6.助けを求める
◇ ◇ ◇
体調不良という欠席理由は、果たしてどこまで信用できるのか。
放課後のやり取りから3日が経過した。今日も彼女は教室に姿を見せなかった。
あんな話をした直後にこうなってしまうと、なんとも後味が悪い。それでもマヤは、あの時の自分や結衣が間違ったことを言ったとは思わない。
しかし彼女が学校に来なくなったことで、対人トラブルを解決する難しさをマヤは改めて思い知らされた。
おそらく結衣は彼女と直接向き合えばこの結果になると、最初からわかっていたのだ。
だから彼女を相手にして問題を深刻にせず、放置を決め込んだ。
結衣の意思に反して彼女と接触してしまったことに、マヤはただ後悔するばかりだ。
結衣は彼女の欠席を意に介さず、心配するそぶりも見せない。
意図的なのか、とっくに興味を失せてしまっているのか、マヤには判断がつかなかった。
あくびをかみ殺し、眠気に負けてぼんやりと過ごす授業合間の休み時間。
前側のドアから見慣れない女子生徒が4人、教室へと入ってくるのをマヤは何ともなしに眺めていた。
ネクタイの色からして同学年の生徒なのだろうが、知った顔はひとりもいない。
彼女たちはマヤの横を通り過ぎてひとつの方向に突き進む。なんとなく、後ろ姿を目で追った。
「高瀬結衣って、あんたよね」
そして突如聞こえてきた言葉にマヤの眠気が吹き飛ぶ。
「そうだけど、何か用事?」
「どぼけてんじゃないよ。うちらのチームメイトいじめて学校に来れなくしたくせに、あんたよくぬけぬけと授業受けていられるよね」
「……まず、自分が何のチームのどこの誰なのか、名乗るところから始めてくれないかな?」
いきり立つ4人の女子生徒を前にしても結衣は余裕の態度を崩さない。皇龍の拠点にひとりで乗り込む度胸があるのだ。結衣にとって、女子に囲まれるぐらい怖くもなんともないのだろう。
半ば怒鳴りつけるようにひとりが部活名を口にする。そして、学校を休んでいる彼女の名前も。
「それで、その彼女が学校に来なくなったのはわたしのせいだと?」
「あんたのせいでしょ。ひどいこと、たくさん言われたって聞いてるよ」
「ひどいこと、ねえ。こっちとしては散々彼女に陰湿な嫌がらせをされてきたものだから、いい加減頭に来て直接忠告をしてやっただけなんだけど」
「だったとしても! もっとほかに言い方があったんじゃない!? わざわざきつい言い方して追い詰めるようなことしなくてもよかったんじゃないの!」
心底つまらなそうに、結衣は顔に落ちた髪を耳にかけながらため息を漏らす。
「なによその態度。この先あの子が学校に来れなくなってしまったら、わたしあんたを許さないから」
怒りに震えた4人の中のひとりが鼻をすすりだす。隣にいた仲間が肩に手を回して泣きだした女子を慰めた。
なによ、この茶番は。
思わず立ち上がって反論しようとしたマヤを結衣は鋭い視線で止めた。
そのままきつい目つきでわずかに首を横に振られ、マヤは足に根が生えたようにその場から動けなくなった。
「……あんたもしかして、自分は悪くないとでもいうんじゃないでしょうね」
「原因の一端はわたしにあるかもしれないけど、この件については全部が全部わたしの責任だとは思ってないかな」
「なによそれ。今に見てなさいよ」
捨て台詞を吐いて、彼女たちはきびすを返す。
クラスメイトたちは固唾をのんで見守る人と、またお前かと言いたげに呆れかえる人でちょうど半分くらいに分かれていた。
「ねえ」
教室を出ようとした彼女たちを結衣が呼び止める。
先程まで責められていた結衣が席を立って彼女たちへと口を開いた。
「あんたたちが今日わたしのところに来たのは、部活の先輩に言われたから? それとも、これはチームの総意ってことなのかな?」
「は? あたりまえじゃない。うちら全員、あんたのこと許さないから」
「そっか、わかった」
ひとり納得して結衣は再び席に着く。すでに絡んできた女子生徒への興味は消えたようで、手で口を押さえてふわぁとあくびをする。
緊張感のなさに彼女たちはぎょっとしてたじろぐも、すぐに廊下を走り去っていった。
マヤが眠たそうに眼をこする結衣へと歩み寄る。
声をかけると困ったように苦笑されて、無性に泣きたくなった。
「マヤも、しばらくはわたしに近づかないほうがいいかもしれない」
なぜだろう。なんとなく、結衣にそう言われるのがわかっていた。
「……嫌よ。絶対に嫌。結衣に罪があるなら、彼女を責めた、わたしだって同罪よ」
言い切ったマヤに、結衣はそれは嫌だなあとぼんやりとこぼすだけだった。
実際の問題として校内での結衣の心象は悪化の一途をたどっていると、マヤに忠告したのは田所だった。
例の部活の部員たちが、自分たちの仲間が結衣にいじめられて不登校になったと吹聴し回っているらしい。
結衣が自分の受けた被害を誰彼構わず訴えて同情を求める性格ではないから、部員たちの発信する一方的な情報を信じる人は日増しに増えている。
心配するマヤをよそに、渦中の結衣はもはやなるようにしかならないとなかば諦めた様子だった。
マヤに被害が及ぶことは心配するし、すぐに対策するのに、自分に関するトラブルにはどこまでも冷めきっている結衣が、マヤは見ていて悲しかった。
人間は悪者と認定した者に対して、良心や常識が麻痺してしまう。
たとえ結衣が精神的に強くても、大勢に囲まれたり、腕力にものを言わされたら太刀打ちできない。
1学期に男たちに攫われた時の記憶がよみがえり、授業中、身体の震えが止まらなかった。
また同じような事態が起きかねない土台が、今度は校内でできつつあると思うとじっとしていられない。
授業が終わってすぐ、マヤは1年1組の教室へ走った。
目的の人が廊下側のドアのすぐ近くで見つかって、ほっと胸をなでおろす。
「水口君」
小さく呼べば、凍牙は感情の消えた鋭利な眼差しをマヤに向けた。
「少しだけ、いいかしら」
気だるそうに席を立った凍牙にマヤは少したじろいだ。
結衣と一緒にいる時はなんともなかったのに、ひとりきりで対峙した彼からは、人を寄せつけようとしない冷たい空気が伝わってきた。
廊下に出てきた凍牙と向き合い、マヤは結衣の現状をかいつまんで話した。
「……あいつが俺に守られることを望んだのか?」
すべてを話し終えるより先に凍牙が口を挟んだ。
「そういうわけじゃない。でも、万が一最悪なことが起こってしまう前に、力になってほしくて」
「助力を請うならまずことの発端となった元凶を頼るべきだろう。くだらないことに俺を巻き込もうとするな」
言い捨てた凍牙は教室に戻らず、廊下を階段の方へと歩いていってしまった。
まさかの答えにマヤは呆然と凍牙の後ろ姿を見送るしかない。
彼はこんなに冷たい人だったのかと考えて、思い至る。
凍牙が優しいのは結衣にだけで、他の人への接し方は以前からこんなものだった気がする。
あてが外れてため息がこぼれた。
わたしにも、結衣を守る力があったらよかったのに。
——駄目よ。今はないものねだりをしている場合ではないわ。
両手で頬を挟むようにして叩き、後ろ向きになった自分を叱咤する。
立ち止まらないで、わたしにできることを考えよう。
マヤは結衣に関する話を三國に相談するのは、最後にすると決めていた。
翔吾も皇龍の人だから。
わたしが無闇に頼ってしまうと、ことが解決したあとで、結衣が皇龍に借りを作ったとみなされかねない。
それは結衣の望むところではないはずだから、できるだけ避けたい。
幸い凍牙はマヤに直接手を貸そうとはしなかったが、重要なヒントをくれた。
まだ手立てはある。
まさか皇龍での用事が忙しくて一緒に帰れなくなったことを詫びる三國の連絡に、こんなにほっとする日が来るとは思わなかった。
一日の授業が終わり、マヤは結衣と挨拶を交わして早々に下校した。
いつもの帰り道を外れて商店街のわき道を進み、記憶を頼りに人気のない細道を曲がる。
たどりついたのは、文字が読めないくらいに古くなった看板を掲げる喫茶店だ。
緊張しながらドアをノックし、そっとノブを回す。鍵は開いているようで、きしむ音を立ててドアが動いた。
「おー、いらっしゃーい。と言いたかったんだがなー」
力のこもらない間延びした声が店の奥から聞こえてくる。
「わりーが、今日は別件があって店閉めてんだ……って、君は、マヤちゃんか」
カウンターの奥にある厨房から眼鏡をかけた男性が顔をのぞかせた。
名前を覚えられていたことに安堵して、マヤは深く頭を下げる。
「すみません。先にお伺いもせず立ち寄ってしまって」
「いいって、そんな細かいこと。ほら、そこに座って。なんか食うか? いやー嬉しいねえ、若い子が店に来てくれるなんておじさん大はしゃぎだわ」
「いえ、あの、その……。お忙しいようでしたら、また日を改めます」
「ぜーんぜん。俺って毎日が超絶に暇な男だから、気を遣わなくて大丈夫だよ」
……さっき、別件があると言ったのはなんだったのかしら?
柳はあの結衣が苦手としている人物だ。
ここに来るまでに多少の不安はあった。
実際に店に入ってこの人と顔を合わせたら、不安以外に何もなくなってしまった。
この店の店主である、柳虎晴。
街の中で絶大な影響力を持っている伝説のような人。——そして、結衣のかつての恩師。
マヤにとっても皇龍創設者である柳は雲の上の存在で、ここに来たのもまさに神頼みに近い心境だった。
勧められるがままカウンター席に座れば、柳はマヤにオレンジジュースを差し出す。
「俺からのサービス。可愛い子は甘やかしたい性分でね」
「あ、ありがとうございます」
「それで、高瀬に何かあったかい?」
いきなり核心を突かれ、はっと息を飲む。
そんなマヤに柳は大げさに肩をすくめてみせた。
「君が番犬と番猫を振り切ってここまで来た理由は、それくらいしか思いつかないからね」
……番犬? ……ばん、ねこ?
「はい、実は結衣のことでご相談がありまして」
気を取り直して柳に言うと、彼は厨房の椅子をカウンターの前まで引っ張ってきて腰を下ろした。
「いいよ、聞くよ。君がここまできた勇気を、お兄さんは無駄にはしない」
最初のハイテンションとは打って変わり落ち着いた雰囲気になった柳に安堵感をおぼえ、静かにうなずく。
マヤはぽつりぽつりと、これまでの出来事と学校の現状を語りだした。
*
柳はとても聞き上手だった。
ところどころ小さく相槌を打つ柳に安心感を覚えながら、マヤは最後まで話し終えた。
マヤが口を閉じたタイミングで、柳が呟く。
「まあた、余計なところで高瀬の悪癖が出たな」
「悪癖、ですか?」
「そうそう。自分が被害者になった時は雑な対処しかしない、挙句最終的に何もかもが面倒になって匙を投げてしまう。以前からある高瀬の悪い癖だ。まったく、あいつも学習しねえなあ」
呆れた口調で言いながらなおも柳は面白そうに笑う。
「ところでマヤちゃん、ヨッシー……っつってもわからないか。天下の吉澤先生に、この件は伝えたのかい?」
「……いえ、先生にはまだ、話していません……」
こういった問題を真っ先に押しつけそうな吉澤に、結衣はこの一件を報告していない。これについて結衣なりに何か意図があるのではと、深読みしてしまっていた。
やっぱり、まずは吉澤先生を頼るべきだったのかしら……。
気を沈めるマヤに柳がそうじゃないと明るく言う。
「むしろ教師に泣きつかなかったのは、高瀬が関わる件については正解だ。マヤちゃんの判断は間違ってないよ。高瀬の性格は、教師を敵に回しやすいからなあ」
「そうでしょうか?」
淡々と感情を抜いて物事を語るスタンスは、先生に事情を聞かれた際に伝えやすいという点で有利だと思うのだけど。
「マヤちゃん、教師も情に揺れる人間だよ。先生ってのはね、基本的に弱い生徒の味方だ。そして運動部で汗水流して、目に見える形で青春している生徒に甘くなるし、口うるさい保護者の意見になびきやすい。事なかれ主義で問題を大事にしたくない連中は——1、泣き喚いて話にならない子供と、2、常に冷静で話が通じる子供——どっちを説得して物事を終息させるように動こうとするか、簡単に想像もつくだろう」
「先生たちはみんな、より自分が被害者だと嘆いた生徒に味方をするということですか?」
「全員が全員そうとは言えないけどな。少なくともヨッシーは……あ、これ吉澤倖龍くんね。ヨッシーは高瀬にちょーっと厳しいってだけで、基本は他の生徒と扱いは同じだろう。問題が起きても、誰かをひいきしてひとりに全責任を押しつけて終わらせようとする奴じゃない。ただ、今回の一件は部活動というクラスの枠組みを超えてしまって、ヨッシーひとりで片付けられる問題じゃなくなっているだろう?」
そうなれば他の教職員の介入は避けられない。
「俺の経験上、理詰めの話し合いができない奴ほど、自分の思いどおりにならなければ声を荒げて感情任せにごり押ししてくる。そういうのが揃ってしまえば、さすがのヨッシーも骨が折れるだろうに」
マヤが考えている以上に結衣の味方は少ないのだと、柳は暗に伝えていた。
もしも彼女の所属している部活の顧問の先生が感情的な人だったらと思ってぞっとする。
「そんでもって俺も、この街で大きく動くのは得策じゃない。それはわかるね?」
「……はい」
街中の憧れである柳が表立って結衣を庇えば庇うほど、結衣に向けられる嫉妬心は増してしまう。
少し考えればわかったはずなのに、わたしはいったい何を期待して、この店に来たのだろう。
焦った状態で動きすぎている。一度冷静にならないと。
「悪いな。思うように力になれなくて」
「いいえ。お話を聞いていただくだけでも、頭の整理がつきました。こちらこそ、お手間をとらせて済みませんでした」
立ち上がって店を去ろうとしたマヤを、柳が片手を上げて制止した。
「うん、いいよ。素直な子は嫌いじゃない。単身ここまで乗り込んできた君に、お兄さんがひとつプレゼントをあげよう」
言いながら柳は自身のスマホを見てメモを取り始める。
そして書き終えた紙をマヤに渡した。
メモには090と080から始まる、おそらく携帯の番号だと思われる数字が3つ記されていた。
「これは?」
柳がマヤの手にある白い紙を指差す。
「ひとつめは、君もよく知る静さんの番号だ。人生に躓いた時は、俺より先に彼女に相談したほうがよっぽどためになる話が聞けるよ。まん中は、俺の番号。これは急を要する時に使えば、もしかすると役に立つかもしれない。ま、保証はしないけどね。そんでもって、最後は——」
ひと呼吸おいて、柳はにやりと人の悪い笑みを浮かべる。
「それは、高瀬専門の相談窓口に繋がるダイヤル番号だ」
「……結衣の?」
「ああ。誰が出るかは電話した時のお楽しみってな。ためしにかけてみればいい。そうすれば、必ず面白いことが起こる」
「それは……、誰にとって面白いこと、なのでしょう?」
「うん? もちろん、俺だよ?」
……これは、見なかったことにして封印すべきものじゃないでしょうね。
おののくマヤを前に柳がけたけたと声を上げて笑う。
完全に遊ばれている。
マヤは今になって柳に意地でも相談しようとしなかった結衣の気持ちがわかった気がした。
「まあ冗談はこれぐらいにして、いいから騙されたと思って家に帰ったら電話してみな。誓って君にとっても悪いようにはならないよ」
「具体的には、どのような未来が予想されるのでしょうか?」
警戒しながら訊いてみると、柳は腕を組んで考え出した。
「うーん、そうだなあ……。少なくとも、高瀬の現状が劇的に改善されるのは間違いない。まあ、俺は強制しないし、それを使うかどうかはマヤちゃん次第だよ」
「わかりました」
貰ったメモは財布の中にしまって柳に礼を言う。
マヤは店をあとにした。
家に帰ればすぐに自室に閉じこもり、再びメモを開いた。
帰り道で散々迷った末に、意を決してスマホの画面を起動させる。
これを渡してくれた柳は他人を困らせて遊ぶどうしようもない人だった。それでも、あの人が結衣の身を案じているのは本当だと確信できた。
最後までわたしの話を真剣に聞いてくれたからという、単純な理由でしかないけど……。
柳が結衣のためになると言って、適当な電話番号を教えてくるとは思えない。
緊張に震える指で、ひとつひとつ数字を入力していく。
11桁の数字が画面に並ぶ。何度も間違いがないかを確認して、通話ボタンを押した。
呼び出しのコールが鳴り始める。
相手は一向に出る気配がなく、断続的な音が延々と続いた。
仕方がないので時間を改めて再度かけ直そうとしたまさにその時、コール音が途切れた。
……繋がった?
電話の向こうからは物音ひとつ聞こえなくて、相手が電話に出てくれたのか不安になる。
そういえば電話の相手になんと伝えればいいのか、何も考えていなかった。
失態を悔いながらマヤが声を絞り出す。
「あ、あの……」
「——、……誰だ?」
返ってきたのは威圧感と警戒心をむき出しにした、低い男性の声だった。
たった一言聞こえただけなのに、男の不機嫌な感情が電話越しに伝わってくる。
怪しんでいるためか相手はそれ以上話さない。
まるで自分が悪事を働いているような気分になって、無意識に視線がさまよった。
だめ。
このままじゃ本当にいたずら電話になってしまう。
与えられたチャンスを棒に振るわけにはいかない。
「……あの、わたし、高校で高瀬結衣さんのお友達をさせていただいている、津月と申します」
わたし次第だと言った柳さんを信じたのだから、最後までやりとおさないと。
この結果が、柳の言う通りに事態を好転させてくれることをマヤは祈らずにはいられなかった。
◇ ◇ ◇




