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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【モノトーン編 上】
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2.嵐の前触れ(下)





自分の世界に入って悶々と考え続けるわたしに、5限目の授業だった吉澤先生は生徒のものより厚みがある教員用の教科書の角で、きつい一撃をくれた。


最近この先生は容赦がなくなっている。







放課後になり、カプリスの途中までマヤと一緒に帰ることになった。

恋人の三國翔吾は所用で先に下校したらしい。



「……恋愛は難しい」


「いきなりどうしたの?」



先に階段を下りていたマヤが立ち止まってわたしを見上げた。



「ちょっと思うところがあって」


「……思う人がいる、じゃなくて?」


「それはない」



否定しながらも足を動かし、マヤと肩を並べる。

同じ段にわたしが来たところで、マヤも進みだした。


恋について、考えてみた。

それは一般的な「好き」の上位的な感情。定義はこれで正しいのか。

恋をするというのがどういうものなのか、わたしは知らない。


ただマヤと三國翔吾とか、春樹と綾音が相思相愛だということは近くで見ていてはっきりとわかる。



——なぜわかるのか?



恋人同士、互いを見る目が他と違って「特別」だから。



——どう特別なのか?



……どう? 何が? 具体的には?



突き詰めれば突き詰めるほど、恋というものが謎だらけになっていく。

だけどこの答えを最後まで出せない限り、わたしは春樹と綾音の前に立てない。

これは一種のけじめだ。



「そんなに難しく考えなくてもいい気もするけど」


「マヤは恋人さんのこと、いつ恋してるんだって自覚したの?」


「……聞き方が直球すぎるわ」



顔を赤くしてマヤは視線をさまよわせながらも、ちゃんと答えを考えてくれた。



「……わたしの場合は翔吾とはほんとに小さいころから一緒にいたし、いつかっていう正確なとこは覚えていないわ。気がついたときには翔吾を見るとドキドキしたり、ひょんな仕草にキュンとさせられたり。もうすぐ会えるって思っただけ嬉しくなったりして……、中学校に入る前にはもうそんな感じだったわ」



ドキドキ、キュン、胸の高鳴り。


……どれもわたしにとって縁遠いものばかりだ。



「どうして急にそんなこと考えるようになったの?」



昇降口で靴を履き替えるとき、マヤに聞かれた。

まあこれは疑問に思って当然だろう。



「むかし、わたしがそういう気持ちをよくわかっていないせいで傷つけてしまった子がいるんだ。もう当時には戻れないけど、同じ失敗は繰り返したくないから」


「……恋って、理解しようと思ってできる感情じゃない気もするけど。一番てっとり早いのは結衣が誰かを好きになることじゃないかしら」


「それこそ一番難しいやり方だよ」


「そうかしら?」



思うところがあるのか、マヤは首をひねっていた。


外は快晴。照り付ける日差しが痛い。

校門にさしかかったところで、門扉に立っていた見知らぬ女子が近付いてきた。

リボンの色からして、2年の先輩だ。



「高瀬結衣さん、よね?」


「そうですが」



用事はマヤにかと思ったが、意外にもわたしが指名された。


前方に立たれたのでおのずとこちらも足を止める。真夏の直射日光が容赦なく肌を刺し、すぐそこにある木陰がものすごく恋しくなった。


暑さでげんなりするわたしとは反対に、ストレートヘアの化粧ばっちり、よく見ると瞳孔が茶色く見えるコンタクトを入れた先輩は、終始にこにこと笑っていた。



「高瀬さんって、凍牙くんと付き合ってるの?」


「付き合ってはいませんが、それが何か?」


「ううん。だったらなんでもないの。凍牙くんってカッコよくていろんなところから人気でしょ」


「……はぁ」


「最近高瀬さんと一緒にいるところをよく見かけるようだったけど、やっぱりそんなわけないわよね」



そう言い捨てて、2年の先輩は颯爽と去っていった。

何が言いたかったのか、というか、何がしたかったんだ今の人は。


凍牙に彼女がいないことの確認?


いやいや、それは凍牙に直接すべきであって、わたしに訊くことじゃない。



「……今の先輩は凍牙のこと、恋してるのかな?」



さっきまでの話の流れでマヤに訊いてみる。



「…………どうかしらねえ」



さっきまで無言を貫いていたマヤは、不機嫌に眉をひそめていた。







      *







7月19日の終業式当日。


朝のショートホームルームは遅刻せずに登校したが、終業式には出席しなかった。

体育館では全校生徒が校長先生の話を聞いている最中、わたしはひとり教室に残っていた。


窓を全開にした教室は風がないものの扇風機が回っているため快適だ。


学校が午前中で終わる今日、いつもより早くバイトに入ることになっている。昼ご飯は静さんが賄いを作ってくれるとのことで、今からものすごく楽しみだ。



「なに堂々と終業式サボってやがる」



開かれていたドアから低い声とともに入ってきたのは、担任の吉澤先生だった。



「自主的な荷物番ですよ」


「あほみたいな屁理屈抜かしてんじゃねえ」


「先生こそ、終業式はまだ終わってないでしょう。教職員も体育館にいないといけないんじゃないですか」



わたしの追及を無視して先生は教員用机に座った。



「……校長の話は聞いてきた」


「つまりその他の連絡事項は逃げ出したってことですね」


「毎年同じこと繰り返してんだからそれぐらい構わないだろ。ここの終業式は校長より生徒指導が壇上にいる時間のほうが長いんだ」


「それ、先生が代わって全校生徒にあれこれ忠告すればすぐに終わるんじゃないですか」


「そこまで面倒見てられるか」



柳さんの知り合いということで吉澤先生は苦労症だと思っていたが、この人はそれなりに手の抜き方を知っているようだ。


先生と教室でふたりきり。

周囲に聞き耳を立てている人はいない。

会話が途切れたとき、ふと脳裏に柳さんと静さんの姿が浮かんだので思ったままに口を開いた。



「柳さんって、結婚してたんですね。この前初めて知りました」



なんとなく話題を提供したつもりだった。無言の空気が気まずかったのもある。しかしわたしの予想に反して相手からの返答が返ってこない。


およそ10秒ほど時間が過ぎ、ようやく吉澤先生はいぶかしそうにわたしを見た。



「……いつだ?」


「教えてもらったのは先週の日曜日です」


「違う。柳が結婚したのは、いつなんだ?」


「……そこまでは聞いてません」



なんだか雲行きが怪しい。


これはまさか……。


嫌な予感がして肩に力が入った。


やがて、不機嫌かつ不愉快な感情を隠そうともせず、子どもが見たら号泣しそうなしかめっ面で吉澤先生が口を開く。



「俺はあいつが結婚していることを今知った」


「……わたしは柳さんの楽しみを奪ったことを今ものすごく後悔しています」



次に会ったら謝ろう。


いや、静さんを通じて今日中に報告とともに懺悔するべきか。






      *







とんでもないうっかり発言をしてしまったその日のアルバイト。


学校からカプリスに直行すると店が満席状態だったため、静さんに話しをする暇もなく手伝いに入った。


わたしは基本、掃除以外では調理場に立たないから、営業時間は必然的にホールと会計にまわる。

仕事だと割り切れば愛想笑い付きの接客もできる。基本は人見知りだって自覚はあるけど、そんなことで静さんに迷惑はかけられない。


店が落ち着いたのは、昼時を過ぎて時計が14時を指そうとしているころだった。

先程までの騒がしさが消えて店内にはお客さんはひとりもいない。



「ごめんね、お昼遅くなっちゃったわね」



カウンターに座るわたしに静さんは昼ご飯を出してくれた。


明太子ソースの冷製パスタ。

静さん、これは賄いじゃなくてれっきとした店のメニューだよ。



「静さんも、お昼はまだなんじゃないんですか?」


「わたしはいいの。味見ついでのつまみ食いがいつもお昼ごはんの代わりだから」



いたずらっ子のように舌を出しておどける静さんは、自分で淹れたコーヒーをわたしの向かいで椅子に座って飲んでいた。


小休止ついでに、柳さんが秘密にしていたことを第三者にばらしてしまった件を打ち明ける。

口をこぼした相手が吉澤先生だと伝えると、静さんには気にしなくていいと笑われた。



「虎晴くん、わたしと入籍したことをどうすれば面白く吉澤さんに伝えられるか、ずっと悩んでいたのよ。結局いい案が浮かばなくて、あっさり伝えるのも嫌だからってずるずると引き延ばしにしていたとこだから」


「具体的にはどれくらい」


「そうねえ、今年で3年になるかしら」



……その年数をさらっと言ってしまうあたり静さんも只者ではない。



「思いがけず結衣ちゃんの口からってのは、虎晴くんにとっても嬉しい展開だったのじゃないかしら」



くすくす笑う静さんが、おもむろにエプロンのポケットを探りだした。



「あら、うわさをすれば」



取り出したスマートフォンの画面をわたしに向ける。

着信の表示とともに中央には「虎晴くん」と表示されていた。

電話をするために奥の部屋へ行った静さんは3分ほどで戻ってきた。



「吉澤さんが、虎晴くんのお店に結婚のことを確かめに来てるんですって」



静さんは心底楽しそうだ。



「虎晴くんが結衣ちゃんによくやったって伝えてくれって。ね? 問題なかったでしょ」



これは安堵していいところなのか。

ひとまず現在進行形で柳さんに遊ばれているであろう吉澤先生には、心の中で合掌しておく。





昼食後、客足が落ち付いたので静さんに伝票処理などの事務仕事を教わった。


店に届いた食材と注文伝票が一致しているかをチェックして、柳さんの店とは別々にまとめていく。小規模な上に趣味でやっている柳さんの店の仕入れはカプリスで一括して行っていた。


2組のお客さんがいるところで、ラストオーダーの時間になった。

店のドアに「closed」のプレートを下げて、追加注文をうかがう。ほどなくしてお客さんが去り、店の照明を一段暗くした。


閉店後の店内でテーブルに消毒液を吹きかけてふきんで拭いていると、ドアをノックする音がした。


ドア横の大きな窓に見えたピースサインに訪問者を察する。

ついさっき閉めたばかりの鍵を開けると、予想どおり柳さんと、その後ろには想定外の吉澤先生の姿があった。



「よっ、高瀬。しっかり励んでいるか」


「はい、静さんにはよくしていただいてます」



上機嫌な柳さんとは対照的に、吉澤先生は口がへの字に曲がっていた。



「この店、前にお前と昼飯食いに来なかったか」


「そういや何回か来てるな」


「だからなんでその時点で報告しないんだ!」



吉澤先生の怒りはもっともだ。



「だーかーらー、さっきも言ったじゃないか。ヨッシーのそんな顔が見たかったんだって」



力説する柳さんに、吉澤先生は膝に手を置いて脱力した。生徒の前でそんな姿をさらしていいのかなんて、かわいそうなことは言わないでおこう。


調理場の片付けをしていた静さんがカウンター越しに顔を出す。



「いらしてたの」


「ヨッシーがどうしても静さんの顔を見たいって言うから連れて来たんだ」


「まあ、言ってくれたらわたしが虎晴くんのお店まで行ったのに」



柳さんが改めて静さんを吉澤先生に紹介する。

大人の話に立ち入るのも野暮なのでこちらは仕事に取りかかることにした。


カウンターを拭き終えて、床掃除用のほうきと水ぶきのモップをバックルームへ取りに行く。


吉澤先生をからかいながらの3人の話は弾む。



「——いや、高瀬の背後には俺を楽しませるための何かが絶対憑いている」


「それを祓うにはどこの神社のお祓いが一番有効ですかね」



店内に戻るやいなや聞こえてきた柳さんの言葉に、思わず口を挟んでしまった。


いけない。

むきになって返しすぎるとわたしは未来の吉澤先生になってしまう。


掃除の邪魔になるからと、柳さんと吉澤先生が調理場に移動した。


静さんの片付けを柳さんが手伝う。

手持ち無沙汰な吉澤先生は、椅子に座りながら柳さんと舌戦を繰り広げていた。


話の流れで柳さんたちはこのあと、吉澤先生のおごりで飲みに行くことが決定したようだった。


ホールの掃除を終えるころには調理場の作業も片付いたようだった。

バックルームで帰り支度をして、静さんたちに挨拶をする。



「お疲れ様。まだ明るいけど帰り道は気をつけなきゃだめよ」


「はい。お疲れさまでした」



大人たちにおじぎをして、裏口から店を出た。

冷房の効いた屋内から外に足を踏み出した途端、熱気が体を包み込む。



「高瀬」



表通りへ向かおうとしたとき、吉澤先生に呼び止められた。


柳さんと静さんの姿はない。



「モノトーンのことは知っているのか」


「ええ。先日友人の水口から聞きました」



険しい顔を隠しもせず、吉澤先生は口を開く。



「武藤春樹の知り合いだと、お前は皇龍に言ったのか?」


「言ってませんし言いません。伝える義理がありません」


「……何をたくらんでやがる」



唸るような声。

常にそうであれば柳さんに遊ばれなくて済むのになんて、場違いなことを考えてしまった。



「たくらみなんてありませんよ。ただ皇龍に言ったところで、何も起こらない可能性だってありますし。結局穏便に解決してわたしひとりが皇龍に弱みを与えただけで終わりなんて、割に合いませんからね」



皇龍と春樹たちが衝突するかは、まだ見当もつかないところだ。

そんな段階から言いたくない過去を皇龍にわざわざ打ち明けるなんて、できるわけがない。



「……本当に、それだけなのか?」


「他に狙いがあるとでも?」



逆に聞き返せば、吉澤先生は黙り込んだ。

正直なところ、わたしは清廉潔白。たくらみなんてひとつもない——というわけではない。


だけどおそらくわたしが手にするはずだった手札は、すでに皇龍に見抜かれている。

過去の言動を少しだけ悔やんだが、もはや諦めるしかないだろう。



「失礼します」


「……ああ」



さすがは教師。

どんなに納得がいかなくても、生徒のあいさつには無視せず返してくれた。




ビルの間の細い道を抜けて大きな通りに出る。

外はまだ明るいが、長くのびた建物の影を歩いているため炎天下よりはるかに進みやすい。


カプリスの周囲は娯楽施設よりオフィスビルが多いため、道行く人もサラリーマンがほとんどだ。

仕事を終えて駅へ向かう彼らとは逆に、住んでいるマンションへと歩く。


すれ違う人の波が途切れ一本道の視界が開けたとき、背中に人の気配を感じた。


暑いはずなのに全身に悪寒が走った。

車へ引きずり込まれた記憶が瞬時に蘇る。

勢いよく振り返り、安全のために3歩ほど距離を取る。



「びっくりしたー。どうしたのよそんな怖い顔して」



そこにいたのは、数日前に校門で声をかけてきた先輩だった。



「……わたしに何か、用事でも?」



警戒はとかない。

彼女がここにいて、わたしに近づいてくることに、思惑がないなどあり得ないのだから。



「うん。ちょっと高瀬さんにお願いしたいことがあって」


「こちらにはあなたのお願いを受ける理由がありません」


「えーでも、高瀬さんって凍牙くんとよく喋ってるじゃない」



それがどうした。



「わたしね、前に街で嫌な人に絡まれたところを凍牙くんに助けてもらったの」


「……はぁ」


「それをきっかけによく話すようになっていったんだけど。凍牙くんね、絶対わたしのことを好きだと思うの」


「………へぇぇ」



まじかよ。



「わたしも、凍牙くんのことちょっといいかもって思ってるから。高瀬さんにわたしたちのこと協力してほしいなって」



これはなんとも奇妙なお願いだ。

そしてそれをおかしいと思わず、わたしに要求してくるこの人がちょっと怖い。



「わたしと凍牙は友達です」


「知ってるわ」


「わたしとあなたは、他人です」


「えっ?」



名前も知らない人間が知人と認定できるわけがないだろう。

驚く彼女に構わず続ける。



「凍牙があなたを好きで、わたしに仲を取り持ってほしいと言ってきたら、わたしは友達として何かしらの行動を起こすかもしれない。でも、わたしにとってあなたは名前も知らない赤の他人です。たとえ知り合いが関わっていても、知らない人の頼みに応じるようなできた人間じゃないんです。他をあたってください」



言葉を重ねるごとに彼女は涙目になっていったが気にしない。

曖昧に返答してややこしい事態になるのだけはごめんこうむる。



「……そんな。わたし、あなたにお願いするために今日ずっと待ってたのに……」



待て。


わたしを待ってたって、どこで?


まさかカプリスで働いているあいだ、ずっと店の外で待機していたのじゃないだろうね。


今日あの店に吉澤先生来ちゃったよ。

そもそもなんでわたしのバイト先を知っているのか。


ちょっとどころじゃない。

この人は本気で怖い。



「高瀬さんが協力してくれなくてもわたし、凍牙くんのこと絶対諦めないから!」



目を潤ませながら、両手にこぶしを作って周りの目も気にせず、彼女は叫ぶ。


あ、この人今、自分に酔ってる。


涙をぬぐってわたしをまっすぐ見つめたあと、彼女は駅のほうへと走って行ってしまった。

目線でいろいろ訴えてきたのはよくわかったけど、ひとつひとつの動作が大げさすぎて何とも居たたまれない気分に陥った。


通りすがる人の視線が痛い。


知り合いでも何でもない人の言葉で、どうしてわたしがこんな恥ずかしい思いをしなきゃいけないんだ。


その場から逃げるように速足でマンションに直帰する。



夏休みに入ってしまったが、もし凍牙に会うことがあれば事情を聞くことにしよう。


どうでもいい人間は気にせず放置するのがわたしの基本だったけど、原田さんの一件で心構えを改めた。


自分に感情や関心を向けてくる者は、多少なりとも警戒しておくにこしたことはない。


場合によっては、こちらから行動に移す必要もあるだろう。


あの時の失敗を繰り返すつもりはない。






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