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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【皇龍編 上】
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3.友達未満(下)





      ◇  ◇  ◇





4月の下旬。

明日からは大型連休となるその日も、凍牙と結衣は昼休みに第二体育館の非常階段にいた。


今日は朝から小雨が降っていて、昼になってもやむ気配がなかった。頭上のトタン屋根からはときおり大きな水滴が足元のコンクリートに落ちた。


彼らのあいだに会話は基本ない。

それが自然であって、無言が気まずい仲でもないのでふたりはそばにいながらもそれぞれの時間を好きに過ごしていた。


これに関しては自然体でいられる距離感が自分と結衣は同じなのだろうと、凍牙は推測している。


階段の上段にいる結衣は先程から開けた弁当には手をつけず、近くの木に張られた大きなクモの巣をじっと観察して動かない。

彼女がなにを考えているのか、想像するのは難しい。高瀬結衣の思考回路は常に凍牙予想の斜め上をいっているからだ。






凍牙が結衣と初めて顔を合わせたのは、中学2年の始業式だった。


結衣とは面と向かって言葉を交わすのはその時が初めてだったが、高瀬結衣という同級生を凍牙は小学校のころから知っていた。


というよりも、当時の同じ学年の生徒で、結衣と彼女の仲間を知らない者はいない。それぐらいに、高瀬結衣とその周囲にいる人物たちは有名だった。


凍牙の在籍した中学2年時のクラスは、どこかの権力が働いたのかと疑いたくなるくらいに濃いメンバーがそろっていた。

結衣と、その仲間が全員同じクラスに配置されるとは、いったい誰の策略か。何かしらの力が働いたであろうことは、当時誰もが察していた。


そんないわく付きのクラスになった初日、席替えのくじ引きで凍牙は廊下側の一番前の隅の席を引き当て、隣の席には結衣が座った。


担任となった新任の教師の指名により、始業式の日の日直は凍牙と結衣が担当することになった。

進級して早々、教科書や配布プリントを職員室から教室に運ぶため凍牙たちはさんざん担任にパシリとして使われた。


その日のいつからそう呼んだか、凍牙ははっきりとは覚えていない。

かねてから彼が結衣に抱いていたイメージと、クラスに高瀬結衣と似た名字「逆瀬」という生徒がいたから。そんな理由で、凍牙は自然と結衣のことを「にゃんこ」と呼ぶようになっていた。


単純なノリからくる冗談交じりのおふざけだ。あとになって振り返れば、なんて自分らしくないことをしたものだと過去の自分を消し去りたくなる。若気の至りとは恐ろしいものだ。



日直業務からようやく解放される放課後。

学級日誌を書く結衣と、提出されたプリントを名簿順に並べている凍牙たちだけが教室に残ったときだった。



「にゃんこは、やめよう」



結衣がいきなり、凍牙に向かってそう告げた。



「いや、イメージ的にも猫だろお前」


「人間だし」


「比喩だ比喩。名字で呼んだら絶対逆瀬とダブるぞ」



不服そうに口を噤んだ結衣は手元のプリントを見ながらしばらく考えるしぐさをしてみせる。

口の端が微かに釣り上がったとき、凍牙は確かに嫌な予感を覚えた。



「……うん。じゃあ、水口君は『みぃくん』でいこう」



なぜそうなるのか。


結衣は妙案とばかりに満足げにうなずくが、凍牙がそれを了承するはずもない。

なんだその見た目も印象も総無視された命名は。

自分に対してそのあだ名はかなり痛い。


怒りを忘れて絶句する凍牙に、結衣はにやりと笑った。



「このクラスにはイナウチ君と、ミゾグチさんがいるからね。滑舌の悪い先生がいたら、ミナクチ君とごっちゃになってしまうかもしれないし」



こじ付けが強引すぎる。


何から言っていいのか迷った末に何も言えなくなった凍牙を置いて、結衣は笑みをより凶悪なものに変えてさらに続けた。



「ようこそ、ネーミングにゃんこの世界へ」



脳みそが一瞬、考えるのを止めた気がした。

こいつは何が言いたいのか、理解が追いつかない。


共通点を見つけたところから入る和気藹々な仲間づくりとはほど遠い。これは単なる道連れだ。俺をお前と同種のカテゴリへと強引に引きずり込むつもりか。

だったとしても、本当に、なんでそんな呼び方になるんだ。


何なんだこの敗北感は。そもそも勝負も喧嘩もしていないはずだぞ俺たちは。


不本意な名付けだというのに怒りが湧いてこないのは、凍牙の心の葛藤に結衣がまったく興味を示さなかったからだ。

彼女にとっては、これはただ言ってみただけの気まぐれ。些細な言葉遊びにすぎない。


感情的になればさらにもてあそばれる。複雑な心境でぐるぐると思考を巡らせていた凍牙だったが、それだけははっきりと理解できた。


とにかくここは、自分が折れる以外に道はなさそうだ。



「——結衣。これでいいんだろ」


「うん。じゃあわたしも凍牙って呼ぶ」



そう言って席から立ち上がった結衣は、カバンと学級日誌を持って凍牙のいる教卓へと近づいた。



「出しとく。また明日」



並べ終えたプリントをさりげなく奪って、彼女は廊下へと消えた。






次の日から、結衣は宣言通りに彼のことを「凍牙」と名前で呼んだ。


それはすぐに結衣の仲間に浸透して、果てにはクラス中が水口凍牙を名前で呼ぶようになっていった。


凍牙は本人も自覚している容姿の良さと、人を寄せ付けない性格から、同年代の女子に一定の人気があった。

誰ともつるまない凍牙を名前で呼ぶ行為が、一部の女子にとっては一種のステータスとして扱われていたことを本人も把握している。


だが、それもこの時までとなった。


凍牙の呼び捨ての呼称にどこかの女子が勝手につけていた優位性を伴う価値を、結衣はいとも簡単に消し去ってみせたのだ。


呼び方で一悶着あった際に凍牙が諦めて「結衣」と呼んでいなかったら、彼にはおぞましい未来が待っていたことだろう。

絶対に結衣は、凍牙を「みぃくん」のあだ名でクラス中に浸透させたはずだ。

意地を張らずに折れておいて本当によかった。




中学2年の一年間は、凍牙の学校生活のなかで最も過ごしやすい時間となった。

誰ともつるまない彼を、クラス全体が「そういうやつ」として認めていたからだ。


常にひとりでいる凍牙を特別視することもなく、過剰に気を使ってくるクラスメイトもいない。

一匹狼の気質を持つ水口凍牙という存在を、クラスが自然に受け入れる空気ができていた。


だからだろう。


中学2年の凍牙は授業をさぼることはあっても、学校自体を休むことはほとんどなかった。





中学3年進級時のクラス替えで、凍牙と結衣は別のクラスになる。

結衣は仲のよかった友人たちともクラスが散り散りになってしまった。


その時から凍牙の呼び名は自然と「水口」に戻っていった。


クラスの中心にいる女子が周りに見せつけるように俺を「凍牙」と呼び、他の生徒が凍牙と呼ぶのを倦厭したのも原因のひとつだろう。

彼女の態度が煩わしく、そこから凍牙は次第に学校をさぼるようになっていく。



つまらない日々が続き、このまま中学を卒業するのだろうとぼんやり思っていた。3年も終わりにさしかかった冬のある日。

結衣に関するあるうわさが学校中を駆け巡り、凍牙の耳にも入ってきた。


噂自体はあまりにもくだらない内容で、凍牙は特に気にしなかった。しかしクラスにいた結衣の仲間の暗い顔を見て、彼女たちの仲に亀裂が走ったのは本当なのだと知った。


だからといって、自分が気を揉むことでもない。


結衣たちだって喧嘩もする。

そのたびに仲直りをして元に戻る様を、今までに何度も見てきた。

ゆえに今回も、すぐにこいつらはちゃんともとに戻れると、凍牙自身たかをくくっていた。




しかし——。


凍牙が自分の考えが甘かったと知った時には、すべてが後戻りできない状況になっていた。


地元から離れた高校受験の会場で、結衣の後ろ姿を見つけてしまったのだ。

その時に感じた結衣と、彼女の仲間に対する憤りを、彼は今でも鮮明に覚えている。


通学圏内から明らかに外れた学校を受験する結衣は、凍牙に気づくことなく試験を終えた。

かける言葉も見つからず、会場を去る彼女を追いかけることもできなかった。



お前は、ここじゃないだろ。


いるべき場所があるだろう。


——仲間が、いるだろう……と。



言ったところで、もう遅いとわかっていた。



それに——。

同校を受験した凍牙の存在を不用意に結衣が知ってしまい、もしも彼女が本当に誰も、凍牙すらも知らないどこかへ行ってしまったら……。


凍牙にとってはそれが何よりも恐ろしかった。







      *







校舎から予鈴が聞こえて、結衣が弁当を片付けだした。

彼女は今のところ、高校の授業をさぼることなくまじめに受けているようだった。



「じゃあね」


「ああ」



横を通り過ぎる時に軽く挨拶を交わし、結衣は傘をささずに小雨の中を走りだす。


不思議な関係だ。


友達のような親密さも、ましてや恋人のような甘さもない。

人気のない場所で決まった時間をふたりで過ごす。言ってしまえばそれだけの仲だ。


毎日のように結衣は昼に第二体育館裏に来る。


その様子から、仲のいい女友達はいないのだろうと想像できた。


あいつはクラスでうまくやれているのか。がらにもなく心配してしまう。


しかしそれと同時に、この学校で結衣の居場所がここにしかないという事実に、自分が少なからず満足感を抱いていることを、彼はしっかりと自覚していた。






      ◇  ◇  ◇







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