4.一歩だけでも、前へ(下)
「久しぶりだね。夏休み中はもう会えないかと思ってた」
「本当はもっと早くここへ来たかったのよ。結衣と遊びにも行きたいし。ただちょっと今、アークがごたついていて……」
アークが? 皇龍が、ではなく?
首をかしげていると、マヤのカバンから音が聞こえた。
短いフレーズの機械的なメロディが繰り返される。スマートフォンの呼び出し音だろう。なかなか消えないあたり、これは着信か。
「出ないの?」
大音量というわけではないが、わたしにも聞こえるほどだ。マヤが気づいていないわけがない。
「音楽からして翔吾じゃないから。うるさくてごめんなさい。これ切れたらちゃんと消音モードにしておくわ」
それでいいのか。
しばらくして音が消えるとマヤはスマートフォンを手早く操作し、もう一度カバンにしまってしまった。
「前から噂で聞いていたけど、夏休みのアークは少し面倒なところになってしまうの」
「具体的にどんな?」
「皇龍に彼氏がいる女の人が休みで暇を持て余して、アークに大集合しちゃって」
「……うん」
「女の人って、集団になるといろいろあるじゃない」
グループとか、派閥とか、リーダーとか……。
聞いただけでげっそりするようなことをマヤは教えてくれた。
夏休みに入り時間に余裕ができた学生によって、現在クラブとしてのアークは大繁盛中とのこと。
その客の中には、皇龍に恋人のいる者と、皇龍メンバーの心を射止めたい者——つまり若い女性たちも多い。
皇龍に恋人がいる人たちはわりかし堂々とアークでくつろいでいて、そこには集団の特性というものが必然的に現れてしまう。
幹部に近い男の彼女をリーダーとして、周りに幅を利かせている者。その女性と特別に仲の良いお友達——言い方を変えれば、取り巻き連中だ。
新参の女はそういった古参の者にあごで使われたりもするらしい。
「……大奥」
「お殿様はひとりじゃないけど、まあそんな感じね」
恐ろしい女の世界があったものだ。
今日あたり、凍牙は櫻庭先輩のところへ小野寺明梨の件を報告に行くらしいけど、同行するのを拒否して正解だった。
マヤはそんな女子たちの中でも、少し浮いた立場にいるらしい。
幹部である三國翔吾の恋人だが、アークの店内では新参者の部類にあたる。
古参の先輩たちは三國翔吾の影響で手を出しづらく、かといって媚びへつらうには年長者としてのプライドが許さない。
そうなってくるとヒエラルキーの下位に身を置く女の子たちがこぞってマヤを頼ろうとしてくる。
要するに女の先輩方が怖いから一緒にいてほしい、ということだ。
「なんか、恋人さんが渋い顔しそうな話だね」
「そうなってほしくないわね。わたしがアークに行くのは翔吾がいるからだもの。冷たいことを言ってしまうけど、イジメが怖いから仲良くしてほしいって名前も知らない女の子に頼まれても、わたしは翔吾を優先するわ」
マヤに迷いはないようだ。
「それにね、少し前までわたしが翔吾の彼女だからって睨んできた子に、皇龍の所属してる人と恋人になれたら、周りの女の子たちが冷たくなった。怖いから一緒にいてって言われても……。それを助けられるほど寛容にはなれないわ」
「アークに来ること自体義務でもなんでもないんだから、そういう人は自己責任で切り捨てて放っておいてもいいんじゃないの」
「日暮先輩も同じことを言ってたわ。さっきの電話はその結果」
ああ、マヤを盾にしたい誰かさんからだったのか。
「やっぱり連絡先の交換なんて、安易にするものじゃないわね」
「なるほど。将来携帯電話を持ったときの参考にするよ」
「……いや、そこは参考にしないで柔軟にいきましょう。人の輪を広めるのも案外悪いものじゃないから」
数秒前の発言を撤回することをマヤは真剣に言ってきた。
「結衣がそんなことに警戒してしまったら、電話帳登録件数万年0件のスマホが実現してしまいそうよ」
ぽそりと呟かれた言葉は聞かなかったことにしておく。
ここでいったん話しは途切れ、2人そろってオレンジジュースのストローに口をつける。
氷で冷やされた果汁100パーセントジュース独特の濃厚さがおいしい。
「本当はね」
そう前置いてから、マヤは言いづらそうにきり出した。
「翔吾はそういったアークの状態も見越して、結衣には皇龍に入ってほしかったのだって言っていたわ。わたしがアークで翔吾を待つあいだ、結衣が一緒にいてくれたら、他の女の子とそこまで親密にならなくて済むのにって」
「ごめん、ちょっと彼氏さんなめてた」
その打算的な理由は思いつかなかった。
わたしを皇龍に入れようとした日暮先輩に賛成したのは、単純にマヤが喜ぶからというだけではなかったのか。
さすがは皇龍幹部。三國翔吾も計算高い男だ。
目論みの根底に必ずマヤがいる点は、何があっても揺るがないみたいだけど。
「わたしも実際に夏休み中のアークの現状を見て、あそこに結衣を巻き込むのはさすがに気が引けたというか……正直、結衣は皇龍に入らなくてよかったと思うわ」
皇龍に所属した果てにあるのは、陰謀渦巻く女の世界か。
モテモテイケメン揃いの皇龍に女が入るなど、嫉妬の標的になりますと言っているようなものだ。
「女の子たちも表面上はね、みんな仲良く笑って冗談とか言い合ってたりするの。だけど少し裏をのぞいてしまえば……ね」
「うわあ、それは嫌だ」
目的がなければ成果も得られない駆け引きを日常にするなんてまっぴらごめんだ。
「これまでは翔吾の手が空いたときに一緒にご飯を食べたり、隙間の時間を2人でいるためにアークへ行っていたのだけど。ここ数日は他の場所で落ち合うようにしているわ」
「彼氏さんのモチベーションがだだ下がりになりそうだね」
そして野田先輩が困ってそうだ。
マヤは苦笑しながら言った。
「そのぶん、翔吾からの電話には欠かさず出ているわ。翔吾もアークに詰める時間を長くして、休みを多い目にもらったり、そういう工夫はしてもらえるみたいだし」
三國翔吾のモチベーションが下がることについては否定しないのか。
「例年通りだと、夏休みが終われば揉め事もそう頻繁に起きなくなるらしいから、それまでの我慢よ。わたしとしてはアークのことより、結衣と水口君が付き合ってるって話のほうを詳しく聞きたいのだけど」
そんなに目を輝かせて期待されてもこちらは何も出せません。
「利害関係の一致による上辺だけの交際だよ」
これ以上言えることなんてないし、むしろこうなる原因を作ったあの女の人のほうが話題としては優良なくらいだ。
「そもそもその話はどこから」
「櫻庭先輩が教えてくれたわ」
チャラチビめ。筒抜け具合が半端じゃないな。
「凍牙に付きまとっていた小野寺明梨が別の男に目を向けたら、わたしたちの協力体制も終わり。それこそこんな付き合い方なんて、夏休みぐらいしかできないよ」
「ふうん」
不満そうだね。わたしと凍牙がどうあってほしかったかは聞かないでおくよ。
「そんなことより、マヤがわたしに会いに来るのを、彼氏さんが許してくれたことのほうがびっくりなんだけど」
「えっ、どうして?」
きょとんと、マヤは目を丸くした。
わたしの言葉は心底意外だったようだ。
「彼氏さん、今日マヤがわたしに会うことは」
「知っているわ。何か問題でもあるの?」
問題という問題でもないし、何かが起こっているわけでもない。……今のところは。
「自分は一緒にいられないのにって、彼氏さんに嫉妬されそうだから」
「それはないわ。むしろアークにいづらいなら、結衣を引っ張って遊んでおいでって勧められるぐらいよ」
……予想外すぎる。
いやいや、向こうはわたしの事情なんてお構いなしだろうから、三國翔吾がマヤ至上主義者ならそれくらい言って当然か。
皇龍総長に頭を下げてまでマヤの友達でいたいと訴えたわたしが、マヤを傷つけることはないと考えたか。そのとおりだけど。
三國翔吾、予想以上に頭を回してくるな。
そして今のところ、わたしは皇龍の敵にはならないだろうとあちらさんは判断している。
良心につけ込まれているようで、動きづらいことこの上ない。
「……わたしは、マヤに言ってないことがたくさんあるよ」
「どうしたのいきなり」
「人に話すまでもないってわたし自身は判断していることばかりだし、これからも言うつもりはない。これに関してはただのわたしの意地とプライドの問題だ。だけど——」
わたしの勝手な事情にマヤを巻き込むのは避けなければいけない。
「もしも彼氏さんがわたしに会うなと言ったら、そこは素直に聞き入れたほうがいい。わたしは自分のためにしか動こうとしないけど、マヤの彼氏さんは、マヤのために口を出すんだろうから」
「……なんの予言かしら」
「予言じゃなくて助言だよ」
氷が溶けて薄くなったオレンジジュースに手をつける。
ひとくち飲んでグラスをテーブルに戻す間、マヤは動かなかった。
「よくわからないけど、これから先、結衣と皇龍が敵同士になってしまうかもしれないってこと?」
「わたしは皇龍に入らなかったのだから、その可能性はゼロじゃないってこと。そうなった場合、わたしと仲良くしてたってだけでマヤに変な飛び火があると嫌だから、彼氏さんの指示に従ったほうがいいってだけ」
これをマヤに言うのは、ただのわたしの自己満足だ。
本気で皇龍を敵に回すなら、マヤを利用するぐらいしないと渡り合えないだろう。
わかっていながらその道を断つのは、ただの甘えとそうなってほしくないという自分勝手な願望があるからだ。
マヤは困った笑みを浮かべる。
「どうせ結衣は、自分で決めたことはわたしや他の誰にも言わずに実行しちゃうんでしょう。わたしの止めても聞いてくれないことくらい知ってるわ」
うん。そうだね。
その通りだよ。
「だからわたしの希望だけ、今の段階で伝えておくとするわ。わたしは結衣と皇龍が争ってほしくないし、そうならないように両者が動いてくれたらいいなって思ってる」
……止めてそんなことしないで、敵になるなんて言わないでって。すがりつかれる何十倍もプレッシャーをかけてくるな。
「愚痴を言いたくなったらいつでも呼んでちょうだい。聞き手にぐらいはわたしにだってなれるから」
「……言うことが大人だ」
何言ってるの、とマヤが笑う。
「自分に余裕があるから言えることよ。そうじゃなかったら不安なことは少しでも拭い去ろうと、結衣に詰め寄ってたかもしれないわね」
なるほどと納得していると、ドアがノックされた。
ソファから立ってドアを開けると、静さんがそこにいた。
手に持つトレーには、カットされたシフォンケーキと紅茶のセットが3人分。
「虎晴くんが戻ってきたの。店番はするから休憩しておいでって。わたしも混ぜてもらってもいいかしら」
「ええ、もちろんですけど。柳さん、早かったですね」
「本当にお店の鍵を閉めただけでこちらに帰ってきたみたいよ」
それって昼ごはんを食べにこっちまで来たときは、自分の店は開けっぱなしだったってこと?
不用心な。もし空き巣が入ったら……いや、盗られて困るものをあの人が置いているわけがないか。
静さんはマヤの隣に腰かけて、2人はシフォンケーキを食べながら女子トークに花を咲かせる。
ふたりの会話に耳を傾けつつ、わたしは春樹たちのことを考えた。
行き先も言わずに、あいつらの前から消えたのはわたしが勝手にしたことだ。
目に余る行動だと見捨てられるのも、決裂だって覚悟の上だった。
みんなにどう思われたとしても、春樹と綾音が幸せになれるならそれでよかった。
わたしの春樹に対する感情は恋愛じゃないと、自分自身に証明したかったのもある。
結局は何もわからずじまいだったけど……。
仲間の中で誰が一番かと自分に問うたら、わたしは迷わず春樹だと答える。
あいつがいなかったら、わたしは手がつけられないほどに壊れてしまっただろうから。
救われた過去がある。返しきれない恩が、春樹にはある。
春樹はやっぱり、わたしの特別だ。
だけどこれが恋かというと首をひねるところは多々あるのだが。
かといって友情というには親密すぎると指摘されると、確かにそうかもしれないと考え込んでしまう。
モノトーンが、決裂も覚悟するわたしに対するあいつらのメッセージだとしたら……。まだ繋がっている。終わってはいないと伝えてくれているのなら——。
わたしもみんなが大切なら、前を向くべきなのだろう。
互いに思いがあるならなおさら、解決策もなしに「ごめん」のひとことだけでは戻れない。
同じ過ちを繰り返す道だけは、今ここで完璧に絶たないと行けない。
表面上の馴れ合いだけの仲なんて、長くは続かない。
綾音は大切だ。他の仲間も大好きだ。
だったら、春樹は——?
嫌でも怖くても、自分と向き合う必要がある。
絆がまだ、途絶えていないというならば——、
わたしも答えを探そう。




