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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【モノトーン編 下】
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8.今も昔も間違いだらけ(上)





昨年の12月20日。あと2日学校に来れば冬休みを迎える、そんな日の放課後のことだった。


クラスに配布するアンケート用紙をコピーして、わたしは職員室から教室に戻ろうと廊下を歩いていた。

アンケートの内容は卒業文集に掲載するためのものだ。


クラス単位で作る卒業文集のまとめ役に、担任はわたしと春樹を指名した。9月の末まで生徒会で動いていたことも関係した人選だったのだろう。


わたしが職員室までコピー機を使いに行っているあいだ、春樹は教室に残って文集で挿絵を担当するクラスメイトたちと、今後の予定を立てていた。


人数分のアンケートを揃え、3階にある教室を目指す。

そんなとき、ふと職員用の昇降口から外を見ると、遠くに綾音の後ろ姿を見つけた。


校舎から離れ、グラウンドに向かって歩く綾音を不思議に思う。

授業が終わってからかなりの時間がたっていて、ほとんどの3年生はとっくに下校している。綾音だって例外じゃないはずだ。


文集委員で遅くなる春樹を待つとは聞いていない。

綾音がこの時間に、学校で何をしているのか。


胸の奥がもやもやする嫌な感じと少しの興味で、わたしは綾音のあとを追いかけた。

職員用玄関のロッカーの上に置いてあった誰かの外用のサンダルに履き替えて、グラウンドを目指す。


風が強く土埃の立つグラウンドでは、運動部の生徒が各部に与えられたそれぞれの場所で練習メニューをこなしていた。


綾音の姿はない。完全に見失ってしまったようだ。


グラウンド周辺で短時間に人の姿が見えなくなる場所を考える。

部活棟の裏側。あるいはグラウンドの隅にある、プールの陰とか……。思いついた場所に綾音がいなかったら、見間違いだとして教室へ戻ろうと決めた。



結論から言うと、綾音はいた。


そして、そこにいたのは綾音だけじゃなかった。

プールの壁と、グラウンドを囲むフェンスの隙間で、綾音が4人の女子と向き合っている場面に出くわしたのだ。


プールの壁側に女子たちが並び、綾音はフェンスに背を向けている。

人気のない場所で、どう見ても友好的なやり取りをしている空気ではなかった。



「何してるの?」



わたしの声に、全員が驚いてこちらを見た。

近づくにつれ、4人の女子は気まずそうに顔を背ける。



「別に。ちょっと話してただけだし」


「そ、そうよ。もう終わったから、わたしたち行くね」


「じゃ、鈴宮さん。そういうことだから」



女子たちは口々に言って、逃げるように去っていった。


綾音とふたりきりになって、わたしたちのあいだに沈黙の時間が流れる。


なんと切り出していいか迷いつつ女子たちのいた場所をうかがうと、ストラップが落ちているのを見つけた。


見覚えがある。春樹が綾音にプレゼントした、ピンクの造花のストラップだ。拾い上げると、造花と根付の接合部分がちぎれていた。



「……ありがとう」



無言で手渡すと綾音は両手で大切そうに握りしめ、肩にかけていたカバンの中にしまった。



「今の、何?」



女子が去ったほうを見ながら言うと、綾音が首をかしげる仕草をした。



「ちょっと意見が衝突しちゃっただけ。何かがあったわけじゃないのよ」


「ストラップを引きちぎられたのは、あいつらがした何かではないの?」


「大丈夫よ。わたしは問題ないわ」



無理に笑顔を作っていることはすぐにわかった。


わたしに知られたことが予想外だったのも、綾音がとっさに強がる原因なのかもしれない。だけどさっきの現場は、なんでもないと見過ごしていいものではなかった。



「本当に?」



追及すると、綾音は黙り込んだ。



「春樹に相談したほうがいいんじゃないの」


「話すまでもないことよ。こんなもの雑談のネタにもならないわ」


「そうは見えなかったけど」



ひた隠しにされて、わたしもむきになってしまったところがある。

綾音が踏み込まれることを良しとしない場所にまで、わたしは安易な気持ちで入ろうとしてしまったのだ。


苦々しくも笑っていた綾音の中で何かがはち切れたのは、その時だ。



「春樹の恋人に、わたしはふさわしくない。身近なところに春樹に見合う子がいるのに調子に乗るなって、そう言ってきたの。彼女たちは」


「……は?」



寝耳に水な話だった。

部外者がなぜ綾音にそんなことを言う必要がある。



「昔から、いろんなところで言われていたことよ。だから放っておいて大丈夫。……わたしも、ずっと思ってきたことだから」


「何を」



そんなことを誰が言っても、綾音が春樹の恋人である事実は変わらないはずだ。

相応しいかなんて、春樹と綾音さえよければ周りの反応なんて気にする必要はないだろうに。


不思議そうなわたしに、綾音は自嘲的な笑みを浮かべた。


やっぱりわからないのだと、その顔はわたしに言っているも同然だった。



「結衣は人の感情に敏感だけど、自分に向けられる気持ちに関しては例外で、ものすごくにぶい。……ううん、にぶいのではなくて、わざと目を閉じて気づこうとしない。違うかしら?」



わたしは綾音の言葉を否定はできなかった。

だって、周囲のわたしに対する評価なんて、気にしていてはきりがない。


腫れ物に触るように接してくる父と母。

わたしを見下して嘲笑う妹。

——高瀬さんちの子はみんないい子なのに、結衣ちゃんだけは……と、暇さえあれば井戸端会議を繰り広げる、近所の人たち。

扱いに困ってわたしが目の前にいるだけで緊張する学校の先生。

「自分と違う者」を遠巻きにして、隙を見せれば排他的な空気を作ってくる同級生たち。


畏怖や侮蔑の感情を際限なく享受できる心の余裕なんて、わたしにこれっぽっちもありはしない。



「だから、気づかないし、気づけない。わたしはずっと、春樹の隣に立つ結衣に嫉妬していたわ。結衣のことは大好きなのに、ずっとずっと……怖かったの」



綾音の悲痛な面持ちで打ち明ける。



「生徒会にいた時でも、春樹が結衣に仕事を任せるたびにわたしは無力さを痛感していたわ」


「それは春樹が綾音を大切にしているからだろうに」



傍から見ていても一目瞭然なほど春樹は綾音を溺愛している。


学校で問題があればすぐに家が動く綾音に、教員との危険な駆け引き混じりの交渉なんてさせたくないのはわたしも同じだった。

そういったことの適任者がわたしだという自覚もある。



「そうだったとしても!!」



寒空の下、綾音の叫びはもはや悲鳴に近かった。



「誰かを愛したことのない結衣が、もしも春樹を好きになったら。それを考えると、わたしはずっと、毎日気が気じゃなかった」


「そんなこと……」


「恋を自覚したこともないのに、あり得ないなんて言わないで」



興奮した綾音の目から、涙がこぼれ落ちる。

嗚咽を漏らしながらも、綾音は立ち尽くすわたしに訴えた。



「わたし……、結衣が春樹のことを好きになったら、春樹の恋人でいられる自信なんて、最初からないの」



その自信は、必要なものなのか。

足元がぐらつく。


わたしが春樹を恋愛対象として見るなんて、この先起こり得ることなのか——?


泣きながらも、綾音は笑う。



「人として、友達として、結衣のことはとても好きよ。春樹と結衣がふたりでいろいろ画策している楽しそうな姿も、とても好きなの。それなのに、わたしはあなたたちが一緒にいるところを見ていると、いつからか、醜い感情を抱くようになってしまったの」


「……醜い?」



綾音が? 本当に?



「こんなの、ただの八つ当たりだってわかってるわ。結衣は昔から何も変わってない。変わったのは、わたしの内面よ。どうして春樹の恋人はわたしなのかって、そんな周りの言葉にいちいち反応して。所詮は家柄かって言われても、なんにも言い返せなくて。そんなこと気にしなくていいって自分に言い聞かせても全然割り切れない。そうしているうちに、どす黒い感情がどんどん頭の中を埋め尽くしていくの」



なんて、綾音に言えばいいんだろう。それは杞憂だなんて、わたしには断言できるのか?


わたしは側にいるのが当り前となっている春樹のことを、今までどう思ってきた——?



「結衣に、わたしの気持ちなんてわからないわよ!」



悲痛に叫ぶ綾音に対して、わたしは否定も反論もできなかった。


わたしたちのあいだを冷たい風が通り抜ける。



「わたしがこんな女だってことは、春樹に言ってもらっても構わないわ。わたしなんて振られて当然だもの。……でも、さっきの人たちのことはお願いだから黙っておいて。これ以上、おかしな心配はかけたくないの」



動けないわたしを置いて、綾音はそこからいなくなった。


ひとりになって、忘れていた寒さがぶり返してくる。

グラウンドから聞こえてくる掛け声がぐらぐらに揺らぐ思考を現実へと引き戻す。


これじゃあ駄目だ。このままじゃいけない。


手に持っていた紙の束は風になびいておかしな折り目ができていた。

丸めるように持ち直して、春樹の待つ教室へ急ぐ。



「おせえ。どこで道草食ってた」



3年2組の教室には春樹しか残っていなかった。

わたしが教室に入るなり悪態をついた春樹だが、わたしはいつものように言い返せない。



「……何があった?」



席に座る春樹が異常を察して、怪訝そうに問い詰めてきた。

わたしは春樹の前まで足を進め、口を開く。



「文集委員、女子はわたしじゃないほうがいい」


「ああ?」


「わたしたち、距離を置くべきだ」


「……どういう意味だ」



春樹の機嫌は急降下していくが、そんなことを気にしてはいられない。



「生徒会が終わったところで、わたしとあんたは同じクラス。さらには文集委員なんて役職を一緒にしてると、周囲がおかしな勘ぐりをする」


「はっ、そんなもん今さらだろ。必要があるからこうやって放課後残ってんだろうが。俺も、お前も」


「文集のまとめ役なんてわたしじゃなくてもできるだろ」



鼻で笑う春樹に苛立ちが増す。

わたしの言いたいことはこいつに微塵も伝わっていない。



「お前いつから周りの目なんか気にするようになった。そんなもん勝手に言わせときゃいいだろうが」


「わたしやあんたが平気だったとしても、綾音はそうじゃない」



恋人の名前に春樹は眉をひそめた。



「……綾音は、気にしてる。周りの声を気にする綾音に、春樹は失望する?」


「そんなわけねえだろ。だからと言ってお前が離れてそれで解決か? くっだらねえ考え方しやがって」



人が真剣に訴えていることをくだらない、だと?


頭に血が上る。お前の考えのほうがよっぽど浅はかだろう。



「わたしは平気、あんたも気にすることじゃない。だから綾音も我慢しろってのは違うだろ! お前いつから綾音にそれを強要する人間になった!」


「だからといってお前が離れていくってのは明らかにおかしいだろうが!」


「それを言うなら他にどんな方法があるのか言ってみろ!」



白熱した言い争いは一度停止して、お互いに睨み合う。



「したくないものは嫌だ嫌だと拒否して、欲しいものにだけがっつく。対処方法も考えずに自分の欲ばかり押し付けて、お前は分別のつかない子供か」



冷やかに言うと、春樹は睨んできた目をそらした。


これが正しい道だと決めつけて、押し通そうとしているわたしも人のことを言えたものじゃない。わかっていても、綾音から不安を取り除くための何かしらの変化が欲しかった。



「……お前にわかるわけがないか」



ひとり言のような春樹のつぶやきは、わたしにもちゃんと聞こえていた。理解した途端に抑え込めていたはずの感情が溢れだす。


やるせなさ、怒り、悲しみ。


ぐちゃぐちゃになった心は、棘のある言葉しか吐き出せない。



「当たり前だ。わたしは春樹でも綾音でもないんだから」



わたしは綾音の悩みに気づけない、春樹の望みをかなえることもできない鈍感で自己中心的な、高瀬結衣という使い捨ての便利道具だ。



「今になって何言い出してんの。何年もずっと、そういう人間だってわかっていて、あんたはわたしを使ってたんだろ?」


「……少し黙れ」


「なにそれ? わたしから言葉をとったら何が残る? 道具は道具らしく必要な時に動いていればそれで満足か?」



春樹の顔が憤りに歪んだ。


そこからは妥協案が出ることもなく、長い時間睨み合いが続いた。

やがて空が暗くなり、最終下校10分前のチャイムが校舎に響く。

チャイムの余韻が尾を引くなかで、額に手を当てた春樹が大きく息を吐き出した。



「……もういい」



カバンを持って立ち上がった春樹は、わたしの手からアンケート用紙の束を奪い取る。それを教卓に叩きつけるように置いて、さっさと教室から出ていった。


また明日のない別れ。

喧嘩した時はいつもそうだ。


残されたわたしは自分のカバンを持って、職員室に向かった。


このままじゃいけない。


たとえ喧嘩に決着がついたとしても、もしも進学先でまたわたしと春樹が同じクラスになって、綾音が離れたら……。


可能性はゼロじゃない。

同じことを2度も繰り返してなるものか。


不安の芽は、今のうちに摘み取らなければいけない。




放課後の職員室で、帰路につこうとしていた担任を呼び止めて必死に説得した。

そして居合わせた柳先生の助言もあって、わたしはその日のうちに志望校を変更した。



次の日。学校に行くのが憂鬱で、ホームルームをさぼった。のんびりと1時間目の授業に間に合うように登校すると、文集委員の女子はわたしじゃなくなっていた。


冷戦状態になったわたしと春樹を、クラスメイトは遠巻きに見ているだけだった。


仲の良い者と喧嘩したからといって、わたしたちは別の違うグループに入ったりはしない。


こうなったらふたりしてクラス内で孤立するのが常だったのだが、今回ばかりは事情が違った。


休み時間、放課後と、春樹の隣には文集委員の女子がいた。



「悪いな。こっちの都合で」


「ううん。わたしこういうのまとめたりするの好きだから」



聞きたくないのに、席が近いせいで春樹とその子の会話が耳に入る。



「高瀬さんのこと、よかったら相談に乗るよ?」



声を潜めることもなく、ちらちらとこちらをうかがう彼女に居心地が悪くなる。



「いや、これは俺の問題だからな。それよりこっちの集計頼む」


「そう……わかったわ」



自分でこんな状態を作っておきながら、きっぱりと断った春樹に胸を撫で下ろした。

そんな自分に嫌気がさして、授業をさぼるために教室を去った。







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