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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【モノトーン編 下】
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20.再び⑵






倉庫内が騒然とするなか、からになったバケツを後ろに放り投げた。

水入りのバケツは中身を減らしたとはいえ、けっこうな重さがあって、底を支えた右手首に想定外の痛みが走る。そういや捻挫してたんだ。


プラスチックのバケツがコンクリートを転がる。

水浸しになった春樹は鬼の形相でわたしを睨んだ。



「目は覚めたか大ボケ」



返事はない。無言で凄まれたところで冷静じゃない春樹なんか怖くもない。

わたしの頭の中は不気味なほど冷めていた。



「少しは頭が冷えただろう」



挑発に挑発を重ねると、春樹は眉間のしわを深くした。



「場違いなタイミングで出てきた奴が、えらそうに抜かしてんじゃねえぞ」


「あほか。場違いなタイミングでわたしが出てこないといけない状況を作った奴が、えらそうに抜かしてんじゃないよ」



言葉遊びのように切り返し、わたしと春樹は睨みあう。

ピリつく空気にこの場がしんと静まり返る。

構わずわたしは春樹の後ろでうずくまっている男を顎で示した。



「これ以上やったら死ぬよ、それ」



手足を結束バンドで縛られた連中は戦々恐々と春樹の様子をうかがっている。戦意はすでに喪失しているようで、無駄にあがこうとしている者はひとりもいなかった。


春樹が捕らえられた連中に視線を移しただけで、何人かの肩がびくついた。



「こっちは殺そうとしてんだ。最後に死ぬのは当たり前だろ」



鼻を鳴らして言い切りやがった。馬鹿は殺意を隠そうともしない。

バケツの水一杯程度じゃ頭は冷えなかったようだ。



「あんた、こいつら殺して綾音になんて言うつもりなの? それともなんだ。わたしの知らないあいだに、人の生死を自由にできるほどえらくなったのか?」


「こいつらは綾音に手を出した!」



胸倉を掴まれて至近距離に来た精悍な顔。

視線は外さない。怒りに任せて怒鳴られても、わたしとこいつの感情の温度差を感じるだけだ。



「知ってる。……それで? 綾音をリンチした奴らを、自分の怒りを収めるために、息の根を止めると?」


「綾音と同等の苦しみを与えて何が悪い?」


「黙れ少しは考えてものを言え」



まるで自分は間違っていないという言い方が癇に障る。お前はこんなこともわからないほど幼稚じゃないだろう。


自分が今、誰に何を背負わそうとしているのか、いい加減に気づけ馬鹿。



「ふざけるのもたいがいにしろ。わたしの大切な人、人殺しの理由なんかに使ってんじゃないよ」



至近距離の睨み合いが続く。

わたしの襟元を掴む春樹の手は震えていた。



「あんた、綾音にクズの命を背負わすの? お前が手を汚した時点で動機に綾音が出てくることは避けられないんだよ。自分の鬱憤晴らすためにこんな連中に構うより、あんたは他にすることがあるだろう」



春樹の髪から滴るしずくが、わたしの顔に落ちた。

目の前にある瞳が揺れる。怒りで満ちていた表情の中に、迷いが見えてきた。



「あんた、自分の周りにいるやつのことどれだけ信用してないの。成見たちが情けをかけてこのクズどもを逃がすとでも思ってんの? 何でもかんでも自分でやらなきゃ気が済まないとか、いつからそんな自分勝手な独裁者に成り下がったのさ」



春樹の唇がかすかに動いた。理性と感情がせめぎ合っているようだけど、考える暇なんて与えない。


一番の被害者はあんたじゃないんだ。


痛かったのも、苦しかったのも、怖かったのも。


心細くて寂しいのだって、あんたじゃない。


春樹の襟元を掴み返して互いの額が当たりそうな距離まで顔を引き寄せる。腹が立っているのはわたしだって同じだ。



「なんであんたは今、綾音の側にいないの」



憤りをぶつけてやれば、春樹の顔は苦痛にゆがんだ。


わたしも春樹も言葉は出ず、瞬きをしたところで目を離すことなく時間だけが過ぎた。その間、倉庫内にはそれなりに人がいたものの、物音ひとつしなかった。


張り詰めた空気のなか、最初に動いたのは春樹だった。



「……くっそ」



苛立ちを隠そうともせず、わたしの服からぞんざいに手を放す。

次いで、わたしも春樹を掴んでいた手をほどいた。



「春樹」



機を見て有希が春樹に近づく。



「菜月から連絡があった。綾音の親父さんが病院に向かっているらしい。あの人は俺たちじゃ対応できない」



有希の報告に春樹は忌々しそうに舌打ちした。


権力志向の強い綾音の父親は、自分の娘ですら上にのし上がる道具にしか思っていない、そんな男だ。

どんなに綾音と親しい間柄であっても、鈴宮の家よりも社会的に力の弱い家系の者の言葉には聞く耳を持とうとしないだろう。


わたしたちの中では唯一、世界に通用する「武藤」の直系である春樹だけが話し相手になり得る。

今後綾音がわたしたちと一緒にいられるかどうかは、春樹にかかっているといっても過言じゃないのだ。


洋人が投げてよこした大判のタオルで春樹は自分の頭を乱暴に拭く。



「——成見、このクズ共を任せられるか」



そうそう。冷静になればそうやって適任者に指名できるのに、なんで頭に血が上ると自滅する方向に突っ走ってしまうんだろうな。



「いいよ。ちゃんと春樹の意思は引き継ぐから」



ぎらつく瞳に成見は本性をさらけ出す。春樹はうなずいて「頼む」と小さく言った。



「どうなるかと思ったが、とんだダークホースがいたもんだな。絶妙なタイミングで見せ場をかっさらいやがった」



話がまとまりかけていたわたしたちのもとへ、無精ひげを生やした男が歩み寄ってきた。

一見するとただの浮浪者だが、長い前髪に見え隠れしている目は鋭い。背格好と雰囲気からして、年は二十代の中頃と思われる。



「誰?」


「ストームの総長だった木谷さんだ。そこの連中を運ぶのに車を手配してもらったんだ」


「……ストーム?」



有希に説明してもらったら、初っ端から聞き慣れない言葉が出て来た。あれか、察するところ皇龍に似た感じで、日奈守にあるチームのえらい人か。



「ま、普通に生活している分では暴走族やチームなんざ馴染みはないよな」



言いながら木谷さんとやらがわたしに手をのばす。

初対面の男に頭をなでられる趣味はないので、後ろに下がって避けた。


わたしの反応に木谷さんは面白そうに笑った。



「度胸もあって警戒心も強いときたか。こりゃ飼い慣らしたら役に立つぞ。なあ武藤、今回の報酬にこの猫貰っちゃ駄目か?」



人を猫呼ばわりして、さらには物みたいに取引の材料に持ち出してくるとか、ちょっとからかいすぎじゃないか。



「やりませんよ」



いろいろ言おうと開けた口から声が出る前に、春樹がきっぱりと告げた。



「こいつ、うちの大事な猫なんで」



お前までわたしを猫と言うか、なんて不満は全部「大事な」のひとことに流されてしまった。


呆けていると、春樹はばつが悪そうに顔を背ける。



「こりゃ残念」



大して期待はしていなかったのだろう。木谷さんは両手を挙げるポーズをとって、あっさりと倉庫の中央にいる集団の中に戻っていった。


倉庫の出口へと向かう春樹から目を離す。


成見に顔を向けると無言で親指を立てたこぶしを掲げてきた。

有希は薄く笑ってわたしにうなずく。

打ち合わせもなく互いに距離を縮めた洋人とはハイタッチを交わした。


軽く手を合わせただけなのに、ぱんっという音は思いのほか大きく倉庫に響いた。


よかった。間に合った。


細く長く息を吐き出して、ようやく肩の力を抜くことができた。







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