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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【モノトーン編 中】
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6.定まらない(下)





時刻は16時をまわり、マヤがそろそろ帰ると言った。

ふたりでバックルームを出る。調理場のドアを開けて店へ入ろうとしたところで、反射的に足を止めた。

なんというか、店内の空気があまりにもおかしかった。


わたしとマヤより先に店へ戻った静さんが調理場にいる。これは自然なことだ。


問題があるとすれば、ここからだろう。


カウンター席には柳さんと、いつから来ていたのか三國翔吾が座っていた。


一方的に喋りまくる柳さんは、反応を返さない三國翔吾の背中をばしばしと叩いている。三國翔吾は実に迷惑そうだ。


テーブル席の一角では、これまたいつの間に来たのか凍牙の姿があった。

こっちは柳さんと三國翔吾のやり取りに対して完全無視を決め込んでいる。


我関せずと自分の世界でアイスコーヒーを味わう凍牙。

三國翔吾をいじくりまくる柳さん。

無表情の顔に苛立ちが滲むも、柳さんには何も言えない三國翔吾。

その光景をにこにこと微笑みながら見守る静さん。


それぞれの空気に温度差がありすぎる。



「彼氏さんは、マヤのお迎えだよね?」


「そうなんでしょうけど……あの人、街で会ったら全力で逃げろって言ったさっきの結衣の意見は、重く受け止めておくとするわ」



呆気にとられているマヤには、それがいいと呟いておいた。



「マヤ」



裏口から調理場を通って店に出ると、マヤに気づいた三國翔吾が立ち上がった。

嬉しそうにマヤに近付く姿はまるでしっぽを振って飼い主に歩み寄る大型犬だ。



「翔吾、皇龍はもういいの?」


「俺のやることは終わらせた。今日、マヤの家の人遅くなるから、マヤは俺んちで晩御飯だって」



家族ぐるみの付き合いがにじみ出た会話だな。



「あら、だったらおばさんのお手伝いしなくちゃ」


「買い物リストがメールで送られてきてるから、スーパーで買って帰ろう」



二世帯同居の新婚生活の理想を見ているようだ。



「ありがとうございました。シフォンケーキ、とてもおいしかったです」



マヤが静さんにおじぎをする。



「わたしも楽しかったわ。また好きなときに来てちょうだい」


「はい、ぜひ。結衣も、また遊びましょうね」


「そのうちね」



わたしのあいまいな返事にマヤは苦笑する。



「絶対よ」



軽い口調で念を押して、マヤはカプリスをあとにした。


三國翔吾は黙って柳さんに頭を下げ、静さんにも軽く会釈をしてドアへと足を進める。



「……泣かせたら殺す」



そして外へ出ようとした寸前で振り返り、わたしに向かってそう言った。

大型犬はわたしの返事を待たず、飼い主のもとへ行ってしまった。


まいったな。皇龍とトラブルになるのはいいとして、マヤを傷つけるようなことがあれば本当に殺されそうだ。



「おー、怖いねえ。水口もホントの恋人が出来たらああなるのかね」


「俺よりも結衣のほうが可能性があるんじゃないですか。あっちのほうがあなたの理想の反応をしてくれそうですよ」


「柳さんが厄介だからってわたしに押し付けるな」



被害者になりたくないのはわたしだって同じだ。


噛みついたわたしを無視して凍牙は調理場の静さんにさっきまで飲んでいたアイスコーヒーのグラスを渡した。



「ごちそうさまでした」


「おそまつさまでした。本当にいいの? こんなのをお手伝いのお代にしちゃって」


「ええ、十分です」



どうやらアイスコーヒーはたまに店の掃除を手伝う凍牙への賃金だったらしい。





少し早い時間だが新しくお客さんがくる見込みもないので、カプリスは閉店の作業に取りかかった。

凍牙とわたしで店の掃除をして、静さんと柳さんが調理場を片付ける。

途中フロアのモップがけを凍牙に任せて、わたしは本日の売上とお金のチェックに回り、現金は金庫に閉まった。


小さな店だけに4人で動けば終わるのも早い。

17時を少し過ぎたころには、店を出て帰る準備まで完了した。


夕食を一緒にという静さんと柳さんの誘いは断った。

ニセの交際は街で目撃者を作れないと意味がないからだ。

大人ふたりに挨拶して、わたしと凍牙は街中へと足を進めた。



「疲れてる?」



商店街への近道となる細い通りで凍牙を見上げる。

口数が少ないのは普段通りだが、雰囲気からしてどこか疲弊しているように感じられた。



「どっかの誰かに面倒な宿題を押し付けられたおかげでな」


「それについてはありがとう。でも、わたしはアークにだけは絶対行かないからね」



マヤに夏休み事情を聞いて余計に決心がついた。



「いや、アークに行くまでもなく、この前のように呼び出せばよかったと反省しているだけだ」


「そうなっても多分わたしは凍牙に任せてたよ。櫻庭先輩って人としてやりづらいし」


「……同族嫌悪か?」


「かもしれないけど、あそこまで愉快犯にはなりたくないかなあ」



櫻庭先輩の明るい笑顔の裏側に、結構えげつない部分があるのはなんとなく察している。

あれは人が困惑している姿を見て心の底から楽しむ性質の人だ。


本家柳さんには敵わないけど、櫻庭先輩も同じような分類だろう。……となると、凍牙の言った同族嫌悪は全力で否定すべきだったか。


わたしは柳さんみたいにはなりたくない。



「皇龍はすでに把握済みだったぞ。お前と武藤の関係も、お前が危険を承知で沈黙を決めたおおよその理由もな」


「そっか。別にいいよ。戦争したいわけじゃなかったし、この先有事があったときに出せるカードは持っててもいいかなってぐらいの算段だったから」



皇龍側に口を滑らせたのはわたしだ。やってしまったものは仕方がない。

わたしからしたら凍牙がこちらの目論みを踏まえて、皇龍に黙ってくれていたことが一番驚きだ。



「でもそうなってくると、春樹たちがモノトーンという組織をどう扱ってるかは知らないけど、安易な接触は避けるべきか」



この街で暮らしているなら余計に。

うわさが独り歩きして、皇龍と関係ないところでおかしな因縁をつけられてはたまらない。


それにしても「モノトーン」という単語を口にするのって、なんだかおもはゆいな。



「逃げるなよ、そんな理由で」


「逃げてないよ。平和的にいきたいだけ」



——違うか。


今のはわかりやすい言い訳だ。



幅の狭い道から商店街の歩道に出た。話し合ったわけでもないが、駅のほうへと曲がる。

周囲の視線を浴びながら、黙って凍牙の隣を歩き続けた。


駅前のロータリーを一周し、人通りの少ない公園に足を向けようとしたときだった。



「——凍牙か?」



後ろからした声に、凍牙ではなくわたしが反応して振り向いた。

10メートルほど離れた場所にいた男性が、小走りで近付いてくる。


知り合いかと問いかけようと隣を見上げたのだが、凍牙の冷めきった目つきに口から出かかった言葉が引っ込んだ。



「奇遇だな、こんなところで会うなんて」



親しげに話す男性に、凍牙は口を閉ざしたままだ。


声をかけてきたのは、黒い髪にシンプルな眼鏡をした気弱そうな男性だった。

日に焼けてない線の細い体つきに、身長は凍牙よりこぶしひとつほど低いくらいか。


見覚えのない人ではあったが、凍牙と見比べるとすぐにピンときた。

目つきは全然違うけど、鼻の形や唇がどことなく似ている。



「血縁の人?」


「……兄だ」



そう返した凍牙は、どこか投げやりだった。

弟の態度に、凍牙のお兄さんは苦笑する。



「相変わらず愛想がないな。はじめまして、凍牙の兄で、崇司(たかし)と言います。まさかと思って声をかけたけど、凍牙が女の子といるなんて珍しいことがあるんだね」


「お前には関係ないことだ」



わたしに近づこうとした崇司さんとのあいだに、凍牙が割って入った。

大きな背中が崇司さんを完全に見えなくする。



「なんだ、ひょっとしてその子、お前の彼女か?」



からかうような声。



「それこそ関係ないことだ。行くぞ」



低い声で言った凍牙は、あいだに入っておきながら足早に先へ行ってしまった。

凍牙に追いつこうと、わたしも崇司さんに背を向ける。



「予備校に行く前に面白いものが見れたよ」



にこにこと笑う崇司さんの眼鏡の奥に、引っかかりを見つけた。この男、単純に人当たりが良い人間というわけではなさそうだ。


それはわたしの中で、警戒すべき人だと判断するには十分なものだった。



「またね」



手を振る崇司さんに軽く会釈をして、急いで凍牙に追いついた。


横に並んでも、凍牙の歩調は早いままだ。



「気をつけろよ」



前を向いたまま凍牙が言う。



「普段は街で会ったとしても声を掛け合う仲じゃない」


「珍しかっただけじゃないの? 凍牙が同年代の女子と一緒にいるのが」


「だったとしてもだ」



憤りが滲みでる声に、苛立ちを抑え切れていないのがわたしにも伝わってくる。



「もしもおかしなことをしてきたら、俺の身内だからと容赦するな」



弟の友達、もしくは彼女をからかうような人には見えなかったけど……。

どちらかというと、あれはわたしを見下す目だった。

優しそうな笑顔には、どことなく優越感がにじみ出ていた。



「あいにくと、わたしの信条では友達の家族は他人でしかないんだ」


「ああ、それでい」



大きくうなずく凍牙に調子が狂う。



「仲悪いの?」


「良くも悪くもない。もともと家でもほとんど会話のない、他人のような関係だからな」


「ふうん」



各家庭の有り様なんてそれこそ千差万別か。


わたしの家の長男と次男も、仲良しこよしというわけではなかったからなあ。


そんなことを話しながら、駅前の公園に行きつく。

夕方の公園は人も少なく、たまにランニングや犬の散歩をする人とすれ違う程度だった。



「お兄さんが勉強をがんばってるから、凍牙はそんな風に育ったのかな」



つい自分の家庭に当てはめて凍牙に言ってしまった。



「……かもな。その理屈でいくとお前にも真面目な上がいるのか?」


「いるよ。ふたつ上の次男は偏差値の高い公立高校に通いながら、毎日塾に行ってる人だから」



見下ろしてくるのに物言わぬ凍牙。

解せないって顔しているけど、あんたも人のこと言えないからね。



「ちなみにいっこ下の妹は中学から中高一貫のそれなりに有名な私立に通ってる。世間的に見たら、わたしは兄妹の落ちこぼれなんだろうね」



実際、実家の近所で「高瀬さん宅の3番目の子は……」という陰口を聞いたこともある。



「まったく気にしてないけど」


「だろうな。俺はお前をここまで野放しに育てているお前の親を称賛したいぐらいだ」


「そこは前例があるからってのも結構な理由になってるよ。父も母もわたしの性質は長男寄りだって言ってたし。まあ、頭の出来は雲泥の差があるけど」



涼君がいなかったら、わたしはあの家で疎外感だけでなく、劣等感にもさいなまれていたはずだ。

だけどわたしがどんなに努力しても涼君のようになれないから、ここはもう割り切るしかない。



「天才はいるって、あの人を見てるとつくづく思うよ」



わたしが10の努力でようやく理解することを、涼君は1の努力で頭に入れてしまう。

余った力でさらなる段階へと進んでしまうから、わたしはいつまでたっても追いつけない。



「お前がそこまで言うとは、よほどすごい人なのか?」


「高校時代、実家からの援助は学費だけという環境で3年間ひとりで生活したあげく、現役で国立大学に進学してみせた」


「……孫の代まで語り継がれそうな話だな」



そうだよ。これは高瀬家の伝説だ。



「基本わたしの家は放任主義だから。やりたいって言ったことはよっぽどじゃなければやらせてくれる」



次男も妹も、親に押し付けられて勉強しているわけじゃない。



「わたしのひとり暮らしだってそうだよ。……親がものすごく心配してるのはわかってるけど」



心配できるのは親の特権だなんて母は言っていたけど、本音は近くに置いて安心したいはずだ。

わたしのように、勉強ができるわけでも、人付き合いが得意でもない子供なら余計に。



「凍牙の家はどうなのさ」


「……崇司には過保護、俺は放任、だな」



空を見上げた凍牙にへぇ、とだけ返す。


詳しくは聞けなかった。


まるでこうなったのが不本意とでも言いたげな、やりきれなさが見え隠れするあきらめにも似た凍牙の表情を見てしまったから。


らしくないなとは思ったが、これ以上はわたしが言及していい領域を超えてしまう。好奇心だけで気軽に踏み入ってはいけない。






付き合っていることを周囲に認知させるためにこうしてふたりで歩いているわけだけど、街中よりも人気のない場所のほうが好きだった。

本末転倒な気がしないでもないが、この公園の遊歩道はわたしのお気に入りだ。


公園を抜けると、表通りから一筋離れた、バーやクラブが乱立する道へと向かう。


まだ明るい夕方の時間、開店している店は少ないものの、道端には若者がたむろしていた。


信号のない細道を曲がり再び商店街へ出て、今度は駅に背を向け学校がある方面へと歩く。

人がいるところでは、わたしと凍牙の会話はほとんどなくなる。


商店街が終わると、通りの賑わいが消えた。


そのまま進んで行き着いた学校は、お盆期間だからか人気がなく、門扉は完全に閉まっていた。


徐々に暗くなる空の下、マンション前の坂道で凍牙と向き合った。



「春樹と綾音のこと、もう一度よく考えるって決めた」



次に会ったとき、答え合わせができるように。


互いに笑い合える、あの関係を再び取り戻すために——。


わたしの言葉に、凍牙は無表情で口を開いた。



「だったらなおさら逃げるなよ」



逃げるな。さっきも聞いた。


甘えのない、厳しい言葉を凍牙はわたしに突きつける。



「向き合うというなら、お前の武藤への情が恋愛でない言い訳探しだけでなく、恋愛対象として武藤を捉えている可能性も視野に入れるべきだと俺は思うが」


「……うん。そうだね」



凍牙の言葉を聞いて、綾音の泣き顔が脳裏をよぎる。放った声は、情けないぐらいに力が入っていなかった。





わたしの答え次第では、また綾音を悲しませてしまいかねない。向き合うと決意したのなら、この現実も覚悟すべきなのか。


凍牙と別れてマンションへと入る。


エレベーターに乗っていると、知らないうちに頬に水滴がつたった。


ひとりで静かに泣いているわたしは、人に見られたらさぞかし滑稽に映るのだろうが、幸い部屋に帰るまで誰にも出くわさずにすんだ。



逃げるな。


その一言が、胸に刺さる。


所詮わたしの決意なんて、上辺だけのものだったのかとひどく悩んだ。


本当は自分の気持ちと向き合うことがどうしようもなく怖い。

突き詰めた答え次第で、もう二度とみんなに顔向けできない可能性だってある。


空気のこもった部屋で、大窓を全開にして換気扇を回した。


誕生日プレゼントだと涼君が贈ってくれた、羽根のない扇風機をフル稼動させて空気を入れ替える。


心を落ちつけようと、何度も深呼吸を繰り返す。


涙は止まっても、心臓はうるさいままだ。




どんなに息を吐き出しても、夜のうちにぐちゃぐちゃの脳みそが整理されることはなかった。







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