1話 異世界と暗殺組織と謎の少女【改訂】
かつて、神々の跳梁跋扈する時代を過ぎ幾星霜。
熱に浮かれた文明も、はや遠き星の記憶の彼方。
彼らはその地を『エーフメーヴ』と呼んだ。
ありし日を懐かしむ者もすでにわずかとなりし。
語られぬ物語に意味はない。
謳歌されぬ自由に意味がないように。
希望を掴まんとする者は荒野に挑み、安息を望む者は自ら牢獄に入る。
愛を勝ち取る者は何かを差し出し、富を築く者は自ら幸福を投げうつ。
そして、真に自由なる者は――。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
俺は生きているのか、それとも死んでいるのか?
そんなことばかり考えていた人生だった。
何一つ変わることのない日常。
このまま何事もなく終わりまで続いていくのが怖かった。
家を飛び出し、雨の中を舗装された地面を蹴って走る。
地肌に張りつく服、もつれる足、痛いほどの鼓動をやめてくれない心臓。
意味もなく与えられ、漠然と命を長らえるだけの自分が不快だった。
死にたいわけじゃなかった。
ただ、なにもないなら生きていたくはなかっただけなのだ。
通りに置かれているテレビを無気力に見つめる。
生きたくても生きられない人もいるなんて安っぽいセリフはもう聞き飽きていた。
浅く息をして、地面に身体を投げ出す。
「どうすればよかったと言うんだ……?」
無能で体力のない俺はどこに行っても他人に負い目を感じて心を病んだ。
子供の頃に積み上がった成功体験からか、自分はもっとできる人間だと勝手に思い込んでいた。
そうしてプライドだけは高くなっていた。
周りの人間の曖昧な優しさが逆に苦しかった。
いつも1人で愛想笑いを浮かべていた。
誰かと労苦を分かち合うことなど出来ない。
というか、なぜ他人があんなに頑張るのかが理解できなかった。
「いっそこのままいなくなれば……」
そうだ、このまま外に向かってみよう。
外の世界で最期に美しい景色を見て、この無意味な旅の終止符を打とう。
そうすれば、この痛みと苦しみから解放されるのだから。
そう思い、俺は泥のような身体を起こして立ち上がる。
もうこれで最期だと思うと、急に元気と力がどこからか湧いてきた。
――西暦2777年7月7日。
俺は機械都市トウキョウのドームの外へ向けてゆっくりと歩き出した。
◆
――数年後、ドームの外の世界。
サイレンが鳴り響く。
爆撃ドローンのFAT25が空を埋め尽くす。
「クソッ……ドク、ハナビ! みんなどうなっちまったんだ!?」
俺はあのあと機械都市の外で仲間と盗賊団――もとい義賊として活動していた。
俺を作り出したくせに不要な存在として扱った世界を見返したかったのだ。
俺なりの復讐のつもりだった。
「どうせ俺は社会不適合者のクズなんだ」
だが、アジトが都市の連中にバレてしまった。
「警告。犯罪組織の殲滅のため爆撃中。市民は周辺地域には立ち入らないように。繰り返す……」
「クソッタレ! 都市の外の人間はどうでもいいってのか!」
逃げる俺の背中にFAT25が迫る。
近くの地面に着弾した瞬間、俺の視界は光りに包まれた。
◆
気がつくと、俺は見知らぬ世界にいた。
近くに街が見える。
昔の欧州の王城を中心に据えた都市のような、そんな街だった。
街に着くと、俺は衛兵に捕らえられてそのまま牢に繋がれた。
まるで夢の中のように、自分という感覚が朧げでひどくぼんやりとしている。
記憶もひどく曖昧で判然としない。
「……俺はいったい誰なんだ?」
兵士たちが何か話していたが、俺には分からなかった。
ただ、これから俺は処刑されるのだということだけはわかった。
囚われてから数日が過ぎた頃、不思議な銀髪の男が現れた。
彼が兵士たちといくつかやり取りすると、俺は釈放された。
兵士たちはじゃらじゃらと音の鳴る袋を受け取っていた。
多分、俺は売られたのだろう。
俺はその銀髪の男――アルマイーズに連れられて、城の外へ出た。
兵士に捕らえられた時は気づかなかったが、俺は大きな城の中に囚われていたようだ。
道中でいくつか質問されたが、俺は何を言っているのかわからずただ黙っていた。
俺が連れて行かれたのは、街中の目立たない場所にある質素な石造りの建物だった。
少し半地下のようになっている薄暗い場所だが、牢屋よりは全然マシだ。
俺はそこを住処とし、暗殺者として育成された。
言う通りにしていれば食事と寝床には困らなかった。
少しずつこの世界の言葉も覚えた。
俺はクロウ、クロウ=ディアスという名だ。
連れてこられて数日後にようやく思い出せた。
だが、どうしてこんな状況なのかはわからなかった。
◆
1ヶ月ほどが経過し、簡単な日常会話はこなせるようになった。
だが、暗殺組織の人間は必要な事以外ほとんど口を利かない。
組織の名前すら分からない。
自分のことで思い出せたのは、機械都市トウキョウと盗賊稼業のことぐらいだ。
「なんで俺は盗賊なんてやってたんだ……?」
俺が今いる街は、フリード王国の王都シュライク。
知る限り聞き馴染みがない地名だ。
それから、この組織ではなにか素質を持った人間が集められているらしい。
それが何かはわからないが、俺にもその素質があるということだ。
さらに、俺以外は全員が戦災孤児だという。
「この国はどこかと戦争しているのか」
はじめて暗殺の任務が与えられた。
気乗りはしなかったが、今の俺の状況を考えれば応じるほかはない。
ターゲットは武器の密売や人身売買を生業とする悪党で、俺たちでそいつを成敗するということらしい。
相手が悪党なら遠慮はいらない。
厳しい訓練を耐え抜いたのだから大丈夫だろうと楽観的に考えていた。
ターゲットの屋敷に侵入し、息を潜めて様子をうかがう。
だが、その人物は聞いていた話とはずいぶん違った。
穏やかで威厳のある顔立ちには、苦労を重ねてきた人間の自信と尊厳が見られる。
使用人に対する物腰は柔らかで威圧的な感じはまるでない。
妻と子供も誠実で優しそうな人だ。
――とても幸せそうだった。
俺の心はひどくかき乱される。
なにかドス黒い感情に心が支配されそうになる。
『なんで俺はこんなに惨めなのにこいつらは――』
頭を振り雑念を振り払う。
「とても話に聞いていたターゲットとは思えないな……」
なにかの間違いだと思った。
同行する組織の仲間も沈痛な面持ちだ。
俺は察してしまった。
というより、なぜそこに考えが至らなかったのだろう。
暗殺というのは、古来より邪魔な政敵を排除するための手段だ。
この世の悪を糺すなどという、そんな崇高な暗殺組織はおそらく存在しないだろう。
身寄りのない人間を手駒としているのも合点がいく。
「自分の手は汚さずに……ってわけか。きたねえ連中だ」
義憤が巻き起こる。
こんなのは我慢ならない。
どうせ俺は社会不適合者だ。
それならいっそ幸せな家庭を巨悪から守って死ぬのも小気味いい。
「ふっ、悪くない」
俺は組織を裏切る決心を固めた。
大きく息を吸って呼吸を整えてから、書斎の扉をたたいてドアを開ける。
椅子から立ち上がり身構える相手を手で制し、持っていた短刀を床に置いてその場に座る。
「――何者だ!?」
「あなたは狙われている。家族を連れて今すぐ逃げろ」
「なぜ、そのような。いやまさか……!」
自宅で見知らぬ侵入者が突如現れたにしては落ち着いている。
並の人間ならパニックになるところを、ターゲットは顎に手を当てなにか思案している。
「暗殺組織は戦災孤児ばかりの使い捨てだ。雇い主はわからない。
すでに暗殺者数名がこの屋敷に忍び込んでいる。はやく逃げてくれ!」
それだけ言い残して、俺は部屋を出ようとする。
だが、呼び止める声があった。
「私はプロスタンティン=ジベールだ。君の名は?」
「クロウ=ディアスだ。どうかご武運を!」
俺はすぐに街を離れようと決めた。
暗殺組織と兵士、どちらに見つかるわけにもいかない。
屋敷の窓から外を見ると、すでに兵士たちが詰めかけてきていた。
「急いで脱出しねえと!」
だが、冷静に考えると妙だ。
「いくらなんでも兵士が来るのが早すぎる」
屋敷の裏口から路地裏に出る。
夜闇に乗じて道を駆け抜けた。
ふと、路地の途中に打ち捨てられた布袋から人の気配を感じた。
「誰だ!?」と声を掛けると、布袋はビクッと震えた。
「追われているのか?」
布袋は答えない。
近づいて中を覗き込むと、中の人物もこちらを見た。
14か15といった黒髪の少女だ。
「大丈夫だ。俺は兵士じゃない」
俺は着ていた魔法のローブを少女に手渡す。
事情はわからないが、さっき見かけた兵士たちはこの子を探しているのだろう。
俺なんかにこんなもんは必要ない。
「この魔法のローブには姿を隠す効果がある」
そう言い残して、俺は再び路地裏の闇へ身を投じた。