第十二話 消せない怒り
古戦場の夜は、静かだった。
風は吹いている。
だが、木々は揺れず、虫の声もない。
まるで、この場所そのものが息を潜めているようだった。
「……何も、起きませんね」
神代恒一が、小声で言う。
警戒しているというより、拍子抜けしたような声だった。
「起きている」
玄十郎は答える。
「表に出ていないだけだ」
古戦場の中央。
玄十郎は、地面に簡単な陣を描いていた。
複雑な術式ではない。流れを“見る”ためのものだ。
「……多すぎるな」
陣に、淡い影がいくつも浮かぶ。
人の影、鬼の影。
互いに重なり合い、ほどけずに絡まっている。
「これを……全部、鎮めるんですか」
「無理だ」
即答だった。
神代は言葉を失う。
「全部を消すことはできない」
玄十郎は続ける。
「消せば、別の場所に歪みが出る」
「でも……放っておくわけには……」
「だから、“分ける”」
玄十郎は陣の一部を書き換える。
「怒りには、向き先がある」
「向き先……」
「人に向いているもの、鬼に向いているもの、土地に向いているもの」
影が、わずかに動いた。
「それぞれ、行き先を用意する」
「そんなことが……」
「できる」
神代の疑問を遮るように、玄十郎は言った。
「……一度、失敗している」
その言葉に、神代は息を呑んだ。
「俺が、若い頃だ」
玄十郎は、陣から目を離さずに続ける。
「同じような戦場があった」
山間の村。
妖怪と人の争い。
当時の玄十郎は、迷わなかった。
「殲滅を選んだ」
「……」
「怨嗟ごと、全部だ」
声に、感情はない。
だが、それが逆に重かった。
「確かに、静かにはなった」
「成功、だったんじゃ……」
「三年後、その土地は死んだ」
神代は、息を呑む。
「作物が育たず、人も妖怪も寄りつかなくなった」
「……」
「修復に、十年以上かかった」
玄十郎は、陣の影を見つめる。
「だから今回は、同じことはしない」
「……逃げない、と言った理由ですか」
「ああ」
玄十郎は、地面に手を当てた。
「人の怒りは、人の手に戻す」
「鬼の誇りは、鬼の里へ返す」
「土地に染みついたものは……ここに残す」
神代は、思わず声を上げる。
「残すんですか!?」
「消せないものは、抱えるしかない」
玄十郎は、静かに言った。
「それが、生きている土地だ」
陣が、ゆっくりと動き始める。
影が三つに分かれ、それぞれ別の方向へ流れていく。
人の影は、麓の村へ。
鬼の影は、山の奥へ。
そして――
最後に残った影が、戦場に沈む。
「……まだ、残っている」
神代が呟く。
「残していい」
玄十郎は言った。
「忘れた怒りは、また歪む」
しばらくして、風が戻った。
虫の声が、ぽつりと響く。
完全な静寂ではない。
だが、それでいい。
「終わった、んですか」
「いいや」
玄十郎は立ち上がる。
「終わらせなかった」
「……?」
「ここは、鬼の里の宿題だ」
神代は、その言葉の意味を噛み締める。
「全部を肩代わりしない」
「そうだ」
「それが……強さなんですね」
「違う」
玄十郎は、わずかに首を振った。
「弱さを知っているだけだ」
古戦場の夜は、ゆっくりと明けていった。
怒りは消えない。
だが、行き場を失わなければ、
世界は、壊れない。
玄十郎は、それを身をもって知っていた。
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