11.暗黒時代の振り返り(下)
「まぁ吉澤先生が動くのなら何かしらの進展はあると思うよー。なんだかんだで真面目な先生みたいだし」
「そうですか」
「結衣ちゃんとしては納得いかない? やっぱり加害者は自分で裁きたかったりするのかなぁ?」
「面白そうに聞かれても、わたしにそんな権利はありませんよ」
「あー、もう。つまんない! なーんか達観しちゃってるよねー、そういうとこ。もうちょっと正義感にあふれていたり、逆にやさぐれて反抗したりとか。そういう思春期っぽいものあったりしないのかなぁ?」
「わたしの正義なんて、ちっぽけすぎて話になりません。それに反抗期なら小学校3年で一度終わってます」
逃げるように家を出てしまっている今も、反抗期とは言えなくもないけど。
「小学校の3年って、早すぎない?」
わたしと櫻庭先輩の会話に野田先輩が入ってきた。
「そこは個人差かと思われます」
「えー、気になる。何やらかしたのさぁ?」
話題に乗っかる櫻庭先輩がおしゃべり好きの女子にしか見えなくなってきた。
「同じクラスの気に入らない男子生徒を、わたしの一方的な正義で裁こうとしました」
「——へぇ」
言ったところでただの昔話だ。
知られたところで、わたしが不利になることはない。
だからこれは、昨日の事後処理に動いてくれたこの人たちへの、ほんのお礼のつもりだった。
「小学3年のとき、日本じゃかなり有名な会社の社長令息とクラスが一緒だったんですが、担任の先生がやたらとその男子生徒を贔屓にしていたんですよね。あまりにも度がすぎていたので、わたしがちょっと懲らしめてやろうかと」
当時のわたしは、両親への不信感から家出して、ひとり暮らしをしていた涼君のところに転がり込んでいた。
親に反発しながら愛されたいという矛盾を抱え、そんな自分の弱さから目を背け続けていたあのころのわたしは、自分の見聞きしたものだけが世界のすべてであると、本気で信じていた。
そんななかで起こったのが、教師による生徒の差別問題だ。
わたしの通っていた小学校の校区には、高級住宅街といっても過言ではない、裕福な家庭が密集する地域があった。
そこに住む子どものほとんどは私立の学校へと通っていたが、一部にわたしたちと同じ公立の学校に通わせる家庭があった。
そういった金持ちの子どもを、教師という大人が無意識に優遇していたのだ。
普通の生徒が宿題を忘れたら廊下に立たせるのに、その子の場合はひとこと注意するだけで終わったり。
教科書を忘れたときでも、いつもは授業中でも他のクラスに借りに行かせるくせに、その子が忘れたって言ったら自分の予備を渡すなど。
わたしたち子供から見て、教師たちの生徒への扱いは明らかに不平等だった。だから、その不平等の大元をわたしが正してやろう、みたいな使命感に駆られたのだ。
行きすぎた。そして歪んだ正義を、わたしは優遇を受けていたその男子生徒にぶつけた。
「いじめちゃったの?」
櫻庭先輩の意外だと言わんばかりの驚いた顔を、初めて見た。
「物を隠したりとか、物質的なことは証拠が残るので何もしてません。ねちねちとクラスの面前で、その男子に対する不満を陰湿にぶつけたんです」
反省させようとか、そんな深い考えはない。
ただ、彼の心を壊してやりたい。それだけだった。
贔屓を罰するという体裁で、自分のどす黒い感情を彼にぶつけていただけ。
男子生徒はそんなわたしに対して何も言わないし、見向きもしなかった。
それが癇に障って、どうすればあの男子を壊せるのか、わたしはそればかりを毎日考えるようになっていく。
「結果、わたしを担ぎ上げてその男子生徒をいじめる側と、彼の取り巻き連中でクラスは完全に分断しましたね」
うわぁって、正面に座るふたりが声に出さず表情で語った。
「それで、結果として、兄に怒られました」
「……話、すごく跳んだね」
いいえ跳んでませんよ野田先輩。何もかも順序通りです。
「どうやったらその男子を懲らしめることができるのかって、ぽろっと兄にこぼしてしまったんです。そこからはもう説教の嵐で、泣いても喚いても許してもらえませんでした」
自分が正しいと信じて疑わなかったわたしは、涼君に軽い気持ちで助言を求めた。
そこから涼君は、小学校で起こっていることをわたしの口から聞き出して、それから……。
ガキのお前に人を裁く権利はない——。そのひとことから始まって、後はいかにわたしの正義が歪んでいるのかを延々と。
小学生だったわたしにもわかる言葉で言い聞かせてきた。
反論しても、言い返してく涼君にわたしは最後は何も言えなくなる。
癇癪起こして泣き喚いても、涼君は逃げることを絶対に許してくれなかった。
——そんなの綺麗事だよ!
一人前を気取って言ったわたしに対し、涼くんは容赦がなかった。
——綺麗事ってのは、俺の言ったどこの部分を指してんだ。んでもって、お前は綺麗事じゃない正しい答えを具体的に言えるのか?
格好つけてそんなひとことで終わらせようとしてんじゃねえ。俺の意見が間違ってるってんなら、ちゃんと言葉にして俺を納得させてみやがれ。
「晩御飯のときに始まった説教は、日付が変わってわたしが眠気に襲われたので一時中断しました。次の日の朝起きたら、すぐに第2ラウンド開始です」
今になって思い返せば、涼君はわたしが逃げた父と母の代わりをしてくれたのだろう。
そのときに全部叩き込まれた。
わたしは人を裁けない。
それは親であったり、学校や警察といったしかるべき機関のすることだ。
不平や不満を口にする権利は誰にでもあるんだから、相手にはちゃんと言葉で向かい合って伝えること。
ただし伝えたところで 当人がそこからどうするかは、わたしの自由にできない領域になる。
親や学校が動かないなら賛同者を増やして、動かざるを得ない環境作りから始めればいいなど、大人の戦い方もいろいろと。
「……お兄さん、最強だね」
「野田先輩の言うとおりです。今でも強く出れません。まあ、そんなことがあったからでしょうね。もし本当に原田さんがあの男たちをけしかけた張本人であっても、わたし自身が彼女にどうこうしようとは思っていません。でも学校側には、しかるべき措置を取ってもら います」
そして、この先わたしが原田さんの味方になることは絶対にない。もし彼女がわたしと同じような目に遭ったとしても、同情もせず他人事として聞き流す。
わたしはそういう人間だ。
達観しているわけじゃなくて、仲間に言わせれば人に対してあまり関心がないらしい。
親しい人と、そうでない大勢とでは気の許し方に落差がありすぎると前にわたしに言ったのは誰だったか。
「そういうわけで、わたしにもちゃんと反抗期はありました。子供ながらに間違った正義を振りかざして、おかしな道に進みかけたこともちゃんとありますよ」
「ええー、そこで終わっちゃう感じなの? そのあと学校で男の子とどうなったかとか、すごく気になるんだけどー」
そんなことを言われても、わたしの気持ちの変化というぶんには話はここで完結する。
「そのあとですか……」
怒涛の説教で精神を叩き潰されたあとも、涼君はわたしの親代わりを最後まで務めてくれた。
気持ちの整理がついて、ようやく自覚できた。
わたしが気に入らないのは、問題の男子生徒を特別扱いする先生の態度と、特別扱いを受けながら先生に何も言わない彼のその部分にあったのだと。
「男子生徒には、今までのわたしの言動を謝罪したあと、先生の不公平に甘んじているのが気に食わないのだと伝えました。そうしたらげんこつ一発でこれまでのことは水に流してくれましたし、彼とはそこから仲良くなっていきました」
もとから話せば気が合ったのだろう。
騒動のあとは頻繁に行動を共にするようになっていく。
わたしたちが放課後家に帰ってからも一緒に遊ぶ親密な関係になるまで、そんなに時間はかからなかった。
彼も贔屓を受けるたびに、それは違うと教師を諌めるように変わった。
しかしそうなると黙っていないのが、彼の取り巻きたちと、彼をいじめるためにわたしを神輿で担いでいた生徒たちだ。
彼らにとって裏切り者になったわたしと彼は、徐々にその他クラスメイトと衝突するようになる。対立は日を追うごとに激しくなり、小学校の教室の空気は真夏だというのに吹雪が吹き荒れそうなぐらいに凍りついた。
これが後に「真夏のブリザード」と呼ばれて語り継がれる大騒動の始まりだ。
「それ、勝ったの?」
戦々恐々と野田先輩は聞いてくるが、答えは当然——。
「もちろん。わたしと彼でその他諸々を締め上げました。といっても、前の反省もあるので突っかかって来る連中に、言い返してこなくなるまで正論をぶつけ続けただけですが」
ただこの騒動は、教室内だけでは収まらなかった。
もともと家庭の格差によって生徒の接し方に差をつけることは、教員内で黙認されていたところがあった。
裕福な家の子とされる生徒も、それを甘い蜜とする者や、それをされると他の生徒に馴染めないと嫌う者など様々だった。
そんな事情からかねてより溜まっていた生徒の不満が、わたしたちのクラスを着火剤にしていろんなところで爆発したのだ。
最終的には学年を通り越して学校全体を巻き込む大問題に発展して、教育委員会やPTAの偉い人まで出てきて、臨時の保護者総会が開かれるまでになる。
きっかけが子供の喧嘩でも、もともとは教員が特定の生徒を特別視していたのが原因だ。問題として取り上げられたのも主に教師の一部生徒に対する優遇についてだった。
騒動のあとは学校の教職員が大きく変わり、わたしたちのクラスの担任も、2学期から別の先生と交代になった。
「きみ、小学校のころからそんなことしてたの?」
「小学生だから歯止めが利かなくて行くところまで行ってしまったんですよ。今ならちゃんとストップがかけられます」
「言い換えれば、当時より陰湿さに磨きがかかっているということですよね」
「おっそろしい子だねぇ」
そこ、ふたりでこそこそ話しているつもりか。
ばっちり聞こえているよ。
「わたしの反抗期はそこで一度終わりましたが、内容が濃かっただけにいろいろ学びましたよ」
わたしに対して本気で怒ってくれた涼君。
わたしの歪んだ正義に、最後まで壊れなかったあの男の子。
彼らがいなかったら、今のわたしはもっと、それこそ手遅れなくらいに腐ってしまっていただろう。
大喧嘩の末に、気の合う仲間に逢えた。
そこで心にゆとりができたから、父や母とも向き合えるようになって、家に帰ることもできた。
……両親とは本当の意味で、いまだに向き合えてはいないけど……。
「その男の子って、水口君?」
「はずれです。凍牙とはそのとき出会ってもいません」
やたらと櫻庭先輩が食いついてきたのは、その考えがあったからか。
残念でした。その推理は的外れだよ。
「ふぅん。その男の子のこと、今でも好きなの?」
——愚問だ。
「好きですよ。とはいっても、恋愛感情はありませんが。わたしにとって、今でも、これからも、ずっと大切な人です」
「ふーん」
腑に落ちない顔をされても、わたしは真実しか言ってない。
店が開店したのか、衝立の向こうが騒がしくなった。
無数の足音が響いて、若い男の盛り上がる声が聞こえる。
「長く話しすぎましたね。本題の顛末は月曜日に吉澤先生に直接聞いてみます」
ソファから立って野田先輩の横を通り過ぎる。
「あ、待って! マヤちゃんの家、連れて行こうか?」
「遠慮しておきます。三國翔吾さんと一緒なんでしょう?」
「……そうだけど」
「だったらわたしは必要ありませんよ。わたしの顔を見てあの時のことを思い出しても嫌ですし。失礼します」
今度こそ帰ろうと一歩踏み出せば、衝立を挟んだソファに日暮先輩と大原先輩が座っていた。
いつからいたんだ。
「お前の家のDNAってどうなってんだ?」
呆れる大原先輩。どうやらかなり前からそこにいて、わたしたちの話を聞いていたようだ。
「……失礼します」
「待て」
相手にせず帰ろうとしたら、日暮先輩に止められた。
「何ですか?」
日暮先輩は立ち上がり、わたしと向かい合った。
嫌な感覚だ。
この人の雰囲気が、さっきの話題に出ていたあいつに似ているからか。
見下ろす日暮先輩が口を開いて、低く落ち着いた静かな声でわたしに告げた。
「自分で自分を制御できないなら、皇龍に入れ」
「……っ、失礼します」
有無を言わせないその口調にまともな答えを返せず、逃げるように店を立ち去った。
どうかしていた。というよりも、日暮先輩の空気に呑まれてしまってそこから抜け出すのが精一杯だった。
失敗したと気づいたときにはもう遅い。
後悔で気落ちしながら、日の暮れた街をとぼとぼ歩く。
皇龍に入れ——とか。なぜ即断即決で断れなかったんだ。わたしもまだまだイレギュラーに弱い。
悩みごとが増えてしまった。
いつまでも逃げるなんてできないだろうし、テスト明けにはちゃんとキッパリ断ろう。
わたしは皇龍に入れない。
あそこはわたしの居場所にしてはいけない。
——一度、皇龍のたまり場に来てみない?
そう言ったマヤの笑顔に、
——結衣にわたしの気持ちなんて分からないよ!
わたしの大好きな彼女の泣き顔が、重なった。




