7.魔女の片鱗(中)
翌日、わたしは昼休みの始まりと同時にマヤの元へと向かった。
マヤの席はわたしの席の右隣の列、前から2番目にある。
いつも原田さんのグループが集まる場所のすぐそばだ。
よくあんな悪意の近くで昼食を食べられるな。わたしだったら絶対に無理だ。
授業が終わってすぐに購買へと走る人は何人かいたが、大半の生徒はまだ教室内にいる。原田さんも席を外していて、彼女のグループのほかの人たちが机を合わせて昼ごはんを食べる準備をしていた。
本人が不在でも目撃者がいればまあいいか。
「昼、一緒に食べない?」
わたしの声が聞こえるのはマヤだけでいい。
ただしクラス全体に話しの内容がわかるように、弁当を顔の高さまで上げた。
「……いいのよ。気を遣わせてごめんね」
マヤが断るのも想定内。
だけど、わたしの安息のためにも今日はここで引かない。
横目で原田さんのグループの女子がこちらをうかがっているのを確認して、心の中でほくそ笑む。
「気なんて使ってないよ。ただ興味が湧いただけ」
「……何に?」
「マヤがどうして幼馴染さんと別れたのかってところに」
古傷というには、まだそんなに時間はたっていない。
でもね、わたしはその傷をえぐってでも、前に進みたい。
ここで遠慮したら、何も始まらない。
鳩が豆鉄砲をくらったごとくきょとんとしているマヤへと続けざまに言った。
「余計なお世話って言うなら、もうこの件に干渉しない。でも、感情に整理がつかなくて困っているなら、わたしを使って。愚痴でもいいから、マヤの話が聞きたい」
マヤはしばらく考えるように黙っていたが、やがて口を開いた。
「わかったわ。……でも、途中でわけがわからなくなるかも」
「それでいいよ。あ、でも、教室はやめよ。こもった空気のところでお昼食べるの好きじゃないから」
「いいけど、どこへ行くの?」
「外の、人がいないところ」
「……なんとなくだけど、結衣はいろいろな場所を知ってそうね」
「そりゃあもう。学校の敷地内は全部見て回ったからね」
マヤは誘いに乗ってくれた。一度出した弁当と水筒をカバンに詰め直す。そしてわたしと一緒に教室をあとにする。
やんちゃ系男子が慌てた様子だったが、ここはスルーしておく。
廊下ですれ違った原田さんが驚いていたけど、これも無視した。
*
昇降口の反対側にある校舎の陰で、二人横に並んで座った。
周りに人はいない。
もう少し行けば第二体育館なのだが、そこをマヤに案内する気にはなれなかった。
「確認しとくけど、別れは幼馴染さんから?」
「……ううん。わたしのほう」
「そっか」
喧嘩の末の突発的なものか。もしくは外部の意見が介入したのか。
どちらにせよ、マヤにはまだ元恋人に未練がありそうだ。
弁当を食べているあいだはお互いなにも話さなかった。
「……釣り合わないって、言われなくてもわかってたわ」
早々に食べ終えたマヤが、小さな声で呟いた。
「子供のころは、翔吾とふたりで泥んこになって遊んだけど。成長していくにつれて、彼はかっこよくなって、周囲から一目置かれる人になっていった。それでもわたしは、変わらずに接してくれる翔吾が嬉しかったわ。……嬉しくて、調子に乗ってしまっていたの」
マヤは泣いていなかった。
諦めたように、淡々と言葉を紡いでいる。
遠くを見つめる瞳は、過去の幸せな記憶を思い起こしているからか。
愛おしげな眼差しにふと影が差した。
「こんななんにもない普通の女、翔吾の隣にはいてはいけないって、みんなが言っているのよね……」
眉間にしわが寄って苦しそうな瞳とは裏腹に、マヤの口は歪んだ弧を描いた。
諦めの笑みを浮かべ、言いたくもない言葉を自分に言い聞かせ、無理矢理自分を納得させる。
今のマヤはいったい、なんのために苦しんでいるのか。誰のために我慢しているのか。
冷めていた頭が熱を持ち始める。
既視感がひどい。
……ごめん。
自分から聞きたいと言っておきながら、イライラが止まらない。
間違ってもマヤに責任はない。
これはわたしの問題で、済んでしまったことにマヤとその元恋人を重ねてしまっているだけだ。
わかってはいても、物申さずにはいられなかった。
「すごい男には、同じぐらいすごい女じゃないと、隣にいてはいけないの?」
「へ?」
「恋愛なんて互いの気持ちが第一なものに、部外者の口出しを真に受ける必要なんてないんじゃないの。延長上にある結婚にしても、当人たちと百歩譲ってその家族の問題だよ。マヤが釣り合わないって言うその幼馴染には、どんな人なら釣り合うの? 同じぐらい有名で、頭のいい女のひと? カッコイイ幼馴染と同じレベルの、可愛い人? きれいな人? レベルの釣り合いが取れたら、いい恋愛ができるの? ——その人たちは、幸せになれるの?」
畳みかけるように言いきってから、我に返る。
やってしまった。
そもそもマヤをお昼に誘ったのはわたしの意見をぶつけるためじゃない。マヤの話を聞いて、クラスの雰囲気を改善させる策を考えるためだろう。
どうしよう。
マヤの目が点になってる。
「ごめん、今のなし。私情が入りすぎた」
とりあえず、気持ちを落ち着けよう。
まくしたてるのではだめだ。
「マヤはさ、幼馴染さんの恥ずかしいところとかも、たくさん知っているんだよね?」
「……ええ、まぁ。時間だけは無駄に一緒に過ごしたから。幼稚園の時、背中にミミズを入れられて泣いてたりとか、取っ組み合いに負けて泣いて帰って来たら、おばさんに怒られて、いじけてわたしの家に家出してきたり……」
「もうその辺でやめてあげて」
聞いてるぶんには面白いけど、これはわたしが笑い話にしていい過去じゃない。
「マヤにとっての幼馴染さんと、わたしや周りが知っている幼馴染さんじゃ、視点が全然違うよ。ただ強くて、かっこよくて、すごい人じゃない三國翔吾という人を、マヤはちゃんと見てるんだから」
努力を知ってる。
恥を知ってる。
英雄のように祭り上げられた超人的な男ではなく、人間らしい一面を。
「マヤの見る幼馴染さんは、神聖視されていない。その視点は、幼馴染さんにとって貴重なものだと思うよ」
外見や能力じゃない。
共有した時間によって得られた安定なんて、何よりも誇れるものではないのか。
「ま、これはあくまでわたしの考えだし。幼馴染さんがどう思ってるかは知らないけど、聞いてみる価値はあるんじゃないの?」
マヤはなにも言わないし、首を振ることもしない。
ただじっと、わたしを見つめていた。
ひとまず第一関門は突破した、と。
交際云々についてはマヤと三國翔吾の問題であって、これ以上わたしは口出しのしようがない。
「さて、ここからが本題。わたしの考えは十分伝わったと思う。その前提で質問させて。幼馴染さんの隣にマヤがいてはいけないって、みんな言ってるってさっき言ってたけど。その『みんな』に、わたしは入ってる?」
あれだけ容赦なく発言したあとの、この質問だ。マヤはすぐに首を横に振った。
「みんなってのは、具体的にどこからどこまでの人をさしてるんだろうね。誰かに集まった署名でも提出された?」
「いいえ。それはないわ」
「『みんな』って単語を使ったのは、原田さん辺りかな」
あるいはそのグループの誰かという線もあり得るが……。
「どうしてわかったの?」
「大きな心当たりがあっただけ」
どうやらその他を勘ぐる必要はなかったようだ。
有名な人の恋人だったからといって、マヤは四六時中誰かに守られていたわけではない。
移動中の廊下やトイレ、下校時など。狙えばいくらでも二人きりになれる。
「幼馴染さんは、別れを切り出したときはどんな感じだったの?」
「すごく、怒ってた。そんなものは別れる理由にならないって。怒って、わたしの言い分も聞いてくれなくて。最後はわたしもむきになって翔吾のところから飛び出したの。翔吾とは、それっきり連絡もとってないわ」
「ごめん。それは痴話喧嘩にしか聞こえない」
「えっ」
いや、驚かないでよ。
この状態、三國翔吾側はマヤと別れたと思っているかも怪しい。
ひとまずこの二人は話し合いの余地があり、と。
だとすれば解決すべき問題はあとひとり。
さて、どうしてやろうか。
「正直言うと、わたしはマヤと彼氏さんが別れようがよりを戻そうが、別にどっちでもいい」
それこそ当人たちが話し合った末の離別なら、ここまでしゃしゃり出るようなまねはしなかった。
「ただね、今の教室の空気だけは我慢ならない」
「空気って、どういう」
「心配していますアピールなのか知らないけど、深刻そうな顔でマヤをチラチラ見てるだけの男子とか。普段目立ってるだけにあそこが葬式みたいな雰囲気になるとクラス全体が引きずられるてこと、あいつらわかってないでしょ」
「……なんというか、ごめんね」
「いや、別に言ってはみたけどそっちについてはあんまり気になってないから。それよりも、もっとタチの悪いのがいるよね」
「……わたし?」
「違う違う」
たしかにさっきマヤには言いたいことを言いまくってしまったけど、そうじゃない。
「人の不幸を楽しんで、優越感に浸ってる奴が不快なんだよ」
当事者であるマヤの心を揺さぶってでも現状を変えたいと思うぐらいに、あのいびつさは我慢ならない。
空気改善のためなら努力は惜しむつもりはなかった。
やるなら徹底的にやらせてもらう。
「放課後、空いてる?」
「……それは、今日の?」
「今日の」
「特別な用事はないけど」
「だったらちょっと付き合って。マヤにとっても悪いようにはしないから」
断る隙は与えずに、マヤを協力者に引き入れた。
これでいざという時の弁護人は確保——と。
これでもしものことがあっても、皇龍を敵に回すのは避けられる。
あとは……。
「3分待っていて。すぐに戻るから」
マヤを置いて、第二体育館へと急ぐ。
走りながら、シナリオを頭の中で組み立てる。
「凍牙!」
いつもの非常階段に、凍牙はいた。
総菜パンを食べていたようだが、張り上げた声に手を止めてこちらを見る。
「今日の放課後、バイトか親の危篤くらいの用事がなかったら時間を貸して」
「バイトと親の危篤はお前の中で同レベルなのか」
そこは今はどうでもいい。
「証人がほしいの。皇龍側じゃない第三者として、もしものときに証言できる人が」
「……何をする気だ?」
「現状を変える。そのために」
舞台を用意して、ターゲットの本音を聞き出す。
そして——。
「言質を取って、揚げ足も取る」
人の恋愛事情に安易な気持ちで口を挟まないよう、釘をさせたらそれでいい。
誰かの不幸によって成り立った優位性がどれだけ脆いものなのかを知らしめられたら万々歳だ。
「結局俺は眠れる獅子を起こしてしまったのか」
「背中を押したのは凍牙でも、決めたのはわたし。現状を変えるのは、あくまで自分の責任でやる。でも、こんなこと頼めるのは凍牙しかいない」
ただし、いざという時の保険は掛けておくにこしたことはない。
「で、俺が放課後の時間を貸す見返りは?」
そうきたか。
「……明日の昼の弁当……とか?」
「乗った」
しぶったように見えて思いのほか簡単に引き受けてくれた。
よし。これで、駒はそろった。
「ありがとう。よろしくお願いね」
この感覚は久しぶりだ。
手のひらの上で人を転がし、望んだ結末へと導くその過程を想像し、自然と顔に笑みが浮かぶ。
組み立てたシナリオどおりに盤面の駒が動く愉悦。
口に出して指摘されたことはあまりないが、きっとかつての仲間たちは、わたしが目標が達成されるまでの過程を心の底から楽しんでいたのを知っていたのだろう。
だから、あんなおかしなあだ名をわたしにつけてきたのだ。
さあ。
わたしは、自らの平穏のため、今一度、大魔王の手先と呼ばれた——。
————魔女に戻ろう。