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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【モノトーン編 下】
64/208

5.狐に摘まれる(上)





陰鬱な気分でベッドに入った。

あれこれ考えていたらなかなか眠れなくて、皺寄せは翌朝になって一気にきた。


わたしが悩んで立ち止まっていたとしても、時間というものは人類皆平等に過ぎていく。

うだうだしていても、バイトまでの時間が延びるわけがない。

重い体を動かして身支度を整える。マンションを出て、バイト先のカプリスへ向かった。


店ではいつもと変わらず静さんが先にきて開店の準備をしているかと思いきや、今日はなにやら事情が違った。


カプリスに到着すると、なぜか店の前に柳さんと静さんの姿があったのだ。


静さんはカプリスにいるときには見たことのない、紺のロングスカートをはいている。

トップスもシャツではなく、ラフなカットソー。

察するところ、彼女は私服だ。


極めつけに、静さんと柳さんのすぐ横には大きなスーツケースが2つ並べて置かれていた。



「おはようございます」



ひとまずあいさつを交わして、あまりいい予感はしないが切り出してみる。



「朝っぱらから、何をしているんですか?」


「おはよう高瀬。よくぞ聞いてくれた」



テンションの高い柳さんが、してやったりという顔でにやりとひとの悪い笑みを浮かべてきた。



「いやー入籍してから3年越しにようやくヨッシーにも結婚報告ができたことだしなあ。いっちょここらで新婚旅行に行こうかと」


「盆明けのこのタイミングでですか。というよりも、3年もたっていたら新婚とかつけずに普通の旅行でいいでしょう」



これが結婚して初めての旅行というわけでもあるまい。


中学2年の夏休み明け、登校したら教室に北海道の木彫り熊が教卓に置かれていたのをわたしは覚えている。夏休みを利用して北海道旅行に行ってきたから、これは生徒に向けてのお土産だって、柳さんは確かに言っていた。


少なくてもいいから食べれる菓子系の土産がよかったと、クラスの誰もが思ったものだ。


いや、違う。わたしが指摘しなければならないのはそこじゃない。



「まあ、新婚旅行ってのは建前だな。ちょっと急にガウディ先生の心を感じてみたくなったんだ」


「……誰ですか?」


「あれ、お前ガウディ知らないか。これはいいことを聞いた。今度ヨッシーのテストで出してもらわなければ」


「吉澤先生の教科は数学ですけど、そこで出題できる人物なんでしょうね」



駄目だ。柳さんのペースに流されてしまっている。

早く本題に切り替えないと。



「そもそもどこに何日間行ってくる予定なんですか?」


「そりゃあガウディ先生と言ったらスペイン近郊、ヨーロッパをふらりと10日間ほど」


「いつから?」


「今から」


「……わたし、何も聞いてないんですけど」



そうだ、真っ先にこれを言いたかったんだ。


どう考えても静さんも一緒に行くのだろうし、そうなると旅行中のわたしのバイトはどうなる。



「ま、言ってなかったから知らなくて当然だな」


「なんで黙ってたんですかそんな重要なこと!?」



詰め寄ると、柳さんは手で前髪をかき上げてポーズを決めた。



「なんでと言われると、これしかない。高瀬のその顔が見たかったから」


「あんたほんとたちが悪いな!」



いたずらが首尾よくいって、柳さんは満足そうにケタケタと笑っていた。



「静さん!」



どれだけ柳さんを叱責しても糠に釘なのはわかりきっているので、訴える人物を変えた。


昨日の閉店時点で店の食材を空にしなければならない理由はここにあったのか。

静さんの行動からして、柳さんの旅行計画は事前に知らされていたはずだ。ひとこと教えてくれたらいいのに。



「ごめんなさい。虎晴くんがあまりにも楽しそうだったから」



苦笑する静さんに思い知らされる。

そうだった。この人は根本的に柳さんの味方だ。



「バイトのほうは心配しないで。わたしたちの勝手な都合だし、旅行中は有給休暇ってことにしておくわ」


「勤続一ヶ月のアルバイトに10日間も有休を発生させる好待遇な仕事なんて、聞いたことありませんよ」


「ふふっ、結衣ちゃんは真面目さんねえ」



いや、そんなひとことで済ませようとしないでよ静さん。


思わぬ事態に頭を抱えたい衝動を必死に抑えていると、歩道に白い乗用車が横付けされた。

見覚えがある。吉澤先生の車だ。



「よお、遅かったか」


「いいやヨッシー、時間通りだよ」



運転席から出て来た吉澤先生は車のトランクを開け、静さんから受け取ったスーツケースを積んでいく。

動きが自然すぎる。事前に打ち合わせがあったとしか思えない。



「吉澤先生もご一緒されるんですか?」


「新婚旅行に他人がついて行くわけねえだろ。俺は空港までの送り要員だ」



吉澤先生を足につかえるのは、柳さんくらいだろう。



「先生、昨日の段階ですでに旅行のことは知ってたでしょう」



そりゃあわたしが柳さんに遊ばれていると知ったらため息ぐらい吐きたくなるよね。



「あいにく俺は自分がかわいい。下手にばらして柳に根に持たれるのだけはごめんだ」


「そこは大いに賛同しますけど、教え子を生贄にしますか普通」


「その点に関してはお前自体が普通と程遠いから問題ないとした」



教師の発言かこれは。


荷物を積み終えた吉澤先生は、勢いよくトランクを閉めた。

後部座席のドアを開けて、さっさと運転席に乗り込む。



「お土産たくさん買ってくるわね」


「……お気をつけて。楽しんできてください」



ここまでくるともうこれしか言えない。

静さんの邪気のない笑顔に気持ちがゆるんでしまう。



「結衣ちゃんも、あんまり無理しちゃだめよ」



少しかがんで目を合わせた静さんはそれだけ言って、吉澤先生の車に乗った。



「高瀬」



柳さんに呼ばれて顔を上げる。



「わかりませんってのも、答えのひとつだと先生は思うぞ」



わたしの頭をぐしゃぐしゃに撫でまわし、最後はその手で額を小突かれた。



「わからないから、先にお前らの答えを教えろ。そっからまた考えるってのを、あいつらは許してくれないのか?」



確信があって柳さんはそれを言っている。

わたしは首を横に振るしかなかった。



「答えが出なくても、根底にあるものは変わらないんだろ? 俺らが帰ってくるまでにはあらかた片付くといいな」



わたしの返事を待たず、柳さんは車中の人となる。



「さあ行くぞ、ヨッシー! サグラダ・ファミリアが俺を待っている!」



全開にされた歩道側の窓から、静さんが手を振ってくるのが見えた。


助手席の窓が下に降りて、吉澤先生が顔を出す。



「少しは俺の苦労を悟りやがれ」


「……もう十分悟ってますよ」



結婚を3年も報告されなかった吉澤先生の気持ちが今さらながら少しだけわかった。

付き合いが長いだけに、心労はわたしの予想する以上に感じているのだろう。


吉澤先生の運転する車が遠ざかる。

先の交差点で曲がり、完全に見えなくなるまでわたしはその場に立ち尽くした。




……さて、と。

見送りを終えて、人の気配がないカプリスを眺めてみる。


いきなりのことで呆気にとられて忘れていた怒りが、ふつふつと沸き上がるのは仕方のないことだと思う。


本当ならば、朝の開店準備のため忙しく動き回っていたはずなのに、想定外に空いてしまったこの時間をどうするべきか。

今後の予定を考える前にわたしの足は動いていた。


結果からさかのぼれば、昨日だけでもおかしな点はいくつもあった。


保存のきかない店の食材を使い切って、わたしに数日分の食事を渡してくれた静さん。

吉澤先生の含みのある言葉。


そして……。

額の汗を拭いながら早足でたどり着いたのは雨知らず——柳さんの喫茶店だ。



——明日、柳さんの店に来い。



凍牙の言葉に時間指定がなかった理由もそこにあるのだとしたら。


閉店中を示すプレートがかかった喫茶店雨知らずのドア。

意を決してドアノブを回す。店主が海外に行ったというのに鍵は開いていた。



「……お前もグルか」



営業していない喫茶店のカウンターに座る凍牙が、やっと来たかと言わんばかりの視線をよこす。


どうやらこの一件にわたしの味方はひとりもいないようだ。



「俺は自分が可愛いんだ」



偶然にも吉澤先生と同じ言い訳をしてきた凍牙は、振り返ってわたしを見た。



「この店、あの人が旅行中は好きに使っていいらしいぞ」


「何に使えってのさ。絶対に持て余すよ」


「同感だ。鍵、いるか? 今回はお前持ちでも問題ないだろう」


「頼まれたって受け取らないからなそんなもの」



オチから見れば、伏線になるであろう周囲の言動は確かにいくつかあった。

でもそれは物事が起こってから、はじめて振り返ってみて認識できる程度のものだ。


その時分、現場に身を投じている時は違和感があったとしても、すべてが繋がっていたことに気づけない。

何も知らず思惑通りに道を突き進むわたしを観察するのは、さぞかし楽しかったことだろう。


はっきり言わせてもらう。



こんな予兆だけで推測できるか!






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