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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【モノトーン編 中】
56/208

12.虎か、狐か(上)




      ◇  ◇  ◇






鈴宮の訪問は穏便に終結しそうだったのになぜそうなる!?


舌打ちしたい衝動をおさえ、野田たちは応接室を出た。2階の廊下にはアークに戻った大原の姿があった。


焦燥を滲ませる大原の肩には、包帯の巻かれた手が力なく垂れ下がる。彼はぴくりとも動かない結衣を背負っていた。



「悪い。間に合わなかった」



苦虫を噛み潰した顔をして、大原が唸るように言った。


大原のそばには両手で口を隠して目を見開くマヤが立っている。彼女の隣にいる三國の表情も険しい。



「何があった?」



日暮が大原に訊いた。冷静沈着な総長の態度が、野田の焦りを幾分か落ち着けた。



「階段から突き落とされたらしい。時東さんに診てもらったが、全身打撲に右手首の捻挫。気は失っているが、頭は打ってないだろうとのことだった」



時東さんとは、皇龍のかかりつけ医となっている人物で、アークの3軒隣りに診療所を開いている。



「下の連中が勝手に動いちゃったみたいだねー。先に言っとくけど、うちの総長はなんの指示も出してないよ」


「周囲の人たちも含めて、これが演技とは思えませんわ。組織としての問題は挙げられるかもしれませんが、助けたのも皇龍の方たちのようですし」


「うん、いい子だねー。こんな時に悪いんだけど、俺が今ものすごく言いたいことって、君ならわかるよね?」


「……ええ、おおよそは。結衣をモノトーンとの取引に使うなと遠回しながら言ったのはわたしですもの。それを言い出した当人が、……モノトーンが、結衣を皇龍との取引材料に持ち出さないことは約束致しますわ」



あんたらは何悠長に話してんだ!


会話の内容が信じられず、野田が勢いよく振り返る。

怒鳴りつけようとした口は、綾音を見るなり何も言えなくなってしまった。


応接室のドアの前に櫻庭と並ぶ綾音の目は、野田を通り越して大原をじっと見つめていた。


大きく開いた目。唇をきつく噛みしめて、両手に作られたこぶしが震えている。

眉が下がって眉間にしわが寄り、目は潤んでいるのに、綾音は涙をこぼさない。


些細な弾みで決壊しそうなその空気に、野田の怒りはたちまち消えた。



「……本当に、君はいい子だよ」



櫻庭が綾音の背中を軽く押す。


一歩、一歩ゆっくりと綾音は結衣へと足を進めた。


綾音の存在に気づいた大原が息を呑んだ。なぜ、と表情が語っている。



「…………ありがとうございます」



蚊の鳴くような声で、綾音は大原に言った。


大原の肩にもたれかかった結衣の顔に、綾音の指先が触れる。


頬を滑った指はすぐに離れ、何かを言おうと開かれた口からは音が出ることはなく閉ざされた。

歯を食いしばってうつむいた顔からこぼれ落ちた水滴は、木製の床に染み込んでいく。


結衣から二歩ほど後ずさった綾音は、両手で自分の目を隠す。前髪を巻き込んで握りしめたこぶしには力が入り、肩が震えていた。


誰に憤り、何に腹を立てているのか、野田は彼女じゃないのでわからない。


抑えきれない感情を持て余した綾音は、涙こそ流しても、泣き声はひとつも漏らさなかった。




騒然とする周囲の観衆を日暮が散らす。



「加害者は」


「倉庫のほうに連れて行った。怖いもの見たさで同行した女も一緒だ。……そいつらいわく、どさくさに紛れてひとり逃げたらしいが、それも人を使って追わせている」


「そうか。休ませてやれ」



日暮の言葉に大原はうなずき、結衣を奥の仮眠室に連れて行く。

大原は綾音を気にしているようで、何度も野田たちを振り返った。


仮眠室のドアが閉まる時には、綾音は涙をぬぐっていた。



「お見苦しいところを晒してしまい、申し訳ございません」



赤くなった目をや崩れた化粧を気にすることなく、綾音がほほ笑む。



「泣き得はフェアじゃありませんもの。どうぞお気になさらず、見なかったことにしてください」



気丈なんて言葉で済ませていいものじゃない。

綾音の強がりはもはや異常の領域だと野田がおののく。



「このことは武藤へ報告はします。ですが、先程の言葉は嘘ではありません。わたしが保証致しますわ。……あの子に害をなした者を、許すつもりは毛頭ありませんが……。殺してやりたい、が本音であることはお忘れなく」



こいつは本気だ。

少女の冷徹な一面に野田は背筋が寒くなった。



「うん。こっちも落とし前はちゃんと付けるからねー。やらかした奴に言いたいことがあったら聞いとくよ?」



質問に綾音は小首をかしげて考える。

応接室で探り合いをしていたときのギスギス感が嘘のように、櫻庭と綾音の意思疎通は円滑なものになっていた。



「そうですね……。では、結衣が自分を害した者をどう見ているかを、あなたの口からお伝えください。あとこれはわたしからの伝言で、あなたたちは一生、最低ひとりの女に恨まれながら生き続けるのだと自覚なさい、と」


「君ってなんだかんだでえぐいよねー。いいよ。脚色して思いっきり後悔するように伝えとく」


「期待しておりますわ」



時々このふたりについていけなくなるのは俺だけか。

当惑する野田の心情などお構いなしに、綾音は野田と櫻庭、そして日暮に頭を下げて背を向けた。



「待って、……あなたは?」



階段へと足を進める綾音をマヤが止めた。



「そういうあなたは?」


「結衣の友達です」



聞き返した綾音に、マヤが迷いなく告げた。

答えを聞いた途端、綾音は顔をほころばせて嬉しそうに表情を綻ばせた。



「わたしは、結衣の友達継続希望者ってところかしら。あなたがいてくれて、本当によかったわ」


「結衣に、会っていかないの?」


「喧嘩中なの、わたしたち」


「だったらなおさら」



詰め寄るマヤにも、綾音は揺るがない。



「喧嘩の終わりは、原因の答え合わせが必須よ」


「……は?」


「わたしに答えが出ていても、結衣も同じで何かを見つけたとは限らない。これは期限が設けられた議会の話し合いみたいなものじゃないわ。先に答えを出した人間が、考え悩む者に自分の答えを押し付けるのは違う。悩んでいる子に、待っている側が我慢しきれず答えを急かすのも、禁じ手のひとつよ」



歌うように、最後まで詰まらず綾音が言い切る。

それは、彼女たちの間に確立したルールのひとつなのかもしれない。



「だったらいつまで、あなたは待ち続けるの?」


「何年でも、何十年でも。……それが報いよ」



それだけ言って、マヤに手を振った綾音は階下へと去って行った。


呆然としているマヤの肩を三國が抱いて、結衣のいる仮眠室へと誘導する。


日暮はこの場を櫻庭に任せ、加害者が待機する倉庫に行くため階段を下りた。



「あの子が言った何十年ってのは、結衣ちゃんが綾音ちゃんたちを見限った想定の話だろうねー」



静かになった2階の廊下で、櫻庭が野田に言う。



「一生背負う覚悟はあるって、綾音ちゃんは言ったんだよ」



話が読めない。それが何を意味するのか、野田には掴みかねた。



「こっからは俺の推察。確証はないけど多分当たってるし、綾音ちゃんも同じことを思ってる」



野田と並んで階下を眺めながら、櫻庭は続ける。



「結衣ちゃんはねー、人間に対して嫌いとか、憎らしいって感情をまったく持ってない。そういった感情が芽生えたとしても、長続きしてくれないんだろうねえ」



「……へ?」



言われたことを理解するのに時間がかかった。



「あの子の中には大好き、もしくは大切といえる人間がほんの一握りいて、あとは全員その他、どうでもいい人間にまとめられちゃってる。普通の人間が嫌いだって何かしらの感情を示すような基準の者でも、あの子の場合は感心すら示さない。結衣ちゃんが誰かと、——綾音ちゃんと喧嘩して決別を決めてしまったら、悪感情なんてひとつも残さず、結衣ちゃんにとって綾音ちゃんはどうでもいい人間、つまりは他人に成り下がる」



淡々と喋る櫻庭は野田を見上げて苦笑した。



「そうなってしまった可能性を示唆しながらも、綾音ちゃんは結衣ちゃんのためにここまで乗り込んだ。そういう意味では綾音ちゃんの愛情も、十分狂っているのかもねー」



責めてくれるほど嬉しいことはないと言った綾音の、その言葉の理由。


どうでもいい人間ではなく、まだ結衣の数少ない特別でいられることに対しての「嬉しい」だったのか。



「もしも結衣ちゃんが自分を見限っていたとしたら、直接会いに行ってごめんなさいって言っても、迷惑にしかならないだろうからねえ。そうなっていたとしても、——たとえ他人に成り下がっても、綾音ちゃんは結衣ちゃんが大好きなんだってさ」



さっき櫻庭が言った「薄ら寒い」はここか。

どんな危険を冒したところで実を結ばない愛情。

綾音はそれでも構わず、結衣の安全と幸せのために動いた。



「そんでもってさっき綾音ちゃんが言った、結衣ちゃんが加害者をどう思っているのかうんたらかんたらは……、まあ、あれだね。悪意を持って危害を加えたのに被害者が、え? だから? 全然気にしてませんけど? って状態だったら、加害者は結構こたえるだろうねえ。そいつらが構ってちゃんならなおさらに。こういうことするやつらって、自分の存在を認めて欲しくて動くのに、やらかした行動以前に自身そのものが被害者に認識されないなんて、もープライドずたずただよ」



非常に返事に困る。


……楽しそうですね、あなた。若干引いたよ。



「人は生きていく上で自然と誰かの恨みは買ってしまうものだけど、面と向かって恨んでますなんて言われるケースは珍しいからねー。それを一生背負い続けろって、綾音ちゃんも怖い子だねえ。どうやって心に響くよう伝言できるか、腕の見せ所だと思わない?」



……絶対敵に回したくないな、この人。


おそらく櫻庭も勝手に動いた連中には多少なりとも腹を立てているのだろう。この男に加虐趣味はないと信じたい。



「さ、俺たちの答え合わせはここまで。というわけだから、あっくんは引き続き結衣ちゃんをよろしくねー」


「……おっしゃってる意味がわかりません」



引き継ぐとかの前に、野田は結衣の担当でもなんでもないと自負している。



「えー、こんだけ教えたんだからちょっとはがんばろうよー。ちいくんじゃ多分あの子に潰されるだろうし、俺はもうちょっとで引退だしねー」


「年末まであと4カ月もあるでしょう!」


「うるせえ」



必死に辞退を申し出ていると、後ろからしばかれた。

振り返ると疲れをにじませた大原がいて、彼は親指で結衣の寝ている部屋を指し示す。



「あいつ、このまま寝かせておいていいのか? 起きたらまた無理してでもこっから出て行こうとしないか」



6月末に結衣が男たちに拉致された時のことを含めて言っているのだろう。

彼女がここでゆっくり休もうとしないのは、この場にいる一同、容易に想像できた。



「ひとまず水口君に押し付けよっか。彼氏さんなんだし。俺たちの平謝りもまた今度。聞いてくれるかどうかは別だけど。綾音ちゃんじゃないけど、俺らの都合であの子をここに留めちゃだめでしょ」



櫻庭のそれは提案じゃなくて決定事項のようだ。

すでにスマホを手に持って通話の体制をとり、そのまま応接室へと入っていった。



「……なんで俺はこんな短期間に2度も高瀬に謝ることになっちまったんだろうなあ」



力なく言い放った大原がうなだれる。心中お察しします。

吉澤先生にも頭を下げて報告して、顔に一発は覚悟すべきかなど今後の予定をぶつぶつ呟いている大原の姿が、野田には他人事に思えなかった。


ひとまず下の連中の教育で、高瀬結衣には何があっても手を出すなというのは徹底させよう。


心に決めた野田の前に、アークのウェイターが近づいた。

緊張して背筋が伸びたのは、彼が皇龍のOBだからだ。



「さっき2階から下りて来た女の子から伝言を預かってきたぞ」


「はっ? それは……?」



大原も姿勢を正す。

女というのは綾音のことで間違いないはずだ。



「切り札のつもりで取っておいたが、やっぱり使っておく、と。皇龍のことはこちらでもいろいろと調べました。お気を付けて、結衣は柳先生のお気に入りですから、だとよ」



柳、……先生?


……誰だ?



「皇龍で柳って名前に付く人で有名なのは、ひとりしかいないだろう」


「いや……確かにそうですけど、先生って……」


「とにかく俺は伝えたぞ」


「はいっ、ありがとうございます」



ウェイターが去った後、野田と大原は顔を見合わせた。


彼の言ったとおり、皇龍で柳といったらあの人しかいない。

初代皇龍、トップを張った吉澤と肩を並べていた男。


吉澤倖龍が皇龍の設立者なら、その男は影の立役者だと言われている。






——柳 虎晴。






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