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俺の弓は生きている

 俺の名前はゲン。村で唯一の弓の使い手だ。


 今日も隣にいるジンと共に、森の奥へ狩猟に出かけていた。足元に散らばる落ち葉を踏まないよう、慎重に歩を進める。この季節は獲物が警戒心を強めている。余計な音は立てられない。


 この弓は村の皆で作り上げた業物だ。1本の木からめちゃくちゃな手間をかけて削りだし、更に弦と呼ばれる部分には大型の生き物のアキレス腱を数匹分使ってる。


 少しでも歪んでたり、劣化したりするとまっすぐ飛ばなくなる。湿気を嫌い、温度にも敏感で、こいつは本当に生きてるかのように振る舞う。今朝も目覚めた瞬間、まず弓の様子を確認した。弦の張り具合、木の湿り気、全体のバランス。すべて完璧だった。


 今日の相棒の機嫌はどうか。俺は弓に軽く触れ、その感触を確かめる。


 いいぞ。今日も絶好調だ。


 獲物を探しながら木々の間を進んでいた時のことだ。


 視界の端に、何かが映った。


 黒く渦巻いている。そして――見たことがない。


「おいジン、見えるか? あれ。なんだと思う?」


 俺は足を止めて、遠くの黒い渦を指差した。


「ああ。見た事ねぇ」ジンが目を細める。


「生き物か?」


 分からない。だが、動いているのは確かだ。ゆっくりと、まるで水面に浮かぶ木の葉のように回転している。


 俺たちは渦を遠目から観察した。奴はその場から移動する気配がない。ただ静かに、不気味なほど静かに、渦巻き続けている。


 風も音もない。異様だった。


「どうする?」


 ジンの声で、俺は我に返る。


「ここは村から近ぇ。安全かどうか確かめるためにお前の弓で1発打ってみろ。あの大きさなら俺とお前で仕留められる可能性が高い」


「わかった」


 俺は弓を構えた。ジンは銛を手に、背後から飛び出す準備をする。


 深呼吸。心を落ち着ける。相棒の声を聞く。弓が、今日も良く飛ぶと囁いている気がした。


 俺は息を整え、相棒と獲物に心の中で祈る。感謝と贖罪、そして様々な感情が1つに収束した瞬間――


 シュッ


 軽い音を立てて矢は飛翔した。


 完璧だ。今日の相棒は最高の仕事をしてくれた。矢はまっすぐ飛んでいく。いや、少し右側か。それでも十分だ。獲物に命中する。


 そう思った。


 しかし。


 矢は音もなく消えていた。


 え?


 シッ、と息を飲む。当たらなかった? いや、違う。当たる以前に、消えた。


 獲物を逃した。俺は静かに、しかし迅速に移動を開始する。獲物を逃さないため、進行方向を見極め先回りしようと――


 待て。


 少し見ていても、獲物に動きはなかった。逃げていない。そもそも動いてすらいない。


 俺はジンと合流した。


「どうした?」


「いや、確かに射ったんだが……」


 どう見ても、黒い渦は少しもその場から動いていない。


「ありゃ獲物じゃねぇんじゃねぇか? 木とかと同じ動かねぇ類いなんだよきっと」


 ジンの言葉に頷きながら、俺たちは渦に近づいていった。それでも渦に動きはない。ただ回転し続けているだけだ。


 目の前に来ると、より渦の異様さが目に入った。


 空に浮かぶ謎の渦。厚さはほとんどなく、横から見たら空間に突然縦線が入っているかのよう。まるで世界に亀裂が走ったみたいだ。


 だが俺の注意は、別のところにあった。


 俺はキョロキョロ辺りを見回す。確かこの辺に俺の射った矢があったはずなんだが……


 ない。ない。ない!


 どこを探しても、矢がない。


 あれは別の集落のものから譲り受けた高価な黒曜石を使っているのだぞ! せめて鏃だけでも回収しないとまずい!


「おい、ジン! 矢がない!」


「おいおいマジかよ」ジンが呆れた声を出す。


「これで何度目だ? 矢には皆で頑張って集めた品と交換で手に入れたひじょ〜にありがたい黒曜石が使われているんだぞ?」


「ジンも探してくれ! 頼む!」


「仕方ねぇな〜」


 2人でしばらく探した。草むらを掻き分け、木の根元を確認し、石の隙間まで覗き込んだ。


 だが見つからなかった。


 結局また、鏃を無くした。


 また皆に怒られる。前回怒られた時の嫁の顔が脳裏に浮かぶ。


「お前、本当に村で唯一の弓使いか?」って言われるんだ、絶対。


 黒い渦のことなんてどうでもよくなった。今は矢のことで頭がいっぱいだ。


 帰り道、ずっと憂鬱だった。


 そんな2人のいる村の人々に、渦の正体が知れ渡るのは数日後のことである。

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