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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【幕間 被り物を捨てる】
86/208

1.新学期





2学期最初の登校日のこと。

始業式後の休憩時間に教室でマヤと話していると、同じクラスの田所さんがこちらに近づいてきた。



「久しぶり。なかなかハードな夏休みを過ごしていたみたいね」



クラス委員を務める田所さんは、はっきり物を言う人だ。それでいて空気はきちんと読んでくれる、気遣いの人でもある。



「おかげさまで」



夏休みがハードだったことは素直に認めておく。

平和に2学期を迎えられたことを奇跡に感じるほど、次から次に問題が起こる8月だった。



「お疲れ様。って言いたいところだけど、あんた当分は周りに気をつけたほうがいいわよ。高瀬さんがあの柳虎晴さんのお気に入りで、皇龍ですら迂闊に手が出せないってうわさ、学校でもかなり広がっているみたいだから」



わたしの耳に入るくらい有名よ。と、田所さんはつけ加えた。



「大丈夫。なんとなくそんな気はしていたから」



今日の登校中、始業式の間、廊下を移動しているとき。

わたしは見世物パンダかと言いたくなるぐらい、四方八方からずっと意味深な視線を感じていた。


1学期にも不運が重なり学校で悪目立ちしてしまう事態になったけど、注目の度合いでいうならあの時をはるかに超えている。



「柳さんって、そんなにすごい人なのかな?」



いろいろと腑に落ちなくてマヤに聞いてみると、間髪入れずに首肯された。



「わたしも、昔から名前だけなら知っていたし、すごい人だと聞いていたわ。ただ、……そのすごい人が、カフェで話しかけてきたあの人だったなんて……。あとから聞いてびっくりしたってのもあるけど、あの柳さんが、まさかあんな人だとは思ってもみなかったわ」



柳さんと一度顔を合わせたことのあるマヤは苦笑しながら、言いにくそうにそう告げた。


わたしとしては、マヤの言うところの「あんな人」でない柳さんを全然想像できない。

この学校の生徒はあのふざけた男にいったいどんなヒーロー像を当てはめているんだ。



「で、実際のところ、あの柳虎晴さんと高瀬さんって、どんな関係なのよ? 言いたくないなら余計な追及はしないけど」


「よかねえよ」



わたしに逃げ道を残しながらもはっきりと聞いてきた田所さん。彼女の言葉に、低く唸るような声が重なった。


教室の後ろ側、掃除用具庫の前で話していたわたしたちの輪に、厳しい顔をした榎本君が加わった。



「うわさが暴走して大事になる前に、本当のことを自分の口から言っておいたらどうだ。そもそもお前がだんまり決め込むから、あることないこと多方面に広がっちまうんだろうが」


「それは違うよ。うわさってのは、少しでも広がってしまった時点で当事者が必死に否定して火消しに回るのは悪手でしかなくなるよ。周りに信頼や好感をいっさい持たれていないわたしみたいな人間のうわさは、否定したところで火に油を注ぐだけだ」


「あんたそれ、言ってて悲しくならない?」



田所さんは呆れているけど、事実だからしょうがない。



「だったとしても、せめて一回はお前の口から説明しておいたらどうだ。教室の外でたむろしているやつらはともかく、田所は本当のことを知りたくて直接聞きにきてんだろ」


「ただの好奇心からくる、野次馬根性だけどね」



急に名前を出された田所さんは肩をすくめてみせた。そうやって正直に言ってくれるところ、けっこう好きだよ。



「お前のうわさのせいで、俺たちが振り回されるのはもうまっぴらなんだよ。また大変なことになっても知らねえぞ」



だけど榎本君はいけ好かない。



「わたしの知らないところで流されたうわさに、どうしてわたしに責任があるような言い方してくるのかなあ。本来はうわさの出所が叩かれるべきだろ。まあ、わたしと柳さんに関する情報を流した人たちについて、突き止めて糾弾するつもりもないけれど。今のところは、ね」



含みを込めてつらつらと述べれば、榎本君は気まずそうにそっぽを向いた。


わたしと柳さんの関係を街に広めたのは間違いなく皇龍だろう。

馬鹿め。バレてないとでも思っていたのか。


とはいえ、この件はもったいぶってごねたところで特にならないだろうし。意趣返しはこれぐらいにして、本題に入るとしよう。



「なんてことはないよ。中学のとき、みんなの知っている柳さんが教師としてわたしのいた学校にやってきて、わたしの担任の先生になったってだけ。お互い見知ったのはそれが最初で、柳さんが早々に教職を辞した後もよくわからない縁があって、最近お世話になることがあったんだよ。あの人が皇龍の関係者だと知ったのも高校に入ってからだし、わたしにとって柳さんはハイスペックなくせに人騒がせなお調子者だ」



断じてあの人はヒーローなどではない。

どんなうわさが校内で広まっているのか、具体的には知らない。だけど柳さんのことでわたしが他人から羨ましがられるのはどう考えてもおかしい。



「人騒がせって、あの人にそんな言い方していいのかよ」


「自分のやらかした不祥事の火消しを生徒に丸投げしてくるような教師を、人騒がせとは言えないって?」



過去の苦労が脳裏をよぎり、つい口調がきつくなってしまった。


榎本君に反論しただけなのに、いつの間にか教室中が静まり返っている。



「……どれだけの人が聞き耳立ててるのさ」



近くにいるクラスメイトがこっちの話に興味を示しているのはわかっていたけど、ここまで聞き入る人がいるとは予想していなかった。



「そりゃあ、みんな柳さんについてはいろいろ知りたいんでしょーね」



ゲンナリするわたしに、田所さんが達観した様子で言ってのけた。



「吉澤先生と違って、滅多に表に出てこない人だもの」


「おら、さっさと席につけ。休憩時間はとっくに終わってんぞ」



クラス担任の吉澤先生が教室に姿を現す。本日は珍しく後ろ側のドアでの入場だ。


みんなが慌てて自分の席へと戻っていく。わたしたちも足早に散っていった。


一番後ろの席に座ったわたしに意味深な表情を残してから、吉澤先生は机と机の間の狭い通り道を歩いて教壇へと進んだ。


さっきの話、もしかしなくても聞かれていたか?




号令を済ませ、着席した生徒たちはみな姿勢を正して先生が口を開くのを待つ。


長い休み明け、さらには始業式が終わった後の自由時間ということでクラス全体の空気がゆるんでいたけど、どうやらクラスメイトの吉澤先生への態度は夏休み前と変わらないようだった。



「全員出席か」



出席簿を教卓に置いた先生はぐるりと教室を見渡す。



「夏休み中、羽目を外しすぎたやつも中にはいるだろうが、今日から新学期だ。それぞれが自分を顧みて、学校生活を過ごすようにしろ。——くれぐれも今学期は騒ぎを起こすな」



最後の一言、あからさまにこっちを見ながら言うのってどうよ。



「あと、今の社会は情報の拡散が速い。その分、根拠のない不確かな情報も当然ながら身の回りに氾濫している。面白そうだからと不確かなネタに踊らされることがあっても、情報の発信元が責任を取ることはほぼないと思え。これは担任としての願いだが、いい年して自分のしでかしたことを他人の責任にして後始末を押しつける、柳のような人間にお前たちはなってくれるな」



……柳のような?


先生なんだかいつもより話が長いなあと聞き流していたが、途中で空気が変わった。先生と目が合う。

嫌な予感がしてちょっと待ってと心の中で念じても、それで時が止まるわけがない。



「まあ俺も、お前たちのよく知る柳虎晴という男とは今も縁があり、世間話をする仲ではあるが……。そういや高瀬、お前がさっき言っていたのはあれか? 中学教師をしていた柳が生徒と一緒になって賭博を興じたと学校で問題になった際、糾弾してきた教師の不祥事をお前が明るみにして柳の一件をうやむやにしたという」



いらんことを暴露しやがって。



「賭け事といっても、放課後に自分の受け持つ生徒とポーカーで遊んでいただけです。それをあたかも大問題のように騒ぎ立てる、一部の教師がどうかしてたんですよ」



賭けていたのだって柳さんの持参した、金貨に見立てた包装がしてあるチョコレートだ。ゲームを観戦していたから知っているけど、あの場で現金は一円も動いていない——って、なぜわたしが柳さんをフォローするような発言をしているんだ。



「そんで、お前は柳の要求に応じて、うるさく騒ぐ教師陣のひとりが職務中に株の売買で金を稼いでいることについて、中学校中に周知させたと」


「……全部わたしひとりでやったわけじゃないですよ」



声を大きくして騒いでいる教師のうち、誰を叩けば埃が出てくるか。選定は確かにした。


でも狙いを定めた教師のスマホを盗み見て、株取引をしている現場をつかんだのは成見で、さらにそいつが使っている、SNSの裏アカウントとやらを特定し、動かぬ証拠を見つけたのは有希だ。


わたしはみんなが手に入れた情報を、かねてから問題の教師を煙たがっていた違う派閥の教師にそれとなく伝わるよう、タイミングを見計らって友人と廊下でおしゃべりをしただけ。

あとは勝手に自滅してくれた。


ターゲットにした先生が柳さんだけでなく、彼の担当しているクラスの生徒——つまりわたしたち——にも、常日頃から見下すような態度を取っていたものだから、ちょっとやる気になってしまったところもあった。

だけどそもそものところわたしは、人使いがとてつもなく荒い柳さんの手足になんてなりたくなかった。



「というかこんなくだらないこと、ホームルームで先生が言う必要ないでしょう」


「……くだらない……のか?」



どこからともなく呟かれた声はしっかりと耳に入ったが、今は放置だ。



「まあな」



思いのほかあっさりと、吉澤先生はこちらの主張を認めた。



「ほかにも言いたいことは山ほどあるが、時間もないから今はとばす。最後に言っておく。自分の生徒に無茶振りをする柳も柳だが、あいつの要望に対して期待に応えられる、お前も普通におかしい」



何がちょっとやっただけで、自分は大したことをしていないだ。ふざけるのも大概にしろ。


睨む目つきはそう語っていたけれど、先生は言葉にするのをやめてくれたようだ。

いや、行動としては大した事はしていないけど、教員の派閥とか交友関係とか、把握するのって結構大変だったんだからね。


あー……、と。


ひとつひとつは小さなため息程度だけど、タイミングよく重なると感嘆の声として認識できるほどまとまりのある音が教室中から発せられた。

不本意かつ不愉快な、いらない団結だ。



「柳について、あれこれおかしな話が出回っているのは俺も知っている。せめてお前たちは、周りに流されず正しい情報の取捨選択ができるようになれ。不用意に敵は作るな。これ以上、うちのクラスで揉め事起こすんじゃねえぞ」



結局先生はそれが言いたかったのか。一学期にもいろいろあったから、必死なんだろうね。



「大変ですね、先生も」


「一番苦労かけてんのはてめえだ高瀬!」


「わたしは自分からは何もしてないでしょう。柳さんと違って」



一学期のわたしは平穏な生活を目標として、なるべく目立たないようにしていた。それを運悪く周りが放っておいてくれなかったのだ。



原田さんしかり。


皇龍しかり。



わたしは自分で面倒ごとを作って楽しむような柳さんみたいな嗜好はないけど、ちょっかいをかけてきた相手に優しくできるほど、善良な人間ではない。ただそれだけだ。



「そういうことだ。お前らくれぐれも変なものと手に余るものには、興味本位で首を突っ込むなよ」



変なものとはわたしのことか。そうなのか。


全体に言い聞かせた吉澤先生はそこからあっさりと話を切り替え、休み中の数学の宿題を回収する指示を出した。



「高瀬お前、……なんか変わったな」



若干引きつりながらも、隣の男子が小声で話しかけてきた。



「そうかもね」



自覚はある。だから否定もしない。


今がとても充実しているのは、本当のことだから。





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