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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【モノトーン編 中】
49/208

5.定まらない(上)





      ◇  ◇  ◇





——いつまで待つつもりなんだ?




凍牙の問いかけに、通話の相手は鼻で笑った。




やりきれなさがにじみ出た力のない笑い声のあと、彼は言い放つ。




——最悪、骨になっても背負い続けるさ。




自嘲気味な軽い口調だった。


それでそ、その言葉に迷いはなかった。







      *






8月のアークはスタッフを増員し、夜間だけでなく昼間も営業している。

皇龍関係者や皇龍を目的とする若者たちが男女問わずがひしめき、毎年かなりの儲けが見込まれることは、柳が教えてくれた。


かつての恩師の人脈にアークのオーナーがいることを、凍牙は最近になって知った。

考えてみれば当然か。

柳も皇龍創設者のひとりなら、繋がりがあってもなんら不思議ではない。



小野寺は以前ほど凍牙の前に現れなくなった。

先日思い出したかのように現れた際には「わたしって、男の人にすごく人気があるんだから。凍牙くんそんなに冷たくして、わたしが違う男の人を好きになっちゃっても知らないんだからね」などと凍牙に向かって言ってきた。


本音を出せばぜひともそうしてほしいところだが、それを口にするのは得策でなはい。

凍牙が無視を続けると彼女はいつの間にか消えていた。


現状はそれっきり、凍牙は小野寺の姿を今日まで見ていない。

結衣の観察眼は相変わらず目を見張るものがある。

早期解決のために凍牙が少し手を借りただけで、これだ。小野寺と関りがなくなる日もそう遠くないだろう。


しかしながら、喜んでばかりもいられない。

自分の事情で結衣と小野寺を近づけてしまったことを、凍牙は今になって後悔していた。


小野寺の特性を結衣から聞いて、気づかされた。


あの女——他人を考慮する思考を著しく欠けた人間に、結衣を向かわせるのは危険すぎるのだ。


共鳴、共感は人間のコミュニケーションで重要な役割を持つ。ひとは他者と関わる際に相手の感情をくみ取り、無意識に自分の心を揺さぶっている。


結衣はそんな他人が無自覚のうちに起こしている心の変化に聡い。

自分の軸をぶらさずに相手を揺さぶり、望んだ結果へと導く。結衣のやり方が通用しない相手が小野寺だった。


小野寺と同種の人間と向き合い、狙い通りに動かそうとすると、結衣が一貫して守り続けている「自分」の根幹を曲げる必要がある。


それをしてしまって、結衣は結衣でいられるのか。


結衣自身が危うくも必死にそうあろうとしている核の部分を揺るがすのは、あまりにもリスクが高すぎる。


本人に告げても「大きなお世話だ」と一蹴されそうだが、凍牙にとっても結衣が変わらなくて済むならそれにこしたことはない。


春樹があえて結衣から遠ざけてきた種類の人間に、俺が結衣を引き合わせていいはずがなかったと、苦い思いが凍牙の内に込み上げる。


改めて武藤と結衣の絆を実感させられた。

凍牙が思う以上に、春樹と結衣は互いを大切に思い合っている。


だからこそ、凍牙は柄にもなくイライラしてしまうのだ。


さっさとよりを戻してしまえ。

そもそも喧嘩なんざしてんじゃねえとは、部外者だから思えることだとわかってはいる。


結衣は春樹や綾音たちにだけは、どこまでも真摯にあろうとする。

だからこそ悩むことにも、時間を惜しまない。



 ——当たり障りのない人間関係の上で生きて来た俺が、結衣たちの関係に口を挟めるわけがない。







      *







「まあ、大体は正解だねー。本当は本人に言いに来てほしかったけど、結衣ちゃんには合格点でーすって伝えておいてねー」



凍牙の向かいのソファに座る櫻庭は、両手を天井に向けてのびをしながら言った。


昼時を過ぎても、アークの店内は若い男女でにぎわっている。この店には、盆や平日という要素はあまり影響がないらしい。


毎度のごとく店の一階最奥、人払いのされたソファスペースで凍牙は櫻庭に小野寺の件の経過を報告していた。


櫻庭に宿題を出されたはずの結衣はここに来ることを全力で嫌がり、挙げ句の果てに答え合わせを凍牙に押しつける強行にでた。

結衣に対する文句は山のようにあったが、凍牙がいざアークに足を運ぶと、あいつは来なくてよかったと考えをすぐに改めた。


店に入った途端感じた女たちの視線。近くを通ったときに聞こえたヒソヒソ声。


注意深く観察すれば、普段からここに来ない凍牙でもこの店で何が起こっているのか把握できた。

女の水面下の戦いに結衣を巻き込まないでよかった。



「結衣ちゃんってホントに人の分析上手いよねー。もうちょっと手こずるかと思ってたけど、こんなに早く水口君が来るのは予想外だよー」



ソファに深く腰掛ける櫻庭が足をばたつかせる。

とても高校3年の人のやる動作には思えない。



「正解したご褒美に結衣ちゃんに伝言お願い。ああいうのはどこにでもいるって伝えておいてね」


「どこにでも、ですか」


「そ。多くはないけど、うん万人にひとりというほど希少じゃない。話し合えばわかりあえるなんて理想論をあの子が持ってるとは思わないけどねー。言葉では何を言っても通じない、通じているように見せかけてまったく違う解釈をしてくる。口でやりあったところで望んだ結果を見出せない人間は、珍しくもなんともないよ。気を抜くと自分の軸ごと流されちゃうから気を付けよーねー」



それを言ってくるところから、櫻庭は結衣が小野寺に流される可能性も視野に入れていたということか。


もしそうなっていても、この人は直接俺たちに手を貸そうとはしなかっただろう。

櫻庭の話を聞きながら、凍牙は諦めの意味を込めた息を吐く。


組織に属さないとは、そういうことだ。



「結衣には伝えておきます」


「うん。よろしく頼んだよー」



ひらひらと櫻庭が手を振ったので、凍牙はここを去ろうと腰を浮かせた。



「マヤちゃんには感謝しないとねー。あの子が結衣ちゃんのお友達になってくれなかったら、俺たちはとんでもないことになってたかもしれないし」



立ち上がろうと膝に入れた力が抜ける。



「マヤちゃんのおかげで、結衣ちゃんがどんな子なのかを俺たちは把握できたようなものだからねえ」



軽い口調でそう言った櫻庭の目は、笑っていなかった。

ソファに座り直した凍牙に、櫻庭はにやりと人の悪い笑みを浮かべる。



「俺たち、武藤くんとその仲間の顔を確認しておきたくて、彼の中学の卒業アルバム取り寄せちゃったんだー」



脱力しそうになるのを我慢し、凍牙は感情を隠すのに徹した。


ああ、それはアウトだな。

さすが皇龍は行動が早い。



「ついでに水口君の写真も見たけど、いやー数ヶ月前の写真だからまったく顔が変わってないのは当たり前だよねー。あーでも、学ランがブレザーになるだけで成長したように見えるのは不思議なもんだよねえ。それはさておいて、まっさか思いもよらなところで見つけちゃったけど、結衣ちゃんって写真写りすっごく悪いねー」



結衣とモノトーンのトップ、武藤春樹には繋がりがある。確信を得ながらストレートに切り出さないのは、櫻庭の性格の悪さだろう。



「正直なことを言っちゃうとね、この前ファミレスに俺たちが行ったとき、この話が聞けるとばかり思ってたんだなー。なのに蓋を開けたら見当違いな相談でしょー。ちい君のびっくりした顔に結衣ちゃんが何か察しちゃうんじゃないかって、俺もうひやひやでさー」


「おそらくもう手遅れかと」



あれだけ千里がわかりやすい反応を見せておいて、結衣が気づかないわけがない。



「だろうねー。ついでに言うと今の今まですっとぼけ続けた水口君にここまで堂々とされるのも、俺としては気に食わないっていうか——」



櫻庭がふざけた雰囲気を一瞬で消し去る。



「言い訳のひとつぐらいしてみろや」



普段からは想像もつかない冷たく低い声が、喉の奥から発せられた。調子のいい笑顔ではなく、冷徹な顔で櫻庭は凍牙を睨む。


これが櫻庭の本性なのだろう。



「言い訳も何も、黙っていたのは事実ですし、俺は釈明するつもりもありません。黙っていた理由についても、すべてそちらに出そろった情報で解釈していただいて構いません」



誤解を招く言動をした自覚は凍牙にだってある。

皇龍の敵とみなされても仕方がない状況は、とっくに出来上がってしまっているのだ。



「残念、その手には乗らないよーだ」



櫻庭は切り替えが早かった。

舌を出して挑発してくるところから、いつもの調子に戻ったようだ。



「結衣ちゃんはモノトーンの味方。この街に潜り込んだスパイ。皇龍の敵。なーんて疑うのは俺たちの自由だもんねー。何にもないところで勝手に疑って、無意味な濡れ衣着せて、事実がわからなくなって俺たちが混乱してしまうようなら、それこそ結衣ちゃんの思うつぼでしょ」



ぺらぺらと得意気に続ける櫻庭に、凍牙は密かにため息を飲み込む。


ばれてるぞ、と結衣に向けて心の中で呟いた。



「疑心暗鬼で錯乱している組織ほど、あの子にとって動かしやすいものはないもんねー。俺も時々使う手だけどさー。相手が勝手にいちゃもん付けてきたら、お前のせいでこんな被害が自分には出たんだけど、どう責任取ってくれるのかとか言ったりして。こっちが何も動いてないぶん、相手に罪悪感を抱かせたら結構な貸しを作れるんだよね、これ」


「本人が聞いたら過大評価だと文句をたれそうですけどね」


「えー、水口君は結衣ちゃんがそういうことは出来ないって考えてる派の人ー?」



いいや、あいつなら余裕でやってのける。



「まあ、結衣ちゃんはムカついたからとか、大っ嫌いだからみたいに感情で動かない子なのはすっごい救いだよねー」



それはそうだと、凍牙も櫻庭の意見に同調する。

結衣が感情でものを壊す人間だったら、この街は今ごろ大混乱に陥っていただろう。

少し前に結衣が危ういところまで堕ちかけたことはあったが、踏みとどまってくれて本当に助かった。



「何日か前にねー、実は吉澤先生がここにきてるんだよ。そこで俺らに忠告していったからねー」



櫻庭が聞いたところによると、——高瀬結衣がこの街の高校に入学したのは、高瀬よりもはるかに厄介でずる賢く粘着性のある大人の意思が介入したからだ。間違っても高瀬自身を責めるな、疑うな。そんでもって高瀬自体には絶対手え出すんじゃねえ——と、吉澤先生は言い放ったらしい。



「基本ガキのもめ事には口を出さない人があそこまで言うのって、結衣ちゃんぐらいだろうねー」



それに……と、一息おいて櫻庭はさらに続ける。



「俺だってそんなに馬鹿じゃないよ。1ヶ月ほど前に聞いた、結衣ちゃんが皇龍に入るのを断った理由。卒業アルバムを見て、あれは武藤君たちとの間で起こったことだって、推理するまでもなく思いついちゃってるし。結衣ちゃんが傷つけたって言ったのは、あの黒髪の子か茶髪の子かのどちらかのことじゃないの?」



正解だ。

凍牙は否定も肯定もせず、わずかに目を伏せた。



「もーほんとーにマヤちゃんに感謝。あの子がいなかったら結衣ちゃんは俺たちにあそこまで口を開かなかっただろうしねえ」



そういう意味では、皇龍の幹部を恋人に持つマヤと親しくなったのは結衣にとって大きな誤算なのだろう。

凍牙から見て結衣がそれを悔いているとは思えないが。手に入れるはずだった一手を棒に振ってしまったことには、少なからず残念に感じているかもしれない。



「武藤はモノトーンとして勢力を拡大する気はないそうですよ。ただ、新興のチームなので組織的にも一枚岩とはいかないようです。モノトーンを騙って馬鹿げたことをやらかす連中が皇龍に迷惑をかける可能性は充分にあると言ってました」


「それ、いつの話?」


「数日前ですね。武藤から久しぶりに連絡がありました」


「……報告してね。そういうことは俺にも」



脱力した櫻庭を置いて凍牙は立ち上がる。



「あとで武藤の連絡先を送っておきます。本人の許可は下りているので、モノトーンとのやり取りは俺を挟まず当人同士でやってください」



じと目で凍牙を睨む櫻庭の顔からは、仕事が増えることへの面倒臭さが滲み出ていた。



「……結衣ちゃんと武藤君たちは、仲が戻る可能性はあるのかなー」


「それは俺に訊かないでください」



結衣は春樹たちが自分をどう思っているのかを、モノトーンの名前と共に最近知ったばかりだ。

そして知ってしまったから、また悩んで答えを出しあぐねている。


春樹にいたっては、結衣が春樹をどう思っているのかすら確認できていないのが現状だ。


凍牙に電話をしてきても、結衣の安否は聞いてきたくせにそういうところは話題にも出さなかった。

面と向かった本人の言葉しか信じない、ということだろう。


そんな状況であっても、春樹は結衣の身を案じている。



「すれ違い中なんですよ、あいつらは。はたで見ているとじれったさとまどろっこしさで頭を抱えたくなりますよ」



それでも何も知らないよりは、あいつらの板挟みとなってもこの立ち位置のほうが断然いい。

そう思ってしまうぐらいには、凍牙も結衣たちにほだされているのだろう。



「うーん、やっぱり面倒くさそうだねー。武藤くんとの交渉に結衣ちゃんを引き出すのはやーめたっと」



それは止めて正解だ。

下手をしたら大魔王とその手下の逆鱗に触れかねない。



「失礼します」


「あー、もういっこ」



今度こそ帰ろうと頭を下げた凍牙に、櫻庭は人差し指を突き出した。



「気をつけなよ。皇龍だって厳密に言うと一枚岩じゃないんだから。直属の組織全てが皇龍に絶対忠誠ってのはあり得ないし。君たちの卒業アルバムは、誰が見ていてもおかしくないよ」


「そうですね。警戒はします」



手を振る櫻庭にもう一度軽く礼をして、凍牙はアークを後にする。


蒸し暑いアスファルトの歩道を歩く。

凍牙は自身が無意識にカプリスへと向かっていることに気がついた。

人の少ないオフィス街が通い慣れた道になってしまうとは、少し前まで思いもしなかった。


結衣に、どこまで話すべきなのか。


俺は、どう動くべきなのか。


暑さで考えがまとまらないのを理由に、ひたすら足を前に進めることに専念する。


ひとまず櫻庭の伝言は湾曲せずに伝えるとして、今はそれだけでも十分か。


整理のつかない思考が氾濫し、さっきアークであった会話がノイズ交じりに凍牙の脳内で繰り返される。

櫻庭とのやり取りに、思った以上に消耗してしまっているようだ。


とにかく、結衣の元へ。


気を張ることのない、居ることを許された場所に、凍牙は少しでも早く辿り着きたかった。







      ◇  ◇  ◇







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