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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【皇龍編 上】
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2.友達未満(上)





入学式から2週間が過ぎた。

日差しに暖かさを感じる季節だが、吹きつける風はまだまだ冷たく肌に刺さる。

校庭では薄紅色の花が枝を隠していた桜の木に、少しずつ黄緑の葉が茂り始めた。


最初はよそよそしかったクラス内の動きも授業の開始とともに次第にパターン化して、近ごろは集団の中にそれぞれのグループが完成しつつあった。


吉澤先生の俺様っぷりにも慣れてきた。

なんだかんだで、あの人は態度が尊大なことを除けば案外いい先生だったようだ。

生徒に過度な干渉はしてこないし、授業の教え方もわかりやすい。


そんな吉澤先生とは入学式の日に目が合って以来、一度も話をしていない。


初日に強烈な印象を残してどうなることかと不安だった高校生活も、今のところは平穏だった。







クラスで行動を共にする女の子もできた。


名前は津月マヤという。

ハニーブラウンの明るい髪をふんわりと軽めにまいている、可愛い系の女子だ。


しかしわたしとマヤはただクラス内で一緒にいるというだけで、特別仲が良いとか、気が合うとかそういうわけではない。


きっかけは体育の授業。教師に二人一組になるように言われて、誰も組む相手が見つからず最後に残ったふたりが、わたしとマヤだった。いわゆるクラスの「余り者」同士だ。

その授業以来、わたしとマヤは教室で話す機会が増えていった。


とはいえわたしたちは四六時中くっついているわけでないし、互いに「自分」を尊重している。



だから——。



「お昼、行ってくるね」


「うん。行ってらっしゃい」



——わたしはマヤと昼の弁当を一緒に食べることもない。


マヤにはひとつ上の学年に彼氏がいて、昼休みはその人とすごしているらしい。


初めてそのことをわたしに伝えたマヤは、「ごめん」と心底申し訳なさそうに謝った。

何に対する謝罪かはわかっていたし、そのときはわたしも「気にしなくていいよ。彼氏さんを優先するのは当たり前」と普通に返した。


幼馴染らしい彼氏さんと、出会って一カ月もたっていないクラスメイト。

どちらを優先するかなんて、迷うまでもない。





マヤが去った教室内。

女子のグループが机をくっつけあって弁当やパンの袋を開けている。


ちらちらとこちらをうかがう視線がうっとうしかった。



「高瀬さん、またひとりにして……」


「サイテーだよね、友達置いて彼氏のとこなんて」



クラスの一部の女子の会話は、わたしの耳にも入ってくる。

彼女たちは陰口を隠さない。


どうやらクラスの女子はクラスメイトよりも恋人を選ぶマヤが気にくわないらしい。

毎日のごとく昼休みになると、マヤが教室を出たあとに彼女たちはわたしをかわいそうな子として見てくる。


居心地の悪さから鞄から弁当を取り出してさっさと教室を去った。





はっきり言って、大きなお世話だ。


ひとりは嫌いじゃない。

気の合わない集団に紛れるぐらいなら単独で行動しているほうがいい。


嫌いなのはあからさまな同情と、好奇の目線。

それらが教室という密閉された空間で、空気と混ざってねっとりとまとわりついてくるのが、とにかく苦手だった。


だからわたしは今日もゆっくりお昼が食べられる場所を探して校庭を散策する。


グラウンドや部室のある南側は、昼休みにいくつかのグループが常駐しているのをとっくに把握済みだ。

反対の北側、遠くに職員駐車場が見えるほうの校舎の陰はめったに人がいない穴場だということも、入学してからの2週間で知れた。


それでもひと気のないところを狙い、ふたりで昼を過ごしている恋人たちもたまにいるわけで。遭遇した際は見なかったことにして素通りするようにしている。


今日はどこにも人がいて、結局校舎からかなり離れた第二体育館まで来てしまった。

剣道部や柔道部が使用しているこの建物は、授業で使用する第一体育館の半分にも満たない大きさだが二階建てだった。


二階建て——ということは、非常階段がある。


ならばそこの踊り場で食べようかと足を進めたが、どうやら先客がいた。

男子生徒が非常階段の一段目に座っている。


ここもだめか。

仕方ないからさっきと同じで素通りして次の場所を探すことにしよう。


こんな場所までひとりで来る女子が珍しいのか、男子生徒がこちらを凝視しているのがわかる。

すぐに消えるからそんなに見ないでほしい。


男子生徒の横を通り過ぎようとしたとき、ちらりと階段に座る彼を視界に入れて——。


わたしは思わず二度見した。


頭の中が真っ白になった。

顔を彼に向けたまま、一定の速さで動かしていた足が無意識にぴたりと止まる。



「……は?」



間の抜けた声が口から漏れた。



どうして。


いや、まさか。


でも、だって。



望んでいないのに、脳みそが勝手に過去の記憶を掘り起こしてくる。

まだ忘れるには早すぎる、中学生だったころのものだ。


そこにいる男子生徒は、初めて見る顔じゃなかった。

当時黒かった髪の色は明るい茶色に変わってしまっているし、体格も心なしか大きくなった気もするけれど。

不機嫌に結ばれた唇や冷徹な目つきには、とてつもない既視感がある。


何より顔立ちはほとんど変わっていない。



「すみません。知人のそっくりさんだったので、びっくりして見ちゃいました」


「……おそらく同一人物だ」



他人の空似であってほしいという望みは、本人によってあっけなく否定された。


目の前の人物はわたしから目を離し、持っていたパンにかじりつく。



「……水口、凍牙?」


「ああ」



こちらの心情などお構いなしに彼はあっさりと首肯した。


走馬燈のごとく頭を巡ったかつての思い出が、わたしから考える力を奪っていく。

足元がふらついた。

後先かまわず物を言いそうになったわたしが思いとどまり冷静さを保てたのは、ひとえに肌寒い外の温度が多少なりとも頭を冷やしてくれたからだろう。


春の風は、まだまだ冷たい。






      *






記憶を遡って思い出すまでもない、ほんの2年前のことだ。


彼——水口凍牙とは出身校が同じで、中学2年の時に一時期席が隣同士だった。


常にひとりで行動していた凍牙と、気の合う仲間でつるんでいたわたしはそこまで親密な仲ではなかった。特別な接点といえば、わたしたちは授業のさぼり魔というカテゴリーで担任のブラックリストに載っていたくらいか。


まあそんな過去のことはいい。

それよりもなぜ、今ここでこいつは、わたしの目の前で、昼飯を食べているのだ。



「昼休み終わるぞ。この先行っても駐車場くらいしかないから、さっさとここで食ってしまったらどうだ」



こちらの心境に構わず凍牙はわたしに言った。

まるで昨日も顔を合わせたような自然さだけど、コイツとわたしが話すのっておよそ1年ぶりだよ?


再会に驚いているのは自分だけという事実に納得がいかず、憮然としながらも平静を装おうために深く息を吐いて心を静める。


焦ったら負けだ。

ひとまず先客のお許しが出たので、わたしは凍牙の横を通って階段を5段ほど上り、弁当を開いた。



「ここ、家から遠くない?」



この学校——春成木中央高等学校は中学の校区から大きな街ふたつは離れている。

通学できない距離でもないが、凍牙がここまで遠くの高校に通う理由も見当たらない。

普通科で同じくらいの偏差値の高校なら、中学校と同じ市内にもあったはずだ。


想定外の再会をいぶかしがるわたしに対し、凍牙はどうでもよさげに口を開く。



「うちは俺の中学卒業を期にこっちの街に引っ越すことが前から決まっていたからな。今の家からはこの高校が一番近い」


「……わたしがここを受験することは」


「受験会場で顔を見て知ったな。お前ずっとうつむいてたから、近くを通ってもまったく俺に気づかねえの」



鼻で笑ってきやがった。

位置的にわたしのほうが見下ろしているはずが、なぜか見下されている気分だ。


地元を離れて、誰もわたしを、「高瀬結衣」を知らないところに来たつもりだったのに。

まさかこんなに早く知り合いに出くわしてしまうとは。想定外にもほどがある。


いるかいないか知らないけれど、神様は残酷だ。

笑えないぐらいに、珍妙極まりない縁を感じた。


よりによって、ここにいるのはどうして凍牙なんだ。

弁当のふたを開けたのはいいが、食べる気になれない。



「……うわさ、知ってるよね」


「まぁな」


「そのわりには普通だね。最低な人間を軽蔑しないんだ」



自分で言っておきながら悲しくなる。


あの時、そうなることを望んだのはわたしだ。

ここでわざわざ過去を蒸し返しているのは、まぎれもないわたし自身だ。


短い時間でも心を許した人に拒絶されるのは胸が痛い。

だからなおさら、嫌なことはこの場でさっさと終わらせようとわたしは自棄になっていた。


凍牙はそんなわたしに一切の配慮を見せず、昼ごはんであろうパンをかじって咀嚼して、飲み込む。

端正な横顔の、呆れをまとった目がわたしに向いた。



「魔王の手先とまで言われた腹黒女のうわさをか?

うわさを武器にして中学校内の勢力図を塗り替えた実績のある女のうわさなんざ、信じるほうが馬鹿だろ」


「でも……、みんな信じたよ」


「大方そうなるようにお前が仕向けたんだろ。自分で招いた結果に今さら怖気づくなんざ、一番の馬鹿はもしかしなくともお前だったか」



……図星をさされて反論できない。

こいつ、わたしのなけなしの自尊心を一刀両断してきやがった。



「俺がここまで言えるのは、あのことに関しては部外者だからってのが大きいんだろうな。渦中にいたやつと、第三者として見ていたやつじゃ視点が変わって当然だ」


「つまり、わたしの詰めが甘かったというわけか」


「お前の場合、それぐらいがちょうどいいんじゃないのか?」



なるほど。気づかされた反省点は今後に生かすとしよう。

過信はいけない。ミスは素直に認めた。



「次は——」



——凍牙もちゃんと騙せるような立ち回りをする。


言いかけた口を閉じる。

それじゃあ以前のわたしと何も変わらない。



「もういいよ。二度と、あんなことはしないから」



高校での目立つ行動は控えたい。

周囲に流されつつ無難に過ごすため、わたしの特技は表に出してはいけないのだ。



「高校は、普通のいち生徒として学校生活を送るつもりだし」


「普通のいち生徒はこんな辺鄙な場所にまでひとりで昼飯を食いには来ないけどな」


「言わないでよ。昼ぐらい静かなところで落ち着いて食べたいんだから」



弁当のご飯を口に運ぶ。

慣れない弁当作りは失敗も多いけど、今日の白米はほんのり甘くておいしかった。



そこからどちらとも言葉を発することなく、やがて昼休み終了の予鈴が鳴った。


食べかけの弁当をしまって立ち上がる。

教室からかなり離れた場所なので、急がないと5限目に間に合わない。


次は担任、吉澤先生の数学だ。



「行く」


「ああ」



凍牙はどうやら授業をさぼるつもりらしく、座り込んだままだ。



「人気のないところ探してんだったら、またここに来い」



去ろうとするわたしを、凍牙の声が止めた。



「教室から遠いぶん、放課後以外は人が来ない」


「それ、昔と逆だね」



中学では、わたしが先に見つけたさぼり場所を、あとから来た凍牙と共有したのだ。



「貸し借りがチャラになってちょうどいいだろ」



なんともなしに言ってくる凍牙に、少しだけ肩の力が抜けた。


彼のことは、多少なりとも信用している。

凍牙は中学のわたしの悪事を、誰彼かまわず面白おかしく吹聴するような男ではない。


そんな人が、ここにいていいのだと。

そう言ってくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。



「また来る」



軽く手を挙げる凍牙にわたしも倣って返し、教室へと走り出した。

吉澤先生の授業で遅刻は嫌だ。






      *






授業開始のチャイムが鳴るぎりぎりに、なんとか教室にたどり着いた。

わたしが教室に入ったときには、すでにほとんどの生徒は席に座って待機済み。

吉澤先生のこのクラスに対する影響力がうかがえた。


数学の教科書を出して前を向くとマヤが振り返ってわたしを見ていた。

物言いたげな顔には気ふかないふりをして、教科書に目を向ける。


ほどなく吉澤先生が教室に入り、5限目が開始された。




最後の授業、6限目が終わった。

今日はショートホームルームがないため、このまま放課後に突入する。


バイトの時間が迫っていたため、足早に帰ろうとしたわたしをクラスの女子が呼び止めた。


たしか、名前は原田さんだったはず。

クラスで一番大きな女子グループの、常に中心にいる人だ。



「高瀬さん、今日ヒマ? 今からみんなでカラオケ行くんだけど」



つけまつ毛のついたばっちりメイクの上目遣いで、首をかしげて聞いてきた。


あえて詳しく聞こうとはしないが、彼女の言う「みんな」には、マヤは入っていないのだろう。



「ごめん。これからバイトなんだ」


「そうなんだぁ。じゃあ、バイト休みの日をまた教えて。あたし、高瀬さんとまだ全然しゃべってないし、いろんな話したいから」



そう言う原田さんに適当に返して、教室を出た。

いつもはわたしが帰る前に「ばいばい」とだけ言って先に帰るマヤは、今日は自分の席に座ったままだった。


マヤは原田さんとしゃべるわたしを心配そうに見つめていて、遊びの誘いを断ったとき、どこかほっとしていた。


めんどくさい。

というのがこの状況への一番の感想だ。


原田さんがカラオケと称してわたしに何を伝えたいのかは知らない。

ただ、それが誰に関することで、主に陰口や悪口と呼ばれるものだとは察している。


そして、わたしに接触しようとしている原田さんを、マヤはものすごく気にしている。

本人が何も言わないので、こちらも突っ込んだことは聞くつもりもないけれど、何の因縁があるのかは知らないが、そういうことは当人同士でやってほしい。


わたしをあいだに挟むな。巻き込むな。


わたしは決して優しくない。自分本位な人間だと自覚している。


だから、わたしは誰かにとって一方的に都合のいい人間になんてならないし、悪意に対しても、無責任な共感なんてするわけがない。







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