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探偵が、輝元は、体育会柔道部出身らしく短髪の人物で、人を威圧する立派な体格の男だと記憶していた。


しかし、休日に突然現れ、探偵の前に立っている男は、長髪で、目が落ち窪み、貧相な顔で、全体としても不潔感が漂う男であった。そして、明らかに老いがあった。


探偵は、輝元に対して不審感を抱いた。


輝元は、探偵の不審感を察知した。


輝元は、自分の望ましからざる状況を察知し、落胆した。そして、その気持ちを隠さなかった。


輝元は、深く、しかし、力無くため息を吐いた。


二人の間に、気まずい沈黙の時間が流れた。


「確かに、俺はすっかり落ちぶれてしまった。威勢のよかった昔とはずいぶん」


輝元は、探偵の大学の就職斡旋組織の代表的な人物であった。それが、このように落ちぶれた身なりで、探偵の前に現れるとは、探偵には思いもよらないことであった。


「俺は、君に迷惑をかけるつもりではないんだ。しかし、」


そう話す輝元を、探偵はマンションに招き入れた。


輝元は、探偵のマンションのテレビのある部屋のクッションに腰を降ろして話を始めたのだが、探偵は、話を始めるにあたって、ポケットからたくさんの字を書き連ねたメモ用紙の束を取り出し、テーブルの上に置いた。


そして、輝元の方を探偵が見ると話を始めた。


「僕は、これまで多くの仲間を裏切り、そして、世界を破滅に追い落としてしまった。君、この世界は間も無く終わろうとしているんだ。そして、僕は悪行の罰を受けることになってしまったのだ」


輝元は、探偵に話す時、忙しなくびっしりと文字が書き詰められたメモ用紙の束から、何枚かめくり、めくったメモ用紙の束を戻し、メモ用紙を元通りにキチンと集めて、そのメモ用紙のたばから、何枚かめくった。輝元は、このように話す間最後まで、メモ用紙の束をいじり続けた。


「なあ、君。僕がこうやってメモ用紙をいじりながら話しているのか分かるかい。君が見ての通り僕は、廃人になってしまったんだ。僕が廃人になってしまったというのは、これが、僕がやってしまった罪の結果受けた罰ということなんだ。罰の結果、僕の脳みその中に僕の一生をかけて蓄えてきた情報が凄い勢いで消失しつつあるんだ。だから、僕はもはや、このメモ用紙の束がなければ、何も話ができない状態にまで落ちぶれてしまった。正直なことを言えば、今、僕はいかなる理由で君のところに来ているのか、そんなことでさえも全く分からなくなってしまっているんだ。ただ、このメモ用紙をこうやってめくっていけば、ここに、君の名前が書かれてあるし、君の就職を僕が世話したことも書かれている。ここでやるべきことも書かれている。大昔の、あの戦争! 『黄金のレシピ』、そして、ここに二重丸で囲ってある項目、つまり、何かの復讐について探偵くんに言い伝えに来たんだ。なぜ、僕が探偵くんに対してしているのか理由を聞いても、全くの無駄だと思うよ。僕の頭には、何かの質問に対して答えるようなそんな力は残されてはいないのだ。僕は、ここでの用事を済ませたら、このメモ用紙の束の最後のページに知らされた場所に向かう。タクシーの運転手に、メモ用紙な最後のページを見せて、無記入のチケットでタクシー料金を決済する。俺の死についてのあれこれが用意されているハズだ。それが、どういうことなのかは僕は全く忘れてしまっているけどね」



       *       *  

輝元は、探偵が試してみると、大学時代の恋愛事件などの話題も、忘れているらしかった。


それは、探偵の大学時代の体育会系倶楽部時代の思い出であったはずである。


照りつける夏の日差しのもとで、大学時代の探偵は練習に明け暮れる日々を過ごしていた。


そして、探偵や、部員仲間は激しい夏の練習のせいで、いつも腹をすかせていた。


探偵は、倶楽部に所属していて幸せなことがあった。たしかに、探偵が所属していた倶楽部は、大学を代表する運動部ではありながら、しかし、地域や国を代表する強豪の倶楽部ではなかった。にも関わらず、探偵が所属する倶楽部には、有力なスポンサーがついていた。そして、スポンサーは、倶楽部の部員に対してとても面倒見が良かった。


スポンサーは、倶楽部の正規部員に対しては、寝床と食べ物については、完全に面倒を見てくれていたのだ。


夏の集中練習や、合宿のときなどは、倶楽部のマネージャーの管理の下、特別な食事が用意され、そして、片付けもマネージャーたちが済ましてくれた。おかげで、学生の頃の探偵は、心置きなく練習に専念することができた。


そんな探偵の学生時代、運動部の夏の練習で過ごしていた頃のある日のことが、今でも、強く心に残っている。


       *       *  



真知子は、探偵のひとつ年上で、探偵の倶楽部の何人かいるマネージャーたちをまとめる役割をしていた。


真知子は、輝かしい存在であった。


真知子と接するものは、特に、それが異性の場合には、彼女に特に強い憧れを抱くのが常だった。


学生時代の探偵は、何人もの同僚たちが、ぞっこんになっていく現場に立ち会うことになった。


しかし、探偵は、学生時代で彼女といくらかでも話ができたのは、たった一度だけだった。


それは、真知子が就職先が決まり、真知子の倶楽部のマネージャーとしての仕事を後輩に受け渡しし、倶楽部な仕事をいよいよ引退するという頃のことだった。


その時、偶然が重なり、学生時代の探偵と彼女は、二人きりになったのだ。


その時、探偵に対しては、なにか、魔が差したとしか思えぬ、理解しがたい心境というのが心のなかに生じたのだ。


探偵は、倶楽部の部員の中で、誰もが強い関心を持っている、真知子を巡る話題について、部員の誰もが納得できない真知子の噂について、その真偽を確かめる最高の機会であると考えたのだ。


「老舗のお菓子屋に就職するって本当ですか?」


真知子は、成績も非常に優秀であった。それは、誰もが知っていた。


真知子は、真面目で、誰にも信頼され、当てにされた。


彼女は、気配りができて、まわりの人間は必ず彼女に好意を寄せた。


学生時代の探偵は、いや、倶楽部の仲間たちは、地味に思える老舗のお菓子屋に就職するということが、真知子が自分の人生の可能性を閉ざしてしまうという、悲しい決断に思えた。


真知子は、学生時代の探偵の悲しい気持ちを、探偵の問いかけの中に、感じ取った。真知子は、学生時代な探偵に、微笑みかけた。


「大丈夫だから、心配しないで」


真知子は、学生時代の探偵の言葉にそう答えた。


しかし、その答えでは、学生時代の探偵は納得できなかった。


うちの倶楽部の関係者の就職は、先輩OBの輝元さんが、面倒見るのではないのか? そのうえ、輝元さんが、マネージャーのことをとても気に入っているということは、倶楽部の人間なら誰でも知っているはずだ。


それが、輝元さんは、マネージャーの彼女の就職の相談にはのらなかったというのか?


学生時代の探偵には、そのことが全く理解できなかった。


       *       *  

探偵は、輝元を送り出したのだが、そして、自分の部屋に戻ってみるとただ輝元だけではなく、世界の全体がとんだ災難に見舞われていることを知った。


世の中では、ひどい騒ぎが起こっている。


テレビでは、どのチャンネルでも、この最悪な事態についての、緊急番組が始まっていた。


「いよいよ、この世の終わりがやってきたのかもしれない。われわれ人類は、様々な困難、疫病、戦争を乗り越えてここまで生き延びてきた。文明を持った人類は、生き延びるための答えを災難のたびに見出し、人類全体の絶滅の道は、いつもなんとか回避してきた。今回、人類に襲いかかって来た災難には、解決方法が見いだせないでいる。この災難は、十年以上もまえから、その存在が知られていたのだが、しかし、この災難は、人類の大多数に相当する人たち、普通の人たちには、完全に秘密にされていた。その間に、その一方で、この災難を回避する方法を見つけようとしたのだが、見つからないまま、事態は最悪を突き詰めることになった……」


しかし、整理されたテレビ放送の原稿は、ここで途絶えたらしい。


いや、そうではない。ニュースを読み上げていたアナウンサーは、記憶を失いつつあるのだ。探偵には、アナウンサーの状態は、探偵の部屋にやって来た時の輝元よりも明らかに悪い状態に思えた。アナウンサーが読んでいる原稿に不備があるのではなく、そうではなくて、言葉の記憶を失ったのだ。


アナウンサーの口からは言葉になり損ねた異音が、調子を失った無表情さで漏れつづけている。喘ぐアナウンサーの頬に伝って涙が落ちていく。


探偵は、ついさきほどに立ち去っていった輝元のことを思い出した。


悔恨の気持ちで、探偵の部屋を訪れた輝元。また、輝元は、記憶を失いつつ、探偵のもとに悔恨の念を伝えるためにやってきた。しかし、


「俺に同情はいらない」輝元はそう言い残していった。その時の輝元の言葉の意味を、探偵はようやく理解できた。


「次は、俺の順番という訳か」


探偵がそう感じた次の瞬間、とてつもない巨大な力が探偵をとらえ、一瞬でこの世界から探偵を引き剥がしてしまった。


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