10.不意打ち上手(中)
「モノトーンか」と野田が訊くと、鈴宮綾音は少しだけはにかんでうなずいた。
綾音は可愛らしい顔立ちをした女の子だった。
小柄で、身長も結衣より少しだけ高い程度だ。
常に人当たりの良い笑顔を浮かべていて、話す相手に人懐っこそうな印象を与えてくる。
接しやすい人柄といえばそうなのだろうが、自分も第一印象で好印象を獲得できる人間だと自覚している野田は、綾音の笑顔を信じることができなかった。
野田が1階に下りて彼女に声をかけて上に連れていく際に、見ていた店の客が悲鳴混じりの奇声を上げた。それに対して綾音は驚かず、まったく表情を崩さない。
見たところ綾音には同行者もいないようだ。
そもそも敵地かもしれない場所にひとりで乗り込んでくるあたり、彼女は普通じゃない。いや、彼女も——か。
凍牙をはじめ、結衣の周りにいるのはこんなやつらばかりなのかと、階段を上がりながら野田は背中に嫌な汗をかく。
2階にある来客用の応接室。
対面になっているソファに綾音はひとりで腰掛け、向かいのソファには櫻庭が座った。日暮は櫻庭の後ろに立ち、野田はドアの前に控える。
「はじめまして、鈴宮綾音と申します」
柔らかい声音で綾音は言った。
対面している櫻庭が自己紹介に反応を返さなくても、彼女はうろたえない。
「本日は武藤春樹の意思を伝えるために参りました」
「ふーん。で?」
そっけない櫻庭の声に野田は密かにげんなりとあらぬ方を向いた。
殺伐とした空気に困惑しない綾音は大したやつだと感心する。
「高瀬結衣を、あなた方はご存知ですね」
そして綾音は切り込みが早い。
「どーしてそこを断定しちゃうのかなー。そんな子俺たちは知らないって言われたらどうするの?」
「そちらの方はわたしの顔を見てここまで連れて来てくださった。それが答えですわ」
綾音が野田を見て微笑む。
「ごめんなさい。少しだけ嘘をつきました」
眉を下げた綾音は、申し訳なさそうに告げた。
「わたし、モノトーンを発足させた武藤たちとは、その少し前から表面上の親交を断っていますの。ですからわたしを見てモノトーンとあなたがおっしゃった時点で、あなたが何をもってわたしたちの仲間という枠組みを決めたのか、想像に難くありません。——そしてその枠組みには、高瀬結衣も入っている」
こてんと首をかしげた綾音の仕草はまあ、可愛い。しかし告げられた内容は、野田にとって笑うに笑えないものだった。
ゆるい空気を纏いながら、綾音は容赦なく言いきった。
「わたしたちの卒業アルバムを、ご覧になりまして?」
「……そーちょー、あっくーん」
後ろを向いた櫻庭が恨みがましく野田を睨んでくる。
勘弁してくださいと、野田は櫻庭に両手をあげた。
これを見破るのはさすがに難しすぎるだろ。
「発案者は武藤か」
日暮の問いに、綾音はあっさり首肯する。
「ええ。しばらく店内にいて何もなければソフトドリンクを飲んで帰るつもりでした」
それで、まんまと俺は餌に食いついてしまったというわけか。
「そーんな危険なことよく武藤君は君にさせたねー」
「実際この店に入るかどうかは、街の治安を見てから判断しろとは言われました」
「で、俺たちは君のお眼鏡にかなったわけかあ」
「まさかこんなに紳士的な方たちが治めているとは思ってもみませんでしたわ」
「それはそれは光栄だねー」
綾音に褒められているのに、野田は素直に喜べない。
ソファにいる櫻庭と綾音、両者から伝わってくるぎすぎすした空気が、円滑な会話はすべて建前だと証明している。
櫻庭と綾音のやり取りに、野田は聞いているだけで胃に穴があきそうになった。
「まあ、気を取り直して俺らも名前ぐらいは言っとこっか。俺は皇龍の櫻庭で、後ろの無表情が総長の日暮ね。そんで、あっちのホストにいそうなのが野田だからねー」
「はい。よろしくお願い致します」
絶えずにこにこと微笑む綾音は、結衣とはまた別の意味で本心を探るのが難しい。
本気でよろしくしたいと思っているのかも、野田には判別できなかった。
「武藤君の連絡先、俺知ってるんだけど。武藤君もやろうと思えば、多分俺たちに連絡なんていくらでもできるよね。それなのに君が不意打ちのごとく直接ここに来た理由はあるのかなー」
「わたしたちの中で、大切な話は顔を合わせてというのが決まり事のようになってますの。電話ですとお顔はうかがえませんもの」
「武藤君が直接ここに来なかった理由は?」
「武藤が動きますと、彼の周囲でもモノトーンが動いたと認知されてしまいます。わたしがお伝えしたいのは、モノトーンという組織ではなく、武藤個人の意思であることを先に申し上げます」
一呼吸置いて、綾音は笑顔を止めた。
しんと静まり返った室内で、時計の秒針が耳につくなかで、彼女は静かに口を開く。
「高瀬結衣は、組織としてのモノトーンとは無関係な子です。モノトーン側もあの子を使いあなたたちに害を成すことは、誓ってありません」
「君の言葉を俺たちが信じるとでも?」
野田が意地が悪いと自覚しながら言ってみると、綾音は困ったように笑った。
「確たる証拠なんて何も出せませんわ。そうね……、お調べいただきますとわかるでしょうが、高瀬結衣は個人的な連絡手段を持っていません。あの子をモノトーンに組する者とするならば、いつあの子がモノトーンと連絡を取っているのか、先にあなた方にそこを説明していただきたいですわ」
わたしの言葉を信じてもらうしかない、とか言って情に頼ろうとしないところが手強い。
野田は眉間に皺を寄せて黙り込む。
調べなくても、あの子の電話嫌いはよく知ってるよ。
「実はねー、俺たち結衣ちゃんとはもう接触しちゃってるんだー。それも結構深いところまで」
「えっ」
ここにきてようやく綾音の態度が崩れた。
「安心してねー。険悪な仲ってわけじゃないから。むしろ逆に関係はちょー親密だしー。あの子が自分のことを話してくれるぐらいにはねえ」
声からして、櫻庭はさぞ楽しそうな顔をしているのだろうと野田は一歩引いて達観する。
ようやく見つけた綾音の隙を、櫻庭が逃すはずがない。
「——結衣ちゃんを傷つけたのって、君?」
綾音の表情が固まった。
櫻庭は綾音を試している。
皇龍への所属を断った結衣は、かつて自分が大切な子を傷つけたとしか、野田たちには言っていない。
結衣が傷つけた相手というのが綾音だったとして。なおかついさかいの原因が感情からきたものだったら、結衣だけではなく綾音自身も罪悪感を抱いているはず。
綾音が単身でアークにまで乗り込んでくるほど結衣が大切なら、罪の意識は余程のものだと見込んで、そこに櫻庭はつけ込もうとしている。
「でしたら、何か?」
「んーんー。何ってほどじゃあないけどねー。結構な親睦を深めた俺たちにとって、過去に結衣ちゃんを傷つけた相手にいい顔は出来ないっていうかー。正直俺は君が嫌いかなー」
櫻庭の演技に野田が舌を巻く。
どっこも正直じゃないですけどね、あなたは。
「そうですか」
責める櫻庭に、綾音は気にせず首肯する。
「あれれー、それだけー?」
不満げな櫻庭に、綾音はすがすがしいほどきっぱりと言い放った。
「だってあなたは、結衣じゃありませんもの」
高瀬結衣というフルネームか、「あの子」と言って濁していた綾音が初めて、その名前を言った。
たったそれだけのこと。
なのに、「結衣」いう名を口にした綾音からは、先ほどの愛想を張り付けていただけの顔と打って変わり、表情に愛おしさがにじみ出る。
「あの日のことで、わたしを責めて、けなして、罵倒して、怒りをぶつけていいのは結衣だけよ。そしてわたしが心からごめんねって謝って許しを請いたいのも、大好きって伝えたいのも、結衣だけ」
櫻庭を見る綾音の目は挑発的だ。
「嫌おうが憎もうが、どうぞお好きになさって下さいな」
副音声はこの一件に部外者は口出しするなといったところか。
野田の綾音に対する警戒心が増した。
さすがはペースクラッシャーの友人なだけはある。




