第十一話 鬼の流儀
古戦場は、山の中腹にあった。
木々に囲まれた開けた土地。
だが、草は不自然に短く、土は黒ずんでいる。
長い年月が経ってなお、血と怒りが染みついた場所だった。
「……空気が重い」
神代恒一が、思わず呟く。
胸の奥がざわつき、呼吸が浅くなる。
「無理に慣れようとするな」
玄十郎は前を見たまま言った。
「ここは、人にも妖怪にも居心地が悪い」
二人の前に、鬼の名代が立っていた。
第十話で訪れた、大柄な鬼だ。
「ここが問題の地だ」
「見れば分かる」
玄十郎は膝をつき、地面に手を触れる。
指先から伝わるのは、怨嗟だけではない。
「……人の後悔と、鬼の誇りが絡んでいる」
「誇り?」
「逃げなかった鬼の誇りだ」
鬼は、黙って頷いた。
「人は撤退した。だが鬼は残った」
「結果、全滅か」
「そうだ」
短い言葉の中に、重みがあった。
その時だった。
空気が、ゆっくりと裂ける。
圧が来る。
敵意ではない。
だが、逃げ場のない存在感。
「……来たぞ」
玄十郎が、静かに言った。
風が止み、木々がざわめきを失う。
次の瞬間、戦場の中央に“何か”が立っていた。
人の形をしている。
だが、角も牙も見えない。
それでも――鬼だと分かる。
「人の陰陽師」
低く、腹の底に響く声。
「酒呑童子……」
神代は、思わず一歩下がった。
本でしか知らない名。
だが、現実の圧は段違いだった。
「我が名を、軽々しく呼ぶな」
酒呑童子は言った。
「呼ぶに値するか、まだ分からん」
玄十郎は、頭を下げなかった。
だが、敵意も見せない。
「ここを収めろと、頼まれた」
「簡単に言う」
酒呑童子は、戦場を見渡す。
「ここはな、人と鬼が互いに“正しい”と思った場所だ」
「……だから、歪んだ」
「分かっているなら話は早い」
酒呑童子は、玄十郎を見据えた。
「聞こう。人の身で、この地をどうする」
「消さない」
「ほう」
「壊せば楽だ。だが――」
玄十郎は言葉を選ぶ。
「それは、逃げだ」
一瞬。
空気が、さらに重くなった。
酒呑童子は、ゆっくりと笑った。
「逃げぬか」
「逃げない」
「なら問おう」
酒呑童子の声が、低く響く。
「人の怨嗟も、鬼の誇りも――」
「背負えるか?」
神代の喉が鳴る。
それは、力比べではない。
覚悟を量る問いだった。
玄十郎は、すぐには答えなかった。
視線を落とし、戦場の土を一掴み取る。
「……背負い切れるとは言わん」
「正直だな」
「だが」
玄十郎は顔を上げる。
「逃げずに向き合うことはできる」
「結果が、最悪でもか?」
「その時は、その責任を取る」
酒呑童子は、しばらく黙っていた。
やがて、低く言う。
「よい」
「……?」
「力を振るう価値はない」
神代は、思わず息を吐いた。
「だが」
酒呑童子は続ける。
「覚えておけ」
その視線が、玄十郎に突き刺さる。
「これは一晩では終わらん」
「分かっている」
「宿題を残すことになる」
「それでもいい」
酒呑童子は、満足そうに頷いた。
「ならば任せる」
「感謝はしない」
「いらん」
次の瞬間、圧が消えた。
酒呑童子の姿も、いつの間にか消えている。
静けさが戻る。
だが、重みは残ったままだ。
「……勝った、んですよね?」
神代が、恐る恐る聞く。
「いいや」
玄十郎は首を振る。
「試されただけだ」
戦場を見渡す。
「ここからが、本番だ」
古戦場の風が、低く唸った。
怒りも、誇りも、まだそこにある。
壊さないという選択が、
どれほど面倒な道か――
玄十郎は、よく知っていた。




