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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【モノトーン編 下】
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6.狐に摘まれる(中)





「ガウディって知ってる?」


「スペインの建築家のことか?」


「……なんとかファミリアは?」



少し考えてから、凍牙は再び口を開いた。



「サグラダ・ファミリアならガウディの代表作のひとつだ」


「それ、吉澤先生のテストに出るかもしれないから」


「数学でそんな知識、どうやって出題させる気だ?」


「知らないよ」



カウンターに伏せた体勢で、顔だけを左側、三つ席を開けて椅子に座る凍牙に向けた。


外は晴天。日中の地獄のような暑さから外出することが億劫になり、なんだかんだ言いながらもわたしと凍牙は柳さんの店に居座り続けていた。


人と話していると、気が紛れる。

言ってしまえば、わたしはこうやって自分から逃げているんだろう。



「凍牙はさ、恋愛とかしたことあるの?」



何かの参考になればと思って聞いてみる。

しばらく前を見て記憶を振り返った凍牙は、やがて小さく首をかしげた。



「未就学児の時にあったかもしれないな」



それだけさかのぼっても確定できる恋愛経験がないなんて、あんたわたしといい勝負だよ。



「それってわたしの参考になると思う?」


「やめとけ。おぼろげな記憶だが、別の男に横取りされて終わったような気がしないでもない」



凍牙にそんな過去があったとは意外だ。



「俺なんかよりもよっぽど参考物件になって、なおかつ相談に乗ってくれそうなやつが身近にいるんじゃないのか。津月とはもう浅い関係というわけでもないだろ」


「それはそうだけど」



わたしが弱みを見せたところで、マヤは迷惑だとは言わないはずだ。

面白がって、誰かに吹聴するような人でもない。

そんなことは、とっくにわかってる。


慕っていた「好き」から恋の「好き」に変わる瞬間。幼馴染から恋人へと移った関係。


それらがマヤの中で数年越しに推移してきたなら、色恋沙汰に関してはわたしより遥かに経験者である。


嫉妬や好奇を含んだ周りの反応とも、ずっと戦ってきたはずだ。

恋愛に関してマヤの言葉は、わたしの理屈よりもはるかに重みがある。


経験に勝るものなんて何もないのだから。



「……会いたい、とは思ってるよ」



自分ひとりで考えるより、人に話したほうが思考の整理もつく。


だけどこれまで散々何も自分のことを言おうとしなかったのに、今さら困っているから助けろだなんて、マヤにとってはいい迷惑だろう。



「俺が思うに」



前置きしつつ凍牙は天井を仰いだ。



「あからさまに悩んで落ち込んでいるところを見せつけながら、気にしないでほしいの一点張りで何も話そうとしないというのは」



一息おいて、言葉のナイフでわたしの心を容赦なく突き刺す。



「かなりいらつくぞ。だったら最初から沈んだところを見せるな。もしくは愚痴でもいいから事情を話しやがれと言いたくなる。いらないプライドが邪魔して向きあえず、口実重ねて逃げ回ってるのはお前のほうなんだろ」


「あー……、否定できない」



何も言ってもらえないのは、つらい。


マヤはわたしに「話したい時」が来るのを待っていてくれている。


手探りでしか測れないふたりの距離で、あえて一定の間隔を保とうとしているのはわたしだ。



「……会いたいな」



今なら言える。ちゃんと、自分のことを打ち明けられる。

一度心が決まると、無性に彼女と会いたくなってしまう。


カプリスが休業中の今、マヤがわたしに会いに来ることはない。

そもそも相談はわたしがしたいのだから、こちらから行くのが筋だろう。


マヤに会うためには、アークに行って三國翔吾に取り次いでもらうのが一番早いか。


三國翔吾は許してくれるのかな。


……どうして会いたいのかから根掘り葉掘り聞かれそうで、考えただけで一気に腰が重くなる。



「櫻庭さん、三國さん経由の津月着でなら伝言できるぞ」


「どんな連絡網だよ。櫻庭先輩とおすならマヤの彼氏さんに直訴するほうがはるかにましよ」


「まあそれが妥当だな」



仕方がない。

その気になっているうちに行動しようとカウンター席から立ち上がるのと同時に、小さく戸を叩く音が耳に入る。

次いで、店のドアがゆっくりと開いた。


店主の都合でしばらく休業することを伝えようとして、口を開いたままわたしは固まった。


恐る恐る、店内をうかがうように外から顔を出したのは、今まで話題に上っていた——マヤだった。



「神がかったタイミングだな」



本当に。

さすがにこれは出来すぎてる。



「どこかで誰かが秘密裏に動いたとしか思えないね」



誰かの思惑を勘ぐらずにはいられない。



「有力候補はあの夫婦か」


「それより他にいないだろ」


「……なんのことかしら?」



こっちの話に置いてけぼりをくらっているマヤを手招きして店の中に誘う。



「よくここがわかったね」


「静さんが連絡をくれたの。しばらく旅行に行くから結衣のバイトはお休みになるし、その間はここに来れば会えるって。地図も添付してくれたわ。少しわかりづらくて、本当にここでいいのか不安になったけど」



いつの間に連絡を取り合う仲になったんだ、マヤと静さんは。



「今日の午前中を過ぎたら、会うのにはタイミングが必要になるって旦那さんが言っておられたみたいで、だからひとまずここに……」



凍牙が同情丸出しの目でわたしを見て来た。



「お前、完全に操られたな」


「なんとかしてあの人出し抜けないかな。嬉しいはずなのに素直に喜べないよこの状況」



ぎゃふんと言わせるまでいかなくていいから、驚かせるすべはないものか。


いつかは焦ったあの人の顔を見てみたい。



「吉澤先生に協力頼んで結婚式場で強制的に式でも挙げさせるか」


「スポンサーが揃えばぜひともやりたいね」



当日までは内緒で、会場に強制連行してのどっきりぐらいしてもばちは当たらないだろう。


凍牙はマヤに席を譲って、自分は調理場から持って来た丸椅子に座った。



「その連絡っていつ来たの?」


「一昨日だけど……。何かあったの?」



つまり一昨日よりも前から柳さんは、既に旅行の計画をしていたということだ。店を閉めての海外旅行ともなれば当然か。


そしてマヤもこのことを知っていて、わたしひとりがまんまと柳さんの術中にはまっていたこの事実。

今朝の柳さんを思い出してしまい怒りがぶり返してきた。



「結衣、どうしたの?」


「遊ばれたことに立腹しているだけだ。気にするな」


「……誰に?」


「前にマヤを口説いていた人だよ」



愚痴ついでに、マヤについさっき起こった柳さんとの一件を説明する。

話が進むにつれて、マヤの顔はみるみる引きつっていった。



「……ユーモアにあふれた人みたいね」


「そんな気を遣った評価しなくていいよ。あんなもの人を困らせて喜ぶ迷惑人間で充分だ」



さすがにそれはどうかと言いたげに、マヤは肯定せずに苦笑いでごまかした。



「なんにせよ、元気そうで安心したわ。3日前にアークに運ばれてきた時は本当に驚いたのよ」


「知ってるんだ」



三國翔吾が教えたのか。

マヤの憂いになることをあの男が進んで話すとは驚きだったが、次のマヤの言葉で予想がとんだ見当違いのものだったと知る。



「たまたまわたしもその日はアークにいたから。鈴宮さんも、すごく心配してたわよ」


「え……?」



……鈴宮? って、まさか……。



「鈴宮、……鈴宮綾音のこと?」


「ええ、櫻庭先輩が結衣のお友達だって教えてくれた人よ」



待て待て待て。

どうしてマヤの口から彼女の名前が出てくる。



「なにこれ……、え、は……? というか櫻庭先輩と綾音が繋がっているってどういうことなのさ!?」



思わず凍牙に叫んだ。



「俺に聞くな。こっちだって初耳だ」



顔をしかめる凍牙はあえて黙っていたというわけではないようだった。

凍牙すら知らなかった。というよりも、櫻庭先輩が意図的に教えなかった可能性が大きい。


成見がモノトーンとして接触するより前に、綾音が皇龍に会いに行っていた、だと?


春樹はそれを知っているのか。


危険を承知で綾音を動かしたのか。


それは誰かが付き添ってのことか? いや、ならば同行したやつが皇龍と対応すればいいのだから、綾音がアークへ行くは必要なくなる。


彼女はきっと単独だった。

モノトーンとの関係を断っていると見せかけ、モノトーンの周囲にいる人間の目を欺いて。


危険を顧みず、皇龍と接触した。



そういうことは本来——……。



苦く重いものが、胃の中に落ちた気がした。


Tシャツの襟元を掴んで、歯を食いしばる。


わたしは今、ものすごく嫌な感情を吐き出そうとしなかったか……?



「鈴宮が皇龍と何を話していたかは知っているのか?」


「そこまでは。彼女がアークから出ていく際に少し会っただけだから」



マヤの言葉を最後に、店には気まずい沈黙が落ちた。


視線からして、凍牙はわたしが切り出すのを待っている。

いい加減腹をくくれと言いたいのだろう。


マヤは居心地が悪そうに、わたしと凍牙を交互に見比べていた。


春樹と綾音とわたしの関係について、自分で考えを巡らせているだけでは埒が明かない。


考えても考えても空回りを繰り返す思考では、いつまでたっても答えは出ないだろう。



——わからない。



柳さんの言うとおり、確かにそれも答えのひとつだ。

だけど考えることへの放棄と紙一重となるその答えを、仲間に向けるのはまだ早い。


逃げたくない。仲間とは対等でありたい。わたしはまだ、そのための手段を尽くしきっていない。



「……話、聞いてもらっていいかな」



情けないほど小さな声しか出なかった。


マヤはいきなりのことに何度か瞬きを繰り返したが、やがてゆっくりと深くうなずいてくれた。



「わたしでよければいくらでも」



ようやくマヤとの距離が、少しだけでも縮められる。


顔をほころばせるマヤに、そんな気がした。






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