12.見ているほうが痛い
「いってえ」
階段を下りる洋人が調子悪そうに肩を回す。
前にいた春樹が立ち止まって振り返った。
「技を決められたときに無理矢理抜け出すからだろ。相手が本気じゃなかったからよかったものを……へたすりゃ靭帯やられてんぞ」
「あー、そんときゃそんときだ」
気のない返事をする洋人に反省した様子はない。いつものことだ。
「……あんたたちさぁ、本当にどうしてここに来たの」
1階についたところで前を行く2人に訊けば、何を今さらとばかりに春樹が口を開いた。
「お前がここでやられたことをを俺たちに黙っていたからだろ」
「だから、わたしが言う必要はないと判断して伝えていなかったことを、どうしてそっちが把握しているのかを知りたいんだよ」
「世間の狭さとこっちの情報網を舐めるな。お前がし喋らなくてもいくらでも知る方法はあるんだよ」
納得し難い言い方だ。
こいつは具体的な情報の出所をはぐらかしている。
だけどわたしがそれを追求するよりも、春樹が踏み込んでくるほうが早かった。
「それで、お前はどうするんだ?」
「どうって……」
何を、とは訊かなくてもわかる。
これからわたしがどうするのか、答えを求められたのだ。
先に行っていた洋人が昇降口の手前で足を止めた。スマートフォンをいじっていても、こちらの会話に耳をそばだてている。
「今さら、現状維持なんて間抜けなこと言うんじゃねえぞ。てめえが解決に向けて何もしないなら、俺らが動く」
「あんた、日暮先輩の忠告聞いてたよね」
「聞いたとしても従うとは言ってねえ。俺たちがあいつらに気を遣ってやる使う理由はない」
「理由はなくてもデメリットだらけだろ」
お互いに利益を生まない不毛な争いを好き好んで起こすとか、絶対にやめてほしい。
「障害物の排除にメリットもくそもあるか。奴らの壊滅がここに通う連中の見せしめになるなら、十分すぎる利益があるだろ」
「そういうことは潰したあとの補償を約束してから言ってよね。あんたたちが皇龍の立場にとって代わるわけでもあるまいし。枷がなくなって混乱した治安最悪の学校に通わされるこっちの身にもなってよ」
「知らねえな。そんなもん自分でどうにかしろ」
ひょっとして、こいつわたしの敵じゃないのか。
昇降口にいた洋人がスマートフォンをポケットに入れて、こちらへと戻ってくる。
「お前、馬鹿じゃねえの?」
春樹と違い、正直者の洋人は捻らずぼかさず、一直線にものを言う。裏を読む必要がない分、どストレートにけなされた時のダメージは大きかった。
「馬鹿って、あんたには言われたくないよ」
「は? これまで自分を大事にしてこなかった奴が、これからの自分を心配するなんてただの馬鹿でしかないだろ」
「なるべくしてなった結果を嘆いたところでどうしようもないけど、この先に起こることが悲惨でしかないとわかっていれば誰だって前もって回避しようとするよ」
洋人はなるほどと納得したように二、三度うなずき、ならばと首をかしげる。
「つまり、起こってしまったもんについては、お前は文句を言わないんだな。おい春樹、ひとまずこいつは置いといて、先に皇龍に借りを返そうぜ」
「ああそれも有りだな」
「お前はわたしを出汁にしてただ喧嘩をしたいだけか」
皇龍とモノトーンだと、組織の規模にかなりの差がある。真っ向勝負の肉弾戦じゃこちらに勝ち目がないのは誰が見ても明らかだ。
乱闘がしたいだけなら、こんなハイリスクのチームを選ばなくてもいいだろう。
「直球の喧嘩なんざ金輪際吹っかけねえよ。あいつらを崩すなら別のやり方でいく」
「おい、聞いてねえぞ」
どうやら春樹の中ではすでに対皇龍のシナリオができてしまっているようだ。
洋人はとても不満そうだ。気に食わないなら春樹を殴っておけばいいものを。そうすればよそ様に迷惑をかけずに済むだろう。
「もう皇龍は放っておこうよ。適度な距離を保って関わらないのがお互いにとって一番平和のはずだよ」
皇龍の存在意義はこの街を守ることにある。離れた場所に住む春樹たちがこっちに立ち入らない限り、皇龍は牙を向けてこない。
そこまで考えて、改めて思い出す。
こいつらが皇龍に喧嘩を売りに行ったそもそもの理由はなんだ? ——そうだわたしだった。
「平和でいたいならお前が努力しやがれ」
追い打ちをかけられて、分の悪さを悟る。
不機嫌な感情を隠そうともせず、苛立ちをにじませた声音で春樹は続けた。
「お前が受ける理不尽な仕打ちは、俺らが動く理由に十分なり得るんだといい加減に自覚しろ。ただでさえ毎日顔が見れなくなったお前を心配している綾音をこれ以上悲しませてんじゃねえぞこら」
言うだけ言って、春樹はわたしに背を向け歩き出す。
「菜月もぶち切れだったぞ」
「……知ってるよ」
あの時の菜月の怒り方からして、おそらく説教はまだ終わらないだろう。
柳さんと関わったことで受けた僻みが、まさかこんな事態に発展するとは思いもしなかった。
面倒を回避してきたはずなのに、どうしてこんなに頭の痛い結果になってしまったのか。
昇降口の小さな段差を春樹と洋人はこともなげに下りてそのまま出口へと向かう。
今さらだけど、こいつら土足で校内を徘徊してやがった。
隅に置いておいた水に濡れたローファーは履いた感触が最悪だったけど、文句は言っていられない。
春樹を先頭にして、わたしたちは校門にたどり着く。その間、誰ひとり口を開くことはなかった。
学校の敷地外では、門扉の壁にもたれた菜月と成見が待っていた。
「あんた、まだ着替えてなかったの?」
「こいつらのせいでそんな時間がなかったんだよ」
菜月に言葉を返して、成見の持っていたわたしのカバンをひったくる。
教室のロッカーに予備の体操服があったはずだが、鍵がカバンの中だったので直接行っても開けられない。
さっさと着替えてカプリスに行かないと。
バイトは完全に遅刻だ。こうなったからには静さんには正直に事情を話して謝ろう。
でも、その前に。
「ねえ、ひとつ聞いていい?」
後々、こいつらの学校侵入が問題になった場合のため、手は打っておく。これは春樹に確認するのが手っ取り早いか。
「あんた自分の高校での、教職員からの信頼ってどれぐらいあるの?」
春樹がわたしの質問の意図を理解するのは早かった。
「マックスを100とするなら、俺が85。ちなみに有希は既に98くらいはいってる。なんの問題もねえよ」
あくどい笑みを浮かべる男に、羨ましさ半分、安心半分の複雑な気分にかられる。
「シナリオの準備は」
「ぬかりねえよ。他校に通うダチがいじめを受けているのに、そいつの学校は教師も生徒も見て見ぬふりで対策を取ろうとしない。だからたまりかねて俺たちは乗り込んだ。嘘ではねえだろ」
「……了解」
今回の件が問題になったり、皇龍がなんらかの交渉のネタに使ってきた場合、春樹たちの高校の教職員がこちら側についてくれるのは大変心強い。
他校に許可なく侵入したという問題行動も、友人を助けるという目的を強調すれば美談にできる。
あとは世間の無関係な人間たちがどちらの味方につくか、というところだけど……。
皇龍という独自の文化を擁しているこの高校は、問題が大きくなるほど不利な立場に追い込まれる。
皇龍はこの街にとっては絶対的な存在だ。
しかしながら、世間の大多数となる外の世界の感覚で判断したら、異質で排除されるべきものに簡単に変えることができる。
春樹たちがこの高校で引き起こした騒動は、周囲に知られれば知られるほど、こちら側が有利になるのだ。
そして何より円滑に事を運ぶためには、春樹たちの高校での大人たちからの信頼が重要になってくるわけだけど、わたしの心配はどうやら杞憂のようだ。
それにしても。
「有希が98って。人心掌握のレベル高すぎじゃない?」
猫かぶりの本性を知っているだけに、騙されている人たちがちょっと哀れになってくる。
「あいつは敵を作らずに味方を増やすスキルが高すぎるんだ。そのうちどっかで教祖様とか呼ばれるようになったとしても俺は驚かねえよ」
なにそれ、本当にありそうで怖いんだけど。
「わかった。そっちは心配なさそうだから、わたしはとりあえず着替えてバイトに行くよ。続きは次に会ったときでいいだろう」
早々に切り上げようとしたら、ここぞとばかりに菜月に睨まれた。
「わたしの話はまだ終わってないわよ」
承知してます。お説教の続きは覚悟できてます。
しゃあねえな、と。春樹が面白そうに口を開く。
「そう言うなら、次に会った際のお前の話が経過報告になるか、それとも結果報告になるかで、皇龍に借りを返すかどうかを決めるとするか」
「お、まじか」
「嬉しそうにしてるところ悪いけど、希望どおりにはいかないよ。争いなんて起こさせないからね」
声を弾ませた洋人に釘を刺せば、ここぞとばかりに成見が前に出る。
「じゃあ、次の水曜日までに、結衣は全部を解決させているってことでいいんだね」
「……誰もそうは言ってない」
「言ったでしょ。自分の言動には責任持ちなさいね」
「そうそう」
なっちゃんはいいとして、便乗して得意気に相槌を打つ成見にはものすごく腹が立つ。こいつ、いつか覚えてろ。
「帰るか」
春樹のひとことを合図に、みんなは学校に背を向けた。
「せっかく来たのなら、柳さんのとこにも寄っていけば?」
思いつきで言ってみれば、苦虫を噛み潰したような顔で洋人が振り返った。
「誰が行くか。あんなおっさん、顔も見たくねえ。行くならお前らだけで行けよ。俺は帰るからな」
柳さんが担任していたころのトラウマは、そう簡単には消えないようだ。
「今日は手土産を持参してこなかったからな。あの人のところはまた今度だ」
「ある程度人が揃わないなら、行く気になれないわ」
春樹と菜月も、口々に柳さんのところへの訪問拒否の理由を告げる。
苦手意識を隠そうともしないみんなを、成見だけが楽しそうに観察していた。
そうだね。あんたは昔から、なぜか柳さんとは馬が合ったよね。
門扉を離れていくみんなを見送ろうとしたら、菜月に「あんたは早く着替えに行きなさい」と言われてしまった。
湿気った状態のスカートは、夕方の風で冷たくなって足に触れる。
シャツは生乾きのような感触だし、下着とインナーのキャミソールは依然として水気を含んだままだ。
緊張がとけたからか、今になって寒気がしてきた。
さっさと着替えたかったけれど、ひとまず職員室に寄って相談の実績を作った。吉澤先生が不在だったので、生徒指導を担当している先生が親身になって話を聞いてくれた。
運動着姿の女子の集団に囲まれて、罵声と一緒に水を浴びせられた。面識のない人たちだったから、どこの誰かはわからない。——先生に「相手の部活がわかった」と時間差を入れて伝えるか、もしくはうやむやのまま終わらせるかは、これからの動き次第となる。
種まきを終えて、階段を上る。
乾ききっていない跳ねた髪を気休めに手櫛で整えながら、人気のない廊下を進んで教室へと戻ってきた。
開けっ放しの入り口で、思わず立ち止まる。
教室の中には整列された机に背を向けて、窓から外を眺めているマヤがいた。
物思いにふけっているためか。はたまた校舎中に響いている吹奏楽部の演奏がわたしの足音と気配をかき消しているのか、マヤはわたしに気づかない。
「三國先輩待ち?」
声をかけると、大きくマヤの肩がびくりと跳ねた。
小さい悲鳴と同時に振り返った彼女は、目を見開いて息をのむ。
そんなに驚くとは思ってなかったよ。
ひとまずカバンから取り出した鍵で自分のロッカーを開けて、予備の体操服を引きずり出した。
「結衣、大丈夫だったの」
我に返ったマヤが慌てて駆け寄ってくる。
「大丈夫だよ。ちょっとした災難に見舞われたけど、そこまで気にするものでもなかった」
ロッカーの上にカバンを放り投げ、シャツを脱いで着替えに取り掛かる。
心配してもらって悪いけど、わたしのことよりも、今にも泣きそうなマヤのほうが気になって仕方がない。
「というか、知ってたんだ」
「……さっき咲田さんが教室に来られて、話してくれたの。あの部の人たちに呼び出されて、それで……」
言いにくそうな様子からして、何があったかは全部知っているようだ。
……なっちゃん、マヤにまで会いに来たって、何気に一番ここの高校観光を満喫してないか。
「あー……うん、そうかー」
どうしよう。菜月はごまかしとかはぐらかしとか、そういった曖昧な話し方をしないからなあ。
こんなことでマヤが心を痛める必要はない——、と。
直球で伝えたところで、きっと意味がない。
そう言ったところで、彼女が割り切れないのは十分承知している。
だから知らないままでいるのが最善だと判断したのに、菜月はそれすらも許してくれないらしい。
「気にするな、とは言わないけど、心配はしないでほしいな。この件に関しては本腰入れてどうにかしないといけなくなったから」
日暮先輩とか、春樹とか。
各方面がかけてきた圧力が半端ない。
「それはそうと、マヤが会ったのは菜月……、背の高い女の子だけ? 態度のでかい俺様、もしくはガラの悪いヤンキーみたいなのとは話したの?」
「え……、いいえ。わたしがお会いしたのは、咲田さんだけよ」
「そっか。じゃあよかった」
モノトーンとして校内に侵入して、さらには皇龍に喧嘩を売ったあのふたりがマヤと接触していたら、どうしてやろうかと思ったところだ。
一応、あいつらもそこらへんのリスクは考えて行動してくれたらしい。
着替えを終えて、水気を含んだ制服を畳む。
明日は土曜だし、スカートはバイトの帰りにクリーニング店へ持っていこう。
なんかもう、後始末のあれこれを考えると気が重い。
「あ、あのね、結衣」
呼ばれて顔を上げて、固まる。
まるでとんでもない悪事を犯してしまったと言わんばかりに必死に涙をこらえるマヤに、思わず開きかけた口を閉じた。
そんな顔されたら、軽い言葉で流して逃げられない。
「咲田さんが今日、学校に来たのは、わたしが武藤さんに、結衣の学校でのことを伝えたから……で」
ああ、うん……。いろいろ納得したよ。
たしかにマヤなら三國先輩を通して春樹の連絡先を入手できる。にしてもあんな俺様野郎、よく頼ろうと思ったね。
「……黙っていてごめんなさい」
「いいよ。別に特別困ることもないから。むしろ、マヤのほうが大丈夫だった? あいつ、当たりがきつくてものすごく怖かったんじゃない?」
マヤの瞳からぼろぼろと涙がこぼれ出す。
「や、ちょ……」
さすがに焦った。まさか春樹のやつ、ひどいこと言ったんじゃないだろうな。
しゃくりあげるマヤを落ち着かせるすべを知らず、うろたえることしかできない。
「あのね、……わたしね、少しだけでもいいから、結衣がわたしを思ってくれる気持ちを、結衣自身にも、向けてほしいの」
わがままを言ってごめんなさい、と。
頬を拭っても拭っても果てしなく溢れ出る感情を鎮められず、うつむいたマヤはきつく歯を食いしばる。
「ごめんなさい……。結衣が平気でも、わたしは……平気じゃないの」
……うん。そうだね。
マヤを泣かせたのは春樹じゃなくて、——わたしだ。
「結衣が、ひどいことをされているの、見ていて苦しくて。でも、わたしじゃ何もできなくて。ごめんなさい。余計な真似して、ごめんなさい」
「……謝らなくていいよ。わたしも、ごめんね」
わたしの謝罪は、大きく首を横に振って否定された。
これには参った。
危険から遠ざけて、マヤを守ったつもりになっていた。自分が誰よりも馬鹿だったと痛感する。
泣かせたいわけじゃない。
こんなに悲しませてしまってはわたしのしてきたことの意味がなくなる。
そういや前に、マヤを泣かせたら殺すって三國先輩に言われたっけ。
ごめんなさい。今回は完全にわたしの落ち度だ。
どうでもいい人間の罵声や暴力よりも、身近な人の怒りや悲しみのほうが遥かにきつい。
面倒事の放置が大切な人たちを苦しめる結果になるのなら、わたしは行動を正さなければならない。
マヤには笑っていてほしい。
春樹たちも、不要なリスクを背負わせるべきではない。
みんなに憂いはいらない。
もう、手間を惜しんではいられない。
今回の一件は、わたしが急いでけりをつけないと。




