第十六話 立つ場所
朝霧が、町を覆っていた。
山から流れ込む冷たい空気が、屋根の上を滑り落ちる。
静かな朝だった。
玄十郎は、宿の裏でいつものように湯を沸かしていた。
特別なことはない。仕事がなければ、ただの朝だ。
「……おはようございます」
背後から声がした。
神代恒一だった。
「もう発つのか」
「いえ……その前に、話を」
神代は一歩前に出て、足を止めた。
距離を詰めすぎない。無意識の所作だった。
「陰陽寮から、再度連絡が来ました」
「条件は変わらんだろう」
「はい」
神代は、視線を落とす。
「あなたが拒否したことも、想定内だったようです」
「だろうな」
「……だから次は、“別の形”で動くそうです」
玄十郎は、湯を注ぐ手を止めなかった。
「外部協力でも駄目なら、距離を置く」
「言い換えれば?」
「“制御できない存在”として、記録に残す」
それは、組織において危険な分類だった。
管理できないものは、いつか排除対象になる。
「忠告か」
「……はい」
神代は、正直に頷いた。
「あなたを脅すつもりはありません」
「分かっている」
「でも、このままだと――」
言葉を探す神代に、玄十郎が先に言った。
「俺は、組織の外にいる」
「……」
「外にいる限り、管理できない」
「……はい」
「なら、いずれ敵になると考えるのは自然だ」
神代は、唇を噛んだ。
「それでも、あなたは変わらない」
「ああ」
「……なぜですか」
玄十郎は、初めて神代を見る。
「俺はな」
ゆっくりと言った。
「自分の立つ場所を、もう決めている」
「ここですか」
「ここ、というより――」
玄十郎は、町の方を見る。
人の暮らしと、妖怪の気配が混じる場所。
「組織と現場の間だ」
「……中途半端じゃないですか」
「中途半端だから、歪みが逃げる」
神代は、その言葉を反芻した。
「俺には、あなたのやり方はできません」
しばらくして、神代は言った。
「理解はしました。でも――」
「同じ場所には立てない」
「……はい」
玄十郎は、少しだけ口元を緩めた。
「それでいい」
「え?」
「無理に同じになる必要はない」
神代は、顔を上げる。
「お前は、組織側に残れ」
「……」
「中から変えられることもある」
「変わらないかもしれません」
「それでもだ」
玄十郎は言った。
「誰も残らなければ、何も伝わらん」
霧が、少しずつ晴れていく。
「……俺は、あなたの弟子にはなりません」
「知っている」
「でも」
神代は、深く頭を下げた。
「あなたのことは、忘れません」
「忘れなくていい」
玄十郎は、湯を注ぎ終え、湯飲みを差し出す。
「立つ場所が違っても、見る景色は同じだ」
「……はい」
神代は、それを受け取った。
弟子にならなかった。
だが、背を向けたわけでもない。
二人は、それぞれの場所に立つことを選んだ。
それだけの話だった。
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