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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【皇龍編 上】
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5.無知の災い(下)





移動教室のない、一日中同じ教室での座学の授業は、けっこう疲れるものだ。

時間割りがそんなのだから、マヤと話をする機会もなく放課後を迎えた。


6限目が終わるとマヤはカバンを持ってさっさと教室を去ろうとする。



「マヤ、ちょっと待って」



廊下に出たマヤを呼び止めた。声に反応して振り返った彼女は不機嫌に口を結んでいた。



「なに?」


「少し時間がほしい。急いでいるなら連休明けでもいいけど」


「……ここでいいなら。手短にお願い」



許可が下りたので、ひとまず姿勢を正して向かい合う。



「三國翔吾って人のこと、知り合いから聞いた。それで、ごめん」


「…………え?」



おおっとさすがにこれは手短すぎたか。

マヤはわけがわからないって顔をしている。困惑が怒りに変わる前にきちんと本題を伝えなければ。



「えっとね……、まず、わたしは昨日の段階では三國翔吾についての知識がなかったことを言わせてほしい。それで今日、知り合いからいろいろ教えてもらった。その結論から言って、わたしは三國翔吾って人がどんな人で、なにをしていても正直まったく興味がない」



これは本当。



「だけど、それはわたしがってだけで、マヤにとっては違うと思うから」



わたしには昨日初めて名前を聞いた人でも、マヤからすれば三國翔吾は大切な幼馴染だ。



「マヤが大切に思ってる人がいるところ、皇龍だっけ? 皇龍に属していることや幹部であること、すべてがマヤの彼氏の、そしてマヤの誇りなんだよね?」



だから知らないわたしに腹を立てて怒った。


皇龍という有名なチームの幹部という地位。

それらも含め、幼馴染のすべてがマヤにとって大切なものだとしたら、わたしの昨日の言葉は軽率すぎた。


三国翔吾が有名な人かなんて聞き方をせず、素直に彼について自分は名前も知らないと伝えておけばよかったのだ。



「知らなかったとはいえ、マヤの誇りをわたしは傷つけた。だから、ごめん」



別に、仲直りがしたいから謝るんじゃない。


許してほしいからとかじゃなく、単にわたしに非があったことを知ってもらえたらそれでいい。


なんにせよわたしの話はこれで終わりだ。



「それだけだから。時間を取らせてごめんね」



軽く頭を下げれば、マヤは動揺しながらも首を横に振る。



「……わたしこそ、急に怒って帰っちゃったりして……。というよりも、本当に翔吾のこと知らなかったの? 未だに信じられないのだけど……」



またそこに戻るのか。



「わたしがこの街に来たのは、高校に入るのと同時だし。前情報は何も持ってなかったから」



はっとしたマヤは、いたたまれない顔でしゅんとなった。



「わたしのほうこそごめんなさい。知っていて当たり前のような言い方をして。結衣の事情を知らないのに、わたしのことばかり押しつけてたのね」


「あ、そこは別にどうでもいいから」


「……わたし、時々結衣が何を考えてるのかわからなくなるわ」



大丈夫。それはいろんな人からよく言われるよ。



「誰もが知ってて常識としてある情報と、知ってほしくて自ら発信する情報じゃ、扱い方も変わってくる。マヤの恋人さんのことは前者で、わたしのことは後者。さらに言えばわたしは自分のことを知ってほしいと思ってなくて、情報の発信をしていない。知らなくて当然なことで気に病む必要はないよ。マヤさえよければこの話は終わり」



わたしの事情なんて、マヤが気にする必要はないのだから。


ぽかんとしていたマヤは、やがて肩の力を抜いてくすりと笑う。



「前に言ったことを訂正するわ。結衣はやっぱり『普通』じゃない」


「知ってるし、よく言われる」


「翔吾のこと、もう怒ってないわ。結衣はああ言ったけど、やっぱりわたしもちゃんと謝らせて。結衣のことも考えずに、自分の感情ばかり押し付けてしまってごめんなさい」



軽く下げた頭をマヤが上げた時、目が合った。


照れ隠しに笑うマヤにつられて、いつの間にかわたしの頬も緩んでいた。



これは良好なほうに物事が進んだと思っていいのだろう。


問題がひとつ解決したところで、棘が取れたマヤにこれだけは聞いておこう。



「昨日さ、教室を出るときにそこのドアの下でうずくまってる人見なかった?」


「えっと……、ごめんなさい。あの時あまり周りが見えてなかったから、わからなかったわ」


「そう」



まあ、正面に立っていたわけでもないし、視界に入らなかったら気づかなくてもおかしくはないか。



「誰かいたの?」


「ひとりで勝手に笑い転げてる、ちょっとおかしな人が」


「えっ、大丈夫だったの? それ」


「何かされたわけじゃないから。それでさ、2年の先輩で黒髪の笑い上戸な男の人って、心当たりないかな」


「それは……、ちょっと思い当たらないわね」



やはり情報が少なすぎるか。


三國翔吾の知り合いと見当をつけていたが、マヤとは繋がりのない人物なのかもしれない。



「ま、いいや。気にしないで」


「ものすごく気になるんだけど」


「ほかの男の人のこと考えてると、恋人さんが嫉妬するよ」


「人物像にモザイクがかかりすぎて、対象者がわからないから大丈夫よ」



どうやらマヤも遠慮がなければそれなりに口が回る子のようだ。



「よう」


「あ」



マヤとうちとけているところで、わたしに声をかけたのは凍牙だった。

4月ももうすぐ終わりだけど、校内で凍牙を見るのは、実はこれが初めてだったりする。



「4組だったのか」


「そうだよ。凍牙は?」


「1組」



階段から一番離れた端のクラスだ。



「教室遠いね」


「たしかにだるいな、この距離は」


「ご愁傷さま。じゃあね」


「ああ」



ひらりと手を振って、凍牙は階段を下りて行った。



「結衣。今の……水口くん、よね?」



凍牙が見えなくなるまで黙っていたマヤが口を開いた。



「そうだけど、何かあった?」


「……入学前に、一度困っていたところを助けてもらって……。結衣とは仲がいいの?」



疑っているというよりは、意外すぎるという顔つきだ。



「知り合いだね」



中学が同じというのは伏せておく。


こういうところで、わたしはずるい。



「あ、マヤの彼氏さんの情報教えてくれたのも凍牙だから。彼氏さんのファンとかじゃないぶん、変に誇張された情報はわたしには入ってないから安心して」



こっちの言葉は聞こえているのかいないのか。マヤの視線が階段とわたしを何度も往復する。



「どうしたの?」


「……結衣って」


「うん?」


「やっぱりよくわからないわ」



どの点が「やっぱり」なのか。

わたしの何がよくわからないのか。

わたしには何もかもわからないよ、マヤさんや。



なにはともあれ、明日から大型連休が始まる。







      *







——大型連休が始まる。

などと意気込んではみたものの、蓋を開ければただのバイトざんまいの3連休だった。


今年のゴールデンウィークは、土日と月曜の祝日の三連休のあと、平日が2日。そしてまた4日間の連休が来る飛び石になっている。


会社勤めの大人だったら、平日二日を休んで九連休を楽しむ人もいるのだろうが、生憎のことわたしは有給休暇もない学生だ。


ゴールデンウィーク中日の平日でも、ちゃんとまじめに通学した。

朝のショートホームルームの時、クラス内では空いている席が3つあった。


大人に混ざって九連休を満喫しようとしているチャレンジャーな生徒が3人もいるのが驚きだ。


なんせこのクラスは——。



「今いない奴の中で、体調不良の連絡を聞いてるのはいるか?」



みんなの憧れ、恐怖の吉澤先生のクラスだよ。


不機嫌を隠そうともしない先生の問いに、クラスの誰もがなにも言わない。



「……この俺が出勤しているのにさぼるやつがいるとはいい度胸だ」



ぽつりと呟かれたひとりごとは、まじめに登校してきた生徒を凍りつかせた。


学校をさぼった3人は、楽しみの代価を休み明けに支払うことになりそうだ。


説教か、課題か。


あの先生はめんどくさがりみたいだし、おそらく大量の課題になるかなと推測する。


なんにせよ、吉澤先生の威光が慣れによって徐々にクラス内で効かなくなっているのはよくない傾向だ。


この先楽しくないことが起こりそうなうちのクラスについてはひとまず置いておくとして、ここ数日で喜べることもあった。

マヤとの関係は、休みの前に比べたら見違えるほど親しくなっていた。


かといって常に一緒にいるとかではなく、わたしたちの間に流れる空気がゆるくなった、という感じだ。


互いの内面を探るようなどこかぎこちないおしゃべりが、遠慮のないものへと変わった。

少しだけ心の距離が縮まったマヤは、意外に毒舌でツッコミ気質だった。


そんなマヤの一面を知ったからといって、わたしたちがふたりでいる時間はこれまでとそう変わらない。

トイレに一緒に付いていくなんて論外だし、やっぱり昼ごはんは別々だ。







      *







その日、もはや昼休みの定番と化した第二体育館の非常階段に凍牙の姿はなかった。


どうやら凍牙も九連休を楽しむくちらしい。予想はしていた。


早々に弁当を食べ終えたわたしは、非常階段の踊り場に寝転んだ。

背中のコンクリートが冷たくて気持ちがいい。


建物と階段の壁がちょうど日陰になって、風の通りも申し分ない。

ここなら夏も快適に過ごせそうだ。



次の日も、やはり凍牙には会わなかった。


ひとりで階段でお昼を食べて、昨日と同様に踊り場で寝転ぶ。

快晴の空には飛行機が飛んでいて、飛行機雲は尾を引くことなくすぐに消えていった。

明日からの連休後半も、行楽日和になりそうだ。


バイト先——駅近くのバーガーショップも忙しくなるに違いない。


非常階段の踊り場を抜ける風が心地よい。

目を閉じて、木々がざわめく音を聞く。

わたしの昼休みの記憶は、そこで途絶えた。



遠くから聞こえた予鈴の音で目が覚めて、校舎へと急ぐ。

寝落ちしなかった自分に拍手を送りたい。

5限目は英語、6限目は数学と、時間割通りに授業が続く。


放課後になったらマヤとあいさつを交わしてバイトに行く。

もはや定番となった運びだった。




ただ、今日はいつもと違って、妙に胸がざわついた。


なんとなく、本当に些細だけれど。

細部に違いはあっても大きな流れはいつもどおりだったはずの、変哲のない毎日。その軌道が少しだけ逸れてしまったような、わずかな違和感。


探るように周囲に注意を向けつつ教室を出る。

教壇の近くにいた原田さんたちのグループが目についた。


離れているためなにを話しているのかは聞こえない。

なのに得意気に話す原田さんを見ていると、喉の奥が異物でつかえるような不快感をおぼえた。


杞憂であってほしいと思いつつも、なかば諦めに近い気持ちを抱き教室をあとにする。


言葉にできる根拠はない。

でもこれは、何度となく味わってきた前兆だ。



——クラスが変わる。



そんな予感がした。







      *







なんだかんだで大型連休はバイトしかしなかった。


バイト先では旅行や遊びにまとまった休みをほしがる人も多く、暇なわたしの存在はありがたかったようだ。

休日を連日フルタイムで働けたので、次の給料日が少しだけ楽しみだった。


連休中日の平日をさぼった生徒には、吉澤先生から課題が出た。


反省文と冊子のような数学問題集を渡した生徒に、先生は朝のホームルームにて「反省文は今週中に、課題は中間テストまでに提出しろ」と告げた。


がんばればにこなせる期限の設定が逆に怖い。

課題には理不尽な無茶振りじゃないので、提出しなかったら成績の暴落は免れないと課題が出た生徒を先生が直々に脅していた。


社会人と紛れて九連休を過ごした凍牙とも、昼休みに久しぶりに顔を合わせた。

その時、久しぶりと思えるほどにわたしは凍牙を意識しているのだと改めて知る。



凍牙は中学校時代のクラスメイトだ。しかしそれは学校が決定した枠組みによる集合体であって、わたしたちが意図して集まったものではない。


クラス編成なんてものはしょせん、見ず知らずの他人が学校側の思惑で選別されるものだ。

「今日からここのみんなは友達ですよ」と教師に言われて「はいわかりました」と素直に納得できるほどわたしは素直じゃない、ひねくれた人間だ。


凍牙はかつてのクラスメイト。そしてさぼり仲間であったわけだが、これについては野良猫が他の猫と縄張りを共有しているのに似た感覚だった。



「友達」という言葉が、わたしは苦手だ。


定義があいまいで、どこからどこまでが「友達」に当てはまるのか、人の価値観によって個人差がありすぎてはっきりしない。


友達だから、友達なのに、友達だったら……。


そんな会話を耳にするたび、「友達」は相手を縛る言葉にもなり得るのだと思ってしまう。


そのためわたしは凍牙を「気の合う知人」と位置づけたまま、「友達」と呼んだことは一度もない。


本当は気心の知れた友人だと思いたいし、そう言いたい。

だけどわたしが思う「友達」と、凍牙の考える「友達」が違っていたら。


凍牙との思考のずれを確認するのはひどく今さらな気がして、この心地いい空気が壊れる可能性を思うと踏み込むことができないでいる。



「——連休中に、武藤と会った」



友達の定義について、わたしが思考の海にどっぷり浸かっているさなか、前に座る凍牙がこちらを振り返ることなくそう言ってきた。



——武藤。



その名字に、わたしは一気に現実へと引き戻される。



「……へえ」



冷静になろうとして失敗した。いつものわたしより、声が低い。


武藤 春樹は、中学時代のわたしの、数少ない「友達」のひとりだ。



「向こうの街にいく用事があって、そこでたまたま顔を合わせた。——探していたぞ、お前のこと」



凍牙が上の段にいるわたしを見上げた。


視線がぶつかる。今のわたしはさぞかし情けない顔をしていることだろう。



「武藤にお前の姿を見ていないかと訊かれた。知らないと答えておいたが、よかったか?」


「いいよ。ありがとう」



なぜわたしを探すのか、明確な理由はわからない。


だけどもしも、それが決別を言い渡すためだったら。



「もう仲間じゃないとか、言われるのかなぁ」



それだけのことをした自覚はある。


人の心を乱して、利用して、混乱を招いた。

気まずい空気に耐えられなくて、やけになっていろんなものを壊した。


信頼、プライド、関係性……。


長い時間をかけて積み上げたものを崩すのは、あまりにも簡単だった。



「憎んでいるようには見えなかったが。どちらかというと、心配していた」


「それはないよ。それに、万が一みんながわたしを許しても、わたしはみんなに会えない」



時間によって彼らの怒りが風化されただけなら、なおさらのこと。



「……会っちゃ、いけないよ」



再会したら、きっとまた繰り返す。



「今はまだ会えない。でも、いつかちゃんと、わたしから伝えないといけない。わたしはみんなのこと、今でも、これからもずっと好きだって」



幸せになってほしい。この気持ちは本当。


だから、不穏分子になり果てたわたしは、みんなの——特にあのふたりの側にはいられない。



「いつかってのは、具体的に決まっているのか。俺にはお前が逃げているようにしか思えないが」


「決まってるよ」



逃げていては、一生みんなに会えない。


ぎくしゃくしたまま終わるには、わたしの中でみんなの存在は大きすぎる。



「春樹と綾音が結婚して、子供が生まれたときには必ず」


「……長期計画にもほどがあるぞ」



仕方がないよ。


だってそれぐらいじゃないと、わたしが安心できない。







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