after.思いが迷子(上)
昼休みも終盤に差し掛かり、5限の始まりには少し早いが第二体育館から校舎へ戻る。
「おい」
途中で一緒にいた凍牙が何かに気づいて声をかけてきた。
凍牙は校庭の一角を見つめていて、視線の先を追えばマヤと、三國翔吾がいた。
そしてマヤたちに向き合って、もうひとり。
「……あーあ」
遠くからでもわかる低姿勢な態度。うつむきながら何度もマヤに頭を下げるその人物——同じクラスの森本さんの姿に、わたしの忠告はすべて無駄になったのだと悟る。
「見たことのある顔だな」
「原田さんのお友達だよ」
簡単な説明で凍牙はひととおりのことを察したようだ。
ああ、と興味なさげに呟いて校舎へ身体を向けた彼にわたしも続いた。
マヤには三國翔吾がついているから、助太刀はいらない。下手に割り込んで馬にけられるのはごめんだ。
「彼女、ちょっと前にわたしのところにも謝罪に来たけど、謝る行為自体が自分のためだってことが見え透いてるんだよね」
「原田の友人だったやつを、お前は許せるのか?」
「彼女に対して怒りも憎しみもないのに、許すなんて心境の変化が発生するわけがない。どうしてその程度の相手をいつまでも気にかけなきゃいけないの」
「……あれだけ取り乱しておいて、原因を作ったやつは『その程度』か」
「その節は大変お世話になりました」
言い合いながら昇降口より校舎に入る。ちょうど授業開始5分前を知らせるチャイムが鳴った。
「自分の価値観が少数派なのは承知しているよ。わたしが森本さんに禍根を抱いてなかったとしても、同じことをマヤに押し付けるつもりもない」
森本さんから、彼女と仲の良かった原田さんを、そしてあの日、原田さんが差し向けた男たちを連鎖的に思い出すことだってあるだろう。
今のマヤは平気そうに振る舞っていたとしても、心の傷はそう簡単に消えない。ふとしたきっかけでフラッシュバックする可能性も捨てきれないのだ。
だから、過去を蒸し返すような自分本意の謝罪については慎重になれと、わたしは先日森本さんに忠告したばかりなのだが。
「魔法の言葉『それでも、わたしは』が発動したっぽいね」
「なんだそれは?」
「前に森本さんとふたりで話したとき、彼女が暴走しないようにちょっと突っ込んだことを言ってしまったんだよ。あの様子だと、森本さんにはまったく意味をなさなかったみたいだけど」
——高瀬さんにいろいろ言われて、謝って終わらせられることじゃないってのはよくわかった。だけど……、いろいろ考えさせられたけど、それでもわたしは、やっぱり津月さんに謝っておかないと気が済まないの。
森本さんの考えはこんな感じか。
それでもわたしは。
理詰めを簡単に流してしまえる、感情優位で都合のいい言葉だよ。
「まあ、マヤには彼氏さんがついているから問題ないか」
森本さんもこれで気が済めば今後の接触もなくなるだろう。
「心配してくれてありがとう」
階段をのぼりながら隣にいる凍牙に言った。反応はない。
そうしているうちに1年のクラスがある階まで着いた。
間もなく5限目が開始されるため、廊下に出ている生徒は少ない。
「行動を起こすときは知らせろ。ひとりで解決しようとするな」
教室に入る別れ際、凍牙がそう言ってきた。
わたしの返事を待たず、凍牙は廊下の奥、自身の教室へと行ってしまう。
言い逃げか。
「……善処はしても、確約はしないよ」
凍牙が、マヤが、心穏やかにあってくれるなら、わたしは憂いの芽を摘み取ることをためらわない。
ひとり呟いた言葉は棒読みの、心のこもらないものになってしまった。
*
その日の放課後、のんびりと帰り支度をしているわたしのところへ困り顔のマヤがやってきた。
「少しだけ、いいかしら」
「わたしはかまわないけど、彼氏さんは?」
忠犬のごとくマヤを待っているであろう男を探し、ドアへと目を向ける。
ここのところ帰りのホームルームが終了すると姿を見せていた三國翔吾が、今日はいなかった。
マヤは軽く首を横に振り、ぎこちない笑みを見せる。
「今日は来ないわ。ひとりで帰ってみるって言ってあるの。そろそろ、わたしも前に進まないと」
あの一件以来、マヤの登下校には必ず三國翔吾が同行していた。
放課後にひとりで校門前にいたときに、見ず知らずの男たちに車中に引きずられて拉致されるという、トラウマ必至の経験をしたのだから無理もない。
「翔吾は何も言わないけれど、彼が忙しいのは知っているから。いつまでも甘えてはいられないわ」
「そこは甘やかされておけばいいのに」
三國翔吾だって心配しているだろう。マヤに付き添いを断られて不機嫌になった男の姿が頭に浮かんだ。
ここでわたしと話していてマヤの帰宅時間が遅くなるのは大変よろしくない。
「だったら途中まで一緒に帰りながら話そうか」
「でも、わたしの家は駅側よ」
「いいよ。ちょっと歩きながら考えたいこともあったし。暗くなる前に早く帰ろう」
わたしごときが護衛なんてもってのほかだけど、マヤの心の負担を和らげるという意味では、いないよりはましだろう。
カバンを持ってさっさと教室を出れば、マヤもそれに続いた。
「結衣は、強いわね」
寂しそうに呟かれたのは、マヤの本音だ。
「そうでもないよ」
男どもに車に押し込まれ、拉致されたのはわたしも同じ。
同様の体験をしておきながら、あの一件を引きずる様子を見せないわたしに対してマヤは内心焦っている。
「強くなんてないから」
平気なふりをしているだけで、背後に人の気配を感じれば全身に鳥肌が立つし、今でも白い車が隣を通り過ぎるだけで警戒してしまう。
でもね、どんなに気を張ったところで、もしも二度目があったとしても。わたしの力では来るべくして訪れる災難を防ぎようがないんだよね。残念なことに。
「どうせなるようにしかならないって諦めは、強さとは言えないよ」
「……それもどうなの」
「どうだろう。本気で再発を防ぎたいなら、打つ手はあるんだろうけど」
涼くんや、柳さんという大人に相談したり、凍牙に取引を持ち掛けたり。
皇龍の要求を呑んで、見返りに護衛を求める事だって今なら可能だ。
「でもね、誰かに守ってもらったり、警戒して外出を控えたとしても、これは『この日まで警戒していれば大丈夫』みたいな具体的な期限のない漠然とした不安だからね。わたしの場合はいっそのこと開き直ったほうが疲れないってだけ。一生を添い遂げて支えてくれるパートナーだってわたしにはいないんだから」
「……それって、翔吾のことかしら」
照れを隠して怪訝な顔をするマヤはかわいい。
「送り迎えはマヤのためってのもあるけど、彼氏さんはマヤと一緒にいることで自分も安心したいのだろうから、もっと甘えて好きにさせておけばいいとわたしは思うよ。終わったはずの一件に、直接じゃないけど関わっていた人が恋人に接触してきたとなったら、彼氏さんも不安に拍車がかかるだろうに」
昇降口で下靴に履き替えていたマヤの手が止まる。
「見ていたの?」
「昼休みに森本さんと話していたところなら。ちなみにわたしも彼女とは週末に話をしている」
「……そう」
ローファーに履き替え、かかとで地面を軽く蹴った。
ふたりで校舎をあとにして、校門へと歩く。口を噤んで遠い目をしていたマヤが、学校の敷地を跨いだところで疲れたように息を吐いた。
「がんばるって、言われたの」
「何を?」
「許してもらえるように、いつかわたしたちと仲良くできるように……、これからがんばるって」
「わたし『たち』って。ひょっとして、わたしも森本さんの仲良し希望に含まれているの?」
マヤが神妙な面持ちで首肯する。
これは、予想の斜め上を突っ走ってきたな。
勘弁してほしい。
「高瀬さんと、津月さんのような関係に、いつかは自分もなりたいって」
「すがすがしいほど自分の心に忠実に生きてるね、彼女」
気分のままに人を嫌って、攻撃して。
謝りたいから謝って。
深い関係を築きたいから、そのために動く。
——いや、この場合はわたしたちと関係を深くするのが本当の目的ではないのか。
「それで、マヤはどう答えたの? というか、彼氏さんは怒らなかったの?」
「翔吾は怒っていたけれど、最後まで口を出さずにわたしに任せてくれたわ。森本さんには仲良くとか、今はとても考えられないと言ったのだけど、『いつかはそうなれるように、明日からがんばる』って言われてしまって」
「そうか、うん。知らせてくれてありがとう」
翌日になってわけもわからないまま森本さんの努力に付き合わされるとか、想像しただけでげんなりする。今ならまだ、先手を打って対応を考えられる。
この差は大きい。
「面倒くさいね、こういうの」
「そうね」
駅へと続く大通りは人が多くて、わたしたちのあいだに会話はなかった。
道を曲がって住宅地に入ったのを見計らい、口を開く。
「わたしとしては、原田さん含め森本さんたちのことはここらへんで終わっておきたいのだけど……、その前にマヤの本音、聞いてもいいかな?」
「わたしの?」
「うん。このまま森本さんたちが普通に楽しく学校生活を過ごすのを良しとするか、というところ」
人間は、他人の不幸を自分の幸せにできる生き物だから。
原田さんはもういない。だけど彼女に近かった人たちの反省や苦しみ、そして葛藤する姿がマヤの心の傷を和らげる薬となるのなら、それもありだとわたしは考えている。
「わたし、は」
こちらをうかがいながら慎重に、マヤは言葉を選んで話しだす。
「このことを、いつまでもわたし自身が引きずっていたくないの。森本さんたちとはあまり関わりたくないというだけで、彼女たちがどんな生活を送っていても意見することは何もないわ。翔吾と付き合えば、原田さんのような人は絶対に出てくるとわかっていたし、周囲の風当たりがきつくなるのもその時から覚悟していたわ。……だから、本当にもういいの」
「そっか。じゃあ別の手立てを考えないと」
「……わたしからも、聞いていいかしら?」
隣を歩いていたマヤが立ち止まる。3歩先に進んで振り返れば、緊張に揺れた瞳と視線が交わった。
「もしも……、もしもよ。わたしが森本さんたちを許せないくらいに憎んでいて、彼女たちの苦しむ姿を望んだら、結衣はどうしたのかしら。というよりも、どうにかすることが結衣にはできるの?」
なんだ、そんなことか。
「どうとでもできるよ。それくらい」
やることは至極簡単。こちらが原田さんにされた具体的な情報をクラスメイトにさりげなく教えて、わたしたちは森本さんたちへの厳しい態度を貫き通せばいいだけだ。
情報はうわさとなって瞬く間に学校中へ広まるだろう。
そうなれば、あとは周囲が彼女たちを責める空気を作って、勝手に追い詰めてくれる。
おそらく、今の森本さんが一番恐れているのはこの結末だ。
プランを簡単に説明すると、マヤは額に手を当てて深くため息をついた。
「そんなこと、しなくていいわよ。周りがうるさくて落ち着かない環境なんて、自分から作りたくはないわ」
「意見が合って安心したよ。だったら森本さんは早いうちにどうにかしておかないと」
「……彼女はもう、放っておくのじゃいけないかしら」
うんざり脱力しながらも、マヤは歩き出す。互いの肩が並んだところで、わたしも前へと足を動かした。
「予測でしかないけど、森本さんが仲良しこよし計画を諦めてくれないなら、放置は放置で面倒なことになるよ」
「どんなふうに?」
「最初に考えられるのは『もういい加減に許してあげたら?』とかいう、第三者の口出し。時間がたてばこれは確実に出てくるだろうね。特に、原田さんの一件をなかったことにはできなくても、早々に終わったことにしてしまいたい大人たちは森本さんの肩を持つと思うよ」
本人も十分に反省しているのだから……。などと教職員が言い出したらアウトだ。
こちらの態度が過剰な拒絶として問題視されたら、今度はわたしたちが森本さんをいじめていると言われかねない。
そうなった場合、教師は森本さんの望む仲良しの形をこちらに押し付けてくる可能性がある。
子供はみんな仲良しが一番なんて、いったいどこの理想郷の話だっての。
「吉澤先生はともかくとして、他の先生なら『クラスメイトなんだから仲良くしなさい』くらいは言ってくるんじゃないかな。事情を知らない生徒の中にも、健気な森本さんに同情する厄介なお節介焼きがいるかもしれないし」
こういった問題は早々に手を打って終わらせておかないと、長引けばますます話がこじれてややこしくなる。
「……なんなのよ、もう」
うなだれてマヤは人間社会の面倒くささに打ちひしがれているけれど、森本さんはまだ単純な部類の人間だ。
「なんとかするよ。森本さんについては対処できないわけじゃない」
言い切って、明日の策を簡単に組み立てる。
森本さんの出方次第だけど、おそらく彼女ともう一度話せば終わらせることができるだろう。
あれこれ考えるわたしの横で、ふとマヤが寂しそうに口を開いた。
「わたしは結衣を頼ってばかりね」
その言葉に、頭が一瞬真っ白になった。
「まあ、……わたしの問題でもあるからね。マヤのためだけじゃないよ」
平静を装いながらも、わたしの発した声は微かに震えていた。
出しゃばりすぎた。次からは自重しよう。
「ありがとう」
わたしの動揺に気付く様子はなく、マヤは穏やかに微笑む。
「わたしも、結衣に何かあったときはできる限り力になるわ」
「ありがたいけど、くれぐれも彼氏さんの気持ちを優先してあげてね」
でないとわたしが三国翔吾に恨まれかねない。
あの男はきっと、マヤがわたしに心を割くこと自体を嫌がるだろう。
「そうね。結衣が気を遣わなくてもいいように、翔吾と一緒に結衣の力になるのもいいわね」
いや、それもどうよ。
ためらいもなく言ってのけたマヤに、今度はわたしが脱力する羽目になった。
少し、近くにいすぎたな……。
当然のように行動を共にするマヤに、正直な自分を見せすぎてしまったかもしれない。
「それにしても、森本さんのこと、結衣はどうしてあそこまで具体的な予想ができるの?」
「それだけ場数を踏んでるんだよ」
過去に数えきれないほどの人間で遊んできたと言ったら、マヤはどんな顔を見せるのだろう。
三國翔吾はかつてのわたしの所業を知ったら、確実にマヤを遠ざけようとするはずだ。
それだけのことをやらかしてきた自覚はある。
マヤとの関係を壊すのだって、わたしには簡単にできてしまう。
「頼もしいわね」
知らずに笑うマヤに心が痛まないわけじゃない。
「そういってもらえて何よりだよ」
失ったものの代わりに、マヤを据えるつもりはない。
いつか終わりが来るのはわかっているけれど。
今はもう少しだけ、マヤとの時間を楽しんでもいいかな。




