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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【モノトーン編 下】
81/208

22.再び⑷





ギスギス感はなくなったとはいえ、倉庫内の空気は相変わらず息苦しい。

一息つくために、わたしたちは外へ出た。


屋外は傾いた太陽が背の高い倉庫にかくれて長い影ができていた。海からの風が汗ばんだ肌を冷やし心地良い。



「よお」



洋人の声に、凍牙が片手を挙げて応じた。



「助かった。多分お前が今日一番の功労者だ」


「それを言うなら、機転を利かせて凍牙に一報よこした俺も評価されるべきなんじゃないかな」



凍牙との間に立った成見に、すかさず洋人が突っ込む。



「てめえはただ自分が楽したかっただけだろうが」


「結果として楽になったかはわからないよ。俺の仕事はこれからみたいだし」



舌なめずりしてにやりと笑う成見から、一同は露骨に視線を外す。

楽かどうかは別として、成見がこの展開を楽しんでいることは間違いないだろう。



「連中の顔だけ確認してもらえないか。中学が同じだったやつらを結衣のところに誘導したやつがいたら、成見に言っておいてほしい」


「ああ、それがあったな」



有希の頼みを凍牙は二つ返事で引き受けた。

成見と凍牙が倉庫へ入るのを見届けながら有希に聞いてみる。



「どうしてわたしに聞かないの? それ」


「興味がないものに関しては記憶力が働かない結衣よりも、水口のほうが人の顔を覚えるのは得意だろうと思っただけだ」



当然だとばかりに言い切られてしまった。外れじゃないのが悔しい。


皇龍が手配したワゴン車が倉庫に乗り入れる。加害者連中を移動させるためだ。

洋人も成見と合流し、日暮先輩たちと話をしていた。


倉庫の外ではモノトーンの所属者に案内された数人の女性が、それぞれの彼氏と再会し抱き合っていた。

怖かった、よかったという言葉と泣き声を聞きながら、有希は密かに鼻で笑った。


有希をたしなめるつもりはない。

わたしだって今の気持ちは有希に近い。

それを言葉にして彼らに伝えないのは、心の中に抱くものがただの僻みだと自覚しているからだ。


彼女たちは無事でも、綾音は無事じゃなかった。



「よくもまあこれだけの人数を一度に攫えたものだな」



皇龍の人間が近くにいないなら、猫を被る必要がない。有希の冷ややかな口調には本性が出ていた。



「皇龍の拠点は関係者が経営してるとはいえ、街で人気のクラブだからね。チームとしての活動とプライベートの線引きに失敗したら、いくらでも皇龍所属者の友好関係は外に漏れてしまう」


「拠点となっているところからの情報流出か。皇龍は街ひとつ統率していると聞いていたが、テリトリー内でも敵は多いのか?」


「敵意よりは、嫉妬からきたのだと思うよ。皇龍の彼女ってことで、アークの中で幅を利かせてたんじゃないの。それを面白く思わない人間は、少なからずいただろうし」



ただアークにいて、たとえ会えなくても恋人の近くにいたいだけ。本人たちにとってはその程度の認識だったとしても、周囲から羨望を集めるには十分だったはずだ。


夏休みのアークで起こる女のいざこざが、思わぬ形で弊害となってしまったということだ。



「情報提供の容疑者はアークの客全員。彼女たちの目撃情報を流した人の特定は難しいだろうね」


「何を言ってんだ。加害者連中のスマホから履歴を吸い取れば一発だろ」



なるほど、そういう手もあるのか。


感心するわたしを有希は目を半眼にして見つめてくる。



「……いい加減に連絡手段を持たないか?」


「まだなくても大丈夫だよ」


「どこがだ。現に今日俺が走り回るはめになっただろうが」



戻ってきた凍牙が話に割り込む。

有希にはほらみろとでも言いたげな顔をされてしまった。



「これから有希はどうするの?」



2対1だと分が悪いので早急に話題を変える。

逃げ方があからさまだったものの、有希はわたしの方向転換に乗ってくれた。



「俺はここで待機だ。残党がまだいるかもしれないというのもあるが、拠点に人がいなくなるのは避けたい」



春樹に代わる司令塔は、確かに有希が適任だ。



「用事が終わったのならこいつ持って行くぞ」



凍牙に軽く襟首を引っ張られる。



「どこにだ?」



問いかけるものの、有希はさして興味を示していないようだった。



「鈴宮のいる大学病院だ。武藤いわくここまで来て咲田に会わずに帰るのは不公平だと」


「あー行け行け。さっさと行って怒られてこい」


「……ちょっとそれは適当すぎない?」



なぜだ。

半年ぶりの有希はわたしの扱いが雑になった気がする。






その後、仲間に呼ばれて有希はわたしたちから離れた。人と話して指示を出したかと思えば、かかってきた電話に対応している。

一気に忙しそうになった有希が立ち尽くすわたしにしっしと手だけで追い払う仕草をしてきた。


スマートフォンで通話する有希に声はかけず、手を振る身振りだけで挨拶をして、凍牙に市内の大学病院まで送ってもらう。


太陽が傾いて、夕焼けで空が綺麗に染まっている。半袖のTシャツでバイクの後ろに乗っていたが、風は少し肌寒く感じた。


病院の玄関前に到着しても、凍牙はバイクから降りようとしなかった。



「あとは自分で帰ってこれるな」



確認するように言われたので少し考えてからうなずく。

所持金はゼロ円だけど、まあ努力すれば帰れないことはない。最悪の場合は涼くんを頼るとしよう。



「だったら俺は行くぞ」


「うん、ありがとう。今日の埋め合わせ、いつにする?」



本来ならこの時間はふたりで街をぶらついていたはずだった。

わたしの事情で予定が狂ったのなら、次は凍牙の都合に合わせて決めるべきだ。

質問に軽く目を見開いた凍牙はじっとわたしを凝視してくる。



「武藤たちに何も聞かずに決めていいのか?」



まるでわたしのこと全部を春樹が管理しているような言い草だな。



「問題ないよ。こういうのは先に決まったものを優先させるから。バイトがなくなったから、今のところ8月中はいつでもあいてる」



虚を突かれたように凍牙は固まった。

おかしなことは言ってないはずだが、そんな顔をされると不安になってしまう。



「……次の金曜日の夕方6時、雨知らずで」


「了解」



ヘルメットをかぶった凍牙はバイクのエンジンをふかす。



「あの、ありがとう! ……本当に」



体に響く重低音に負けないぐらい大きな声で、もう一度凍牙に言った。


そんなひとことで表しきれないぐらい感謝しているのに、これ以上の伝え方がわからない。

代価のいらない、ただ一方的に何かをしてもらうことに対するもどかしさはどうも苦手だ。


言葉が続かないわたしに、凍牙は黒いグローブをしたこぶしを突き出す。


つられたように握りしめた手を前に出すと、ふたつのこぶしが軽く打ち合う。

わたしが手を引っ込めても、なおも伸ばされた凍牙の手がノックするようにわたしの額を小突いた。


ずるい。と心の中で呟いたが、何がずるいのか具体的な説明はできそうになかった。






      *






バイクで走り去る凍牙の後姿を見送って、いざ病院に入ろうと振り返る。そして、硬直。


正面にある自動ドアの向こう。透明なガラスを挟んで見える受付ロビーには、腕を組んでこちらを睨む菜月がいた。

一文字に結ばれた口と醸し出す雰囲気が、彼女の怒りをひしひしと伝えてくる。


回れ右をして逃げたい衝動を抑え、急に重たくなった足をゆっくり動かし自動ドアをくぐる。

受付を待つ人が外からは見えないように設置されたパーティションの前へ、恐々と様子をうかがいつつ歩み寄った。

長身の菜月に怒った顔で見下ろされるのはなかなかの迫力だ。



「ひとまず屋上行くわよ」


「へ?」


「今、あんたの苦手な綾音の父親が来てるから、病室には行かないほうがいいの。だから屋上。嫌って言っても連れていくわよ」



言いながら菜月は逃がさないとばかりにわたしの左手首を掴む。

エレベーターへと引きずられて屋上に連行されるまで、互いにひとことも話さなかった。


洗濯機が数台備えられた小部屋の横を通って行き着いた屋上には、規則正しく物干し竿が並んでいた。

ちらほらとタオルや衣類が掛けられている。風になびいてコンクリートの地面に落ちている洗濯物もいくつかあった。


わたしたちと入れ違いで、洗濯かごに干していた服を回収した女の人が出ていく。ほかに人はいないようだ。



「綾音は全身殴打されて、肋骨を2本骨折。肺や内臓に傷がなかったのが不幸中の幸いで、こぶしが直撃した右目は視力の完全な回復が見込めないそうよ」



忌々しげに菜月は続ける。



「10人弱の男が寄ってたかって、その程度で済んだってのは、ある意味よかったことなんでしょうけどね。……あいつら、絶対に許せない」



握られた手を震わせる菜月の怒りはもっともだ。


集団の男がひとりの女を暴行し、その程度。

全身に殴打された跡があることからも、暴力にさらされた直後に春樹たちが駆けつけたのではなかったと推測できる。


男たちが本気を出せば、綾音の体なんて拳のひとつで取り返しのつかないことになっていても不思議じゃない。

「その程度で済んだ」ということは、つまり奴らは、綾音をいたぶって遊んでいたってことだろう。


逃げる獲物を追い詰めて、抵抗を力でねじ伏せる感覚に愉悦して。狩りのように、ゲーム感覚で。



——本当に、虫唾が走る。



「処理は成見と洋人が行ってる。どう軽く見積もっても、この先幸せになることはないだろうね」



あいつらはやりすぎた。

わたしたちの逆鱗に触れて、取り返しのつかない域に足を踏み入れたのだ。


成見が奴らにすることは、法律や倫理、慈悲に道徳心といったものからかけ離れた行為になると予想できる。それでも、わたしたちは止めない。止められない。


善人が「お前たちは間違っている」と言うならば、「知っている」のひとことで一蹴する。やつらの末路を、決して成見と洋人だけに背負わせるつもりもない。


どんなにゆがんでねじ曲がっていても、これがわたしたちの総意だ。


涙を溜めて赤くなった菜月の瞳にも、ためらいはなかった。



「……わたしは結衣みたいに、人に敏くないの」



乱暴に手で目元をぬぐった菜月が絞り出した声は、とても小さかった。



「あんたも綾音も、悩み事があったところで隠されてたらわからない。あんたたちに限界がきて、感情が爆発するまで、わたしはいつも蚊帳の外よ」


「……うん」


「いつもいっつも、あんたは全部のことが終わってからしか何があったか報告しない。一緒に悩むのは駄目なの? いなくなる前にひとことくれるぐらいできないの!?」


「……うん。ごめん」



眉を吊り上げてぼろぼろと涙をこぼす菜月に言い訳も何も言えなくなる。


心配をかけて、不安にさせた。たくさん傷つけてしまって、見放されても仕方がないのに。


菜月は怒って感情をぶつけてくれる。わたしを見て、話してくれている。


そのことが今は——。



「すごく嬉しい」


「あんたちょっと黙んなさい!」



正直な気持ちを伝えたところ、さらに怒られてしまった。




日奈守市街が一望できるよう設置されたベンチにわたしと菜月は並んで腰を下ろす。

ふたりの間に距離はなく、互いの肩が触れ合っていた。


夕焼けに貯水タンクの影が足元まで長くのびる。時折吹きつける風が涼しい。蒸し暑い日中と打って変わって、過ごしやすい環境だった。



「菜月はさ、わたしと成見がふたりでいて、不安になったことってあったりするの?」



中学3年のとき、怖くて聞けなかったことだ。


菜月はじっと前を見つめたまま、わたしのほうへともたれかかってきた。



「あるわよ。そんなの、成見と関わりだしてから何十回と悩んできたわ」



あっさりと告げられたのは、わたしの知らなかった菜月の一面だ。


……わたしだって、菜月が言うほど敏い人間じゃないよ。



「どう考えても、わたしよりもあんたのほうが成見に近いって確信してるわ。なんで成見が結衣よりわたしに近づこうとしたのかとか、小学校のころは散々疑ったし、自分でいいのかって悩んだわよ。成見が結衣に心変わりする日が来るんじゃないかなんて、常に思ってたわ」



話を聞いていて、体の中心に重く冷たい何かがのしかかるような錯覚がした。胃が苦しい。


不安になって菜月の顔を見れば、彼女は目を細くして苦笑する。そして、ゆっくりと首を横に振るってから、話を続けた。



「でもね、成見が近くにいるのが当たり前になってるって思った時に、ふと考えてしまったの。そうやってわたしが成見を疑うのは、わたしを大切にしてくれている彼に対する最大の侮辱なんじゃないか——って」



そう思わない? と首をかしげられて、答えに迷う。


これはすさまじい惚気だ。成見に教えたら調子に乗りそうだな。

自嘲気味にはにかむ菜月の頬は赤くなっていた。



「ま、こうやって割り切れるようになったのは本当にごく最近なんだけど。結衣が気づいてなかったってのなら、自分自身に拍手を送っておくわ」


「……気づけなかった」


「いいのよ、それで。結衣とは一緒にいたい。成見とも離れたくない。不安に駆られず幸せになりたいって、ずっとずっと欲深く求め続けた結果だもの。全部の願いをかなえる方法は、成見を信じることのひとつで十分だったのよ。だったらとことん信じ続けるし、あんたにどうこうしろなんて望まないわよ。だから、もう勝手にいなくなるのはやめてちょうだい」



悩んでいたのは、綾音だけじゃなかった。

菜月だって心の中でずっと葛藤していたんだ。



「……ごめんなさい」


「謝罪は受け取っておくわ。次があったら成見と結託してどこにも行けないように縛りつけてやるから」


「それはほんとに勘弁してください」



冗談に聞こえないのが怖い。

しばらくぶりの菜月が成見に影響されまくっているのは気のせいか。



「……高校はどうなの。寂しくない?」



しかし心配性なところはちっとも変わってないみたいだった。



「平気。凍牙がいてくれたし、友達もできたよ」


「そ、ならいいわ。少し悔しいけど」



そう言う割には、口調は嬉しそうにはずんでいた。




それからしばらく、菜月とお互いの学校のことを喋り合った。


朱色の空が次第に藍色に変わるころ、菜月のショルダーバッグから断続的な機械音がした。スマートフォンのバイブだ。



「春樹からよ。綾音の父親が病院を出るらしいわ」



その言葉に立ち上がり、フェンスへと近づく。正面玄関は屋上から見下ろすことができなかったが、しばらく前の道を観察していると黒塗りの縦に長い車が病院から出ていった。



「わたしも帰るわ。明日は朝からバイトだし」



ベンチから立ち上がった菜月が吹っ切れたように言った。



「綾音の病室は615号室よ。顔ぐらいは見て帰りなさいね」


「……一緒に行かないの?」


「甘えてないで春樹とだけでも決着をつけてらっしゃい。また喧嘩になったらいくらでも愚痴は聞いてあげるわ」



すたすたと先に行ってしまうかと思われた菜月は、屋上を出る手前で振り返った。



「また決裂したからってひとりで逃げるんじゃないわよ。そうなったら本気で成見を差し向けるから」


「しばらく見ないうちに成見の使い方が上手くなったね」


「そこは使い方じゃなくて頼り方って言いなさい。人聞きが悪いわよ」



どっちだって同じだ。


菜月は誰に対しても昔からこんな感じで接してくる。

幼稚園からの付き合いだけど、当時からわたしがどんなに周囲から異質に見られようとも、菜月の態度はずっと変わらなかった。

お姉ちゃん気質で面倒見がよくて、いつもまっすぐな人。そんな菜月に、わたしは何度も救われてきた。


屋内に入ろうとする菜月に駆け足で追いついて腕をからめる。



「大好き」


「はいはいわたしもよ」



流すように返されたけど、わたしが抱きついた腕は好きにさせてくれた。





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