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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【皇龍編 下】
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4.砂上の平和(下)





次の日は朝からしとしとと雨が降っていた。梅雨らしい湿気の多い空気が肌にまとわりつく感覚が不快だ。


学校に登校して下駄箱を開けると、上靴の上に白い封筒が置かれていた。しっかりと封がされていて、裏返しても宛名は書かれていない。


上靴に履き替えて、下靴は持参したスーパーの袋に入れて教室へ持っていく。

帰りに靴がないなんてことは避けたいので、念には念を入れて警戒しておこう。


すれ違う生徒のわたしを見る表情は、昨日と同じで嫌悪や敵意に満ちていた。

野次が飛んでくることはあっても、引きとめる者がいないのはありがたい。

くだらない理由で遅刻は二度としたくない。


教室に着いたら下靴は後ろのロッカーにしまった。個々に鍵がかけられるので、誰にも手は出せない安全な場所である。


席についてカバンから必要なものを出していると、チャイムと同時に吉澤先生が教室に入ってきた。

ショートホームルームが終わった後、下駄箱に入っていた封筒は中身を見ずにゴミ箱へ捨てた。


自分の席に戻って、1限目の授業の用意に取り掛かる。



「……まじか」


「えっ、どうして……?」



騒然とする声が廊下から聞こえ、何かあったのかとドアのほうに目を向ける。教室に見知らぬ男子生徒が入ってきた。

ネクタイの色から、男子生徒は3年の先輩であることがわかった。


教室内を見渡していた彼は、あろうことかわたしと目が合うとこちらに近付いてきた。


赤茶色の髪。強面の吊り目はなかなかに迫力がある。それにしても唇の端にあいたピアスは校則で大丈夫なのか?



「高瀬結衣か?」


「そうですが、何か?」



座っているわたしを見下ろしていたその人は、質問には答えずに黙って頭を下げた。


その行動にクラス内だけでなく、廊下から見物していた誰もが唖然とする。



「今回の、 SNSに拡散された一連の騒動だが、下の連中がすまなかった。俺の監督責任だ」



そこまで言って、この人は頭を上げた。



「くだんの件で写真の3人を締め上げたら、高瀬に声をかけたのは自分たちだと吐いた。確認の取れていない情報に踊らされて、勝手にお前を責めたこともあいつらは認めた」



……締め上げた……? 問い詰めた、ではないのか。



「いらぬ誤解を周囲にさせて申し訳ない。あいつらには俺からきつく言っておく。馬鹿げた拡散記事も、俺たちの情報担当が全力で訂正に回ると約束する。——この俺に免じて、あの3人を許してやってはくれないか?」



周りで見守る生徒たちの反応からして、この人は本来、こんなところで謝るような立場ではないのだろう。

そんな人が注目を浴びるなか、あえてわたしに頭を下げて、わたしの無実を周囲に伝えてくれている。

ひょっとしたらこの人が、あの3人組のやらかしたことの最たる被害者なんじゃないだろうか。



「あの3人に呼び止められたことにより、わたしはバイトに遅刻しました」


「……………」



へ、お前今それ言うの?

そんな空気が流れているけど、これだけは言っておかないと。



「少しは人の事情を考えろと、そこはちゃんと伝えてください」


「……それは重要なことか?」


「わたしにとっては最重要事項かと」


「…………説教の項目に加えておく」


「お願いします」



あとはもういい。誤解をといてくれるなら、もうこれ以上この人がさらし者になる必要もない。



「お前を巻き込んだ3人にも、後々詫びを入れさせようか?」


「いりませんよ。もう十分です」


「そうか。……——津月をよろしく頼む」



最後の一言はひっそりと、わたしにだけ聞こえるように彼は呟いた。

その人はもう一度済まなかったと頭を下げ、教室から去って行った。



「結衣!」



余韻に静まる教室で、マヤがわたしの席まで駆けてきた。



「今のって、皇龍の人でよかったんだよね?」



念のため、確認はしておかないと。

これで違うとか言われたらとんだ笑い者だ。



「皇龍幹部の大原 武(おおはら たける)さんだよ!!」



マヤに聞いたのに、なぜか窓際にいた榎本君に突っ込まれてしまった。



「あーもう、こいつ絶対あり得ねえ」



と言いながら、榎本君は頭を抱えている。

マヤもそんな彼を見て苦笑した。


教室前方からクラス委員の田所さんが歩いてきた。わたしの肩に手を添えたので、何事かと田所さんを見上げる。



「大丈夫。あんたの変人っぷりはクラスのほとんどが知ってるから」



………………。


お願いします。悲しくなるからそんなこと真顔で言わないで。






      ◇  ◇  ◇





——信じるに値しない情報を鵜呑みにする馬鹿は皇龍にいらない。



大原武が結衣に謝罪したその日。

同時刻に皇龍総長、日暮俊也の放った一言は瞬く間に学校中を駆け巡った。


自身の影響力を見越しての発言だったのだろう。

日暮の効果は絶大で、昼休みが終わるころには結衣を悪人として話題に出す者はなくなっていた。


次に起こったのは、誤情報に踊らされて結衣の悪口を言っていた者たちへの滑稽な糾弾だ。


率先して結衣に野次を飛ばしていたという女子が、凍牙のクラスにもいたらしい。

今はその女子生徒が教室内で顰蹙を買っていた。


凍牙と結衣の日常は変わらない。

昼休みにふたり、第二体育館で過ごしたときも、結衣にいつもと変わった様子はなかった。

あれだけの敵意にさらされながら、反撃せずにおとなしくしていた結衣に、表向きの焦燥は見られない。


凍牙にはそれが逆に危うく思えた。

本人の自覚はなくても確実に、ストレスは蓄積されているはずだ。

弱みを見せずにひょうひょうとしている結衣の限界は、もしかするともうそこまで来ているのではないか。


鬱憤を発散する手立てがないこの状況。

もしも結衣が何かのはずみで爆発しても、俺には止めることはできないぞ。

かつて暮らした街の、結衣の理解者だった男を脳裏に浮かべ、凍牙は心の内でぼやいた。






      *







雨は午後になって激しさを増した。


放課後の1年1組の教室にて、凍牙はどんよりとした薄暗い教室で、サボった授業の課題を終わらせていた。


吉澤先生の制作した課題は容赦のない量の問題数だが、50分もかからないので授業に出ているよりも拘束時間は少なくて済む。

しかも本日中に提出すれば授業に出席した扱いになるのだから、凍牙にとってはありがたいものだ。


こういうところで、この学校はゆるい。

凍牙が問題を解き終えたプリントとカバンを持って教室を出ようとしたときだった。



「……あ、あの。水口、君」



ドアを塞ぐように、女子生徒が4人、廊下から顔を出した。



「あのね、下駄箱に下靴があったから、まだ帰ってないんだろうなって思って来てみたの」



ストーカーかと。凍牙は嫌悪感を隠さない。

昇降口の下駄箱は学籍番号が記されているだけで名前は貼り出されていない。

生徒それぞれに割り振られた学籍番号は調べようと思えばいくらでも方法はある。だが、目的とする人物の番号をわざわざ調べて、下駄箱を確認する見ず知らずのやつをストーカーと称しても間違いではないはずだ。


さらには自分でそれを暴露するとは、こいつら馬鹿なのか。

それともそこまで考えないだろうと俺を馬鹿にしているのか。


どっちにしろ、不愉快極まりない。


凍牙の心情など察することなく、道を塞いだ4人の先頭にいる女が話しだす。



「あの、実は高瀬さんのことで話があるの」



——ああ。

言われてようやく気づく。

この顔ぶれ、昨日結衣の隣で昼を食べていた奴らの一部だ。

そして先頭の女は、かつて第二科学室で結衣によって見事にぼろを出したやつと声が同じだ。



「俺には話すことはない」



彼女たちがどこの誰かわかったところで、用件を聞く必要性が感じられない。

凍牙が気にせず廊下に出ようとしたら、後ろにいた3人がたじろいで後退する。

しかし先頭の女が必死な形相で凍牙の前に立った。



「み、水口君って高瀬さんと知り合いなんでしょ! ひょっとして、ゴールデンウィーク明けに高瀬さんとあたしが喋ってたのを聞いたのも、水口君なんだよね。あの時のこと、誤解をといておかなきゃって思って……。あたし、高瀬さんに脅されてあの教室に連れて行かれたの。ああいう風に言わないと、あたしのおかしなうわさを学校中に広めるって高瀬さんに言われて——」


「うぜえ」



まくし立てて喋る女に嫌気がさして、横を通り過ぎようとした。



「お願い信じて! あたしは悪くないのっ!」



女が後ろから凍牙の腕にすがり付く。

いい加減にしろ。



「触るな」



上目遣いの女に冷たく言い放てば「ひぃっ」と短い悲鳴が聞こえて腕は解放された。うんざりとした様子で凍牙は目を潤ませる原田を見下ろす。


悪くない? それは何を基準にしての「悪」だ。

そもそも結衣は自分が「善」だとは、微塵も思っていない。


そして凍牙自身も、自分を善人だとは思わない。

スマホをズボンのポケットから取り出して操作する。



『ええっと、なんだったっけ』


『だーかーらっ、津月さんのこと! 高瀬さんボケすぎだよ!』



あの日の音声を再生すると、女はみるみる青ざめた。



「俺はあいつほど甘くない。次に俺のところに顔を見せたら、この会話皇龍に提出するぞ」



脅しの意味が理解できたのは当事者ただひとりで、原田に付いて来た3人の女子生徒は、戸惑いを隠しきれず互いの顔を見合わせる。

時間の無駄だと判断し、凍牙は女子生徒のあいだを抜けて廊下に出た。



「……お願い、待って!」



しつこい。



「どうして水口君みたいな人が、高瀬さんなんかの味方なのよ! どう考えてもおかしいじゃない!」



……何がどうおかしいんだ。

おかしいと断定できるぐらいに、この女は俺を知っているのか? 過去に魔女と呼ばれた結衣を、理解しているのか——?


いらだちがつのる。


俺は結衣の味方ではない。だが……。



「俺はお前らより、高瀬結衣を知っている」



結衣がどんな女なのか。

結衣は降りかかる災難をしかるべき所へ押し付けることは、いくらでもやらかす。だが彼女は立ち向かう相手に対しては、必ず自分で相対する。


他人に任せるまねはせず、自分自身が表に立って。

発した言葉の責任を誰かに肩代わりさせることも、分担させることもしない。

たとえ、あいつが仲間と呼ぶ連中であってもそれは変わらない。


凍牙の知っている高瀬結衣は、そういう女だ。


ひとりで俺と対峙できないようなやつが、友達と言いながらそいつらに責任をなすりつけるようなやつが——、一体結衣の何を語れる?



「てめえなんざ、あいつの足元にも及ばねえよ」



凍牙は言い捨てて、そのまま歩き出した。

まだ話しかけてくるのなら音声データを皇龍へ提出しようと決めたが、杞憂に終わったようだ。


振り返らず、立ち去った彼は気づかない。


凍牙の後ろで、先頭に立っていた女——原田が唇を噛みしめて拳を震わせていた姿を、彼は最後まで見ることはなかった。






      ◇  ◇  ◇






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