16.心に杭を⑶
時刻は15時を回った。
時計の秒針の音を聞きながらカウンターに伏せる。
眠気はすぐにきた。
腕を枕代わりにしてゆっくりと瞬きを繰り返していたら、徐々に目を閉じている時間が長くなる。
適度な室温が保たれた快適な空間にまどろんでいたら、時計の針と違うリズムの音が聞こえてきた。
外から近づいてくるその音に、意識が覚醒する。
時間は長く感じたけれど、アスファルトを蹴って走る足音は、実際のところ2秒もしていなかった。そうして誰かが店の前で足を止めた。
勢いよく開けられたドアに、椅子から立って身構える。しかしさっきショッピングモールで声をかけてきた奴らの仲間かもしれないという予想は、見事なまでに外れた。
「……お前、頼むから携帯持て」
「…………高校卒業したら検討するよ」
店に入ってきたのは、汗まみれになって息を切らせた凍牙だった。
「よくここにいるってわかったね」
ひとまずバッグの中にあったハンドタオルを凍牙に渡す。
凍牙は無言で受け取ると額の汗を拭いた。
呼吸が落ち着くのを待って、渋い顔で前髪をかき上げる。
「お前のマンションに行っても不在だったからな。他に行く場所はここぐらいしか思いつかなかっただけだ。もしここにいなければアークに行って、三國さんを通して津月に思い当たる場所を聞くつもりだった」
「まあ適切な判断だね。さっきまではマヤといたし」
「探しまわる時間と手間は、お前が携帯を持つだけで解決するんだ」
「それと同時にいらない繋がりができてしまうなんてごめんだよ。っていうか、そんな必死になってわたしを探してたのはどうしてなのさ」
凍牙は舌打ちひとつで話を切り替え本題に入った。不機嫌な中にも焦りが感じられる。
「市宇から連絡があった。鈴宮が危ないらしい」
綾音に? そう聞いて一番初めに思い浮かんだのは綾音の父親の顔だった。
「家庭のほうの問題で?」
「モノトーン関係でだ」
どうして綾音が。彼女は今、モノトーンとは無関係を装っているのじゃなかったのか。
「武藤の元カノという立場の鈴宮を利用しようとしている奴がいる。おそらく西の連中だ。鈴宮を使ってモノトーンに濡れ衣を着せる目論見だとか、現場に向かう途中の市宇が寄こした情報で、やつ自身もはっきりしたことは掴みかねているようだ。なんにせよ鈴宮が危ない場所にいることは間違いない。武藤や鈴宮のことはゆっくり考えろと言ったが、正直それどころじゃない。最悪を想定してお前も動けと言付かった」
濡れ衣。
モノトーンに罪を擦り付ける。
……それはどんな罪だ?
綾音に目をつけて、いったいモノトーンを誰に対しての「悪」としたいのか。
順当にいけば警察かな。タレコミの通報をして、春樹を犯罪者に仕立て上げようとしているとか……でもなあ。
「罪を被せるにしても、西の奴らが警察を利用しようとするかなぁ……。本当だったらけっこう危ない橋渡ってるよ?」
悪いことをしている自覚があるなら、なおさら警察を避けようとすると思うんだけど……。
考え込むわたしの横で、凍牙がスマートフォンを開いた。成見から追加の情報が入っていたようだ。
「拉致した複数人の女を連れ込んだ場所に武藤を呼び出す計画を、鈴宮が潰した——だと」
「女? ……うわぁ……」
答え合わせのようなものだろ、これ。
頭の中が整理され、次々とパズルのピースが合わさっていく。
緊張に鼓動が速くなるのを自覚した。
首謀者は西で粋がっている馬鹿どもで間違いない。
奴らが敵とするのは、モノトーンとそして——皇龍。
ショッピングモールでマヤに声をかけてきた男は、わたしの顔を見て「モノトーン」と言った。
不審な男と出くわしたのは、タイミングが重なったのは偶然じゃなかったとしたら——?
「成見から最初に連絡があったのって、いつ?」
「小一時間ほど前だ」
時間軸を繋げて、成見の言うところの最悪を考える。
さっき会ったやつらと、今綾音の置かれた状況に関わる連中が繋がっていたのなら話は早い。
やつらが三國翔吾の彼女の立場にいるマヤを欲した理由もそこに見つけることができる。
「成見の伝えてきた拉致された女というのは、おそらく皇龍の関係者だ。敵は女の誘拐そのものをモノトーンに押しつけて、皇龍とモノトーンを潰し合わせようとしている。——というのが最有力か」
となると今ごろ皇龍側にも、モノトーンが皇龍の女を攫ったという情報が流れているかもしれない。
皇龍がモノトーンをどう思おうが、この際どうでもいい。
最悪は敵の術中にはまりモノトーンと皇龍が敵対することではなく、やつらの計画を台無しにした綾音に危険が及ぶことだ。
「市宇はお前に何をさせたいんだ。あれは鈴宮を助けるのを手伝えと言いたかったのか?」
「それはわたしの仕事じゃない。綾音を助けるのはあいつらが力でねじ伏せてやってのけるだろうし。最悪が起こった場合にわたしがやらなければいけないのは——、春樹を止めることだ」
綾音が無事ならそれでいい。だけど、もしもを想定して動くにこしたことはない。
あの馬鹿が暴走しなければいいだけの話だが、綾音のことであいつが冷静でいられるとは思えない。
日奈守へ行くにはここから電車に乗って約40分はかかる。
日奈守駅から春樹たちの元へ行き着くまでにはどれぐらい時間がかかるのだろう。
「成見から、モノトーンの拠点がどこにあるのか聞いてない?」
凍牙に聞いたものの、返事はため息で返された。
こっちが焦っているときにその態度はなんだ。
「こっちは真面目に急いでるんだけど」
「……いや、お前と形ばかりでも付き合い始めてから、少し思うところがあってな」
「何さ」
言いづらそうに凍牙は頭をかいてわたしから目を反らせる。そしてもう一度、ため息。
もったいぶっているというよりは言葉を探しているように見受けられたので、わたしも急かさず凍牙が口を開くのを待った。
「改めて確認するまでもないとは思うが、俺とお前の関係は対等だよな?」
「わたしはそう思ってる」
ここに上下関係なんてあってたまるか。
「だったら」
凍牙とわたしの視線が合わさる。
「関係が対等というならば、何も利害関係までイーブンにこだわる必要はないんじゃないのか。そもそも行動に対する対価なんざ金銭のような数字で表せるものじゃないんだ」
そうかもしれないが、その話がどこに繋がるのか見当もつかず首をかしげる。
まるっきり理解していないというわたしの態度はどうやら予想の範疇だったようだ。凍牙は気にせず続ける。
「ひとりで行こうとせずに頼れよ。俺はバイクの免許もバイクも持っている。お前を好きな時に望む場所に運べて、電車よりも遥かに小回りが利く」
なんとも魅力的な話である。だけど言いたいことを出してくるまでが長い。
いや、……長くさせてしまった原因はわたしにあるのか。
「それを言うための前振りが関係性の確認か」
「お前に提案するにはある程度の前提が必要なことは、十分すぎるほど思い知らされているからな」
ああそうだよわたしは理屈と公平な取引が大好きだ。
自分を使っていいと凍牙は言っているのに、なぜかわたしのほうが上手く使われている感が否めない。
意地になって断るのは簡単だけど、同じくらいに頭を下げる行為に抵抗を感じていない自分自身に気づく。
「お願い。春樹のところに連れて行って」
その言葉は自然とこぼれた。凍牙はかすかに目を細める。
「バイク取りに行くから待ってろ」
「ここから遠いの?」
「走って10分ほどだ」
言うのが早いか凍牙は飛び出すように店を出た。
10分というのは凍牙が行って戻ってくるまでにかかる時間だろう。炎天下の中、体力ゼロのわたしが一緒に行くよりもそのほうが早いと判断されたわけだ。
「……あ、そうだ」
不意に頭をかすめた思いつきに、慌ててドアに手をかける。
「凍牙!!」
走る後姿に大声で叫べば、何事かと驚いた凍牙は足を止めた。
「待ち合わせ、ここじゃなくてアークにしていい?」
「……何をやらかす気だ」
低い声を喉の奥から絞り出してきた。これは相当怪しんでいるな。
「釘をさすだけ。モノトーンと皇龍は根本的に違うものだと伝えて、疑惑そのものをなくす」
敵がモノトーンに着せようとしている濡れ衣を今のうちに消し去れば、両チームとも後々の関係は円滑になるはず。
わたし個人がマヤとの関係をこじれさせたくないという意図もあるけれど、何より春樹たちのために自分にできることはしておきたかった。
「……すぐに行く。いらん挑発だけは絶対するな」
「手を出してこなければ問題ないよ」
凍牙を見送ることなく、わたしもポケットから取り出した鍵で店を施錠し急いでアークに向かった。
カバンは持たない。走るのに邪魔だし、これからのことに必要なものは何も入っていないから。




