3.悪魔が来た(中)
「結衣ちゃん」
スタッフ用の通路に出たわたしを静さんが呼んだ。
「お話しているときは冷やしておきなさいね」
水と氷が入った透明のビニール袋を渡される。手首の捻挫用だ。
静さんにお礼を言って、成見をバックルームに通した。
成見は部屋に入るなりためらいなく、尊大な態度でソファに足を組んで腰掛けた。本性を出すのが早すぎる。
ああそうだ、コイツはそういう奴だったと、若干の懐かしさを噛み締めてわたしも向かい側のソファに座った。
「そんなにひどいの? というか何やったの、それ」
氷嚢を当てた手首を成見が指差した。
「少しひねっただけだよ。すぐに治る」
「ふうん」
説明に納得した様子ではないが、これ以上の追及はなさそうだった。
さっき成見も言っていたが、わたしがこうして仲間向きあうのは実に半年ぶりのことだ。
時間が空いたというのに気まずさを感じないのは、相手が成見だからだろう。
他の仲間だったらここまで自然に会話ができず、お互い言葉を選びすぎて沈黙してしまうのが簡単に予想できた。
「ああ、先に言っておくけど、俺を尾行しているやつらは春成木駅に着いたときに締めて来たから。この場所をおかしなやつらに知られる心配はない。そこは安心していいよ」
「……なんの話?」
安心するより前にそんな不安要素があること自体初耳なのだが。
「あれ? 知らなかったか。俺ら、というよりも早い話モノトーンのメンバー全員、今ちょっとストーカーにあってるんだよ」
「……そこには菜月や綾音も含まれているの?」
「菜月に関しては否定できないけど、不届き者に手出しされるようなへまはしないよ。綾音はモノトーンに入ってないし」
「……どういうこと?」
モノトーンを立ち上げたのが春樹なら、綾音も関係者として傍にいるはずだ。
わたしが春樹たちから離れている間に、みんなの関係性にも変化があったのだろうか。
いぶかしげに尋ねれば、成見が優雅にふわりと笑う。
「綾音はモノトーンが発足する前に、春樹と別れた」
「はあっ!?」
なぜそうなる。
驚くわたしをものともせず、成見はさらっと続けた。
「——という風に、俺らと無関係な周りには思わせているから、今のところは大丈夫だよ」
それを先に言え。
こっちの反応を見て楽しんでやがるなこいつ。
恨みがましく睨んだところで、成見はまったく気にしない。
「菜月を泣かせたんだ。これくらいの意趣返しは当然だろ?」
してやったりな顔で言い放たれ、ぐうの音も出ない。
そもそもこいつらの前から勝手に消えたのはわたしだ。責められることはあっても、文句を言う資格なんてどこにもない。
黙り込んだわたしに、成見は長いため息を吐き出して足を組み直した。
「俺たちだって反省してるよ。喧嘩両成敗、当事者以外は基本不干渉がうちの暗黙のルールだけど、さすがにあの時は何かしらの介入をすべきだった」
あの時が示す苦い記憶に、思わず顔をしかめてしまった。
「正直言うと、いつかは結衣と春樹と綾音の間に亀裂が走るんじゃないかって、そんな気はしていた。さすがに結衣がこんな手段に出たのは予想外だったけどね」
成見が水の入ったグラスを手に取る。半分ほど水を飲み干し、彼はさらに言葉を続ける。
「俺は綾音の葛藤がわからないわけじゃないよ。友情と恋情、どちらか一方を選べない春樹の気持ちもよく知ってる。もちろん、俺たちから離れてでもふたりの平安を保とうとした結衣の心情も察するよ」
言いながら成見は苦笑する。彼の手の中でグラスに入った氷がカランと音を立てて崩れた。
「春樹と綾音は答えを出した。だから後は結衣だけだよ。急かすつもりもないし、あのふたりなら何年でも待たせておけばいいから、気長に考えなよ。まあ俺個人としては、さっさと答えを見つけて会いに来てほしいってのが本音だけど」
急かさないと建前を伝えた口で、成見はためらうことなくそれを言う。
「不本意だけど、菜月が会いたがっているからね」
「それが本心だろう」
「当たり前。菜月も相当頑固だからねえ。今日も一緒に来るかって聞いたけど、決着がつくまで会わないって言われたよ。その代わり、次にあったときは覚悟しろって伝言は預かったから」
……菜月さんや。
「菜月の説教は結衣限定で恐ろしく長いもんね。勝手にいなくなったんだから、それぐらいは覚悟しないと。ご愁傷様、まあ頑張って。」
お前はとことん楽しそうだな。人の苦行がそんなにおもしろいのか。
「大切に思う人が苦しんでいるときに、何も話してくれないのはつらいよ。苦しんでいることに気づいてやれず、あとになって思い知らされるのは、もっとつらい」
それは菜月の心情なんだろう。
悔しいけれど、認めざるを得ない。
菜月のことに関してはだけ本当に、成見は一途だ。
「今さらの確認だけど、結衣は俺たちと完全に関係を断とうとしたわけじゃないよね」
「それはない」
これだけは迷わずにきっぱりと言えた。
「うん。だったらいいよ。結衣の口からそれが聞けたら、今のところ俺は満足だから」
話は終わったとばかりに立ち上がって、成見は手を上に突き出して伸びをする。
「俺たちは気長に待つよ。さすがにこれだけ離れていたら、冷戦直下のブリザードに巻き込まれることもないだろうし。近いうちに邪魔者も始末する予定だから、思う存分気兼ねなく悩めばいいよ。行き詰ったら話を聞いてくれる人も、ちゃんといるみたいだしね」
「……具体的に邪魔者とは?」
「ん? うちとこの街のあいだにいる奴らだよ。いい加減ちょこまかとうっとうしいし、さっそく今からそのことで皇龍に話をつけに行ってくるよ」
ああそうですか気をつけてと、流してしまいそうなほど成見は自然に言いきったが、これはおかしい。
わたしはソファに座ったままの状態で、目の前に立つ細身の優男を見上げた。
「どうして皇龍との繋ぎ役に選出されたのが、有希じゃなくて成見になるのさ」
皇龍との交渉を平和に進めるなら、ここにいるのは有希のはずだ。
間違ってもこんな満面の笑顔で毒を吐く、ひとをからかうのが生きがいのようなやつが引き受けていいものではない。
有希に外せない用事でもあったか。それともまさか、モノトーンは皇龍内部を引っかき回したいのか。
成見はさも当然とばかりに口を開く。
「有希は昔から結衣に甘いからね。俺みたいにズバズバ切り出せなかったら会いに来た意味がなくなってしまう」
「ちょっと待て、その言い分だと皇龍のところに行くのがついでのようになってるよ」
「まあ、それは否定しないかな」
「否定してよ! 春樹は今日ここにいるのが成見だってことは知ってるの?」
あまりの自由っぷりにモノトーンという組織自体が不安になってきた。
「もちろん」
大きくうなずいたのち、成見がキッパリと告げる。
「知るわけがない」
いいのか。モノトーンは本当にこれでいいのか。
「春樹は有希がこの街に来てると思ってるよ」
「あ……そう」
「春樹自身が直接関係していることだからね。結衣に会いに行くと俺たちが進言したところで、春樹もさすがに指示を出しづらいだろ。こういうのは事後承諾がちょうどいい」
リーダーそっちのけの計画か。話の具合からして有希も共犯なんだろう。
組織としての縛りも締まりもなんにもない。
こいつらは昔とまったく——。
「変わってないだろ?」
心を読まれたかのごとく、成見が笑って言った。
悔しいが、うなずくしかない。
「仕事はちゃんとこなすよ。それにちょっとした筋の情報なんだけど、皇龍には柳先生寄りの人がいるみたいだしね。そういうところには有希が誠意をもって交渉するより、俺ぐらいがちょうどいいだろ」
そうかもしれないが、櫻庭先輩と成見の舌戦は想像しただけで胃が痛くなる。
その場に立ち会うであろう皇龍の誰かには心の中でエールを送っておく。まあ頑張って。
話を終えて、成見と共にカプリスの店内に戻った。
静さんの言った通り土曜日の今日、朝の店内は閑散としていた。
いるのは窓際の席でくつろぐ凍牙と、カウンターにお客さんがひとりだけ。
……この人も、お客さんのはずだ。
コーヒー片手にカウンターで新聞を読んでいたのは、吉澤先生だった。わたしに気付いて顔を上げたが、毎度のことながら不機嫌な表情をしているなこの人は。
成見、凍牙、吉澤先生——。
個々に繋がりはないのに、わたし視点での知り合い率が異常に高い空間だ。
「遅せえぞ。俺を待たすんじゃねえ」
「……おはようございます」
口ぶりからして、吉澤先生の用事はわたしか。
「知り合い?」
後ろから顔を出した成見が吉澤先生について聞いてきた。
「吉澤先生って言って、柳さんのご友人だよ」
「普通に自分のクラスの担任だって言えばいいだろうが」
紹介の内容が気にくわなかったのか不服を示した吉澤先生に、成見は納得して「ああ」と大げさに何度もうなずいた。
そして胸の上で床と水平に広げた左手に、右手のこぶしをぽんと乗せる。
「ひょっとしなくても、倖龍さん?」
「正解。よく知ってたね」
「そりゃあ皇龍のことはこっちでもいろいろ調べてるよ。倖龍さんは有名人だしね」
「高瀬、てめえの周りにはこういうやつしかいないのか!?」
怒鳴る吉澤先生に、凍牙が複雑な顔をした。
あれは絶対、成見と一緒にするなって思ってるよ。




