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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【皇龍編 下】
24/208

8.傷に塩と慰めを(上)





眠りたいのに、眠れない。


寝返りを繰り返し、時間ばかりが過ぎて行く。

空が白くなり始めたころにようやくまぶたが重くなり、目を開けると朝の7時15分だった。


ぬるま湯のお湯でシャワーを浴びて、制服に着替える。

昨日カバンから弁当箱を出し忘れていたことに気づき、念入りに洗った。


朝食を食べる気にはなれない。

昼のおかずを作るのも億劫だったので、母がくれたフルーツのミックス缶とフォークを弁当袋に入れてカバンに詰めた。


いつもより格段に早い時間だが、マンションを出て学校へ向かう。

8時少し前に着いた学校は、わたしの予想に反してとても賑やかだった。


グラウンドから聞こえるかけ声。

校舎内から響く楽器の音。

これらは部活動の朝練習か。なんとなく話は聞いていたけど、これほど活気があるとは思わず、知らない世界をちょっと覗いた気分になった。


校舎のどこにいてもなにかしらの音は聞こえたが、1年4組の教室に人はいなかった。


3つほど、カバンが置かれた机があるので、登校して部活に行っている生徒はいるようだ。

しばらくは何をするでもなく自分の席に座っていた。

次第に教室前の廊下が騒がしくなる。隣のクラスから聞こえた笑い声に自分の場違いさが際立ち、耐えられなくなって教室を出た。


階段を下りる途中でクラスメイトとすれ違ったけど、気付かないふりをした。


人のいないところ——第二体育館へ行くと、ちょうど柔道着や袴を着た生徒が朝練習を終えて出て行くところだった。

なにくわぬ顔でゆっくり歩いて、裏側の非常階段の踊り場にしゃがみ込んだ。


予鈴が聞こえて、5分後にホームルームの始まりを知らせるチャイムが鳴っても、わたしはそこを動かなかった。


高校に入学して初のサボりだ。

反省文の内容を考えているうちにショートホームルームが終わったようだ。


膝に顔をうずめて小さくなっていると、急激な眠気が襲ってきた。本能に逆らわず、心地良い風を感じながら眠りに落ちた。






      *







どれだけ眠っていたのか。


突然体がびくっとなって、意識が覚醒した。

時間はわからないけど、校舎の静けさからして授業中なのだろう。


立ち上がって階段を下りる。

第二体育館の正面に回って入口にかかる時計を見ると、針は9時15分を指していた。

ぐっすり眠っていたつもりだったから、まだ1限目とは驚きだ。


金曜日の1限目は国語。乱入するにはちょうどいいか。

国語の先生とのやり取りを考えながら校舎へ向かっていると、前から男子生徒が歩いてきた。


男、というだけで警戒してしまうわたしは、まだ昨日のことを引きずっているらしい。


遠くにいてもすぐにわかる、見知った人。——凍牙にもこんな反応をしてしまうなんて、これはもう末期としか言いようがない。



「えらい顔になってんな」



はち合わせ開口一番、凍牙に言われて頬がはれていることを思い出した。昨日殴られた箇所に痛みは残るが、慣れてしまえば気にならない。


それにしても、嫌なタイミングで出くわしてしまった。



「思いがけない事故にあってね。相手と決着をつけるためにもこれからちょっと重役出勤してくるよ」



悪いことなんてしていないのに、なぜだか罪悪感が押し寄せる。それでもいつも通りの自分を装って、凍牙の横を通った。



「おい」



説明に納得していない凍牙が引きとめようと伸ばした手に、昨日の男が重なる。

悪寒が足元から背中へと駆け上り、息が止まった。


気づいたときには、凍牙の手を容赦なく叩き落としていた。



「……何があった」


「……たいしたことじゃない。誰かに話すようなネタにもならない、くだらない事態に遭遇しただけ」


「顔はらしている時点で大事だろ」


「それは一番どうでもいい」



むしゃくしゃする。

無関係な人間が口出しするな。


くだらない反抗心が心の中を埋め尽くす。

凍牙への小さな疑念が攻撃材料になって、次から次へと湧き上がってくる。



「——あのさあ、西が荒れてるって前に皇龍の人たちが言ってたけど、そこに前わたしたちの住んでたとこは含まれてるの?」



こんなことを言いたいんじゃない。

心配しなくていいって、一言口にすればいいだけなのに。



「あの街、日奈守が荒れたとき、春樹たちが皇龍のようなチームを作って、そこらの不良たちみたいにこの街に攻めてくる——って、凍牙はそんな予想してるの? だからあの夜、もしもわたしと凍牙が敵になったら、なんて言ったの? 春樹たちがこの街を落とそうとしたとき、わたしも皇龍の敵になる。そう思ったの? そうなった場合、凍牙が皇龍に味方したら、確かにわたしたちは敵同士だもんね」



凍牙は何も口出ししない。否定が返ってこないことが無性に腹立たしかった。



「わたしのこと見くびらないでよ」



違う。

そんな風に伝えたいわけじゃないのに。



「くだらない理由であいつらがこの街を荒らしに来るなら、バケツの水ぶっかけてでもわたしが止める。なにもかもすること全部に賛同してほいほい協力するような、薄っぺらい仲じゃないんだよ。あいつらがそんなことするなんて、万に一つもないと思う。でも、あいつらの中で何かが狂って、もしそんなことが起こったら、縁切り覚悟してでも絶対わたしが止めるから!」



一方的に言い捨てて、逃げた。

呼び止められても聞こえないように、必死で校舎へと走る。

追いかけてこない凍牙にほっとしつつも、どこかで落胆している自分がいた。


どれだけわたしは自分勝手なのだ。







      *







昇降口の時計は授業終わりの5分前を示していた。

時間的に申し分ない。


息を整えるようにゆっくりと階段を上る。

これから起こることを想定して、とにかく冷静であるよう自分に言い聞かせた。

感情が先走って目的を見失ってはいけない。


3階の教室に着くと、後ろのドアを無視してあえて前のドアに手をかけ大きく開けた。


そこでいきなり、出鼻をくじかれる。

国語の先生がいるはずの教壇に立っていたのは、担任の吉澤先生だった。

黒板を見る限り、授業は数学のようだ。


金曜日の数学は、2限目のはずなんだけど。

授業中に突然教室に入ってきたわたしに、吉澤先生はチョークを持つ手を止めた。


クラスメイトも全員わたしに注目している。



「……遅刻だ」


「そうですね。遅れてすみません。昨日少々、心の事故にみまわれまして、登校が遅くなりました」



こうなったら自棄だ。

もうどうにでもなればいい。



「顔がはれているのは肉体的に起こった事故が原因じゃないのか?」


「これはどうでもいいです。こちらに関しては当事者含め関係者各位ありとあらゆるところまで明るみに出して、しかるべき処分に踏みきってもらいますので、今はどうでもいいです。そんなことよりこの時間に、なぜこの教室で数学の授業が行われているのかのほうが気になるんですけど」


「国語担当の先生が急な出張で、俺の時間が空いていたから1限貰ったんだよ。なんか文句でもあんのか」


「いいえ、これといってありませんよ。強いて言うなら2限連続で数学はしんどいなぁ、と」


「……文句は大有りみたいだな」



どうしてわたしは吉澤先生に対して喧嘩腰になってるんだろう。

吉澤先生はみるみる機嫌が悪くなり、気圧されたクラスメイトがかっちこっちに凍りついている。


こんな状態でも、わたしの口は止まらない。



「だから文句じゃないですって。だってわたし、1限目受けてないですし」



タイミングよく、授業終わりのチャイムが鳴った。

チャイムの音に負けないぐらい盛大に、吉澤先生は舌打ちをした。



「10分後、真面目に授業を受けやがれ」


「そうします」



吉澤先生は教卓に荷物を置いたまま、手ぶらで教室を出て行く。


ざっと教室を見渡したが、マヤは登校していなかった。まあ当然といえば当然か。

クラス中の視線を集めながら自分の席に足を進めた。



「それ、ほんとどうしたの?」



途中で田所さんに止められて、右ほおを指された。



「見知らぬ男に拉致られて、強姦されかけたから抵抗したら殴られた」


「はあっ!?」



ざわりと教室が揺れる。

クラスメイトたちの動揺を鼻で笑った。



「なんて言ったらどうする?」


「……あんた、たちが悪いわね」


「それはどうも」



ため息をついた田所さんを置いて席に着く。

こちらを見てくる目はあっても、直接聞きに来る人はもういないみたいだ。

机に伏せて、2限目が始まるのを待った。






      *






——失敗した。

2限目開始5分もたたずに後悔する。吉澤先生の数学なんてサボればよかった。


これは今のわたしの状態で身を置いていい環境じゃない。

クラス全体が集中して、吉澤先生に注目している。

他の授業のような私語もなければ、居眠りをする生徒もいない。


集団の意識が一ヶ所に集まる。

統率の取れた空気に、自分の中で反発心が膨れ上がる。


従いたくない。

壊したい。


衝動を必死になって我慢する。授業妨害とか、誰の目から見てもただの腹いせだし、理不尽なことだって自覚している。

教室に馴染めないわたしが子供なだけだ。


わかっていても、教室の空気を支配しているのが吉澤先生というだけでイライラしてしまう。


目があったら喧嘩を売ってしまいかねない。

そうなれば1限終了時なんかより遥かに酷い言い合いが起こる。

それは嫌だ。できればこの先生に目をつけられたくない。


授業の内容がまったく頭に入らないので、少しでも気を紛らわそうと外の景色を見つめていたのに……。



「高瀬ぇ。遅刻したあげく俺の授業でよそ見とはいいご身分だなあ?」



なんで先生のほうから突っかかってくるのさ!


ああ、——もうっ。

どうしようもなくムシャクシャする。



「よそ見なんてしてませんよ。先生の見間違いですって」


「ああ? 明らかに黒板から目を離していただろうが」


「先生のその注意を押し通すなら、人間、学生のうちは顎の下にも目が必要ですね。じゃないとノートが書けない」


「てめぇ、ノートなんざ取らずに外ばっか見てたじゃねえか」


「だからそれは先生の見間違いですよ。他に目撃者なんていないでしょう。この席ですし」



クラス全体が氷のように固まっている。

息をして動いているのはわたしと吉澤先生だけだ。


先生の舌打ちに、クラスメイトの半数が肩をビクつかせた。



「浜田、お前高瀬の隣でこいつが脇見してんのを確認してるだろ」


「はっ、はい!!」



隣の席の浜田君。反射で返事しやがって。



「ということは浜田君も横にいるわたしを見ていて、前を見ずに脇見していたことになりますね」


「ええっ!? 俺、先生と黒板以外何も見てませんから!!」



先生の怒りの矛先が自分に向くことに恐怖して、浜田君はすぐに証言を覆した。



「……だそうですよ?」



わたしがニヤリと笑えば、吉澤先生もヒクリと口端を吊り上げた。



「…………いい度胸だ」



吉澤先生が手持ちのノートにペンで何かを書き始める。


そのすきに横にいる浜田君を盗み見すると、顔を青くして涙目になっていた。……巻き込んでごめんよ。


先生はノートの一部を手で破ると、大股でわたしの席の前に来た。



「授業を止めたペナルティだ。昼休みに図書室でそんだけの本を借りて俺に届けろ。名義は俺でいい」


「そんなの日直の仕事でしょう」



言いながらも先生が押し付けた紙を開く。


殴り書きの文字に目をやると——。



『中学時代のてめえの悪事を 


こいつらにあらいざらいぶちまける』



——などという走り書きがされていた。



……なにこれ?



「1限目サボった課題もそのときに渡す。来なければ——わかったな?」



鬼の形相で上から睨んでくる吉澤先生に、降参を示すため両手を上げた。



「……承知いたしました」



後悔先に立たず。わたしは売ってはいけない人に喧嘩を売ってしまったようだ。


それにしても嫌なカードを見せてきたな。

入学式のときに睨まれただけで終わっていたので、すっかり失念していたよ。


吉澤先生は教壇に戻り、何事もなかったように授業を再開した。







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