0.はじまる
街を歩いてたら知り合いを見つけた。
そんなとき、声をかけるかもしくは気づかぬふりで通り過ぎるかは、知り合いとの関係性によって変わってくるのだろう。
では、この男の場合はどうするべきか。
日中の日差しは強く残暑は厳しいものの、夕暮れ後に吹く風は涼しくなり始めた9月の終盤。アルバイトが終わった帰り道でのことだった。
商店街を自宅へ向かって歩いていると、ファストフード店の前に立つ見知った人物を見つけた。
ガラス張りの店舗に体を預けてスマートフォンを操作しているその人は、櫻庭一輝という。
同じ高校に通う先輩で、何度か話したことがあるけれど決して親しい間柄ではない。そんな距離感の人だ。
そしてこれからも親密な関係への進展は望まない、どちらかというと疎遠になりたい人物でもある。
あと10歩もしないうちにわたしはガラス張りになった店の前を通ることになるのだが、櫻庭先輩は目線を下にして、スマートフォンの画面に集中していた。
ならば話は早い。
わたしに気づいていないなら、わざわざ会釈や挨拶をする必要もないだろう。
道行く人たちの波に乗ったまま、知らぬふりでファストフード店の前を歩く。
「——あ、結衣ちゃんじゃーん」
やたらとテンションの高い男の声はきっと空耳だ。
たとえ奴がわたしを発見したとしても、聞こえていなかったことにしてやり過ごすつもりでいた。
わたしと先輩のあいだには同じく歩道を歩く人が二、三人はいる。
こちらが反応しない限りは店の前の目立つ男が呼んだ「結衣ちゃん」がわたしだと周囲もわからない。
歩行者で溢れる街中の歩道で人目もはばからず大声で名前を呼ばれたら、無視の一択に限る。
櫻庭先輩と話すことなどなにもないし、学校や街でそれなりに有名なこの人とは関わりたくない。
こっちはそう願っているのに——。
「結衣ちゃん、水口君が今日どこにいるか知らないかなー? さっき呼び出したんだけど、断られてさあ」
どうしてあんたはわたしについてくるの。
しかもちゃっかり隣に並びやがって。
「あれー、無視なのー? それとも聞こえてないのー? ここは柳虎晴さんのお気に入りの、高瀬結衣ちゃんのお通りだよーって、もっとでかい声で言わなきゃダメかなー」
「……わたしが凍牙の行動を逐一把握しているわけがないでしょう」
相手のしつこさに根負けして返せば、櫻庭先輩は騒ぐのをやめてくれた。しかし隣からは消えない。
あんたさっき、用事があってあの店にいたんじゃなかったのか。
「えー、仮にも水口君の彼女でしょー、きみ。彼氏の行動くらいは押さえておこうよ」
「ええ。先輩もご存知の通り、わたしは凍牙の仮の彼女だったので、あいつがどこで何をしているか、チェックしてないんですよ」
「あれれー、君たち過去形になるのちょっと早すぎない?」
「おかげさまで困りごとは解決できましたので。その節はありがとうございました」
櫻庭先輩の話には適当に合わせていたのだけど、お礼を言ったところで直感が働き咄嗟に口を噤んだ。
この手の勘は馬鹿にできない。
すぐさま先輩との会話を思い返して確認する。
ここでわたしが漏らした情報は、わたしと凍牙は互いの行動を把握していない、ということ。そして、夏休み中に行われていたわたしと凍牙の仮初の交際はとっくに終了している——という2点だ。
別段知られて困るものではない。
それなのに、先輩とのやり取りを失敗したと思ってしまうのはなぜだ。
わたしの心境の変化に気づいているのか、いないのか。櫻庭先輩は特に態度を変えようとはしなかった。
駆け引きに負けたようで、それがまた悔しい。
「そっかー、別れちゃったんだー。じゃあ今、結衣ちゃんはフリーってことだよね?」
こてんと首をかしげ、高いテンションをひっこめた先輩はやわらかく笑う。
「俺はね、結衣ちゃんのこと、そんなに嫌いじゃないよ。それに、出来ればいつもそばにいてほしいと思ってるくらい、意識してる」
「そうですか」
「あれ? それだけなのー? 俺の一世一代の告白を、君ってばたった5文字で流してしまうの? あーあ、ショックだなあ。結衣ちゃんにとっては俺ってその程度のものなのかぁ」
彼のテンションは10秒もしないうちに元通りだ。
「そんなことありませんよ。きっと」
「うわー、なんか含みのある言い方するねえ」
「ところでいつまでついてくるんですか?」
いい加減付き合うのもばかばかしくなり、単刀直入に訊いてみた。
わたしのぞんざいな態度に櫻庭先輩は肩をすくめて立ち止まる。
「困ったことがあればいつでもアークにおいで。相談くらいは乗ってあげるから」
「その時があれば、よろしくお願いいたします」
適当に返して、家路を急ぐ。
櫻庭先輩との会話の中で不用意に踏み込まなかったのは、おそらく正解だった。
何が一世一代の告白だ。
——結衣ちゃんのこと、そんなに嫌いじゃないよ。
つまりわたしのことは嫌いじゃなくても、好きでもないってことだろう。
——いつもそばにいてほしいと思ってるくらい、意識してる。
言い方を変えれば近くに置いて監視しておきたい、と。
あちらは隠す気がないのだろうけど、告白というには情がカケラも感じない、とてもわかりやすい言葉遊びだった。
今日櫻庭先輩と会ったことは偶然だったと思いたい。
先輩との話におかしな部分はなかったはずだ。
だけどあのやり取りは単にわたしをからかっていただけなのか、意図があってあんなことを言ったのか、判断に迷う。
ふと気になって後ろを振り返った。
櫻庭先輩はまだ街灯の下に立ち体をこちらに向けていた。
いつもの笑顔でひらひらと手を振ってきた先輩に会釈して、前へと向き直る。
多少の嫌な予感はしたけれど、不安になっていても仕方がない。
ひとまず話の内容は記憶の片隅にとどめておくとして、櫻庭先輩のことはいったん意識の外へと追い出した。
商店街を過ぎれば、道を行く人の数が一気に減って、薄暗い夜道が続く。
街の明かりが街灯だけになり、喧騒が消えた。
見上げれば、大きな月が雲のない夜空にポツンとひとつ。
どこからか聞こえる虫の音が、秋の夜を演出していた。




