだけで、意味までは照らさない。
玄十郎は結界の中心に立ったまま、動かなかった。
子供の笑い声は、すぐ近くで響いている。
だが、姿は見えない。
「……出てこい、と言ったはずだ」
静かな声だった。
威圧も、命令もない。ただの事実確認だ。
返事はない。
代わりに、屋根の上で何かが軋む音がした。
次の瞬間、影が落ちる。
人の子ほどの大きさ。だが、輪郭が曖昧で、手足が不自然に長い。
「陰陽師が一人で何の用だい?」
甲高い声。
玄十郎は目を細めた。
「……お前じゃないな」
「は?」
影が一瞬、言葉に詰まる。
「子供を攫う理由が薄い。お前は“連れてくる役”だ。主は別にいる」
影が、ぎちりと音を立てた。
その反応だけで、十分だった。
「な、なんだって……!」
「慌てるな。責めているわけじゃない」
玄十郎は呪符を一枚取り出し、指先で挟む。
しかし、構えはしない。
「聞くだけだ。子供は無事か?」
「……眠ってるだけだ」
即答だった。
嘘の匂いがない。
「そうか」
玄十郎は小さく息を吐いた。
「なら話は簡単だ。主を呼べ」
「呼べ、って……」
影が笑う。
「人間が、俺たちに命令するな」
その瞬間。
玄十郎は、低く、はっきりとした声で言った。
「――名を呼ぶぞ」
空気が、凍りついた。
妖怪は名に縛られる。
本名は力であり、契約であり、弱点だ。
「ま、待て……!」
玄十郎は構わず続ける。
「お前は“連れてくる役”。つまり、器だ。暴走した付喪神に使われている」
影が、悲鳴を上げる。
「違う! 俺は――」
「嘘はつくな。妖怪は、嘘をつかない」
玄十郎の声は、揺るがなかった。
「お前が攫ったんじゃない。攫わせた“何か”がいる。古い……鏡か?」
影の動きが、止まった。
次の瞬間。
通りの奥から、ぎ、と嫌な音が響いた。
古い家屋の壁に掛けられていた鏡が、ゆっくりと歪む。
表面に、無数の目が浮かび上がった。
「……見つかってしまったか」
低く、重い声。
付喪神――百目だった。
「人の感情を溜め込みすぎたな」
玄十郎は言った。
「恨みも、祈りも、掃除されずに残った」
「それが、悪いか?」
百目の目が、ぎょろりと動く。
「人は我らを使い、捨てる。ならば、同じことを返しただけだ」
玄十郎は、しばらく黙って鏡を見つめた。
「子供を攫った理由は?」
「……声を、聞きたかった」
百目の声が、かすれる。
「泣き声でも、笑い声でもいい。誰かの“感情”が欲しかった」
玄十郎は、ゆっくりと呪符を地面に置いた。
結界が、一段、形を変える。
「終わりにしよう」
「封印するのか」
「いや」
玄十郎は、首を振った。
「役目を変える」
百目が、驚いたように沈黙する。
「町の外れに、捨てられた蔵がある。そこを、お前の居場所にする」
「……それで、人の感情は?」
「俺が、時々話し相手になる」
沈黙。
やがて、鏡の目が、静かに閉じられた。
「……変わった陰陽師だな」
「そう言われる」
結界が、解ける。
子供たちは、朝までには家に戻るだろう。
影の妖怪は、深く頭を下げた。
「……借りは、返す」
「その時でいい」
夜が、少しだけ薄くなった。
玄十郎は、空を見上げる。
雲の切れ間から、月が覗いていた。
「……まだ、覚えている人間がいたか」
百目の声が、遠くで響く。
玄十郎は答えなかった。
ただ、町の方へ歩き出す。
この町には、まだ修理すべき歪みがある。
それを直すのが、自分の仕事だ。
人の世に追い出された陰陽師は、
静かに、だが確実に――再び居場所を作り始めていた。
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