7.動けない(上)
考えれば考えるほど空回りして納得のいく答えが見つからないまま、世間でいうところのお盆最終日、8月16日を迎えた。
ここのところ昼過ぎにカプリスのバックルームで待機している時間も、夏休みの宿題に手をつける気になれずにひとりで延々と考えていたけれど、バイトでのんびりできるのは今日が最後だ。
周辺の会社が動き始める明日からは、店もまた忙しくなってくる。そうなるとぼんやりしているわけにはいかない。
仕事のときだけでも気持ちを切り替えないと。
この日、数日ぶりに凍牙がカプリスに現れた。
凍牙のお兄さんに会った日以来の再会だ。
——逃げるな。
顔を見た途端、その言葉が頭の中で再生された。
そうだよ。わたしは今、ものすごく逃げ出したい気分だよ。
やけになって出かかった八つ当たりは寸前のところでかみ殺した。
「辛気臭い顔になってるぞ」
「だろうね。自覚はあるよ」
指摘されて開き直って、そんな自分にまた落ち込む。
明らかにおかしいわたしに対し、今まで何も言わずにいてくれた静さんでさえ、この時ばかりは苦笑していた。
バイトが終わって、ふたりで繁華街へと歩く。
互いに無言はよくあることだけど、ここまで空気がぎすぎすしているのははじめてかもしれない。
原因はわたしか。
「寝れているのか?」
前方一点集中を崩さないわたしに凍牙の声が降り注ぐ。
「ご想像にお任せする」
「ああ、寝てないんだな」
そのとおりだよこのやろう。
言い出したら止まりそうにないので、口をへの字に曲げるだけにした。
自分自身と向き合ったところで一向に答えが出ないことに焦って、どうすることもできずにもがいているのがわたしの現状だ。
ひょっとすると、わからないのではなくて、わかりたくないだけかもしれない。
それを考えると、頭の血が一気に下がる感覚がする。
もう逃げ出したい……、認めたくないと心の中で臆病な自分が叫んでいるのは知っていた。
「津月にでも相談したらどうだ。色恋沙汰に関してはお前よりはるかに先輩だろ」
「そうかもしれないけど」
マヤに話さないのは、わたしのくだらない意地だ。
過去の失態を赤裸々に打ち明けるには、なけなしのプライドが邪魔をした。
自分の事情をいちから伝える勇気がない、だから言えない。そして相談できない。
仕方のないことだと自分に言い聞かせ、泳がせていた目線を再び前方に向ける。
今は凍牙との交際を偽装する時間だ。
「取り繕わずにへたってろ」
心情を見透かしたように指摘された。
「見ていてイライラする」
「……それはほんとにごめんなさい」
声が波打ってしまった。与えられた役目すら、わたしは満足にこなせないのか。
自分の無力さにうなだれたけど、同時に肩の力が自然と抜けた。
「考えるのって、つらい」
「だろうな」
弱音を受け入れてくれただけで、馬鹿みたいに安心してしまった自分に気づく。
突き詰めるのは楽じゃないけれど、ここで目をそらしたら一生わたしの中にわだかまりが残る。
後ろめたい気持ちで、みんなに顔向けなんてできない。
考えあぐねて、疲れきっていることは認めよう。
自覚して、またそこから頭を動かせばいい。
定番のコースとなりつつある、駅のロータリーの前で赤信号により足を止めた。
電車が来た直後だろうか。夕暮れ時の駅はいつも以上に人が多かった。
待ち合わせの車がロータリーで渋滞を作っている。
青になった信号に足を踏み出そうとした途端、凍牙がわたしの手首を掴んだ。
横断歩道から180度引き返し、すぐそこの細道へと連れていかれる。
「どうしたの?」
速足の凍牙につまずきそうになりながらもついて行く。
建物に挟まれた路地は薄暗く、足元がおぼつかない。
「嫌な顔を見た」
「は?」
嫌な顔と言われて思い浮かんだのは、皇龍幹部の顔見知りたちだ。
だけど彼らだったら、多少気まずくはあるけれどここまで露骨に避ける必要はないはず。
いったい何を見たのかと、凍牙に聞こうとした時——。
「高瀬!!」
背後の呼び声に気を取られ、わたしは段差に足を取られてしまった。
バランスを崩したわたしを凍牙が支えてくれたため、ことなきを得る。
今の、手首を持っててくれなかったらコントみたいに気持ちのいいこけかたをしたよ。
誰だ不意打ちでわたしを呼んだのはと振り返ると、何人かの人が立っていた。
改めて目視で確認する。
人数は5人。全員男。暗がりでわかりづらいがわたしと同じくらいの年齢か。
「高瀬、だよな。やっぱりこの街にいたんだな」
一歩、また一歩と近付くにつれ男たちの顔ははっきりしていくが、いまいちピンとこない。
「……蹴飛ばしてやりてえ」
前の連中よりすぐ近くから聞こえてきた物騒な声のほうがよほど気になる。
「……あ」
細い道なので体つきのいい5人の男は横一列になれない。前に3人、その後ろに2人と彼らは前後になる。
前方の男たちが動くことによって見えた後ろ側にいた男の顔が、わずかに記憶に引っかかった。
「後ろの右側、中3の時同じクラスだった人だ」
「他は?」
「知らない」
「……前の3人のうち右と真ん中は、中3と中1でそれぞれ俺のクラスにいたやつだ」
「他は?」
「知らねえ」
あ、そう。
しかし5人中3人も出身中学が同じだったなら、あとの2人もその関連だろうか。
「なあ、高瀬。俺らずっとお前に謝りたかったんだ」
……何を?
急に言われても、わたしにはこいつらに謝罪される心当たりがない。
それよりも、出身中学の奴らがわざわざ春成木にくるってことは……。
「春樹が、あんたたちにわたしを捜せって言ったの?」
「は? いや……武藤はむしろ高瀬は捜すなって……」
「そ、だったらいい」
心の底からほっとした。
有名になった春樹が手足のように人を動かしてまでわたしを見つけようとするなんて、もはや決別を言い渡すためとしか思えないから。
こっちの事情を顧みる必要のない、みんなにとってどうでもいい人間にわたしはまだなっていない。
わたしはモノトーンの意味を、取り違えてはいないようだ。
「なあ、許すって言ってくれよ高瀬。じゃないと俺たち、武藤に顔向けできないんだよ」
代表者なのか、前の中心にいる小太りの男がすがるように言ってきた。
「本当に悪かったって思ってる。あのときは調子に乗ってたんだ。まじですまなかったって」
……あのとき? いつだ?
許さなければならないようなことを、わたしはこいつにされた覚えはない。
それに、わたしが許さないと春樹に顔向けできないって、それは謝罪としてどうなの。
「お前は今、他人のこと気にかけてる余裕があるのか?」
見上げると凍牙と目が合った。
質問に対してのわたしの答えはもちろん。
「ない」
現在、自分のことでいっぱいいっぱいだ。
正直こいつらがどうなろうと知ったことではない。
頭をかきながらため息ひとつ、凍牙が男連中に歩み寄る。
「貸しひとつだ。話しつけとくからさっさと帰れ」
「いや……でも」
「今度カプリスで昼飯おごれ」
それはまた、手作り弁当よりもはるかに楽な条件だ。経済的には痛いけど。
「お願いします。ちゃんとコーヒーも付けるから」
「当たり前だ」
凍牙に背を向けて、道を奥に進む。
付き合いを始めて街を徘徊するようになって、道にも少しは詳しくなった。
この道からでも公園にたどり着ける。そこから裏道を通ってマンションに帰ろう。
「おい! 高瀬!!」
焦った男たちの声は、聞かなかったことにした。




