19.再び⑴
「日奈守市」の標識を通り過ぎ、バイクは海を目指す。
この街には生まれた時から住んでいたけれど、港の旧倉庫街へ来るのは今日が初めてだ。
市街地から遠く離れたその場所で、凍牙はバイクを止めた。
大きく口を開けた倉庫の前。
バイクから降りたわたしが最初に見つけたのは、春樹の後姿だった。
エンジンの音は耳に入っているはず。なのにあいつはこちらに見向きもせずに遠ざかっていく。
距離が離れているというのに春樹の背中からは怒りがひしひしと伝わってくる。綾音のことが心配だ。
凍牙が手を差し出してきたので、脱いだヘルメットを彼に預けた。
灯りがついた目の前の倉庫から人が走ってきた。
懐かしい顔はわたしを見て息をのんだ。
「お前……、なんで」
言葉が続かない洋人に、わたしは春樹の背中を見ながら告げる。
「バケツに水、用意しといて」
「……は?」
「電気が通っているなら水道もあるだろ。なければそこの海の水でも雨水でも雑巾の絞り水でもいいから、とにかくバケツに水一杯!」
「お、おおう」
迫力に押された洋人は倉庫の中へと走った。
「あれ、高瀬じゃん……」
「……マジ? タイミング神がかりすぎだろ」
倉庫の大きな入り口から内部にかけて、ひらけた空間には軽く20人は超える数の男たちがいたけれど、注目されるだけで話しかけてくる人はいない。チラリと視線を走らせたら、見知った顔が何人か見つかった。
照明が照らす倉庫の中でもうひとり、久しぶりの人がいた。電話を耳に当てながらこちらを凝視している有希に駆け寄る。
「……なんで」
有希は驚いた表情をしたけれど、倉庫の外にいる凍牙を発見して、ある程度の事情は察したようだ。
「成見の仕業か」
ため息とともに、通話を終えたスマートフォンをポケットにしまう有希は肩から力を抜いた。
心のうちにあるのは安堵か諦めか。この状況ではじっくり問い詰めている時間もなさそうだ。
「綾音は?」
久しぶりの再会についての文言は飛ばして、単刀直入に有希に訊いた。
「リンチを受けて、病院に運ばれた。菜月が連れ添っている。無事とは言えない状態だ」
悔しそうに話す彼は、奥にある倉庫の壁に目を向ける。
「加害者は全員捕らえて2つ先の倉庫に入れてある。たった今春樹が向かったところだ」
「うん。後ろ姿は見たよ」
口をつぐんだ有希が言いたいことはなんとなくわかる。
「……病院に搬送されるとき、綾音は何度も、ごめんなさいと呟いていたそうだ」
「……うん」
「結衣が行きづらいなら俺たちが行く。暴走した馬鹿を止めるとなると骨が折れるだろうが」
これは比喩でも何でもないのだろう。
キレた春樹を力ずくで止めるのは相当の覚悟がいる。下手をすればどちらともが病院送りになりかねない。
「いいよ、気を使わなくても。わたしが行く」
そのためにここまで来たのだから。
こんな形で再会したくなかったけど、贅沢を言っている場合じゃない。迷わずに言い切ると、有希の険しい顔が少しだけゆるんだ。
「……そうか」
小さな声で呟き、どこかほっとしたように笑う。
「おら、これでいいんだろうが」
わたしの言いつけた通り、洋人が灰色のバケツに水をたんまりとくんできた。
足もとに置かれたそれを、わたしは無言で傾けて中身を減らす。
「てめえ何もったいねえことしやがる!」
「こんな大量の水、重くて持てない」
洋人がぎゃいぎゃい騒ぐのを無視して、中の水が3分の2程度になったバケツを持って倉庫を出た。
爆音に目を向けると、無数のバイクが近づいてきた。大群の後ろにはワゴン車もある。
皇龍か。ずいぶんと早い到着なことだ。
音につられて洋人と有希も倉庫から出てくる。
わたしたちを追い抜き、取り囲むような形で何台ものバイクが停止した。
皇龍とモノトーンとのやり取りは有希がするだろうし、わたしはバイクのあいだを通って目的地を目指す。
「結衣ちゃん」
「邪魔です」
ヘルメットを取った野田先輩に言い捨てて、2つ先の倉庫へと歩く。集団から離れた場所で、凍牙が待ち構えていた。
「有言実行か」
「できないことをわたしは言わない」
面白そうに、凍牙はくつくつと笑った。
「後世に残る笑い話になりそうだ」
そう言い残して凍牙は倉庫の隅に移動する。
後ろから大量の足音がして、皇龍の面子を避けるためだとわかった。
有希の示した倉庫内には照明がついていなくて、開けられた入り口から射し込む光でかろうじて視界が保てているようなところだった。
最奥の光があたらないところに春樹はいた。背中をこちらに向けて、胸倉をつかんだ男の腹に膝を入れる。
蛙が潰れるような声を出して崩れる男をなおも立たせ、顔に一発殴りつけた。
恐怖に震える男はひとりじゃなかった。10人ほどの男が地べたにはいつくばり、恐々と春樹を見上げている。
春樹のすぐ横には成見が控えていた。
いつになく真剣な面持ちで、成見はじっと春樹を見据える。限界を見極めているんだろう。
倉庫の中央付近には、また別の男たちが立ち尽くしていた。
不安を隠せない者。腕を組んで静観している者など、表情は様々で、よく見ればみんなわたしたちよりも年上っぽい風体だった。
春樹へと足を進めるわたしに成見が気づく。真顔が一転し、あくどい笑みを浮かべてきた。
顎で春樹を示し、早くやれと目で訴えられる。
わかってるよ。これはわたしの役目だ。
音を立てずに春樹へと歩を進める。
「おい」
あと3歩ほどで手が届くというところで春樹に声をかける。
そして振り向く瞬間を見計らい、わたしはバケツの水を容赦なく、怒りで我を忘れた大馬鹿者の顔にぶちまけた。




