パラレル・デート
SFと恋愛って、相性がいいと個人的に思ってます。ありえない設定の中で、人間の普遍的な感情がどう揺れ動くのか。それを書くのが楽しいですね。今回はちょっとコミカルに、でもSF的な面白さも意識して書きました。
ケンタは、今日もため息をついた。目の前には、積み上がった書類の山。そして、その向こうには、職場の同僚であるミキの、天使のような笑顔。
「ケンタさん、この資料、できましたか?」
「あ、ああ、もうすぐ……」
彼女の声を聞くだけで、ケンタの心臓は妙なリズムを刻む。入社以来、ずっと片思いだ。しかし、彼はごく普通の、平凡なサラリーマン。趣味は休日のアニメ鑑賞。特技は、どこでも寝られること。そんな彼が、どうすればあのミキと……。
いつものように妄想の世界に浸りかけたその時、奇妙な感覚がケンタを襲った。
まるで、別の場所で、別の自分が、同じ瞬間に別の行動をしているような……。
「あれ?今、俺、ミキにコーヒー奢ったっけ?」
隣の席の同僚が、怪訝な顔でケンタを見た。「いや、まだですよ。ケンタさん、どうかしました?」
「いや……なんでもない」
その日から、ケンタの日常は奇妙な「ズレ」に満ちていった。
朝食を摂っていると、突然、口の中に甘いチョコレートの味が広がる。その直後、脳裏に「ミキがくれたチョコ」という映像がフラッシュバックする。
通勤電車の中では、いつもと違う車両に乗っているような既視感に襲われ、隣にはなぜかミキが座っていて、楽しそうに話している自分の姿が見える。だが、次の瞬間には、いつもの満員電車に戻っていた。
「俺、疲れてるのかな……」
ケンタは病院に行った。しかし、医師は首を傾げるばかり。
「ストレスでしょう。たまには、休んでください」
休んでいられるわけがない。ミキがいるから、会社に行くのが唯一の楽しみなのだから。
ある夜、ケンタは夢を見た。
夢の中で彼は、ミキと手をつないで夕焼けの公園を歩いていた。ミキは彼の顔を見て微笑み、愛おしそうに頭を撫でる。
「ケンタ、大好きだよ」
その言葉に、ケンタは思わず涙が溢れそうになった。しかし、次の瞬間、夢は途切れた。
翌朝、目覚めたケンタは、自分の左手に温かい感触が残っていることに気づいた。まるで、誰かの手の温もりが、まだそこにあるかのように。
彼は自分の体調が、ここ数日で変化していることにも気づいた。以前は運動嫌いだったのに、最近はなぜか体が軽い。そして、なぜか急に、フランス語が少しだけ理解できるようになっていた。
「これって、もしかして……」
彼は、ネットで「並行世界」という言葉を検索した。
無数の可能性が同時に存在し、常に分岐を繰り返している世界。
そして、稀に、その並行世界に存在する「別の自分」と、意識がリンクすることがあるという。
さらに、リンクが強くなると、別の世界の記憶や能力が、現在の自分に流れ込んでくることもあるらしい。
ケンタの脳裏に、一つの仮説が浮かんだ。
「俺は、並行世界のケンタたちの影響を受けているんじゃないのか……?」
特に、ミキとの関係性において、その影響は顕著だった。
ある並行世界では、彼はミキの恋人。別の並行世界では、ただの同僚。さらに別の世界では、ミキの親友。そして、もっとひどい世界では、ミキに嫌われている自分もいた。
「よし……」
ケンタは決意した。
彼は、最も理想的な「ミキとの関係」を持つ並行世界の自分と、意識を強くリンクさせようと試みた。
まずは、ミキに「おはよう」と声をかける。この世界では、まだそこまで親しくはない。だが、並行世界の自分は、ミキと自然に会話を交わしているはずだ。
「おはよう、ミキさん!」
すると、ミキは少し驚いた顔をした。「あ、おはようございます、ケンタさん。今日、元気ですね!」
ささやかながら、変化があった。
彼は、意識的に「理想のケンタ」を演じ始めた。
並行世界でミキにコーヒーを奢っている自分をイメージし、休憩時間にミキのデスクにコーヒーを置いた。
「よかったらどうぞ」
ミキは目を丸くして、それからふわりと微笑んだ。「ありがとうございます!嬉しいです!」
その日、ケンタは仕事中も、頭の中で「理想のケンタ」がミキとどう接しているかを常にシミュレーションした。
ミキが困っていると、「理想のケンタ」はすぐに助け舟を出す。ミキが落ち込んでいると、「理想のケンタ」はそっと寄り添う。
そのたびに、ケンタの心には、並行世界の彼の感情が流れ込んできた。ミキへの深い愛情、彼女を守りたいという強い思い、そして、彼女との未来を信じる揺るぎない確信。
やがて、ケンタの行動は、無意識のうちに変化していった。
彼はミキのために、残業も厭わず仕事を片付けた。
ミキの好きなものをリサーチし、さりげなく会話の中に織り交ぜた。
そして、ミキが少しでも元気がないと、まるで自分のことのように心配した。
ある日の夕方、残業を終えたケンタがオフィスを出ようとすると、ミキが彼の前に立っていた。
「ケンタさん、今日もお疲れ様でした」
「ミキさんも、お疲れ様」
「あの……ケンタさん、最近、すごく変わりましたね」ミキは少しはにかんだように言った。「なんだか、前よりも……ずっと、優しいというか、頼りになるというか……」
ケンタの心臓が大きく跳ねた。
「そ、そうかな?」
「はい。なんだか、ケンタさんと話していると、すごく安心するんです」
ミキはそう言うと、ふわりと微笑んだ。
その笑顔は、ケンタが夢で見た「理想のミキ」と、寸分違わぬものだった。
「あの……もしよかったら、この後、少しお話ししませんか?私、ケンタさんともっと、お話してみたいです」
ケンタは、信じられない思いでミキを見つめた。
並行世界の自分が、彼に力を与えてくれたのか?
いや、違う。
並行世界のケンタたちは、ただの可能性の提示だった。
彼がミキのために行動し、彼女を想い、努力した。
その「真の希望」が、現実の世界を変えたのだ。
ケンタは、ミキの言葉に、ゆっくりと頷いた。
「喜んで」
彼の左手には、まだ、あの温かい感触が残っていた。
それは、並行世界の「理想のケンタ」からの、確かな祝福のように感じられた。
彼らのデートは、きっと、この世界で最も幸せな「パラレル・デート」になるだろう。
長編の序章ではないです……。いや、これは短編だって。ギリギリ短編。今回は恋愛を主軸に、SF要素を隠し味にしてみました。並行世界って、考えるだけでゾクゾクするよね。人の数だけ世界があるんだから、書くネタは尽きないね。また読んでね。
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