14.大好きの伝え方(上)
深く暗いところに沈んだ意識が、ゆっくりと浮上する。
凍牙と並んで街を歩いてたら、突然中学のときの同級生が現れたんだ。
それで、なんだったっけ……?
ああそうだ。
彼らの相手を凍牙に任せて帰ろうとしたら、待ち伏せしていた皇龍の誰かに怒りをぶつけられて——。
眠りが浅くなるほどに、記憶が鮮明になっていく。
なんとなく、自分がもうすぐ目を覚ますことを予感した。
覚醒の直前ともなると、体験したことに感情が上乗せされた。
強い怒りと苛立ちに、すぅっと頭が冷えていく。
まさかあんな浅はかな策に嵌ってしまうとは、気が緩みすぎだ。あいつらを相手してる余裕は今のわたしにないというのに。
仕方ないか。
こちらの事情なんて、奴らからしたら知ったことじゃない。
西の連中も、皇龍も、そしてわたしも。みんなそれぞれの思惑で動いてる。
配慮のいらない、ある意味とてもフェアな関係だから、それぞれがそれぞれを心置きなく利用できるし、邪魔になれば排除に躊躇しなくていい。
皇龍はともかく、西の連中はわたしにとって障害にしかならないことがよくわかった。
ひとまず今後のためにも、まずはそこを——。
「——潰してしまおうか」
「目を覚まして開口一番でそうくるか」
独り言をこぼしたつもりだったが、予想外の反応があった。
目を開けると、わたしがいるのは公園の階段ではなく室内だった。
暑さを感じないぐらいに空調が効いている。
どうりで寝心地がいいはずだ。
間接照明がひとつ灯っただけの薄暗い部屋の中。声のしたほうへ目を向けると、わたしのすぐ横に凍牙が立っていた。
「……え? ここ、どこ?」
「雨知らずのスタッフルームだ。柳さんに頼んで使わせてもらった」
雨知らず。柳さんの喫茶店か。
「凍牙がここまで運んでくれたの?」
「まあな。助けたのは皇龍の連中だが」
「そう」
起き上がろうとしてシーツに右手をついたら手首に激痛が走った。
体中に軋むような痛みがあったけど、すべての痛覚を右手首に持っていかれたようだ。
悲鳴を上げたくなるのをこらえて、左手を使ってベッドに座る。
「運んでくれて、……ありがとう」
「痛がるか礼を言うかどっちかにしろ」
そう言われたって、なかなか痛みは引きそうにない。
右手首は肌色のテープでかなりきつく固定されていた。
知らなかったとはいえ、これは力を入れてはいけない状態だったのだろう。
「この手当ては?」
「皇龍の誰かか、皇龍お抱えの医者だろ」
「あー、治療費とかいるのかなあ」
保険証はマンションに置いてあるけど、治療でかかった費用が実家に通知されるのは勘弁してほしい。
「向こうに払わせておけばいいだろ。それより、お前は右利きじゃなかったか?」
「基本右だけど、左でも文字は書けるし箸は使えるからそこは問題ない」
もともと左利きだったのを右利きに矯正した名残で、左手も不便なく使える。
文字を書くペースの遅い授業などでは、今でも左手でノートを取っていたりするので日常生活に支障はないはずだ。
ああでもカプリスのバイトは困るか。
両手が使えないと業務に支障をきたしてしまう。夏休みは稼ぎ時だというのに、仕事ができないとなるとかなりの痛手だ。
「そういえば、今って何時?」
「深夜3時を過ぎたところだ。柳さんはとっくに家に帰っている」
どうやらずいぶん長く寝てしまったようだ。おそらく体に受けたダメージよりも、もともとの寝不足が原因だと思われる。
「付き合わせてごめん」
「謝るな。もともと俺があそこで離れたのが原因だ」
「そこに責任を感じる必要なんてないよ。あれを挑発したのはわたしだし、むしろ凍牙が居合わせなくてよかったと思う」
あの場に凍牙がいたら、最悪は殴り合いの乱闘になっていた。
向こうはそのつもりで人数を揃えて待ち伏せしていたようだし、わたしが手首をひねっただけで済んだのなら、事は穏便に済ませられたと考えよう。
「聞く耳持たない連中との喧嘩なんて、わたしはお荷物にしかなれないからね」
わたしの武器は結局のところ口だけだ。
はなからこっちの話を聞く気がない奴に対しては、なんの役にも立たない。
凍牙が無表情でわたしを見下ろす。
視線を受け止めて、座ったままの状態で頭を下げた。
「公園で一夜明かすなんてしたくなかったし、皇龍の拠点でなんかゆっくりできないから。わたしが凍牙に言えるのはありがとうしかないよ。ここまで連れて来てくれたこと、感謝してる」
「お前を突き落とした奴には、落とし前を付けなくていいのか?」
「どうでもいいよ、そんな奴。わたしが何かしなくても皇龍の上の人がケジメをつけるだろうし」
下っ端の暴走をなあなあで終わらせたりはしないだろう。それぐらいは、一応皇龍のことを信用している。
「むしろ皇龍に対して借りが作れたと考えれば、この結果は悪くない。そういう意味ではあいつらに感謝すべきか。次に顔を合わせたら、死なない程度に傷つけてくれてありがとうぐらいの皮肉、笑って言ってやるよ」
いつどこで使えるかはわからないけど、今回の出来事は対皇龍のカードとして取っておくには申し分ない。
自分で加害者に落とし前をつけて手打ちにするのは、あまりにももったいなかった。
皇龍との交渉材料を手に入れたことを喜ぶわたしとは反対に、凍牙の機嫌は急激に降下していく。
「自分を駒にして使おうとするな」
冷たい声。吐き捨てるような口調からも、彼が本気で怒っていのがありありと伝わってきた。
そんな凍牙の姿が、ふと過去の記憶と重なって強い既視感に見舞われる。
ここのところずっとアイツについて考えていたからだろう。そうでないとこんなにも早く凍牙の怒りから気づきを得られなかった。
凍牙が怒っている理由にはっとして、ため息と一緒に肩の力が抜けた。
わたしは今、わたしを心配してくれた人に言ってはいけないことを言ってしまったのだ。
——そうだ。
以前わたしは同じようなことで仲間に怒られた経験がある。
いつだって、わたしよりも周りにいる人たちのほうが、わたしの存在を大切に思っていた。
——自分のことをモノとしか思えないなら、俺たちが見ているお前をそのまま、自分の価値だと思いやがれ。
誰がどれだけの愛情を向けているか、人の感情に敏感なお前ならそれぐらい簡単にわかるだろう。
何年も前にわたしにそう言ったのは、あんただったね——春樹。
「ごめん。自己犠牲は一番やってはいけないことだった」
高校に入学したころは思い出したくもなかった春樹の言葉が、今ではすんなり振り返れるようになった。
少しは前進しているって、思っていいのかな。
「……もう少し寝ろ。明日のバイトは強制的に休みだと柳さんが言っていた。静さんにも伝えておくとのことだ。朝にはマンションまで送っていく」
そういった凍牙はもう怒りは引っ込んだようだった。
わたしに背を向けて、反対側の壁際に設置された4人掛けのソファに横になる。
「や、凍牙まで付き合わなくていいよ。自分の家のほうが休めるだろうし」
「この店の鍵は俺が責任を持てと言い付けられて預かったんだ。それをお前に渡してみろ。無責任だなんだとあの人に何言われるかわかったもんじゃない」
凍牙はだんだん柳さんの使い方とあしらいが上手くなっている気がする。
「余計なことに気を回さないで寝ろ。俺も眠いんだ」
「そうさせていただきます」
大人しくベッドに入って寝る体勢になる。
「今回作った柳さんへの借りは俺とお前で半分ずつだからな」
「うん」
おいしい話だったので反射的にうなずいてしまったが、これはわたしが全部引き受けるべきじゃないのか。引っかかりはあったけど、凍牙が一緒に面倒を被ってくれるというのでありがたく甘えることにした。
「間違っても俺に押し付けて逃げんなよ」
「……うん。逃げない」
仰向けで天井を眺めながら、凍牙に返す。
モノトーンを名乗った春樹たちといい、凍牙もだ。
どうしてわたしの周りにいる大切な人は、こんなにも優しいのだろう。
「ありがとう。……おやすみ」
「……ああ。ゆっくり休め」
「………うん」
目を閉じても、熱い感情がひっきりなしに込み上げてきて、なかなか眠れそうにない。
沈黙が心地いい。時折聞こえてくる家鳴りに耳を澄ませて、朝が来るのを静かに待つ。
凍牙とふたりきりのこの空間に、わたしはどうしようもなく安心していた。




