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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【モノトーン編 下】
84/208

24.こたえあわせ(上)





約束の日、早朝の涼しいうちにマンションを出発した。

順調に電車とバスを乗り継げば、昼前には日奈守市にある大学病院に到着できた。


受付を通り過ぎてエレベーターへと向かおうとしたそのとき、待合の椅子に見知った人物を見つける。列になって並ぶ長椅子の一番後ろ、角の位置から成見が手を振っていた。



「……何してるの?」



軽く手を挙げて近づけば、成見は椅子から立ち上がる。



「時間にアバウトな人間の行動を読むのって難しいね。早めに待機しておいてよかったよ」



ここにいたのは、わたしに用事があるからだとわかった。だけど質問の答えになってない。



「場所を変えようか。見せておきたいものがあるんだ」



そう言う成見に付いて行くと、コンビニが併設された休憩スペースに案内された。

昼時で混雑しているが満席というわけでもなく、隅の空いた四角いテーブルに腰を下ろすことができた。


イヤホンを渡される。

耳につけるように言われたけれど、イヤホンにはコードがついていない。



「何これ?」


「心配しなくても音は聞こえてくるから」



半信半疑で小さな塊を耳に装着する。

渡されるままにスマートフォンを手に取ると、成見は画面下の三角の印に指で触れた。


いきなり聞こえてきた音声に肩がびくりと跳ねる。同時にスマートフォンの画面いっぱいに映し出された映像が動き出した。


そこに映っていたのは、顔を腫らして涙目になった男。固定カメラで腰から上を撮っているのだろう。動画にぶれはなく、灰色の背景から撮影した場所を特定するのは難しそうだ。


男はどもりながらたどたどしい口調で白状していく。


自分の仕出かした罪。恐喝、万引き、強姦——。

日奈守と春成木に喧嘩をふっかけたのは自分たちです。調子に乗ってすみませんでしたという謝罪。

続いて今後もし近隣の街に手を出すようなことがあれば、この動画をネットで流して構わないという承諾。

男が自分の住んでいる場所と名前を言って、画面は切り替わった。



「カンペ使ってるだろ。話しているときに一点を見つめすぎてる」



それが何の動画かは聞かなくても察した。

綾音に暴行したやつらの顛末だ。



「仕方がないよ。そうでもしないと時間がかかりすぎる。ちなみにあと8人分あるんだけど、見る?」


「いいよ、どうせ大差はないんだろうし。それにしてもよくこんな撮影に応じたね」



無駄にプライドが高い奴らなら意地でも抵抗しそうだけど……よっぽど怖い目にあったのだろうか。



「これは取引の一環だよ。動画を撮影する代わりに、社会と大人からこいつらに手を下してもらうのは保留ってことにしたんだ」


「……ああ」



奴らがこの先、皇龍やモノトーン、そして日奈守の街に手を出すようならば、ネットに醜態をさらされたあげく社会的な抹殺が待っているのか。



「お疲れ様。ありがとう」



あとで洋人にもお礼を言わないとと考えつつ、イヤホンを成見に返した。



「どうも」



気さくに返した成見と肩を並べて、綾音の病室へと歩く。

エレベーターで6階に上がり、廊下に出たところで立ち止まった。


思い出されたのは、港の倉庫にて怒れる春樹に殴られ、恐怖にひきつった男の顔だ。



「……やっぱり、近いうちに連中の動画全部見せて」


「いいけど、どうしたの?」


「痛めつけた全員が戦意喪失してもうこりごりだって思ってくれていたらいいんだろうけど。憎しみを隠して発言していて、今後捨て身で向かってくる可能性のある奴がいるかもしれないし、一応見極めておきたい」



成見たちが徹底的に牙を折ったなら問題ないかもしれない。それでも用心はしておくべきだ。

時間がやつらの憎しみを育てることも十分にあり得るのだから。



「そういうことなら、後日溜まり場で頼むよ。その手の懸念は有希と共有しておいてほしいし」


「そうだね」



うなずいて再び歩き出したわたしたちは今度こそ病室へ。


一昨日訪れたその場所で、緊張気味のわたしに構わず成見は病室のドアを全開にした。ノックはどうしたと注意する隙はない。

成見は構わずすたすたと中に入って行った。お前わざとやってんだろ。



「入る前に一言ぐらいかけたらどうだ」



わたしが言えなかったことを、部屋の中にいた人が代弁する。この声は有希だ。



「駄目だよ。そんな暇を与えたらためらってしまうから」



いけしゃあしゃあと言ってのける成見に続いて病室へと足を進める。わたしを見た途端、有希はおもむろに腕時計を確認した。



「何時だ?」


「11時25分。こいつにとってはこの時間帯も昼過ぎとみなされるらしい」



時間を聞いた洋人に有希は余計なひとことを付け足してて答える。菜月もわたしを見上げてきた。



「春樹の言ったとおりね」


「……なんて言ったの、あいつ」


「大したことじゃねえよ。お前がわざわざこんなクソ暑い日中に、外を動き回らないだろうと予想しただけだ。朝方の気温が低い時間に出たなら午前中にここまで来れるだろ」



手洗い場から出てきた春樹が水で濡れたタオルを綾音に渡しながら言った。



「言ったろ、夢じゃねえって。こいつはちゃんと会いに来たんだ」


「……うん」



受け取ったタオルを握りしめたまま、綾音の左目がわたしを見つめる。


右目には相変わらず眼帯をしているけれど、顔色は一昨日より格段によくなっていた。



「久しぶり」



とっさに出たあいさつは若干他人行儀になってしまった。



「ええ。久しぶり」



わたしに返した綾音もどこかぎこちない。


菜月が部屋の隅から椅子を持ってきてくれた。クッションに背を預けて座っている綾音に一番近い位置で腰を落ち着ける。隣には菜月、その横には成見が座った。

ベッドを挟んだ向かい側には春樹と洋人、そして有希が座っている。


全員が一か所に集合したのは、8カ月ぶりか。



「……恋愛感情は今まで自覚したことがないから、これからのことに、絶対なんて保証はできない」



様子をうかがっていると余計言いづらくなるので、思い切って綾音に告げる。誰の事とは言わなかったけど、伝わっているはずだ。


綾音は微かに目を細めてうなずいた。



「でもね、色恋沙汰を抜きにしても、友達として、仲間としてわたしはここにいたいし、春樹の役にも立ちたい」


「……うん」



静かに相槌を打った綾音は穏やかに微笑む。


周りの仲間は傍観の体制をとり、誰も口を出さない。



「……わたしが春樹に感じていた不安は、結衣が春樹の隣にいなくても消えることはなかったわ」



綾音の笑みが自嘲気味なものになった。



「馬鹿なことよ。結衣がいなくなって初めて気づくなんて……。この不安な気持ちは誰だって少なからず持っているもの。消し去ろうとすること自体が不可能だって菜月に怒られて、そこでようやく悩んでいるのはわたしだけじゃないってわかったの」



照れてそっぽを向いた菜月の頭を成見が撫でた。



「わたしが、わがままで自分勝手だったの。先のことなんてわからないのに……。結衣と春樹の関係、それに自分のことも、あれからずっと考えたわ。それでね……結衣が春樹を好きになる可能性は確かにゼロじゃないけど、わたしはそれでもいいってことに気づけたわ」



そこまで思いつめなくてもいいだろうに。もういいんだと綾音に言おうとしたものの、真剣な目につい口を閉ざしてしまった。



「あのね、ほかの女なら絶対に嫌だけど、結衣とだったら、一緒に春樹を愛し合うのも有りだと思うの」



…………いやいや。


頬を赤くして上目遣いとか、綾音がするとすごく可愛いんだけどさすがにこれはいただけない。



「……おい、あんたの彼女、とんでもないこと言ってるんだけど?」


「さすが綾音、そこらの奴とは包容力がケタ違いだ」


「惚気てないで止めようよ! あんたも当事者だろうが!」



ベッドを挟んで正面に座る春樹は腕を組んで満足そうにうなずいている。その余裕が非常に癪だ。



「ああ? 俺は綾音の懐の広さに感動しているだけだ。妻だろうが愛人だろうが、そんな立場でてめえが俺の隣にいるなんざ……うげ、死んでもごめんだな」


「こっちだって土下座されても願い下げだ!」


「大丈夫よ結衣。春樹を説得する日が来たらわたしも協力するわ」


「しなくていい! お願いだからおかしな方向で話を収めようとしないで!」



なぜだ。どうしてこの場で焦っているのがわたしだけなんだ。


洋人と有希はまたやってるよって感じな目で見てくるし、成見は菜月の背中に顔をうずめて肩を震わせている。

空気を読んで必死に笑いをこらえているのだろうが、これはいつ爆発してもおかしくない状態だ。



「——なっちゃん!」


「そんな呼び方しても駄目よ。今回ばかりは助けないから」



頼みの綱だった菜月も冷たい。この場にわたしの味方はいないらしい。



「綾音、そんなところで気を使わなくていいから。というよりもそんなもしもの想定はいらない。こんな人使いの荒い俺様と私生活 一緒にしたいなんて、わたしが一生望むことなんてない。生涯かけて誓えるよ」


「俺だってこんな自由奔放すぎる放し飼いでしか生きられない猫なんざ、家の中に置きたいとは思わないな。こういうやつは外で会うぐらいがちょうどいい」


「そう思ってるなら綾音を止めろ!!」


「ぐはっ!」



成見が噴き出したところで一時休戦。


ひいひいと笑い続ける成見は菜月に任せるとして、考えは同じなのになぜか喧嘩腰になってしまう春樹はどうしたものか。

ふんぞり返った態度がとてつもなく腹立たしい。


春樹を睨んでいると、綾音がわたしに向かって身を乗り出してきた。上体をこちらに預けるように、綾音と体が密着する。


綾音に抱きしめられたのは、いつぶりだっけか。



「不思議ね。あれだけ怖かった周囲の人たちのうわさや視線も、悪口も陰口も嫌みだって、今はなんにも気にならないの。そんなもの結衣がここにいないことに比べたら、意識するに値しないわ」



耳元でささやかれるのがくすぐったい。


綾音の肩にあごを乗せて背中をぽんぽんと軽く叩いたら、抱きつく腕に力が入った。



「ねえ、わたしもここが好きなの。結衣と春樹と、みんながいてくれる、この場所がいいの。わたしも強くなるから。結衣が、ここにいる誰もが心を砕かなくてもいいぐらいに、強くなってみせるから——」



一緒にいたい。離れたくない。そう望むのは簡単だった。


だけど個々の者が希望を押し通すだけでは、願いは同じであっても意見は衝突する。強く思い合えば思い合うほど、なおさらに。

人の気持ちに気づいて、思いやり、覚悟を決めて、大切なものだけを掴む。仲間と共にあるために重要なことを、改めて思った。



「いつまでそうやってんだ」



春樹が片手で軽々と綾音をベッドの中央に戻す。不機嫌そうな顔つきに先程の留飲が下がった。



「うらやましいだろ」


「お前本気で黙れ」


「ようやく一段落つきそうな時にそうやって食ってかかるなふたりとも」



睨み合いは有希の仲裁で終了する。


くすくすと笑う綾音にも毒気を抜かれてしまった。



「にしても長い喧嘩だったな」


「言わずもがなに新記録更新ね」



しみじみと漏らした洋人に、菜月までもが遠い目をする。



「次があったら、ひょっとすると年単位の戦いになるかもね」


「あほか二度と塗り替えんじゃねえこんな記録」



面白そうに成見が言うも、洋人が釘をさしてきた。


この空気がわたしは好きだ。仲間と作る、この空間がいいんだ。


高校に入学した時には予想もしなかったけど。


みんなの声で実感する。



——戻れた、と。



「結衣」



綾音が自らの首にかけていたペンダントを外し、チェーンをわたしの頭に通した。


手に取ったペンダントトップは、シルバーのプレートだった。


描かれていたのは黒猫のシルエットと、『YUI』というわたしの名前。



「おかえりなさい」



優しく微笑む綾音に照れくさくなって下を向く。本当に、長い家出だった。



「……ただいま」



小さく呟いたつもりだったが、綾音にはばっちり聞こえていたようだ。


再びわたしに抱きついて来た綾音を見てしかめ面をした春樹を、成見がからかって遊んでいた。






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