15.心に杭を⑵
◇ ◇ ◇
綾音と、彼女がハイエナとみなした男を乗せて走り出した車は、街中から日奈守市内を東へ移動していく。
商業施設の密集する一帯を抜けた途端、道を走る車の量が減った。車線も4本から2本へ切り替わった。
「どちらへ向かっているのか、そろそろ教えてくださらない?」
「心配しないで、もうすぐ着くから」
行き先をはぐらかされて数十分。車が到着したのは、もう何年も前に廃業したホテルだった。倒産後も解体されることなくそのままの状態で放置された建物は「お化けホテル」と称される心霊スポットとなっている。
ホテルは寂れた風貌を表の道路にのぞかせているため、市内に住む者なら一度は見たことがあるくらいには有名な場所だが、気味悪がって普通の人間なら近付こうとはしない場所である。
ホテルの敷地を囲むように設置された壁に沿って、車が小道へと曲がる。こじ開けられたフェンスの隙間を通り、ホテルの敷地へと入った。
完全に外からは見えない建物の陰で綾音は車から降ろされる。
正面入り口前のロータリー状になっているホテルの玄関まで、男2人に挟まれるようにして歩く。
ほどなくして、彼らの仲間が見えた。
車道と玄関を区切る低い段差に腰かけていた男3人が、綾音たちに気づいて立ち上がる。
「その女が?」
「ああ。武藤の元カノだ」
綾音は見下してくる5人の目線に少しだけ怯んだふりをする。隠し事は、悟られてはいけない。
「……あなたたちはわたしに、ここで何をさせようとしているのかしら」
「まあもう少しだけ待ってよ。もうすぐ人も揃うからさ」
ハイエナ男が気安く肩に触れる。なだめるように背中をさすられると鳥肌が立った。
それから数分もたたないうちに、綾音たちの来た方向とは別の道から二人組の男がやってきた。
「どうだった?」
期待を込めた眼差しで待っていた男たちが彼らに聞いた。
「駄目だ。一番いい餌になると思ったんだが、人違いだった。くそっ、あの女、紛らわしい情報教えやがって」
悪態をついた男が建物の柱を蹴る。
「……あの女?」
「ああ、ちょっとした情報提供者のひとりだよ。そこにいる女たちを邪魔に思っている奴らのこと。綾音ちゃんにとってはライバルでも何でもないから安心して」
男がホテルの内部を指差す。
ガラス越しに見える薄暗い建物内、受け付け用のカウンター前には2人の男が立っていた。
さらに中の男たちの足元には、数人の女子が座らされている。
綾音のいる場所からははっきり見えないが、おそらく全員手を拘束されている。皆が両手を背中にまわした状態で、身動きが取れない様子だった。
「受付の前にいる、彼女たちは誰なの? 5人ほどいるみたいだけど」
怪しまれない程度に、できるだけ詳しく見たことを口にする。
ハイエナ男は得意そうに顎で彼女たちを示した。
「全員モノトーンと敵対しているチームに恋人を持つ女だよ。使いようによっては、武藤の有益な駒に成り得ると思わないかい? 人質とか、脅しの材料とか……やりようによってはなんとでもできる」
にやにやと笑って囲んでくる男たちを前にして、綾音のこめかみに汗がつたう。これは暑さから来る汗じゃない。
「確かにそうかもしれないわね。それで、わたしはいったい何をすればいいのかしら?」
「簡単なことだよ。君はここに武藤を呼んでくれたらいい。武藤が来るころには俺たちは消えるし、あの女たちを捕らえた手柄は全部君にプレゼントするよ」
男の言葉に、再びホテルの内部を見る。
ガラスに隔てられた上に距離もあるため、綾音たちの会話はおそらくあちらに聞こえていない。
彼らの狙いを考える。
春樹たちが来る前に男たちはここからいなくなるなら……。
——つまり、彼女たちを攫った事実そのものを、モノトーンの仕業にしたいのでしょうね。
ガラスの向こうにいる男たちは、自らをモノトーンと名乗って彼女たちを誘拐した可能性が出てきた。
彼女たちがどこの誰の恋人かの真偽はともかく、攫ってきた男たちの目的は、春樹たちに誘拐の濡れ衣を着せることにあるのだろう。
「どうして……あなたたちは、わたしに手柄を譲ってくださるの?」
不思議そうに首をかしげて、綾音が男たちに訊いた。
「ここまであの人たちを連れて来るのも大変だったでしょうに。わたしなんかに渡さずにご自分で春樹に引き渡せば、モノトーンのあなたたちに対する評価も上がるはずよ。皆さんがモノトーンと敵を同じとするなら、春樹にとってとても心強い味方になるはず——」
ゴッと、綾音のスカートのポケットから低く歯切れのいい音がした。
「今なんか聞こえなかったか?」
不思議そうに綾音を見る男には、素知らぬ顔で受け流す。
——わかってる。余計なことはせずに話に乗ったふりをして時間を稼げと言いたいのでしょう?
「俺たちは手柄とかどうでもいいんだ。武藤にはそれなりの恩がある。だけどぶっちゃけ、こっちにも色々あって、表立って仲間になったりはできない立場なんだ。……そうだね、うん……。えぇ……と、それでも武藤の役に立ちたい俺たちは、こうやってコソコソ裏で動くしかないんだ」
その場で思いついたであろう理由を、ハイエナ男は名案だとばかりに続ける。
「ただね、俺たちは武藤のことはすごいと思って尊敬してるけど、あいつの周りにいる取り巻きどもが気にくわないんだ」
「……そうなの?」
「ああ。だからここで武藤の元カノの君が成果をあげて、やつらの鼻を明かしてくれれば俺たちはそれで満足なんだ」
周りの男たちも賛同してうなずきあう。
綾音は顔に笑みを浮かべたまま数秒固まった。
——彼らの思い描く武藤の彼女という人物像って、どういうものなのかしら?
——わたしはみんなに対しては何も思わない、薄情な女だと思われているの……?
綾音の前で、男たちは口々に綾音の仲間をけなす。
にこにこ笑って女のケツ追いかけまわしているキモい男。
綾音ちゃんを差し置いて、ひとりお姫様気取りでモノトーンに入り浸る高飛車女。
武藤の腰巾着の根暗男。
周りの金持ちどもにいいようにパシリにされていることにも気づけない、間抜けな貧乏人。
狭い世界で思い上がった、寄せ集めの、愚かな連中——。
「ああいうのを井の中の蛙って言うんだろ?」
「カエルじゃなくてカワズな。ちょっと難しい言葉使って頭良く見せてんじゃねえよ」
下品な爆笑がホテルのロータリーにこだました。
彼らが吐き出す、仲間を罵る言葉たちを前に、綾音に少しずつ不安が膨らんでいく。
騙すため。この場をしのぐため。わたしは今、ちゃんと笑えているのかしら。
正直者であろうとは思わない。
大切な人のためになら、自分を偽ることもいとわない。そんな女になろうって決めたのは、つい最近のことなのに。
本当にこれでいいのかと、心の中で何度も自分に問いかけた。これでいいと言い聞かせても、また同じ疑問が頭の中に浮かんでくる。
……笑っていていいの?
こいつらと一緒にみんなを嗤ったあとで、わたしは胸を張って、あの子と向き合うことができるの……?
迷いが生じたときから、きっと答えは決まっていた。
スカートの生地の上からスマートフォンを掴んだ。
「……ごめんなさい」
電話の向こうの相手に聞こえるようはっきりと口に出し、指で探り当てた電源ボタンを押した。
唇を噛みしめて、綾音は男たちを見上げる。
——これだからわたしは、少しの我慢もできない馬鹿だと言われるのでしょうね。
「ん、どうしたの?」
勝手に盛り上がっていた男たちのなかで、ハイエナが顔を向けてきた。
心臓が締めつけられて、足元がおぼつかない。
頭の中が白く塗りつぶされそうで、震えだした口元を力を入れて隠した。
怯えていることを悟らせまいと、意図して口の端を上げて感情と反対の表情を作る。
——そう。笑えばいいのよ。
わたしを含めた、ここにいるすべての人間を嘲笑ってやればいい。
「やっぱりこのお話、なかったことにさせていただくわ」
「えっ」
何を今さらと言いたげな、男たちの視線が綾音に集中する。
「わたし、春樹だけじゃなくて、彼の周りにいる人たちも大好きなの」
目を見開いたハイエナ男は、やってしまったとでも言いたげな渋い顔をした。
「彼らを陥れるような成果なら、わたしには必要ないわ」
「けど……いいのかい? せっかく武藤とよりを戻すチャンスを棒に振ることになるんだよ」
「そうね」
それはいらぬ心配よ。
だけどあなたたちに真実を告げる必要はない。
とはいえ、計画を知ってしまったわたしを、そのまま帰す優しい人たちでもないでしょうね。
「そうなっちゃうと、お願いが命令に変わるんだけど、君はどっちのほうが聞いてくれるかな?」
ハイエナ男が低い声ですごむ。
こちらのほうが本性というとこか。
そんな態度を取ってしまっては、モノトーンに誘拐の濡れ衣を着せるという当初の目的も達成できないというのを、こいつは理解しているのかしら。
行き当たりばったりの、浅はかな計画。
無駄に行動力があるところがネックになってしまっているけど、彼らの思考回路はとても単純だ。
「……あなたたちにはわからないわ」
大人たちに神童と言われながらも異端と畏怖される、あの武藤春樹の側に集う人たちが、普通なわけがない。
誰もが腹に一物を抱えているのは当然のこと。それでいて、みんなは優しくて、強い。
一途に菜月を想い続けるナル君の覚悟。そんなナル君の心を受け入れた菜月の愛情も。
春樹を陰で支え続ける有希君の努力。
ヒロ君の優しさだってそう。
何ひとつ、ここにいる男たちがみんなに敵うものなんてない。
嘘であっても、みんなが愚かだなんてわたしに言えるはずがないの。
「あなたたちは、どうあがいてもモノトーンに勝てない」
男たちの表情が一気に変わる。その怒気にさらされて、少しだけ綾音の溜飲が下がった。
震える手で、服の下にある首からつるされたふたつのプレートを握りしめる。覚悟はできている。綾音は自らに、死刑宣告を下した。
「こんなやり方で、春樹の風評を傷つけられるとでも思っていたのかしら?」
怒りを露わにした男たちが、綾音に歩み寄る。
小さいはずの足音がうるさいぐらい耳につく。
心臓が大きく鼓動する。
ごめんなさい。
みんなの顔が思い浮かぶたび、綾音は何度も何度も呪文のように唱え続けた。
ごめんなさい——、結衣。
あなたが戻るまでの時間ですら、わたしはあなたの代わりを務められそうにないみたい。
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